高架道路

 一時間ほど歩くと、道の周りは低木の茂みや蔓草と雑草が増えてきた。時々、茂みの中を生き物が動いていたが、それらは作治を攻撃することも姿を見せることもなかった。その度に、作治はオートマチックを素早く取り出したが、結局発砲するには至らなかった。


 何度も拳銃をベルトから抜いたり挿したりしていると、拳銃がベルトからずり落ちそうになり気になった。ポケットに入れると引き金が布地に引っかかって危険だし、手に握ったままだと、危険人物の看板を背負って歩いているようなものなので、それも避けたかった。


 何か拳銃ホルダーになりそうなものは落ちていないかと、注意しながら歩いていると、大きな砂利が塚のように盛り上がった小山の上に、折れた金槌や壊れたプライヤー、錆だらけの大量の釘などが落ちていた。

 その中に革製の工具差しのようなものが落ちていた。相当古いものだったが、まだ十分に使えそうだった。以前はその工具差しの一部だったのか、同じような革製の紐も落ちていた。


 ナイフで切ったり革紐を結びつけたりしてみると、結構塩梅のいい拳銃ホルスターが出来上がった。

 しかし、ベルトにホルスターを挿すと、ジャケットの裾から少しだけ拳銃の頭が出てしまっていた。

 そこで作治は鞄からタコ糸と一番太い縫い針を取り出し、色褪せてもう雑巾にしか見えないタオルをホルスターに縫い付け、傍からは、腰から汗ふき用の手拭いを吊るしているかの様に偽装しつつ、タオルで拳銃をすっぽり隠せるように改造した。


 結構いい感じの拳銃隠しホルダーが出来上がり、満足していると、太陽が傾きかけていることに気付いた。




 作治は携帯食を鞄から取り出し、それを齧りながら旅を進めた。地図によるとこの先に高速道路の入口ランプがあるはずた。日が暮れる前にランプが見えるところまで進み、野宿できる所を探したいと思っていた。

 地平線近くの空が薄黄金色に染まる頃、薄紫色の靄の中に高架道路の影が見えてきた。野宿できそうな場所は未だ見つかっていない。周りを見回してもそれらしきところは全く無かった。

 辺りは海原の波のようにうねる蔦の藪が広がっていた。訳のわからない生物が潜むには絶好の場所のように思われた。

 作治は、最悪、今日は高架道路の上で休もうと思っていた。高架道路の上なら得体のしれない生物に襲われる可能性も少ない。作治は歩を早め、高架道路へ急いだ。



 半時間ほど掛けてランプのすぐ近くまで来ると、ランプの坂道は大量のゴミと潰れた車が何台か壁に押し付けられていたが、坂の上にある発券機までは行けそうだった。


 そして危うく見逃しそうになったが、もう一つの探しものも見つかったようだった。


 発券機の真下辺りにある、高架道路と一体になって造られたコンクリート製の建物だった。

 道路と同時期に造られたようで、橋脚と同じような色をしていたから橋脚の一部だと思ってしまった。


 建物の一階部分は大きな倉庫のようで、中の物は全て誰かに持ち去られたようだ。外から入り込んだ土と埃で床が覆われていた。奥に二階へ登る階段がついていた。


 階段を登るとそこは仕事場兼休憩所のようなところらしく、仕事机と椅子が乱雑に横倒しになり、その上に取り出された引き出しが、バカ丁寧に積み上げられていた。

 奥にあるローテーブルとそれを挟んで置かれていた二つの安そうな長ソファーは泥だらけの靴で何人もの人間が踏みつけた跡が残っていたが壊れては無いようだった。

 一方のソファーの方は変形してベッドになるソファーベッドだった。


 仕事部屋の奥にも通路があり、そこは給湯室と機械室とトイレだった。トイレの先にもドアがあり、ドアを開けると、錆だらけのテラスと上に向かう階段がついていた。どうやらここから直接高架道路に出れるようだった。


 太陽はかなり傾き、薄暗くなり始めたこの時間に、このような場所が見つかり、ラッキーだった。

 大きな部屋に戻り、長ソファーを展開させてベッド仕様にするとそれ程汚れていなかった。表面が防水処理されていたので、布で軽く拭いてやると固まった泥の足跡はすぐに落ちた。作治はそこにリュックをどかっと置くと、部屋の周りの安全確認を始めた。


 窓は金網入りの分厚い強化曇りガラス、階段上のドアは内側から鍵がかけられるタイプで、合成板のその外には両開きの鋼鉄製防火扉がついていた。こちらは内側に鍵の要らないワンタッチ南京錠が掛かっていので内側からロックできた。外階段のドアも鉄製で窓には金網入りの曇りガラスが嵌っていた。防御は完璧だった。少なくとも賊に忍び寄られ、寝首を取られるようなことは無さそうだ。作治はこの建物を今夜の宿にすることに決めた。


 ベッドの上にリュックの中身をぶちまけて、結構食料が残っているのを確認すると、これだけ安全なら煮炊きをしても大丈夫だろうと、作治は給湯室に鍋やフライパンがないか探しに出かけた。


 アパートから小型の鍋やケトルは持ってきたものの、いずれも携帯用のものだった。

 一方、食料の方は今日一日掛けて路傍に生えていた野生化した白菜や遺伝子組み換えほうれん草や南洋大根、辛子大蒜などの収穫物があったので、早い内に腹の中に入れておきたいと思っていた。いずれも火を通さないと上手くないものばかりで、遺伝子を組み替えた厚葉ほうれん草や辛子大蒜は火を通さないと食えたものではなかった。

 給湯室の床は強化ガラスのコップや強化陶器の湯のみが散乱していて、それらを無理矢理割ろうとした跡が部屋のあちこちに見られた。当然、そう簡単に割れるシロモノではないので殆どが無傷のままだった。その中にまだ使える状態の薬缶や鍋が転がっていた。大きな南洋大根を輪切りにして煮込むには十分な大きさだ。驚いたことに、全く使っていない二十二センチのフライパンが箱に入ったまま見つかった。


 給湯室の一番奥にはガス管に繋がれたコンロが据え付けられていた。コンロの上には換気扇があり、外では風が吹き始めたのか、家庭用に比べてかなり大きい換気扇がゆっくり回っていた。換気扇のスイッチを探したが、そのようなものはまるでなく、どうやら換気扇はソーラー発電か風力発電で常に回っているものだと気付いた。


 据え付けコンロは思った通りガスが来ていなかったが、そのコンロの上にカセットコンロが置いてあった。ダメ元でスイッチをひねると驚いたことに火が付いた。カセットガスを調べると、汚れて古びたラベルには「液化発泡油」と書いてあった。聞いたこともない燃料だったが、弱いながらも安定した火力があるようだ。

 作治は南洋大根と乾燥肉で煮物と、残りの野菜と冷凍真空パックした肉で炒め物を作った。

 煮物をひと煮立ちさせ、冷ましている内に炒め物をサッと炒めて仕上げ、再び煮物を弱火でコトコト煮込んでいる隙に、炒め物をつまみに桃芋酒の水割りを飲んだ。

 炒め物は今まで作った中でも一番と言っていい位上手く出来、水割りともよく合った。冷たい水か氷があったら水割りはもっと旨かったろうが、そんな贅沢は言えない。

 煮物の方も上出来で、持ってきた砂糖芋とナンプラーを粉末化した「醤粉」で甘辛く仕上がった。今日採れた野菜を全部使ったので腹一杯になり、足元からじわじわ湧いてくる心地よい疲れも伴って二・三杯も飲むとすぐに眠気が襲ってきた。




 翌日、目が覚めると太陽はすでに登っていた。水筒から水をガブガブ飲むと、口の中に嫌な匂いが残っていたので、歯を磨こうと給湯室に向かった。そこで、ふと、作治は水道の蛇口を回してみた。「まさかね」と独り言を言って蛇口を回した。キーキーと嫌な音をたてて三叉把手が回ると、ちょろちょろと水が出てきた。「おっ!」作治が小さく叫ぶと、やがて蛇口から赤くドロドロした錆の塊が出ると、次の瞬間、突然勢い良く水が飛び出した。

「まさか!水道が通じてるのか!」水道の蛇口から水が出るのを見るのは何年ぶりだろう?

 作治は恐る恐る水に触れてみた。濡れた指先を擦り合わせてみる。強酸や強アルカリでやられてもないようだ。手でお椀を作り、匂いを嗅いで見る。無臭だ。水温は非常に冷たい。恐らく井戸水か、湧き水だろう。

 しかし、それを飲んで見る気にはなれなかった。飲料貯水池にに薬品や細菌を投げ入れるくだらない奴らがいるからだ。しかし、触った感じや匂いでは害がありそうには思えなかった。何しろこの冷たさが気に懸かる。きっと井戸水をポンプで汲み上げているに違いない。換気扇が自家発電で回っているのだから、水道のポンプもその電力を利用していても不思議はない。


 作治は勇気を出して顔を洗ってみた。何も違和感はない。そのまま水に頭を付けて髪の毛を洗った。二日酔い気味の頭がいきなりすっきりし、気分が良くなった。部屋に戻り、まだ使っていないタオルを取ってくると、作治は給湯室で服を脱ぎ、水道水で濡らしたタオルで全身を拭いた。汗や垢が拭い取られる度に嘆息が漏れるほどの心地よさが広がった。


 体を拭いてサッパリすると、作治は栄養バーを齧りながら身支度をし、わざわざ一階に降りることなく、二階の階段から高速道路に出た。



 高架道路は想像していた通り、あちこち壊れた車が路肩や中央分離帯に押しのけられていた。どれもひと目で動かないと分かるものばかりで、錆に覆われた車も少なくない。しかし、通れないという程ではなく、徒歩なら十分歩けた。それでも暫く歩くと、道の所々に小さな穴が開いていて、破壊の跡が見られた。




 二時間ほど歩くと、道は緩いカーブを描き、他の高架道路の姿が見えてきた。どうやらジャンクションに近づいたようだ。少し休憩をとってから、再び一時間ほど歩くと、複雑にグルグルねじ曲がるジャンクションが見えてきた。保加瀬谷バイパスと交わる保加瀬谷ジャンクションのようだ。こちらの高速道路は一分おきくらいに上下線のどちらかで車が走っていて、かなり交通量が多かった。貨物車両が殆どで、復興の面影が見えるようだった。

 急なカーブを一周して保加瀬谷パイパスの本線に入ってすぐの路肩にボロボロの車が停車していた。いたるところ凹みだらけで塗装も色褪せて元の色が解らないくらいだった。遺棄されたスクラップか故障車かと思ったが、そのすぐ後ろで火を起こして煮炊きをしている者がいることに気付いた。薄汚い身なりの中年の男で焚き火の前で胡座をかいて丼にかぶりついていた。

 本線に入ってすぐの事だっので、警戒する間もなく男が目の前に現れ、たじろいでしまったが、男は丼の中身に夢中だった。やがて、男は作治の存在に気付き、顔を上げたが、すぐに「ぶっ」と口の中のものを少し吹き出した。口元を見ると、どうやら笑っているらしい。

 初めて会った男にいきなり笑われるというのは頭にくるもので、作治の警戒心は途端に消えて、不満に変わった。

「あんた、この辺の池か沼で顔を洗ったろう?」男は口の中のものを出さないように必死で笑いをこらえていた。

 作治はムッとしながらも、今朝、井戸水らしき水道水で顔を洗ったことを思い出した。

「井戸水だと思うけど…」作治が言いかけると、

「ガハハっ、それだ、それっ!」と男は作治を指差して下品に大声で笑った。

 流石に作治は腹が立った。

「何だ、このおっさん…」作治が言いかけると、男は自分のポケットからサッと手鏡を出して、それを作治の目の前にかざした。


 鏡には真っ白でモコモコで、白カビのようなものに覆い尽くされた自分の顔が映っていた。


「うわ~っ、何だこりゃ!」作治はパニックを起こし、顔にこびりついた綿のようなものを払おうとすると、「ああっ!駄目だ駄目だ」と下品な小男が制した。


「垢喰いを潰したら、厄介なことになるぞ」男は作治の腕を掴んだ。


「でも、コレ、コレッ…!」


「ただの垢喰いだよ。潰して毛穴に詰まったら、炎症を起こして大変なことになるぞ」


「アカクイ?」


「何だ、知らんのか?遺伝子弄りの小さな虫だよ。眼に見えないくらいの小さな虫で、動物の老廃物を喰ってくれるんだ」


「でも、なんか、白いのが一杯くっついてる…」左手の軍手を引っ剥がしてみると、左手も真っ白になっていた。襟首を開いて、身体を見るとそこも一面真っ白だった。


「うわあぁぁぁ…」


「心配するなよ。ただの虫だよ。白いのは虫の吐く菌糸だ。虫と菌の遺伝子を組み合わせた遺伝子弄りらしいからな。二三時間もすれば、羽化して消えてなくなるよ」

 男がそう言ったものの、人間の顔とは思えない顔に変貌してしまい、一刻も早くこの白いふわふわを拭い去りたい衝動は抑え辛かった。

「炎症を起こしたら、腫れたり、夜も寝れないくらいの痒みに襲われるぞ」

 男にそう言われ、作治は自分の顔を触るのを諦めた。しかし、不気味な白い物体を拭い去りたい欲求と、男が言うように本当に何も害がないのか、という不安で心はかき乱されていた。


「なあに、心配するこたぁねぇよ。さっきも言ったろう。すぐ消えちまうって。それより、その垢喰いをちょっと俺に分けてくれねぇか?」男は藍色のおもちゃのような小瓶を幾つか片手に持ち、もう一方の手で耳掻きのようなものを持って作治を手招きした。


 作治はショックの余り警戒心も消え去り、何も考えることが出来ず、コンクリート片に座る男の前に跪いた。


 男は作治に顔を近づけ、耳掻きのようなもので作治の顔の表面を引っ掻き、白い粉を3本の瓶の中に採取していった。


「初めてのあんたにはちょっとビックリしたろうけど、コイツは女共に高く売れるんだ。上手く培養できれば、一儲けできるのよ」男はそう言いながら、慎重に白い粉を瓶の中に落としていった。


「じゃあ、ほんとに害はないんですね?」


「あるわけねぇだろ。叩き潰さねぇ限り。毛穴の奥まで潜って老廃物を喰ってくれるんだぜ。最高の美容品だ」


 しかし、こんなみっともない顔で外を歩くのは嫌だ。目の前の男も時々思い出したように笑いを堪えている。

 男は垢喰いを分けてくれたお礼にと、火にかけた鍋の中のドロドロの煮物かスープのようなものを勧めたが、作治は丁重に断った。腹は少し空いていたが、食指が伸びる食べ物では無いし、そんな気分にもなれなかった。それよりも、こんな顔を人に見られるのが嫌で、一刻も早くこの男の前から消えたかった。

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