林の隠者


庵の前に立つと門を叩くまでもなく班諒の家人が迎えに来てくれた。碧嘉が事前に使いをやって知らせていたおかげである。


およそ五年の旅の間、管理に人を使わずに放置していたせいか、屋敷は見るに堪えないほど老朽していた。雪の重さでかやぶきの屋根がところどころ崩壊している。庭はというと、雪面からぼうぼうとすすきが自生しており、荒れ放題になっていた。


敷地に入り、間もないうちに、半開いた玄関の戸からひょこっと何かが顔を出した。そのまま戸外へ出てくると、鶏のようにせわしなく首を動かしながら、お、お、あれ、あれま、などと言いながら陵荘と碧嘉に近づいてくる。


「先生、お元気そうで何よりです。もう、ほんとうに心配していたんですよ。」


碧易は拱手して目礼した。凌壮もそれにならった。


先生と呼ばれたのは四十代半ばで、恰幅かっぷくの良い男である。長髪だが髪は結っておらず、眉毛が濃く、目は丸く大きい。生命力を感じさせる風体である。


「はは、それは意外なことだった。私が君たちに教えていたのはもうずいぶん前のことじゃないか。すでに疎遠になっていると思っていた。現に私は君たちのこと半分忘れかけていたぞ」


冗談なのかわからないことを言うので凌荘と碧嘉は対応に窮したが、ちょうど班諒の家人がこちらですと家屋へと案内したので、渡りに船と二人は邸内に足を踏み入れた。


屋敷の中はお世辞にもきれいだとは言えない。床板は歩くときしむし、蜘蛛の巣が散見された。


「先生が私らを忘れるのも無理のないことです。なにせ先生は三十人近く弟子を抱えておいででしたから。その分私らの師はあなた一人ですからね。毎日顔を突き合わせて説教されれば、なんべん頭をぶたれても忘れられないってものです。」


「ふふ、ああ思い出した。君は陵少年か。いや、すまんな、ずいぶんとしおらしくなったものだから。先ほど半分忘れたといったがそれは君のことだ。碧少年のことはよく知っていた。申し訳ない。」


「…」


「士別れて三日なれば刮目かつもくして相待すべし。怠ったわけではないが数年も会わないとなれば、やはりこうなってしまうよ。」


会話の口火を切ったつもりがこういうことを悪びれずに言われるとさすがに凌荘も閉口せざるを得なかった。碧嘉が笑いをこらえるように口を結んでいるのが陵荘には腹立たしい。


「ところで君たちあざなは何と言うんだ?どうも長いあいだあっていないものだから。そこらあたり紹介してもらえるかな。もうきみたちも一人前の大人なんだからこちらも大人に対する礼で遇しなけりゃな。」


ほんとうにそのままだなと少し安堵して碧嘉は開口した。


「子明といいます」


「徐史です。」


陵荘が答えてから班諒が右へと袖を振った。こちらに進めということらしい。


「よい名だ。さて、立ち話もなんだね。腰を落ち着かせてゆっくりと語ろうじゃないか」


語るのはいいが上着を貸してほしいと思う陵荘であった。

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