大顔地区

 陰鬱な顔のまま、男と別れトボトボと高架道路を歩いた。他に歩行者はなかったが五分おきくらいに後ろから車がやって来るので、その度に俯いて顔を隠しながら歩いて行った。


 茫然自失として歩いている内にかなりの時間が経ってしまったことに気付き、ふと服の袖をめくってみた。そこには白いものは何もなかった。軍手を取ってみると、そこも本来の肌色の肌があるだけだった。作治は急いでリュックのポケットからヒビ割れた手鏡を出して自分の顔を写してみた。鼻筋とまぶたに僅かに白い粉がある以外は作治本来の顔があった。


 作治は長々と安堵の溜息を付いた。


 あの男の言っていたことは本当だった。


 しかし、なにか副作用のようなものがあるかもしれない。そう思いつつも、作治の心は晴れ晴れして軽かった。後になってあの白いものの毒か何かが効いてくるかもしれないが、その時はその時だ。ついさっきまでの憂鬱とは裏腹に作治の心はポジティブになっていた。


 気分が軽くなると身体も何だか軽くなり、足取りも軽やかになってきた。顔を上げて颯爽と歩くと、地平線の遠く彼方に小さく都市群が見えてきた。薄紫色に煙った地上近くの空気に隠れて、うっすらとしか見えないが、幾つかの高層ビルが天に伸びているのが見える。以前、作治が働いていた猫崎町か、その周辺の町だろう。ここから見た限りは猫崎町かどうかは全く判らなかった。


 作治がアルバイトをしていた「スーパー御手洗」は、五階建てマンションの一階にあったので、当然見えない。背の低いビルが林立する迷路のような一角にあったので、ビルの角をいくつも曲がり、スーパー御手洗のすぐ近くまで来ないと、店舗も看板も全く見えない位置にあった。


 そもそも、この内戦を乗り越え、まだ建っているのかすら分からない。まだ有ったとしても、作治が知っている店員はもういないだろう。しかし、せめて看板だけでも残っていたら見てみたかった。作治がこの町で何をするかは、まずスーパー御手洗が有った場所が今はどうなっているか確認してから決めようと考えていた。


 作治が見覚えのある、背の高い建物が見えてくると、作治の知らない建物群も見えてきた。町の西側に広がる広大な工場地帯だ。高い煙突が何本も建ち、もうもうと白や黒の煙を吹き上げていた。断続的に炎を吹き上げているものもある。工場も一辺が何百メートルもある大きなものばかりで、真新しかった。その辺りはかつては古くからの住宅街だった。温暖化による地球的海面上昇で水没した地区だ。恐らく埋め立てて工場地区としたのだろう。


 ボーリングの「カーンカーン」という規則的な音が聞こえてきた。機関銃のような削りハンマーの音、何の音かわからない「ドーン・ドーン」という轟音、何十台もの重機のエンジン音。昔は只の騒音でしか無かったが、今、この時代には「復興の音」だ。大勢の人間が生きている証だ。そして彼らは希望とか未来とか、そういったものを胸に抱いている筈だった。

 作治の目頭が熱くなった。騒音で涙腺が緩むなんて、生まれてこの方、想像すらしたことがなかった。


 工場地帯から高層ビルが立ち並ぶ猫崎町やその周辺の街の上空にはスモッグが充満していた。煙って見えたのは、このスモッグのせいだ。砂嵐のように濃厚で、砂嵐等よりしつこく都市群に張り付いていた。


 そして工場地帯を中心に広がる大きな鉄柱が列をなしていた。

 不思議な事に、鉄柱と鉄柱を結ぶ電線はキラキラと輝いていた。時に大きく、時に小さく瞬くように輝いていた。よく見ると電線は物凄い速さで青や赤の光に変わりながら明滅しているようだ。しかも、その電線は弛むこととなく、ピンと張り詰めていた。光は鉄柱から鉄柱へ連鎖しているようで、鉄柱同士が会話しているようだった。


 やがて、鉄柱の一つに近づくと、電線はワイヤーではなく光そのものであることが分かった。細いレーザー光が鉄柱の間を行き交っている。濃いスモッグが光線を覆うと、光は一層激しく輝いた。それが何なのかは全く解らなかったが、高エネルギーの兵器などではないことは分かった。もっと小さい熱も圧力もないレーザー光だ。


 様々な色に変化しながら輝く幾筋もの宝石の糸に見とれていると、あっという間に出口ランプが見えてきた。「根住町出口500メートル」と書かれた緑色の看板が、埃と硝煙に汚れて頭上に掛かっていた。



 なだらかな出口ランプを降りると、コンクリート造りの建物が道の左右に並び、都会の町に来たな、という感じがした。アスファルトの道には蔦や雑草がはこびることもなく、交通量の多さも伺えたが、車は全く走っていなかった。

 出口周辺には人の姿も全く無かったが、人と会うことも走っている車を目にすることも全く無かった冬目坂商店街に長年暮らしていた作治の眼には「寂れた町」とは写らなかった。人は誰もいなかったが、都会に来た気分になれた。

 斜路を折りて、三十メートルほど歩くと、前方に奇妙な動物が現れた。遺伝子弄りの異態化生物なのか、ひょこひょこと奇妙な足取りで突然路上に現れた。作治は素早く銃を抜く構えを見せたが、すぐに手を引っ込めた。


 どうやら目の前に現れたのは危険な異態化生物などではなく、危険性の全くない只の機械のようだった。かなり大昔に造られた愛玩用の犬型ロボットで、AIロボット犬と呼ばれていたが、当時の「AI」は複雑なアルゴリズムを組み込まれた単なるプログラムで、大戦時代に普及したAIとは比べ物にならないくらいチープな玩具だった。


 目の前に現れた犬型ロボットは、顔の部分がめちゃくちゃに破壊されていて、視覚用カメラがかろうじて残っているだけで不気味な顔つきをしていた。四肢も調子が悪いらしく、びっこを引いたような歩き方だった。この手のロボットは動力源の電気が少なくなると、自分で充電器に向かって自動充電する仕組みになっているので、この骨董品ロボットがまだ生きているのは餌の電気を与えてくれる飼い主がいるか、どこか秘密の充電スポットを知っていて、自己充電しているかのいずれかだろう。

 犬はひょこひょこと道を横切って路地裏に消えていった。あんなものがまだ生きているなんて、大戦前の科学技術はそのとう進んだものなのだと作治は改めて感心した。



 ロボット犬が路地裏に消えると、辺りに異臭が漂ってきた。鼻にツンとする異臭や何かが腐ったような異臭や化学物質の異臭などが混ざり合った経験したことのない異臭だった。街の中心に向かうに連れてその悪臭はだんだん強くなり、眼がヒリヒリしてきた。息を吸う度に喉もヒリヒリしだした。作治はとうとう耐え切れなくなり、汚れたタオルをリュックから引っ張りだして、鼻と口を覆うように頭に縛りマスク代わりにした。

 以前、冬目坂商店街で見つけた水泳用ゴーグルを持ってきたので、それをつけると苦痛はかなり減った。しかし、吐き気と頭痛をは強くなり、この激臭の原因は何なのかと訝しっていると、その原因らしい焚き火とその上に置かれた大きな鍋が道の両脇に二十箇所近くで毒々しい色の蒸気を上げているのが見えてきた。


 大鍋の周りで鍋をかき混ぜたり、鍋の中に何かを入れたり、焚き火に廃材を焚べたりしているのは十歳前後の子供達だ。五人から十人くらいの子供達がグループとなって働いているようだ。皆、鼻と口を覆うように布を巻いている。グループのなかには必ず大人が一人いて、大人は鍋の中に入れるゴミとしか思えないものを選別していた。隣でハンマーを使って粉砕している電気器具のかけらを選別しているようだ。基板や部品を溶かして鉛や水銀、金、銅、その他のレアメタルなどを抽出しているようだ。


 鍋からモウモウと立ち上がる異臭のする煙がスモッグの一部を成しているようだった。そして、このあたりの空気は確実に有害物質に汚染されているようだった。


 突然、ピーッという笛の音が聞こえた。道の両脇の子供達は勿論、大人たちも急いで廃墟同然のビルの中や路地裏に逃げていった。作治も本能的に近くのビルの隙間に身を隠した。一メートルも無いほど狭いビルの隙間に身体を押し込むと、通りをこっそり覗き見た。

 すると、通りの奥から大型の鳥くらいのモノがスーッと飛んできて、鍋が並ぶ中間点でピタリと止まり、そのままホバーリングした。そいつは五十センチ四方くらいの凡そ立方体の物体だった。全体が黒っぽく、突起や窪みで覆われていて、複雑な形を形成している。大小様々なカメラのようなものが幾つも生えていた。

 政府のドローンだ。

 シューッという音は物体の六方向に伸びているノズルから出ているらしい。

 ソイツはゆっくりと反時計回りに一回転すると、「不法有害物質を検知しました。当該有毒物質の所有者は直ちにこの無人警戒機の前に出頭しなさい」と両性的な流暢な言葉で命令した。


 当然、誰も現れず、ソイツもそれを初めから想定していたようで、「当該地区の責任者及び管理者は二日以内に統治局に出頭しなさい。出頭しない場合は…」と長々と規定と罰則を大音量で語っていたが、誰も聞いている人はいないようだった。



 ドローンは一通り警告をして一周りして、誰も出てこないのを確認すると、再びスーッと、もと来た方向に飛び去っていった。


 ドローンが去り、廃墟や路地裏から子供達や大人が再び姿を現すと、作治も再び路上に出て、足早に異臭のするこの地区を通り抜けた。

 何度か交差点を曲がると、片道三車線の大きな道に出た。緩やかな上り坂を登り切ると、眼下に駅に停車する鉄道が見えた。

 高架になった駅に電車が停止している。かつて内戦前に何度も乗ったことがある国営鉄道だ。鉄道が復活したというのは本当だったのだ。


 だが、何かがおかしかった。以前見た駅の風景と何かが違っていた。暫く考えて漸くその原因が分かった。ホームの上に誰もいなかったのだ。人っ子一人誰もいない。そしてその理由もすぐに解った。列車の先頭部分の高架橋の片側がすっぽり下の道路の上に落ちており、列車の前二両も道路上に脱線していた。


 近づいてみると、電車の表面は長いこと風雨に晒され、汚れがこびりついているのが分かった。かなり前に脱線したまま放置されているらしい。スクラップ同然の鉄屑だ。だが、ボーリングの音や削りハンマーの音はだんだん大きくなり、巨大な鉄屑の背後で復興のBGMとなって鳴り響いていた。


 工事の音が耳を聾するほどになると、道を行き交う車の数も増えてきた。作治がここ数年見てきた中で最大量の車の数だった。殆どがトラックやトレーラー、改造バイク等だったが、中には自家用車も混じっていた。大きな交差点では交差点の真ん中に台を置き、その上で制服を着た警官らしき男が交通整理をしていた。どうやら電気はまだ不十分らしく、信号機はどれも点いていなかった。「警官には近づかない方がいい」とイワツキの爺さんに言われていたが、目の前の警官は一人だけだし、交通整理に忙しく、誰かに話しかける余裕など全く無いようだったので、そのまま通り過ぎた。



 やがて小さな運河のような河が見えてきた。河の周りには大勢のジーク教の僧兵たちがキャタピラ式の重機や二足式の装甲重機を使って何やら工事をしていた。「バーム」と呼ばれる身長三メートルくらいの人造人間も工事に使役されていた。二足式装甲重機もバームも大昔の大戦時代に兵器として使われていたもので、そんなものが長い内戦時代を経て、未だに生きているのを見て作治は驚いてしまった。装甲重機はまだしも、犬猫程度の知力しか無いバームがまだ生きているとは奇跡としか言いようが無い。


 驚きつつも、川に掛かった小さな橋を渡ると、漸く記憶にある風景が見えてきた。「昔の匂い」が一気に頭のなかに蘇る。内戦時代の暴動で襲撃されたらしく、雑な修理の跡ですぐには分からない建物も多かったが、中には昔のままの物もあった。


 かつては判子屋だった店は金物屋に変わっていた。銀行だった場所は定食屋に変わっていた。その定食屋の床から天井まである大きな防弾ガラス塀に、シアン色が版ずれをおこした大きな印刷物が貼り付けてあった。どうやらポスターのようだ。それも大昔の印刷機ではなく、戦後になって造られた印刷機によって印刷されたようだ。そこには小さな木造らしいトロッコ列車のような絵が書いてあり、その上には「祝・水龍川軽便鉄道開通」と書いてあった。


 おそらくどこかの山間の山岳地帯に開通した鉄道なのだろうと作治は思った。このあたりは海に近く、軽便鉄道は似合わないと思ったからだ。作治はそんなことより、あのスーパーがまだあるのかが気がかりだった。


 作治はドキドキしながら元銀行の角を曲がり、その先の高麗ソバ屋の角を曲がった。そしてその先に客で賑わう店を発見した。店の看板には古びた文字でこう書いてあった。




「スーパー御手洗」




















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