七.山椒は小粒でもぴりりと辛い


 ユンジェはたいへん困った状況に追い込まれていた。

 深いため息をつき、ぐるりと周りを見渡す。四方八方、木に茂み、木に花、木に木に木に。どこを見ても草深い木ばかり。森育ちの自分は、この状況をなんというか、よく知っている。所謂、迷子だ。


 あの後、青州兵やリャンテらから、少しでも距離を置くため、森の奥の奥の奥まで無我夢中に走ってしまったのもだから、こんな事態になってしまった。


 一度森に迷うと、本当に厄介で、よほど土地勘がない限り、元いた場所に帰り着くことは到底不可能である。


 森に入る時は、印をつけながら歩くのが鉄則。

 それの余裕がなかったユンジェは、見事に迷子になっていた。もう、自分がどこの方角から来たのかも皆目見当がつかない。早いところ、大人達のいる岩穴に戻りたいのだが。


(もう、みんな起きているかな。岩穴から出ていないといいけど)


 とりわけティエンが心配である。兵士不信の彼はユンジェがいなくなると、不安定になり、近くの兵に殺気立ち、とても気性が荒くなる。

 普段であれば、少しの間、離れ離れになってもさほど心配しないのだが、今の彼は高熱に魘されている。いつまでもユンジェが帰らないとなれば、火照った体を引きずってでも外へ探しに出るやもしれない。


 まだ、青州兵やリャンテらが近くをうろついているかもしれないので、是非ともおとなしくしてほしいところ。カグムやハオが止めてくれたら良いのだが、彼らもまた高熱に魘されている身の上。

 やはり最善の策は、ユンジェが自力で岩穴に戻ることだろう。


「まずは俺の心配だよなぁ。どうしよう」


 ユンジェは追っ手が来ていないことを十分に確認すると、自分の手持ちを調べる。


「金貨。懐剣。びしょ濡れの布一枚。これでどうしろってんだよ」


 おまけにユンジェの体は濡れている。まずは火に辺りところだ。盛大なくしゃみを三つ零し、ユンジェは二の腕を擦る。


(このままじゃ、俺が熱を出しちまう。火打ち石もない今、火を熾すには)


 ユンジェはじじと暮らしていた日々を思い出す。

 食べていくことで手いっぱいだった我が家は、何度も火打ち石が買えず、食い物を優先していたことが多かった。そんな時、じじは火打ち石がなくとも火を熾せると笑っていたっけ。


(なんだ。じたばたすることないじゃないか)


 ユンジェは、まずは安全な場所で火を熾すことを決める。

 巨大な切り株の傍に、場所を設けると、薪を組み立てる。次に手頃な木の棒を拾った。それの先端を丸く削り、切り株にできた窪みに添える。


 出た屑は捨てず、窪みやその周辺に添え、後は棒を両手で挟んで回転を掛けるだけ。力のいる作業だが、初めてではない。ユンジェは微かに零れた火種を見逃さないよう注意深く観察しながら回転を速めていく。


 木屑に火種が点いたところで、枯れ葉と屑を手の中に入れ、よく振る。


「あっちっ!」


 目に見える火が熾ったところで、薪の中へ。たき火が炎々と燃え始めると、ユンジェは着ていた衣を脱ぎ、太い枝に通して乾かす。濡れた布は勿論のこと、森カエルも見つけたので、捕まえて、これも枝に刺しておく。


 よしよし。これで己自身の問題は多少解決だ。


「あ。水がねーな。日が暮れる前に川を見つけておかないと」


 後ほど、木登りで方角を確かめよう。そうしよう。


「んー。塩がないってのも、問題だな。味気ねぇや」


 森カエルの丸焼きをあっという間に平らげ、ユンジェはこれからのことを、ゆっくりと考える。


 ほぼ百といってよい。ユンジェはティエン達のいる岩穴に戻ることはできないだろう。


 だって、ここは見知らぬ森なのだ。三日も四日も彷徨ったところで、戻れる自信はなく、三人が岩穴に居てくれるかどうかも分からない。戻るという選択肢は最善であるが、除外すべきだ。現実的ではない。


 だったらどうするか。

 このまま迷子になって、野垂れ死ぬのは御免である。そうなる前に、三人と再会したいもの。それができなければ、わざと青州兵に捕まるのも手だ。危険ではあるが、自分が捕まれば三人にも遅かれ早かれ、知らせが届くはずだ。


「でもなぁ。セイウに飾られちまうかもしれねーし」


 青州兵に捕まれば、セイウに再会する可能性が高い。あれと顔を合わせれば、ユンジェはリーミンとなり、一切合切逆らえなくなる。この案も却下だ。

 確実に三人に会える手はないだろうか。云々考えるユンジェは、掻いた胡坐の上で頬杖をつく。


天降あまりノ泉に行くしかねーか」


 ティエンらも馬鹿ではない。いつまでもユンジェが帰って来ないと分かれば、何かしら問題が遭ったと憶測を立てるだろう。


 彼らも思う筈だ。

 右も左も分からない森を彷徨うより、麒麟の神託を受けた天降あまりノ泉へ行くべきだと。そこなら手掛かりも掴めるはずだと。ユンジェであれば、そう考える。


 三人の判断を信じて、天降あまりノ泉を目指そう。それしか方法はない。


 そこまで考えた時、ユンジェは小さな懸念を抱く。

 麒麟は夢の中で自分に神託を預け、ティエンに天降あまりノ泉へ行くよう導いた。当初、ティエンは行くことに否定的な姿勢を示していたが、ユンジェがはぐれてしまったことで、きっと行く気持ちを固めることだろう。

 勿論、これはユンジェのせいではなく、偶然に偶然が重なってはぐれてしまった結果であるが、心のどこかで偶然なのか、と疑問に抱いてしまう。


 ユンジェの行動一つでティエンの行動が変わるのだ。


 懐剣の自分は麒麟の使命の下、知らず知らずのうちに、ティエンを導いているのではないだろうか。気づかない内に、王座への道を歩かせているのやもしれない。それが不安で怖い。


 彼は王族の身分を拒絶している。ふたたび平穏な農民暮らしを夢見ている。なのに、ユンジェのせいでそれが叶わなくなってしまったら……考えすぎだろうか。


 しかし。どうしても考え込んでしまうのだ。リャンテと遭遇した瞬間を思い出すと、余計に。


(リャンテは、なんで賊の振りをしていたんだろう)


 それだけではない。彼は青州兵に追われるユンジェを助けた。善意ではないことは確かだろう。もしかすると、ユンジェの正体に気づいているかもしれない。


 とにもかくにも、リャンテには要注意だ。セイウ同様、まったく心が読めない。


 乾いた衣に腕を通し、しかと帯を締めると、早速ユンジェは行動を開始した。


 まずは木登りをして方角を確かめる。次に水の確保と食糧集めと、軽く道具作りをしよう。一刻も早く天降あまりノ泉に行きたい気持ちはあれど、準備を怠れば痛い目を見る。よく考えて行動しなければ。


(出発は明日になりそうだけど、ま、いっか。昨日から寝てねーし、今日は此処で準備をして、早めに休もう。急がばまわ……まわ……急がばナンタラって奴だな)


 旅に出て、はじめての単独野宿だ。


 夜盗などを考えると、恐怖心が芽生えてくるが、そこらへんは考えても仕方がない。考えれば考えるだけ怖くなることを知っているユンジェは、頭から夜盗や追っ手のことをもみ消すことにした。やれることをやっておかなければ。



 ◆◆



「リーミンさまはいたか。麟ノ国第一王子リャンテさまはいたか」


「リーミンさまは川に飛び込んだ。溺れ死んでいないだろうな」


「双方とも見当たらない。平民に化けたリャンテさまが、リーミンさまを連れて行ったやもしれない。ここ青州の土地を荒らすだけでなく、セイウさまの大切な懐剣を奪おうとする。なんて野蛮な王子だ!」


「麒麟の使いを得た麟ノ国第二王子セイウさまこそ、次なる王だというのに。往生際が悪い」


「近くに麟ノ国第三王子ピンインさまもいるやもしれない。注意しろ。油断すると呪われるぞ」



 岩穴まで聞こえてくる、兵士達の騒がしい声。


 それらに耳を傾けていたハオは、気だるい体を起こし、岩穴の出入り口付近で双剣を構えていた。

 解けた三つ編みを結い直す気力すら残っていないが、万が一のことがある。青州兵が遠ざかるまで気が抜けなかった。


 それは向かい側で構えているカグムも、同じ気持ちなのだろう。兵達の気配が消えるまで、構えを崩さなかった。


 馬の蹄が遠ざかる音で、ようやく肩の力を抜ける。

 けれども、聞こえてきた話は最悪の状況を予想させた。


「はあっ、勘弁してくれよ。ここまで追っ手が来た上に、リャンテさまが近くにいるなんて」


 頭が痛い。待てど暮らせど帰って来ないユンジェのことを思うと、余計に頭が痛くなる。


 あの子どもは夜通し、大人三人を看病していたので、疲労が溜まっているはず。


 逃げる力が余っているとは思えない。捕まったと考える方が自然だろう。様子から察するに、青州兵は子どもを捕まえていない。


 ならば、第一王子の手に……よりにもよって、血気盛んな王子の手に落ちれば最後、取り戻すのは困難だろう。逃げ延びていることを願いたいものだが。


 カグムに視線を投げる。彼は珍しく困り果てた表情を浮かべていた。


「ユンジェの無事を祈るしかないな。さっき、兵が川に飛び込んだって言っていたから、ユンジェは川の流れを利用して、少しでも遠くへ逃げようとしたんだろう」


 ハオもそう思う。

 小癪ではあるが、あれは賢い子どもだから、ここら辺の森に身を隠すことは危険だと判断したに違いない。この一帯に身を隠せば、ハオ達が見つかる可能性がある。それを避けたのだろう。


(俺達を守るっつーより、所有者を守る選択肢を取ったんだろうな)


 ハオは土がかぶさっている、たき火跡の向こうを見やる。目を見開いてしまう。たった今まで寝込んでいた王子が、岩壁に手をついて立ち上がっているではないか!


「ティエンさま。何をしているのですか、お休みになって下さい」


 カグムが近づこうとすると、「寄るな」と一声上げて睨みを飛ばした。手負いの獣のような鋭い眼をしている。なおも、食い下がるカグムは寝ておくよう体を押さえた。岩穴は瞬く間に喧騒に包まれる。


 まずい。ハオは冷や汗を流した。このままだと口論が始まってしまう。


「どけカグムっ。私の邪魔をするな」


「そんな体で何が出来るんだ。少し動いただけでも、息が上がるくせに。病人は病人らしく寝てろ、ピンイン」


「これが寝ていられるものかっ。あの子が兄上らの魔の手に迫られているというのに、のうのうと寝てられているわけがないだろう。私は今すぐ、天降あまりノ泉へ向かう。ユンジェはきっと追っ手から逃れ、泉で私を待っている。そんな気がするのだ」


 だから退け。怒声を張るティエンの聞き分けのない態度に、カグムが舌打ちを鳴らした。


「まともに歩けもしねーくせに、なにが天降あまりノ泉へ向かうだ。死にたいのかよ」


「はっ、私の死を望む男が何を心配している。気色の悪い」


「あーくそ。本当にティエンって男は腹立たしいなっ。ちったぁ可愛げがあった、素直なピンインに戻れってんだ」


「残念だな。私はティエン。ピンインではない。ゆえに、可愛げも素直もない」


 始まった。

 始まってしまった、二人の口喧嘩。


 ハオは遠目を作り、双剣を置いて、その場に座り込む。止めたい気持ちは山々だが、体が気だるいので、口を挟む気力も出ない。以前、高熱はあるのだ。仕方のないことだろう。


(カグムの野郎。よくもまあ、熱があるのにティエンさまと口論できるな)


 それはティエンにも言える。誰よりも軟であろう第三王子は、たったひとりの子どものために天降あまりノ泉へ向かおうとしている。懐剣を除けば、たかがガキなのに。


(……あの方にとって、ガキは初めて慕ってくれる人間だから、動揺するのもしゃーないか)


 初めて、は語弊があるだろうが、ティエンは周囲の人間から忌み嫌われていた男だ。元近衛兵であるカグムに裏切られた今、心の拠り所はユンジェだけなのだろう。


 そのユンジェがいなくなった。ティエンにとって一大事だろう。


 そこまで考えた時、ハオは自分の置かされた立場を振り返る。


(待てよ。クソガキがいなくなったら……三人旅になるじゃねーかっ! ちょっと待て。誰がティエンさまとカグムの喧嘩を止めたり、凍てついた空気を緩和したりするんだよ!)


 恐ろしい現実に気づいてしまったハオは、血相を変えて、二人の喧嘩に口を挟む。


「カグムっ。俺も一刻も早く、天降あまりノ泉へ向かうべきだと思う。さすがに今すぐは、俺達の体調的に無理だが、明日の朝一には出発できるだろ。そうしようぜ、ああ、そうしよう」


「おい、ハオ?」


「ティエンさまも。お気持ちは分かりますが、朝までお待ちください。せめて熱が下がるまではっ! 今すぐカヅミ草を煮だしますんで、全員これを飲んでおとなしく寝る! いいですか!」


「……ハオ。貴様、何を目論んでいる?」


 困惑するカグムと、怪訝な顔を作るティエンなんぞ知ったことではない。ハオは誰よりも、自分が可愛いのである。面倒事に巻き込まれたくない男なのである。

 できることなら、静かに穏やかに任務を遂行したい。

 従って、ユンジェの存在は必要不可欠。三人旅なんぞ死んでも御免である。


「クソガキっ、なんで一人で行っちまいやがったんだ」


「……カグム。ハオのあれは、なんという病だ?」


「せめて俺も連れて行けよっ。ずりぃぞ、一人で行くなんてっ」


「初めて見る症状だから、なんともかんとも……ハオ? 頭大丈夫か?」


「俺もっ、俺もお前と一緒が良かった! クソガキっ、ユンジェっ、戻って来い!」


 いい歳して泣きそうだ。嘆き喚くハオは高熱のせいで、少々思考が回っていなかった。



 ◆◆



「見渡す限り、木ばっかり。どうすっかな」


 さて。天降あまりノ泉を目指すため、夜明けと共に出発したユンジェは、早々壁にぶつかっていた。泉までの道順が分からないのである。昨晩は道具作りや弁当を拵えていたので、考える余裕がなかったが、これは根本的な問題である。どうやって天降あまりノ泉まで行こうか。


「今までは、地図の読めるティエンやカグムに任せっきりだったからなぁ。泉のかたちも見えてこねーや」


 木登りで周囲の地形を観察するユンジェは、闇雲に歩き回れば回るほど、森で迷子になるだろうと判断。地上に飛び下りると、自分の荷物を改めて確認する。


 まずは、三日ほど森を彷徨う可能性があると考え、逆算して拵えた保存食。

 主にジャグムの実とカエル肉だ。塩がないので、肉の方は保存が利かないのが難点。今日のうちに食べてしまわなければ。


 前半は肉ばかり、後半は実ばかりの食事になりそうだ。これらは葉にくるんで、つたで縛っている。


 次に道具類。ユンジェが得意としている、草で編んだ縄や紐が数本。

 先端を研いだ枝が五本。数個の小石に、大きな葉っぱが三枚。とにかく使えそうなものは拾っておき、道具として作れそうなものは作っておいた。


 一見、役立たなそうなものでも、いざという時に役立ってくれる時が来るかもしれない。旅は何があるのか分からないのだから。


 勿論、護身の道具も作っている。砂とたき火の消し炭を砕いて作った、お馴染の目つぶし。葉っぱを何重にも巻いて所持している。


 ただ心配なのは、葉を何重にも巻いているので、もし敵の顔面に投げつけても、それが飛び散らない可能性がある。

 本当は布を使いたいところだが、ユンジェは布を一枚しか持っていない。その布は道具をくるむのに必要なので、とても重宝している。代用は葉っぱしかなかった。


 投てきも作っている。

 しかし草紐の両端に石を結んだ簡単なもので、実のところ、あまり頼れる物ではない。


 そこらへんの草を刈って編んだ紐なので、稲わらで編んだ紐よりも引き千切りやすい。子供だましになりそうだ。まあ、無いよりマシだろう。


天降あまりノ泉まで無事辿りつけっかな。こんな準備で」


 ユンジェと言えば当然、懐剣が武器となるが、これはあくまで、懐剣の所持者であるティエンを守るためのもの。

 彼の身に危機が迫らない限り、ユンジェは力を発揮しない。懐剣任せだと痛い目に遭うのは、身をもって経験済みなので、出来る限り自分の力で何とかしていこうと考えている。


「近くに村落があったら、生活物資の補給もありだな。金貨もあることだし」


 道具らを布に包むと、護身の道具は帯に挟み、太い枝に結んで肩に掛ける。準備は万端だ。後は天降あまりノ泉の道順をどうするか、であるが。


 ユンジェは少し前に、立ち寄った宿屋のことを思い出す。たしか天降あまりノ泉の話はそこで聞いたっけ。


 宿屋の娘らは言っていた。



――天降ノ泉は川多き青州の水の源と云われており、天上におわす麒麟の憩いの場。それは天を翔け、地上を見守る麒麟が一休みするため、一粒の涙を落として出来た泉。やがて枝分かれし、数多の川となって海に繋がったと伝えられている、と。



「涙が泉になって、枝分かれ……数多の川になって……海に繋がった」


 もしこれが本当なのであれば。ユンジェは荷がぶら下がっている枝を持って出発する。


 昨日さくじつしるしを付けておいた木を辿って川へ出ると、迷うことなく上流を目指した。


 その川はユンジェが身を投げた、あの大きな川ではなかったが、それなり流れは速く、魚がおり、水はとても澄んでいた。


(青州の川は天降あまりノ泉が泉が源になっているらしいから、きっと上流に向かって行けば、目的地に着く。宿屋で聞いた話が本当ならさ)


 駄目であれば、また考え直そう。

 どちらにしろ、川沿いを歩くことはユンジェにとって、とても得のある話であった。なにせ、今のユンジェは皮袋を持っていないので、飲み水を所持することができない。ゆえに喉の渇きはここで解消できる。心配事が一つ減る。


 それはユンジェの精神を安定させることにも繋がった。


(ティエンの奴。ちゃんと飯食ったかなぁ。熱は下がったかなぁ。ひとりで眠れたかなぁ。あいつのことを考えると、心配が尽きそうにねーや)


 なにぶん、ティエンはユンジェの兄として精神面を支えてくれることが多い反面、幼い部分もたくさん目立つ。とても辛抱嫌いなので、些細なことで癇癪を起こし、カグムと喧嘩をしているやもしれない。


 まあ。カグムならば、そんなティエンに真っ向から反論するだろうが……。


(……ハオ。頑張れ)


 ユンジェは遠い目を作り、心の底から同情の念を抱いた。彼のためにも早いところ、天降あまりノ泉を目指そう。



 それからユンジェは二日間、ひたすら川沿いを歩いた。

 日が昇る前に出発し、火が傾き始めた頃に野宿の準備をする。淡々とした一人旅は、どことなく味気ないものであった。時折、無償に会話が欲しくなる。


 何だかんだで、誰かと共にする旅は好きだったのだと思えた。


 いつもであれば、カグムが地図を開きながら前を歩き、ユンジェにあれこれと国の話を聞かせてくれたり。ティエンが数の足し引き問題を出してくれたり。ハオが森の食糧の獲り方を尋ねたりと、たくさんの会話があった。なので今の一人旅はさみしいな、と思う。


(ティエンは嫌がるだろうけど、四人旅も俺は嫌いじゃないんだな)


 あの面子なら、ずっと旅をしていても良い。なんて言ってら、ティエンは怒るだろうか。


(カグムもハオも、癖は強いけど、嫌いにはなれねーんだよな。ほんと)


 何かと面倒見の良いカグムに、一々悪態をついてくるハオ、そして兄のティエン。この三人で過ごす時間は、本当に楽しいと思える。


 だからこそ、玄州に着いた後のことが少し気掛かりだったりもするのだ。

 きっと、玄州に着いたら、カグムやハオは謀反のために動き、ティエンとユンジェは天士ホウレイの下へ行くことだろう。今の時間は消えてしまうのだろう。


 それはとても残念だ、ユンジェは名残惜しくなる。


(俺とティエン、また農民として暮らしていけるかな)


 いけたらいいな。ユンジェは捨てきれない夢を抱いた。



 三日目のことだ。

 今日で食糧が尽きてしまうので、どうにか村落か、泉に辿り着けたら良いな、と考えていた矢先、川沿いを歩いていたユンジェは賊に襲われる。


 それは体躯の良い悪漢あっかん、ではなくユンジェと同い年くらいの少年三人。各自、体躯はユンジェより肉付きが良く、纏っている衣もユンジェより綺麗に見えるので、農民より身分が上と見て取れた。


 各々松明棒を構えている。一応、態度で脅してきているので、賊と見て良いはずだ。


「げっ、なんだよ。ただの汚いガキじゃねえか。こんな奴の身ぐるみを剥いでも、びた一文になんねーぞ。どうすんだよ、トンファ」


「サンチェが狙おうって言い出したんだろう。こんな臭そうなガキ、おいらは狙わないよ」


「喧嘩するなって。サンチェ。トンファ。とにかく、みすぼらしいガキでも獲物は獲物だろ」


 先ほどから黙って聞いていれば、ガキ、ガキ、ガキ、と……ユンジェは眉をつり上げた。


 汚いだの、臭そうだの、みすぼらしいだの。悪態をつかれても、大体のことは聞き流せるが、『ガキ』という言葉だけは頂けない。


 相手がだいの大人ならまだしも、ガキにガキ呼ばわりされるとは。


(なんだよ。いきなり囲んできやがって)


 恐怖心より呆れがこみ上げてくる。獲物を前にして口論など、追い剥ぎを舐めているのだろうか。それともユンジェがガキだからと、油断をしているのか? どうでもいいが、先を急いでいるので退いてほしい。


 ユンジェは囲んでいる少年達の脇をすり抜け、彼らを無視することに決めた。相手にするだけ馬鹿を見ることだろう。


「こらガキ。逃げるんじゃねえ」


 ふたたび囲まれたユンジェは、げんなりと肩を落とし、穏便に道を開けてくれるよう願い申し出てみる。できることなら、無用な争いは避けたい。本当に時間は惜しいのだ。


 と。目で合図を取り合った三人が、同時に松明棒を振り下ろしてくる。

 それぞれ本気だったようで、宙を切る音が洒落になっていない。


 そちらがその気ならば、こちらも本気を出すまでだ。


 ユンジェは急いで地面に転がり、三者の殴打を回避すると、帯に挟んでいた投てきを力の限り回して投げつける。

 草紐と小石で作られたそれは、トンファと呼ばれる少年の両足に絡み、複雑に巻きついた。背後にいるジュチという少年には、お手製の目つぶしを顔面に当て、怯ませておく。


 そして正面にいる、サンチェと呼ばれた少年には懐剣を抜き、向かってくる松明棒を真っ向から受け止めた。まさか刃物で抵抗されると思わなかったのだろう。彼は驚いた顔で、ユンジェを凝視してくる。


「おいおい、このガキ。見た目に反して、物騒なもの持ってるじゃねえか」


 またガキと言ったな、こいつ。


「お前こそガキのくせにっ。物騒はどっちだよ。俺は追い剥ぎに容赦しねーからな」


 右の足でサンチェの腹部を突き飛ばすと、懐剣を逆手に持って、よろめいた彼の懐に入る。刃先が相手の肉を貫く寸前で、彼の持つ松明棒が邪魔をした。先を読まれていたようだ。


 意外とやり手なのかもしれない。が、ユンジェは常に凄腕の謀反兵らの動きを見ているので、少年らの動きの甘さが顕著に出ていると思った。


 これならばティエンの方が、まだ良い動きをするのではないだろうか。隙がとても目立つ。


 とはいえ、ユンジェとて、剣の腕があるわけではない。体躯も小さいので、三人掛かりは非常につらい。


(大勢の場合は、必ず数をばらけさせる)


 それが複数で動く人間を相手にする鉄則だ。

 見たところ、トンファは投てきに足を取られ、ジェチは目つぶしを食らい、悶絶している。ユンジェを相手しているサンチェ以外、まだまともに動けそうにない。


 ならば、二人からこいつを引き離し、一対一に持っていくべきだ。ユンジェは間合いを取り、サンチェに背を向けて走った。

 追い駆けてきたら、適当な場所で相手をする。諦めたら、このまま撒く。それが最善の策だろう。


 ユンジェとしては、ぜひとも後者の展開を望むところなのだが、悲しきかな。相手は血の気の多い少年のようだ。


 己の背を追い駆け、追いつき、仕舞いには肩を並べてくる。

 ユンジェは舌打ちを鳴らしたくなった。身軽な分、足の速さには自信があるつもりなのだが、難なく追いついてくるなんて。


「ガキ。観念しな」


 横から振ってくる松明棒を避けるため、足を止めて身を屈める。


「だから、お前もガキだろう!」


 懐剣を持って反撃の横一線を描いた、直後のことだった。

 辿って来た道から、涙声と混乱した声が聞こえてきた。思わず振り向くと、投てきを取っ払ったトンファが、目をこすっているジェチの腕を引き、喚きながら猪突猛進にこちらへ向かっていた。


「サンチェっ。まずいよっ、撒いたはずの青州兵が来たっ!」


 我が耳を疑いたくなった。いまなんと。間もなく、二人の背後に複数の青州兵が現れる。彼らは口々に怒声を上げて、前方を指さした。



「いたぞ。例のガキ達だ! あのコソ泥ガキ四人を捕まえろ!」



 コソ泥ガキ四人。ガキ四人。ガキが四人。


 よにん。


 ユンジェは悲鳴を上げ、急いで地面を蹴った。

 青州兵が追い駆けて来ることもさながら、なぜコソ泥呼ばわりされなければならないのだ。自分こそ、今まさに追い剥ぎをされそうになっていたというのに! 被害者なのに!


 ついつい、隣を走るサンチェを睨み、文句をぶつけた。


「お前らのせいだぞっ。どうしてくれるんだよ」


「うるせぇな。今はガキの相手をしている場合じゃっ、ジェチっ!」


 視界の戻っていないジェチが石に躓き、派手にすっ転んだ。

 腕を引くトンファの足の速さについていけなかったのだろう。


 その隙に青州兵が迫ったので、サンチェが踵返して、松明棒を握りなおして、勢いよく振り下ろす。兵が後ろに下がったところに、トンファの松明棒が追撃した。


 よしよし、では自分はこの間に。


「チビのガキ。お前は俺達に構わず、銭袋を持って逃げろ! 走れー!」


 ユンジェは口元を引き攣らせ、握りこぶしを作る。

 あのサンチェという男、自分を巻き込み、兵の力を分散させるつもりか。後ろを振り返れば、口角を持ち上げ、舌を出しているサンチェの姿。


(ふっ、ふざけるなよ。あの野郎っ!)


 普段、あまり怒りを面に出すことのないユンジェだが、今回ばかりは頭にきた。許されるなら今すぐあれの顔面を殴り飛ばしたい。

 ただでさえ、ユンジェは青州のお尋ね人だというのに。


「くそっ。覚えてろよ、お前」


 ユンジェは銭袋を取り戻そうとする青州兵を睨むと、帯から予備の目つぶしを抜き取り、怒り任せに輩の顔面に投げつける。

 葉で何重にも包んだそれは、好ましい形で飛散しなかったものの、怯ませることはできた。


 もう一個、残っていたため、腹いせにサンチェへ向かって投げておく。

 見事に彼の後ろにいた兵の頭に当たり、輩の視界を奪うことに成功した。勢いよく振り返ってくるサンチェが、ユンジェを凝視してくるが、それには鼻を鳴らしておく。べつに助けたくて、助けたわけではない。


 大股に開いている輩の股に滑り込み、背後を取って逃げる。しかし、兵が素早く振り向いたことで、羽交い絞めにされそうになった。


 すると、サンチェが持っていた松明棒に回転を掛け、伸びた手を弾いてくれた。驚いてしまう。巻き込まれた手前、絶対に見捨てられると思ったのに、まさか助けられるとは。


「走れっ、お前ら。森の中へ走れ!」


 サンチェの合図に、ユンジェ達は青州兵に背を向けて、脱兎の如く走る。

 振り返れば、怒号を飛ばし、短剣を抜いていたが、衣より重そうな鎧は身軽な子ども達の足には追いつけない様子。


 それでも、まだ油断できない。


(考えろ。確実に逃げられる方法を)


 そうだ。追っ手が重みのある鎧を着ているのであれば、それを利用して逃げれば良い。


 ユンジェは走りながら、布袋からお手製の草縄を取り出すと、三人の中で誰よりも足の速いサンチェに声を掛けて、縄の端を投げた。


「お前、向こうの茂みに隠れろ。合図で引っ張れ」


「なるほどな。トンファ、ジェチ。お前らはまっすぐに走れ。振り返るなよ」


 サンチェは頭を使う型のようで、一から十まで説明せずとも、ユンジェのやりたいことを把握した。速度を上げて走るユンジェに合わせ、彼は右の茂みに飛び込む。


 一方、ユンジェは左の木の陰に隠れ、太い根っこにそれを縛りつけると、トンファとジェチが通り過ぎるのを見送り、布から小石を取り出した。

 そして、兵士達の前に飛び出すと、小石を投げつける。


「今だっ!」


 ユンジェの合図によって、地面に這っていた草縄がぴんと張る。

 小石に気を取られていた兵士達はその縄に引っ掛かり、体勢を崩した。

 ただの衣を纏っているならまだしも、鎧を着ているのだ。少しでも体勢が傾けば、重みで倒れる。


 案の定、追っ手は派手に転倒した。巻き込む形で、他の追っ手も倒れていく。今のうちだ。


 ユンジェはサンチェと肩を並べ、森の中をひた走った。兵士達の手が伸びないところまで、無我夢中で走った。





「……はあ。また迷子かよ」


 やっとのことで、巨木の根の隙間に入り、身を隠すことができたユンジェは、現状に頭を抱える。

 せっかく川沿いを歩き、天降あまりノ泉を目指していたのに、川を見失ってしまった。それどころか、ここは森のどこだ。自分は青州のどこの森を彷徨っているのだろう。


(ごめん、ティエン。俺、まだ泉に着きそうにねーよ。はやくお前を安心させてやりたいのに)


 それもこれも、全部こいつらのせいだ。


 向かい側で息を整えている連中を見据える。


 少年らのせいでユンジェは危うく、コソ泥の疑いで青州兵に捕まるところだった。

 それどころか、目の前の三人に追い剥ぎをされそうになった。理不尽慣れしているユンジェとて、ごめんなさいの一言は欲しいところである。


 けれど追い剥ぎのこと、三人の少年はユンジェに構っている余裕がない様子。

 どうやら、ひとりが腹痛はらいたを起こしているようで、トンファと呼ばれる少年が脂汗を流しながら横腹を押さえていた。


 ユンジェは医者ではないので、腹痛騒ぎとなっても、診ることはできない。

 今なら目を盗んで去ることもできる。できるというのに……ああもう。こいつらのせいで、ひどい目に遭っても尚、首を突っ込もうとする自分に嫌気が差してしまう。


(こんな時、ハオがいてくれたらなぁ)


 仲間を恋しく思いながら、ユンジェは少年達に歩み寄り、トンファの前で片膝をつく。痛み方からして、走った影響ではなさそうだ。


「お前、なんか食った?」


 問うと、さきほど森にっている実を食べたと消えそうな声で返事される。途端にサンチェが素っ頓狂な声を上げた。


「トンファ。お前っ、森にっている実を食べたのか? あれは毒の実、食ったら腹痛を起こすって知ってただろう」


「だって……おいら、どうしても空腹で」


 腹痛の原因が分かり、ユンジェは胸を撫で下ろす。


 要は森にっている実。それはジャグムの実のことだろう。食べた身の特徴を聞けば、やはりジャグムの実と一致した。


 きっと、あれを生で食べてしまったのだろう。

 あの実は一度、湯がかなければ、鋭い腹痛を起こす。ユンジェも幼い頃、それでたいへん苦しんだ思い出があるので、痛みはある程度予想ができた。


「ほら、これ」


 布をほどき、ユンジェはジャグムの皮を差し出す。これは三日前、ジャグムの実を湯がいた時に、一緒に煮詰めたもの。薬代わりとして持っていたのである。


「ジャグムの実にあたったら皮をかじって治すんだ。ジャグムの皮は体の調子を整える。しばらく噛んでろ。痛みが治まってきたら、水を飲んで、出せるもんは全部出せ。それで完全に腹の痛みは消える」


 よほどつらいのだろう。トンファは躊躇いもなく、ジャグムの皮を噛み始めた。


 一先ず、これで大丈夫だろう。ユンジェがぶっきら棒に言うと、サンチェが少しだけ気まずそうに、けれどハッキリと言った。


「お前、ただの物騒なガキじゃないんだな」


 いや、そこはありがとうではないのか。ありがとうでは。


 じろっとサンチェを睨むと、代わりにジェチが「ありがとう」を言ってくれた。

 襲ってきたわりに、良識がある奴のようで、追い剥ぎしようとしたことも謝罪してくる。しかし、そうしなければ生きていけないことも、彼は教えてくれた。


 訳ありなのだろう。

 ユンジェとて、訳ありで旅をしているのだ。野暮なことは聞くまい。


 とはいえ、何もないままでは癪である。ユンジェは彼らに、天降あまりノ泉の場所を尋ねた。あわよくば案内人になってもらおうと思った。


「は? お前、死ぬ気かよ」


 サンチェから、こんなことを言われてしまう。驚くユンジェに、彼はやめておけ、と強く主張した。


天降あまりノ泉に近づいたら、お前……将軍グンヘイに殺されるぞ」


 

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