服薬自殺-4

「……あの、すいません」


 呼びかけてみるが、やはりというか、男の油断しきった寝顔には一片の変化もなかった。

 この様子だと相当熟睡しているようだし、下手に時間をかけて気分を害するよりは一気に起こしてしまったほうがよさそうだった。自殺者なら尚更だ、躊躇いと様子見に割く時間はない。

 眠っているということは、就寝中に死ぬように用意された何かか、或いは決行最中に眠ってしまったか。とにかく叩き起こして叩き返してやらなければ、未遂にしようがない。

 彰良は膝を折り、咳払いをしてから大きく息を吸い込んだ。


「――すいませーん! 起きてくださーい!」


 ウイと自分と、あとこの素性の分からない男以外誰もいない駅の敷地に、彰良の大声は殊更大きく響いた。奇妙に反響してから暗闇の中に消えていく中、ついでに触れたままだった肩も引っ叩いてやる。

 べしん、と中身が詰まった米袋か砂袋を叩きつけたときのような音と微かな呻きが重なる。男の表情が眉根を寄せた不快げなものに変わるのを確認して、彰良は腰を上げた。

 起きなければ、もう一度と言わず何度でも同じことを繰り返すつもりだった。立ち上がって数秒、ウイと共に固唾を呑んで男の次の反応を待つ。

 そして更にしばらく経って、もう一発怒鳴ろうと彰良が身を屈めかけたとき、ようやく男が明確な唸り声を漏らした。

 だらりと下げていた手がゆるゆると持ち上がり、緩慢な動作とは裏腹に乱雑に自らの目を擦る。再びううん、と喉から無意味な母音を絞り出して、男が薄っすらと瞼を開いた。


「起きた?」

「……起きました?」


 ウイと彰良の同じ問いと、二人分の視線に見下ろされ、男はゆっくりと瞬きを繰り返した。


「……大丈夫ですか?」

「……あれ、ここ病院……?」


 心配になって尋ねてはみたが、案の定、起きがけの男は状況を飲み込めていないようだった。寝ぼけ眼でもごもごと疑問を口にする男に、彰良は気を引き締め直す。

 これから行うのは彼をまた此岸に帰す業務だ。まだ微睡んでいるであろう頭も起こして、死にかけていることを説明して、死ではなく生に心を傾けさせて帰さなければいけない。事実、男の言葉通り、彼が生きる為の肉体は今病院で救命処置の真っ最中かもしれないのだから。


「……ここは病院じゃないですけど、あなたの体は病院かも」

「病院……じゃないなぁ。ここどこ……?」


 彰良の説明を聞いているのかいないのか。呟きながら、男がベンチから上体を起こした。

 乱れた髪を払った手で頭を掻いて、二、三度左右を見回して、ようやく気がついたかのように彰良とウイを見上げる。


「誰?」


 気怠げな声が形取った、たった二文字の誰何。彰良は、うっかり出そうになった「それはこっちの台詞だ」という返しを飲み込む。

 これに答えるのはウイのほうが適任だろう。彰良が無言で見遣った先で、ウイが小さく首肯した。


「あなたは、月ヶ瀬凛太郎つきがせりんたろうさんですね? 西暦千九百九十二年五月三十日生まれの二十五歳、性別は男性、」

「え? あぁ、そうだけど……何で?」


 男――月ヶ瀬凛太郎が、首を傾げながらベンチの上に投げ出していた足を地に下ろす。

 その何で? という問いには恐らく、何故自分の名前を知っているのかということと、何故そんなことを訊くのかという二つの意味が含まれている。しかしそれには答えないで、ウイは続けた。


「本日、二千十七年十一月二十六日、ただいま午前一時四十九分、自殺を決行中でよろしいですか?」

「……あぁ何、僕死んだのかぁ」

「まだ確定ではありませんけど、このままではそうなるかもしれませんよ」

「へぇ」


 凛太郎の間延びした独り言と相槌には、死への絶望も生への諦念もなかった。ただああ成る程という納得に満ちた響きに、彰良は眉を顰める。

 自殺者と言えども事情は千差万別だし混乱する人間も居ればそうでない人間も居て当然だ。自分も取り乱さなかったのだし――いや、当事者より先に錯乱し尽くされたので取り乱しようがなかったのだが。

 だから彼が落ち着いていることには何の疑問もない。ただ、あまりにもあっけらかんとした態度だけが、どうにも引っかかった。


「で、君ら誰? 君らは僕のこと知ってるけど僕は知らないっておかしくない? おかしくなくても気持ち悪いし、教えてよ」


 足を組んで見上げてくる凛太郎は、まるで楽しみにしていた映画を見る直前の子供のように笑っていた。弧を描く口から、ぺらぺらと調子よく言葉が吐き出される。

 饒舌な人間の話には慣れている。慣れているが、これは。自殺という負の選択肢による陰が一切感じられない。


「……私は、“輪廻転生管理会社”日本担当のウイと申します」

「輪廻転生管理会社? 面白いねぇ」


 驚くでもなく、落胆するでもなく、凛太郎は肩を竦めた。


「君は? 米田君」

「……米田彰良。俺はただの手伝いです」


 自らの黒いシャツの胸元を指しながら下の名前を問われて、彰良は違和感を抱えたままで答える。


「米田アキラ君かぁ、何かどっかで聞いたことあるんだよな。名前、漢字で何て書く?」

「あー、えっと……表彰の彰に、良好の良です」

「表彰の彰に、良好の良……米田彰良――あぁ!」


 先程とは別の方向に首を捻った凛太郎が、思い出したとばかりに手を叩いた。


「“あの”米田君かぁ! オールマート九施藤くせふじ駅前店の、こないだ飛び降りて死んだ子だ!」


 難問の答えを閃いたとき、そしてそれが見事当たっていたときに似た満面の笑顔。歓声にも等しい上擦った声。悪意のない刃にまだ出来て間もない傷を無遠慮に抉られて、彰良は瞠目する。


「何で、知ってるんですか……店の名前まで……」

「いや、そりゃあ知ってるよ。連日ニュースで騒がれてたし」


 思わず無意識に口に出していたが、考えたらすぐ分かりそうなものだった。一日の自殺者数が百人、年間では数万人に上るその中に紛れ込むことは出来ても、死亡時の状況や世間の情勢によってはそこから拾い上げられて報道されるものだ。だからこそ、他人の電車の飛び込みや無理心中を知ることが出来る。

 そして店名とその店舗のある地域の名まで流れているということは、大方自分のことは全国的に報じられているのだろう。

 冷や汗も何も浮かばない額を性懲りも無く手の甲で拭って、彰良は知らぬ間に詰めていた息を吐いた。


「君がいるってことは、ここホントに死後の世界ってやつなんだなぁ……それで、その“輪廻転生管理会社”の社員さんとお手伝いさんが、僕に何の用?」


 感慨深げに呟いた凛太郎が、足を組み直しながら目を細めた。

 そうだった、と彰良は我に返る。彼のペースに飲まれて危うく忘れるところだったが、こんなに話し込んでいる暇はない。


「……あなたを、現世に帰しに来ました」


 凛太郎への回答を口にしたのは、その為に彼岸に居残っている彰良だけだった。ウイは心配そうに表情を曇らせたまま、口を閉ざしている。

 面と向かって自分の“仕事”を告げるのは、これが初めてだった。しかし、その後の相手の反応は二度目だった。


「…………はぁ?」


 凛太郎が、驚愕に目を見開いて、お前がそれを言うのかという意思を込めて彰良を見据える。

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