戦闘機

 独りきりになると急に寂しさが胸に湧いてきた。一時間も話していないし、さほど仲良くなったわけではないのに不思議なものだと作治は思った。


 周辺の一帯は元住宅街だったと見え、蔓草や雑草や雑木で埋め尽くされた住居や小さなビルが両脇に立ち並び、小さな渓谷のようになっていた。道はその真中を走っており、緩やかなカーブを抜けると、一面湖のような所に出た。広大な水田かなとも思ったが、ただ延々と続く泥沼だった。作治のいる道から右手に何百メートルも続き、所々、土手丘のような細長い島が浮かんでいた。


 その泥沼のただ中に建築物とも思えない人工物がポツンポツンと点在していた。遠くてよく見えなかったので、作治はポケットからイワツキの爺さんに貰ったオペラグラスを取り出し、覗いてみた。


 それは壊れた重戦車のようだった。


 ある物はキャタピラが外れ、ある物は長い主砲の先端が疲れたように泥の中に垂れていた。奥の方では砲塔がまるごと吹き飛んで無くなっているものもある。どれもサビつき、穴が空き、遺棄されてからかなり長い時間が立っているようだった。

 その戦車の向かう先には、また別のタイプの戦車が幾つか対峙していて、そのどれもが車体の真ん中に大きな穴を開け、錆びて朽ち果てていた。


 かつてここでは壮絶な戦車戦が行われていたのだ。


「兵どもの夢の跡か…」作治はため息を吐くように呟いた。

 その時、作治からそう遠くない泥の中で何かがグネリと動くのが見えた。すぐに泥の中に潜ってしまったので、何者かは判らなかったが、なにか大きないきもののようだった。すると、更に別の場所でも、直径三十センチ以上はある巨大な泡がボコリと浮かび上がり、水面で弾けた。腐ったような匂いが辺りに充満した。

 どうやら、余り気持ちのいい生物ではないらしい。遺伝子を弄られた「遺伝子弄り」の生物か異体進化した生物のどちらかか、或いはその両方かもしれない。

 作治はなるだけ沼に近づかないように道を急いだ。



 暫く歩くと、湿地帯は右手の奥の方に消えていったが、作治はふと、この辺は以前住宅地か農地だったのを思い出し、ザックから地図を引っ張りだして、現在地を確認した。

 偶然手に入れた詳細地図からは外れているようで、もう一枚の地図で確認したが、こちらは縮尺が大きすぎるので、主要路線以外は載っていないか道路名の説明がなかった。どのみち古い地図なのであまりあてにはならなかったが、その地図によるとこの辺りは平野部の手間里川市のはずだった。しかし、回りは小さな山のような丘が連なっていて、小さな渓谷のようなところを道路は走っている。

 丘はどれも雑木と雑草と蔓草でジャングルのようになっていた。

 さっきの湿地帯の所にあった案内板には確かに県道277号線と書いてあったし、あれから分かれ道もなかったから、正しいのだろうが、戦争や内戦でこんなに地形が変わってしまうものだろうかと首を傾げていると、左の方から強烈な視線を感じた。ふと、立ち止まって左を見ると、小山の山間に何かの動物がいるのが見えた。


 動物は「ピギーッ」と叫ぶと作治の方へ一直線に猛ダッシュしてきた。


 作治は慌ててベルトに挟んでいたオートマチックを取り出して、動物めがけて、タン、タンと二発放った。


 二発目が動物の頭に命中した。


 勢いをつけたまま倒れこんだその動物は、そのままズルズルと作治の方へ滑り込み、作治の手前一メートルのところで停止した。


 頭に巨大な角を一本生やした猪のような動物だった。


「何だコイツは?」


 作治は大きな角を持ち上げてみてもピクリともしなかったが、だらんと開いた口の中から犬の牙のような歯が、通常の動物よりはるかに多く生えていた。一瞬怯んだが、食料になりそうなので、どうにか運べないかと角を引っ張ってみたが、余りにも重すぎてその動物は全く動かなかった。

 台車と梃子になるようなものはないかと辺りを見回していると、後ろから一台のトラック型四輪駆動車がやってきた。

 車は一旦通り過ぎたものの、すぐにブレーキを掛けて止まり、バックで戻ってきた。


「いいツノイノだな。兄ちゃんが仕留めたのかい?」助手席の窓から作治と同い年くらいの男が顔を出した。


「ツノイノ?やっぱり異体化した猪なんですか?」


「牛だかサイだかの遺伝子弄りらしいぜ」男は言った。


「そのツノイノ、どうするんだい?兄ちゃんのザックにはちと大きすぎるんじゃねぇか?」助手席の男越しに運転手の眼鏡の男が尋ねた。

「襲ってきたんで、撃っただけなんで…」作治は外国人のように両方の掌を上に向けて肩をすぼめた。


「良かったら、俺達に売ってくれねぇか?ウォンで五十万出す」助手席の男が言った。

 またもや作治には良くわからない金の単位だったが、今の作治にはこんなバカ重いものはどうしようもなく、幾らかでも金になるなら文句はなかった。


 男達はほくほく顔で金を払い、作治も手伝ってツノイノを四駆の荷台に載せた。二百キロ近くあるらしく、男三人でも汗だくの作業となった。

「あの、この辺は手間里川市で間違いないですか?」

 ツノイノを担ぎあげて、肩で息をしている二人に作治もゼイゼイしながら尋ねた。

「ああ、昔はな。瓦礫の集積場になってからは誰も住んでないけどよ」とメガネの運転手が答えた。

 作治が小山をよく見ると、土の間から布切れやパイプや材木などが顔を見せていた。どうやら瓦礫とゴミの山の上に土が積もり、その上に木や草が繁茂してできたゴミの山のようだった。

 作治がそのゴミの量に驚いていると、二人の男は一刻も早くツノイノを捌きたいらしく、急いで車を出して走り去った。


 二人が去った後、作治は緩やかな上り坂を登っていった。この辺りは領土拡大計画の影響で隆起した地域だと聞いていたので、古い地図と違っていても不思議はなかったが、いつまでも平野に行きつけない事に少々閉口していた。


 日がかなり傾いてきた頃、道をちょっと外れた岩盤の丘に穿たれた農家のガレージのような所を見つけた。

 折り上げ式のガレージの扉を開けるとガランとした空間が広がり、その奥には三つの農作物の低温貯蔵このようなものがあった。頑丈な板と強化樹脂でできた小さな窓は無傷だったが、ガレージ内はがらんどうで何もなかった。

 ガレージの両側に金属製の箱のようなものが埋め込まれており、左側の扉を開けて見ると、業務用の冷蔵庫か冷凍庫だった物のようで、電気が止まった今はただの箱であった。右側は業務用の燻製器のようで、こちらは火とチップを入れればまだ使えそうであった。数時間前に仕留めたツノイノをここに運び込めれば燻製肉に出来ただろうが、ここまでツノイノを一人で引き摺ってくるのはまず不可能だったろう。


 人生はタイミングよく行かない場合が多い。


 その日はそのガレージで宿をとることにした。雨風が防げるのは元より、樹脂製の窓の内側には金属製の目隠し扉が付いており、それを落とせば外に光が漏れることもなさそうだった。高い天井にも、燻製器のダクトの横に排気口があったので、この中で火を使える。

 ガレージの外には枯れ木や枯れ枝が沢山落ちていたから、ガレージの壁に吊るしてあった斧で割って薪にした。

 斧の横には大きな農業用のスコップが綺麗な状態で吊るしてあったので、それをフライパン代わりにして、持ってきた冷凍真空パックの肉を焼いて食べた。腹一杯になって、沸かしたお茶を飲んでいると、疲れが急速に忍び寄ってきて、そのまま朝まで寝てしまった。



 翌日、目が覚めて目隠し扉を開けると、日はもう登っていて、眩しい朝日が部屋の中に入ってきた。


 外に出ると朝もやが立ち込めており、肌寒かった。まだ標高は高いらしく、ひょっとしたら冬目坂商店街より高い高度にあるのではないかと思った。


 朝食を携帯食で軽く済ませると、さっさと身支度して昨日の大通りに戻り、旅

 を再開させた。


 道はかなり賑やかになり、一時間に五台くらいの車とすれ違ったり追い越されたりするようになった。今日こそヒッチハイクして距離を稼ごうかと思い、車が後ろから来ると振り向いて運転席を覗いてみたが、運転手は皆、無表情で前方の遠くの方を見つめて、まるで作治のことなど見えないようだったので、手を上げる気にはなれなかった。



 暫くは雑草がまばらに生える荒れ地の中を道が続いた。道は舗装され、草や蔓が覆っていたり、壊れた車両が道端に放置されているようなところは殆ど無かった。



 出発して二時間ほど経つと、前方の左手にポツンと孤立した林のようなものが見えてきた。荒れ地の真ん中に孤立した林というのも妙なものだ。

 作治はその林になんとか近づけないものかと足を早めた。危険の匂いはプンプンだったが、雑草がポツポツとしか生えない痩せた荒れ地に孤島のように樹木が生えているのが妙に気になった。


 近づいていくと、道とその孤島は五十メートルほど離れたところにあり、その間は低木が生い茂っていた。膝くらいまでの高さだったが、下の地面が見えず、危険な動植物が潜むには絶好の場所だった。


 よく見ると低木は横倒しになった橋の欄干を囲むように生えていた。鉄道か自動車道路の鉄橋の欄干のようだった。


 欄干の鉄柱は太く、その上を歩いていけば、その林に近づけそうだった。


 作治は長鎌を握りしめて横倒しになった欄干を渡り、長鎌で藪を探りながら用心して林の中に入っていった。

 藪が鬱蒼としていたので、小さい林だったが、林も中心まで入っていくのは相当骨の折れる事だろうと思っていたが、五・六歩も歩くとすぐに周りが開けてしまった。


 中は木々が一方向に倒れて枯れており、その先には人工物が横たわっていた。


 大昔の飛行機だ。


 ぎっしり敷き詰められた枯れ木のフロアの上にジェット戦闘機が不時着していた。

 後方の二つの噴射ノズルは両方とも不自然に上を向いていたが、不時着で壊れたからではなく、元々全方向に動く可変噴射ノズルのようだ。


 足元に用心して近づいてみると、機体は土や埃が降り積もり、それが風雨で固まってこびり付き、更にその上に埃が降り積もって水色と灰色のレーダー撹乱塗装は色褪せていた。防錆加工されていない金属部分は錆がつき、パネルも何箇所も剥がれ落ちていた。


 昨日見た戦車と何か関係があるのだろうか。


 あの場所からここまでは飛行機では目と鼻の先だ。だが、昨日の戦車は明らかに内戦中のものだった。飛行機はその前の大戦中に全て飛ぶことは出来なくなったので、時代が全く違うのだと作治は気付いた。


 コクピットは可動部が取れて下に落下していたが、割れた後はなかった。機体のどこにも銃撃や攻撃されたような後はない。

 コクピットの中を見ると、シートはそのままに残っていたので、パイロットが緊急脱出した訳でもなさそうだった。中の計器類も壊れておらず、液晶パネルやゲージの内側に雨水が溜まっていた。


 故障か燃料切れで不時着したのだろうか。主翼の下の架台には爆弾やミサイルなどは吊るされていなかった。

 それにしても、はるか昔の戦闘機がこんなにしっかり残っているのは奇跡に近い。




 先の大戦の中頃、各国は競うように「攻撃衛星」を打ち上げた。攻撃衛星は常時太陽光を吸収できる低軌道を回り、あらゆる種類のレーダーと光学観測機を備え、高空から敵目標物を攻撃することが出来た。殆どの攻撃衛星が装備する武器は高圧レーザ砲だったが、なかには誘導落下ミサイルやレールガンを積んだものもあった。


 超音速で移動する航空機も標的に出来たために、高額な建造費と打ち上げ費用にも拘らず、攻撃衛星は有力な武器として各国が採用していった。

 その頃はソーラーパネルも高性能化していたし、その太陽エネルギーは曇ることのない衛星軌道上では常時補給できた。そして遠隔操作できたのでドローン攻撃機と同じく人的被害が0だった。


 また、攻撃衛星は常時自動監視ができ、敵味方識別装置はもとより、機影判別装置も搭載されていたので、プログラムしておけば任意の敵を自動的に攻撃もできた。


 しかし、この時点ではまだ航空機は空を飛べた。攻撃衛星の目標は航空機だけでなかったし、太陽エネルギーの再充填にもそれなりに時間がかかったからだ。

 ところがある時、どこかの国のハッカーが通信衛星を経由して、ありとあらゆる攻撃衛星にウイルス攻撃をかけたのだ。それはどこかの国が軍事的電子攻撃をしたというわけではなく、どこかの国の天才ハッカーが全ての国の攻撃衛星にウイルスを侵入させたのだ。


 このウイルスにより、すべての攻撃衛星は地上及び海上五十メートル以上を時速三十キロ以上で飛行する二メートル以上の物体を自動攻撃するようになった。


 勿論、各国はウイルス除去に必死になったが、半AI化した衛星コンピューターはいかなる接続も頑なに拒んだ。

 それ以来、飛行機もヘリも飛行船や気球さえも空を飛ぶことは出来なくなった。


 それから何十年も経った今もしっかりと形を残しているこの戦闘機に、作治は何か神秘的な神々しさを感じずにはいられなかった。この飛行機を取り囲み守るように残された林も誰か、作治と同じように感じた者が造った物のようにも思えた。

 作治は戦闘機に向かって祈るように頭を下げて林を跡にした。

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