十二.麟ノ国第二王子セイウ(壱)


 ユンジェはここ数日の記憶がうろ覚えであった。

 高い熱を出した日のことは憶えており、迫る追っ手に怯えていたような記憶がうっすらと残っている。


 日の出と共に馬に乗せられ、ひたすら揺られていた記憶も、まあ、なんとなく。


 しかし。その後の記憶が殆どない。

 目が覚めたら、小屋の寝台に寝かされていたので、とても驚いてしまった。

 経緯はハオから簡単に聞いたので、自分が死に掛けたことに、少々気まずさを感じてしまう。ティエンに大きな心労を掛けたのは明白であった。


 けれども、ティエンはおくびも出さず、ユンジェの目覚めを喜んだ。

 会話ができるまでに回復したことが、本当に嬉しかったようで、よく話し掛けてくる。気分や調子も聞いてくる。ついでに、期待も寄せてくる。


「ユンジェ。それはな、私が夜の山で摘んできたんだ」


 寝台の上で木の器に入ったカヅミ草の汁と睨めっこしていたユンジェは、ティエンの笑顔を横目で見やる。

 幾度目かの台詞を口にする、彼の目は期待に満ちていた。それがとても重たい。もう飲みたくない、なんて口が裂けても言えないではないか。


「俺のために、わざわざ夜の山に入ってくれたんだな。危険じゃなかったか? ティエン」


 取りあえず、話題を広げてみる。ティエンは得意げに答えた。


「色々あったが無事に摘めたよ。それは夜になると光る花で、花畑はとても綺麗だった。元気になったら、ユンジェにも見せてやるからな。さあ、もっと褒めておくれ。私は頑張ったぞ」


 こういうところは、なんというか、子どもというか。偉そうというか。身分の高い人間だな、と思う。


 素直に「ありがとう」や「すごいな」、「頑張ったな」というと、彼はたいへん上機嫌となった。当然のことをしたまでだと言いつつ、笑顔が絶えない。


 そして、なぜであろう。

 傍で聞き耳を立てているハオが、遠い目であさっての方を見ている。どうも『色々あった』というところに、思うことがあるらしい。後で聞いてみようか。


「だったら、俺も褒められるべきだな。なにせ、そのカヅミ草、俺と“ティエン”さまが遭難しながら摘んだものだから」


 カグムの能天気な一言が、小屋の空気を凍らせる。いや、凍らせたのはティエンだが。たいへん不機嫌となった彼は、ぎろっとカグムを睨み、無言となってしまう。


 それを飄々と笑って流すカグムは、「本当のことでしょう?」と言ってからかった。小屋の中は真冬となる。ああ、外の方が暖かそうに見えて仕方がない。


 ユンジェは意を決して、苦い苦いカヅミ草の汁を飲み干すと、ちょいと咳き込んだ後、ティエンに微笑んだ。


「ごちそうさまティエン。また、熱が出たら摘んで来てくれよな」


 機嫌を直した彼は、「勿論だ」と言って、ユンジェに笑顔を向けた。


「そうだ、カヅミ草の現物を見せてあげよう。天日干しのものがあるから、少し待ってなさい」


 小屋を出て行くティエンの後を、カグムが颯爽と追う。見張りとしてついて行くようだが、双方の様子が妙であった。


 一切言葉を交わしていないのに、視線が合うだけで、殺伐としたものになる。以前よりも険悪な仲になっているのは、一目瞭然であった。


 二人がいなくなった瞬間、兵達が重いため息を零す。三人が三人とも嘆かわしい顔をしていた。あの空気の被害者なのだろう。


「クソガキっ!」


 ユンジェはハオに懇願される。


「頼むから、お前はもう死に掛けるんじゃねーぞ。王子の機嫌を直せるのは、お前だけなんだからな。俺は気付いた。ガキの存在が、どれだけ俺達に平穏を齎していたのかを。いいか、絶対に死ぬな。死んでも生き返れ!」


 無茶を言う。


「え、あ、うん……ごめんな? 俺が寝込んでいる間、なんか遭った?」


「カグムだ。カグムが全部悪いんだ。くそっ、あの野郎。面倒を起こしやがってっ! 遭難した夜から、何かとピンイ……じゃね、ティエンさまと火花を散らしやがる。空気が悪いったらありゃしねえ!」


 王族の不機嫌に当てられるのはごめんなのに、ハオが歯ぎしりをした。ユンジェはきょとんとした顔で尋ねる。


「ピンインをティエンと呼ぶようになったのは、なんで?」


「カグムの提案だ。素性を隠すために、旅の間はティエンさまで統一するんだと」


「まあ、その方が良いだろうね。ピンイン王子って、聞く人から聞けば、すぐに誰のことか分かるだろうから」


 それにしても、この時機に呼び名を変えるとは。遭難の夜、なにか遭ったのだろう。ユンジェの知らないところで、ティエンが傷付いていないと良いが。


 空っぽになった木の器を見つめていると、ハオが寝台に腰掛けてくる。彼は器を取り上げるやユンジェと向かい合い、上半身だけ衣を脱がせて、肩の包帯を解き始めた。

 まだ汚れていないのに、もう替えるのか。彼に尋ねると、「当たり前だ」と、ぶっきら棒に返された。


「人間は寝ていても汗を掻く。汗は菌を繁殖させる。それが傷口に入ってみろ、またカヅミ草を摘まなきゃなんねえ。お前のせいで俺の仕事が増えているんだ。さっさと完治しやがれ」


 悪態をつくハオは、なんだかんだ言いながら、ユンジェが完治するまで面倒を看てくれるようだ。

 初対面の印象はお互いに最悪であったが、今なら彼の良い点も挙げられそうである。


 それに、なんだろう。

 ハオには大きな借りがあるような気がする。憶えていないのに、とても大切なことを教えてもらったような気がする。


「クソガキ」


 そろそろ、名前で呼んでくれてもいいのでは。内心、不満を抱きつつ、返事をすると、彼は真顔で見つめてきた。


「お前の身は懐剣じゃねえ。それを絶対に忘れるなよ。王子の心を守りたいならな」


 どうしてそんなことを。戸惑うユンジェに、ハオはもう何も言わなかった。



 ユンジェの体温が微熱になると、カグムは出発の指揮を取った。

 とても過ごしやすい小屋だったので、もっとそこにいたかったのだが、先を急ぐ謀反兵らはそれを許してはくれなかった。

 残念に思う。あわよくば、あの小屋をもらって暮らしてみることも考えていたのだが。


 もしかするとカグムは、それを見抜いていたのかもしれない。出発直前、何も言っていないのに、根付かれたら困るからと笑っていた。


 将軍カンエイの一件を聞いていたユンジェは、今後の目的地は東の青州と南の紅州を繋ぐ関所であることを知っている。


 とはいえ、知識が乏しいので関所がなんであるか分からない。

 ユンジェは同乗しているカグムに関所とは何かと尋ねた。彼は決して、ティエンとユンジェを同じ馬に乗せようとはしない。警戒しているのだろう。


「簡単に言うと、検問するための門だな。そこで怪しい奴や荷物がないかを調べるんだ。許可が下りれば通してもらえるよ」


「なんで、そんなことをするんだ? 青州と紅州は同じ国なんだろ? 許可がいるっておかしくないか?」


 まるで国の知識がないユンジェは、しかめっ面で首を傾げる。

 ずいぶんと体調が良くなったおかげか、馬から見える景色はとても新鮮で、通り抜ける風は気持ち良く思えた。


「麟ノ国は広い。全部を見張ろうとするのは大変だ。だから五の州に分けて、それぞれ見張るんだよ。たとえば紅州で、危ない火薬を作ったとするぞ。それを青州に持ち込んだら、どうなると思う?」


 ユンジェは想像する。紅州で作った火薬が青州に持ち込まれてしまえば、それは勿論。


「青州にも火薬が行き渡るな」


「そうだ。紅州で食い止めておけば、被害はそこで終わるのに、青州にまで被ってしまう。最悪、五州全域に被害が及ぶかもしれない。だから各々関所を作って検問するんだ」


 なるほど。ユンジェは相づちを打った。


「ティエンやカグム達は通れるの? 俺は顔を知られていないから大丈夫だけど」


「そこなんだよ。青州の関所はやたら検問に厳しいからな。穴を見つけられるかどうか」


「穴?」


「検問を受けずに通れる道を探すってことだ。門番が傭兵なら金で解決できるんだがな。都にも間諜がいるから、手を借りるのも有りなんだが……それで通れるかどうか」


 なにやら難しい問題に直面しているようだ。ユンジェはたいへんだな、と他人事のように思う。


「関所か。国ってのは、俺が思っていたよりもずっと広いんだな。俺、自分の町と森しか知らなかったから、一々驚いちまうよ。俺、王族ってのも知らなかったんだぜ」


 振り返ってカグムを見上げると、彼は仕方がないさ、と微苦笑した。


「お前は明日食べることで精一杯だったんだろう? 学ぶ機会が与えられなかったんだから、知らなくて当然だ。恥じることじゃあない」


 しかし。おかげでユンジェは町の商人達から、散々な扱いを受けていた。

 特に『カエルの塩屋』は思い出しただけでも腹が立つ。ユンジェはカグムに物々交換や、砂糖を取られた話をして愚痴を吐いた。


 あの時は本当に悔しかった。まさか、トーリャから貰った贅沢品の砂糖を偽物呼ばわりされた挙句、巻き上げられてしまうとは。

 その後、ティエンが落ち込んだ己を慰めるために髪を切って、桃饅頭を買ってくれたのだけれど。


「カグム。文字の読み書きも、数の足し引きもできない俺って馬鹿なのかな」


 正直に答えて欲しい。真剣に聞くと、カグムはおかしそうに噴き出した。


「だったらお前に惑わされていた俺達は、大馬鹿じゃないか。悲しい気持ちにさせるなよ」


「でも、カグムは指を使わずに足し引きができるんだろう? 本とか地図も読めるんだろう? 俺はできないよ。ティエンから教えてもらっているのに」


 どうも要領よく覚えられない。特に計算は苦手だ。唸り声を漏らすと、カグムが頭を乱雑に撫でてきた。


「だったら、できるようになるまで、足し引きをやってみたらいい。お前が覚えられないのは、やり方を掴んでいないだけだよ。毎日やってみろ。絶対にできるようになる」


 そうなのだろうか。ユンジェは学問の分野に、あまり自信を持てない。


「ティエンさまは言っていたぞ。ユンジェのおかげで、やればできる人間になったって。なら、生きる術を教えたお前もできるさ。なにより、お前は俺達を二度も出し抜いた悪ガキなんだから、馬鹿でいてもらっちゃ困るぜ。俺達の立場がねーだろ」


 褒められているのか、貶されているのか、ちっとも分からないのだが。カグムに噛みつくと、彼は大笑いした。その顔は年相応の青年であった。



 毎日することが大切だと言われたので、ユンジェは食事を取る時や寝る前に、文字の読み書きや足し引きを練習する。じつは旅や野宿を理由に、毎日は学びの時間を取っていなかった。気が向いた時だけやっていたのである。


 今宵のユンジェはティエンに手伝ってもらい、足し引きの練習をする。


「さあユンジェ。ここに五個の豆がある。これを十にするには、何個豆が必要だろう」


 ティエンが手の平に乾燥豆をのせ、それを見せてくる。ユンジェはいっぱい考え、答えを導き出した。


「十だろ。十……三だ。ティエン、答えは三個」


 三本指を立てると、ティエンは困ったように笑い、見守っていたカグムが苦笑する。


「それじゃ、八個だぞ。ユンジェ」


「え、嘘。じゃあ、六個」


 今度はハオが阿呆か、と声を上げてきた。


「馬鹿野郎、十一個になるだろうが。もっとよく考えろ」


 考えた結果なのに。ユンジェは頬を脹らませ、もう一問を出してもらう。


「私は五個の豆の内、三個を食べた。残りはいくつになっただろう」


 それなら答えられそうだ。ユンジェは指を使い、二個だと答える。途端に後ろから頭を叩かれた。犯人はハオであった。


「指を使うなっつーの! それは反則だろうが!」


「いってーな。しょーがないじゃんか。目で見ないと、よく分かんないんだから」


 すると。ティエンがそれだと手を叩き、教え方が悪かったのだと言って、ユンジェの手に乾燥豆を落とす。


「ユンジェ。今度は私の言う数を、これで使って足し引きしてみなさい。時間が掛かってもいい。何度数えてもいい。頭じゃなくて、これで計算をするんだ。自分の手を使ってな」


 それでは指を折って数えるのと同じでは。半信半疑になりつつ、ユンジェは乾燥豆を使って足し引きを始めた。


「三個と四個を足すと、えーっと七個で、これを十個にするには……」


 毎晩、十個の豆を足したり引いたりしていく。

 数が一目で分かるので、とても分かりやすかった。それこそ指よりも分かりやすい。

 その内、豆がなくとも十個の数の間なら、計算ができるようになったので、すごく楽しくなった。指を使わなくても計算ができるので、嬉しくて仕方がない。


「なあなあハオ。問題を出してくれよ。問題」


「まーだやる気かクソガキ。ああもう、じゃあ、四個の豆と六個の豆を足したら?」


「十個! 次は!」


「……カグム、代わってくれ。もう二十問は出してるぜ、俺」


 ユンジェは有意義に学びの時間を過ごす。

 ティエンに教えてもらいながら、時に謀反兵達に問題を出してもらいながら、その時を過ごす。学びがこんなに楽しいとは思わなかった。


「ったく。いつから、この旅は学びの旅になったんだ。ガキはしつけぇしよ」


「いいじゃないかハオ。暗い旅よりかはずっと良い。ユンジェのはしゃぎようを見ていると、必死に働くだけの日々だったんだろうさ。本当に楽しいんだろう」


「……学びも遊びも知らず、ただただ働くだけ。同じ平民なのに農民ってだけで、ここまで違うんだな」


「これも麟ノ国のひとつの姿なんだ。甘い汁ばっかり吸う王族や貴族に見せてやりたいよ」


 学び疲れたユンジェに外衣を掛けるティエンは、たき火を挟んで向かい側にいる謀反兵の会話に目を細めると、なにも聞かなかった振りをして、子どもの隣に寝転んだ。


(学びも遊びも知らず……良い国とは程遠いな)


 あどけないユンジェの寝顔に頬を緩ませ、ティエンは子どもを引き寄せて瞼を下ろした。



 ◆◆



「カグム。あの町は止そう」


 ユンジェが道の変更を要求したのは、陶ノ都が見えてきて、すぐのことであった。

 そこは焼き物が盛んで、器から壷まで様々な形をした焼き物が売っている。町よりも大きいそこは、商人や貴族の出入りも多く、みながみな珍しい焼き物を手に入れようと、足を運ぶのだそうな。


 そんな目利きには堪らない都が、ここ陶ノ都だという。


 ユンジェは町よりも大きな集落を見たことがなかったので、とても楽しみにしていたのだが、都が見えた瞬間、嫌に鼓動が高鳴った。呼ばれる声も聞こえた。恐ろしくもなった。


 訳が分からなくなり、ユンジェはカグムに馬を止めてくれるよう頼んで、あの都を必死に拒んだ。


「俺はあそこにティエンを行かせたくないよ」


 馬から降りて、そう主張するとカグムは都の危険性を把握した。

 けれども、こうなることも予想していたようで、ユンジェに説得を持ち掛ける。


「青州と紅州の境にあることもあって、都には王族の兵も入り浸っている。お前が嫌がるのも無理はない」


 だったら、なおさら道を変更するべきではないか。

 ティエンは王族の人間なのだから、顔を見られてしまえば、ピンイン王子だとばれてしまう。

 そうなれば大問題だ。カグム達とて、波風立たせたくないだろうに。


 だが、カグムはユンジェに言うのだ。

 あの都を抜けた先に関所があるのだと。正式に通るには、都で竹簡の許可書を頂戴しなければならないし、穴を通るにしても都は抜けなければならない。

 どのような手段を取るにしても、陶ノ都は回避できないとカグムは説明し、納得して欲しいと促す。


 ユンジェはかぶりを横に振った。どう言われようとも陶ノ都には行きたくない。


「青州に行かなきゃいけないのは、カグム達なんだろう? 俺やティエンは関係ない」


 今こそ逃げるべきなのでは。ユンジェは唸った。


「こらこらユンジェ。お前は一応、俺達に捕らわれている身の上なんだぞ。聞き分けよくしてもらわないと困るぜ」


「だって、本当に嫌なんだ。あそこは不気味だし、恐ろしいし、なんだか……俺、あそこに呼ばれている気がするし」


 それはどういう意味だ。カグムが尋ねてくる。

 自分にもよく分からないが、とにかく嫌なものは嫌なのだ。ユンジェはカグムに背を向けて腕を組んだ。


「はあっ、困ったな。ユンジェがここまで拒むってことは、都になんかあるんだろうが……こんなところで道草を食うわけにもいかない。ティエンさま、説得の手伝いをお願いできます?」


 このままでは、せっかく撒いた将軍カンエイの兵がここまで足を伸ばすやもしれない。その前に紅州を去りたいとカグムが言うと、ティエンが冷たい目で彼を見つめた。

 ユンジェの主張した通り、青州に行かなければならないのはカグム達であるため、二人には関係のない話だ。


 だが将軍カンエイの影が不安の種でもあったため、ティエンはハオの馬から降りると、行きたくないと駄々を捏ねるユンジェに声を掛けた。


「ユンジェ。私はお前に守られているから大丈夫。都に着いたら、さっさとこれを撒いて逃げよう。馬を奪う隙だって窺えるかもしれないじゃないか」


「そういう相談は我々の聞こえないところでするものですよ。普通」


 カグムの指摘を綺麗に無視し、ティエンが一先ず都へ行こうと提案する。

 そこでちょっとした贅沢をしてもいいじゃないか、と能天気なことを言うので、ユンジェは口を曲げてしまった。


 我ながら馬鹿だと思うが、贅沢には惹かれてしまう。


「……今までになく不安で、恐ろしいんだ。俺を呼ぶような声が聞こえる。もしも何か遭ったら。大きな災いだったら」


「私はすでに呪われているのだ。そんなものに負けるような男ではないよ。ユンジェのことも、ちゃんと守る。約束だ」


 守るのは懐剣であるユンジェの役目なのだが。少々の迷いが生まれたところに、カグムがとどめの一言を放ってくる。


「ユンジェ。都までティエンさまと馬に乗って良いぞ」


「えっ、本当に?」


 寸の間もいれず、返事してしまったことに後悔する。カグムは喜びを露わにするユンジェを、「ガキだな」と言ってからかった。

 彼は見抜いていたのである。ユンジェがティエンと馬に乗りたがっている、その心を。


 見る見る顔を真っ赤にするユンジェは、ガキじゃないと声を張った。

 はいはい、とカグムは頷き、「さみしかったんだな」と、幼子に言い聞かせるような口ぶりで笑う。


 そんなことない。食い下がると、彼は乗りたくないのか? と尋ねてきた。曰く、こちらはべつに無理やり連れて行っても良いとのこと。意地の悪い男である。

 ユンジェは目を泳がせると、小虫の羽音のような声で、ぽつりと返した。


「……ティエンと乗れるなら、いいよ」


「くくっ。素直でよろしい」


 どうしてこんな目に遭ってしまうのだろう。ユンジェは背後で笑っているティエンを強く睨み、一人ぶすくれてしまった。




「おおっ。ティエンが馬を操ってる」


 馬に乗ったユンジェは歓声をあげる。

 以前、ティエンから馬に乗れると聞いていたものの、じつは半信半疑であった。非力で体力のない彼が馬を操れるのか、些か疑問を抱いていたのである。


 けれど、彼の馬に乗ることで、それはまことのことだと信じることができた。

 前に乗るユンジェは手綱を握るティエンに振り返り、「すごいな」と心底感心する。彼はやや誇らしげであった。


「このまま馬を奪ってやりたいんだがな」


「うーん、それは無理じゃないかな。囲まれているし」


 両隣後ろには馬が張り付いていた。逃走を防止するための包囲網だろう。前へ逃げようったって、これではすぐに追いつかれてしまうに違いない。

 まあ、今のユンジェの心配事はカグム達ではなく、陶ノ都にあるので、あまり気にならない。


「何事もないと良いんだけどな」


「ユンジェ。さっきの話になるが、呼ばれている気がする、と言ったな。詳しく良いか?」


 謀反兵達は聞き耳を立てているようだ。視線が何度も配られる。


「俺もよく分からないんだ。今までは、なんっつーのかな、ティエンに危機が迫ると恐ろしさを抱いた。将軍タオシュンの時は悪夢を見たし、将軍カンエイの時は迫ってくる恐怖を感じた」


 またティエンに向けられた敵意や悪意を感じ取ると、それ相応の行動を無意識のうちに起こした。彼に刃物を向けられたのであれば、ユンジェはそれを叩き折っていたし、矢を放れたのなら、それを弾き落とした。


 ティエンの声が戻ったのも、彼の喉に掛けられた呪術が、ユンジェに視えるようになったからだ。それまでユンジェはティエンの喉に巻きついた蛇の呪術が視えなかった。

 懐剣を抜いて、はじめてそれが視えるようになったので、やはり己は所持者の災いを感じ取ることができるのだろう。


「ただし、それはあくまでティエンの身の危険にまつわる災いなんだと思う。現に俺は、追って来るカグム達を感じ取ることはできなかった。力だって発揮できない。俺はカグムにそれを見破られて負けている」


「利用する人間は災いにならないのか。おかしな話だな。麒麟の目は節穴か」


 毒づくティエンに苦笑し、ユンジェは話を続ける。


「それが今までの経験。だけど、今回はちょっと違う。恐怖を感じる一方で、俺はあの都に呼ばれている。声が聞こえるような気がするんだ。こんなこと初めてだ……いや、俺は知っている気がする。この感じ」


 言葉にすればするほど、胸騒ぎと混乱が強くなる。やっぱり陶ノ都には行きたくなかった。できることなら、今すぐにでも引き返してもらいたい。


「ユンジェ、お前は私の懐剣だ。何が遭っても手放さないよ。献上だってさせるものか。お前を懐剣にした責任は最後まで取るよ。だから安心しなさい」


「けん、じょう?」


 初めて聞く単語に、それはどういう意味だと尋ねる。ティエンは横目で右隣を一瞥すると、どこ吹く風でカグムが訂正を入れた。


「貴方様から言う場合は下賜かしでしょうね。どうぞ、ユンジェをホウレイさまに下賜されて下さい」


「ユンジェ。都に着いたら、贅沢をしような。陶ノ都は点心で有名な都でもあるから、お前の好きな桃饅頭以外にも美味しい点心が売っているぞ。路銀もあることだし、昼餉は点心にしても良いだろう。小籠包しょうろんぽうなんてどうだろうか」


「俺は焼売を推しますけどね。小籠包は食いにくいでしょう」


「貴殿に申し上げていないのですが。カグム」


「ただの独り言です。お気になさらず」


 温度差のある会話に挟まれ、ユンジェは困ってしまう。助けを求めようとしたって、他の兵達は前を向いて馬を歩かせるだけ。

 しかし、取り巻く空気は物語っている。王子の機嫌はお前に任せた、と。ずるい。心の底から叫びたくなった。



 陶ノ都に到着すると、ユンジェは都の規模の大きさに目を瞠ってしまう。

 広さは勿論のこと、今まで通ってきた町など比較にならないほど人や家屋、店が多い。

 見上げれば、色とりどりの提灯がぶら下がっていた。人の通る道は綺麗に土が平らにされ、とても歩きやすく、足も疲れない。ガタゴトと揺れる荷馬車も、心なしか通り過ぎる速度が速いような気がした。


 美しい通路や家屋に伴い、そこにいる人間達の身なりも美しい者は多い。

 色鮮やかな衣、きらびやかな石の首飾り、男女問わず結った髪には銀の簪が挿さっている。一目で都の人間だと分かった。


「すごいな。都って」


 ユンジェは己の身なりと、周りの人間の身なりを比べ、その贅沢の差に呆気に取られる。あまり身なりなど気にしないユンジェだが、この時ばかりは自分がみすぼらしいと思えた。


 さて、そんな陶ノ都は妙に物々しい。皆が皆、大通りへ足を伸ばしている。

 それどころか、近くの人間に声を掛け、子どもは広場へ、その他の者は大通りへ行くよう促していた。でなければ、命がなくなるぞ、と言っているので首を傾げてしまう。


 対照的にカグム達は血相を変えていた。ティエンに至っては顔面蒼白となっている。


「そういうことか。だからユンジェがあれほど拒んだのか。くそっ、こんな時に。ライソウ、お前はシュントウと馬を隠せ。俺達もなるべく、目立たないように人陰に隠れるぞ」


 すっかり蚊帳の外に放り出されたユンジェの背を、ハオが押してくる。


「いいか。大通りに着いたら、膝をつけ。そして俺の合図と共に頭を下げろ。絶対に頭は上げるな」


 有無言わせない空気であった。ユンジェは何度も頷き、彼らと共に大通りへ向かう。

 すでにそこは人で溢れかえっていた。左右に分かれ、人びとが膝をついている。美しい衣をまとっている都の人間まで、平然と土に膝をつけているので、なんとも異様な光景だ。


 ユンジェは先ほどから、険しい顔を作っているティエンが気になって仕方がない。彼に声を掛けるも、ハオから注意を受けたので、返事を聞くことは叶わなかった。


「カグム。俺とガキが前に出る。お前とティエンさまは後ろにいろ」


「私も前に出る。ユンジェの隣に」


「だめです、ティエンさま。その身分である貴方様と、王族の近衛兵であったカグムは、顔が広く知れ渡っています。ガキを思うなら、どうか賢い選択を。安心して下さい、ガキは俺が責任を持ちますんで」


 ハオらしからぬ強気な発言だ。顔は切羽詰まっている。



「さあて、来るぞ――国を統べる王族のお出ましだ」



 両膝を折ったユンジェは、ハオの合図と共に平伏した。地面に額をこすりつけ、深く頭を下げる。ゆえに何が起きているのか、まったく把握できない。

 けれど耳をすませると、馬と人の雑踏が聞こえてくる。列をなしているのか、その音が途切れることはない。ユンジェは目だけ動かし、声を窄めてハオに尋ねた。


「いま、王族が通っているの?」


 同じく目だけ動かしたハオが肯定する。


「お前はティエンさまの寛大な心で許されているが、本来、平民と王族は同じ目線で物を話せる立場じゃねえ。王族は麒麟に国を任された一族。天の次に位が高い」


 それゆえ、もし失礼な態度を取れば、天の裁きと称された罰を受けるのだとハオ。笞刑ちけいで済めば軽いもの。最悪、首を刎ねられる可能性がある。

 だからハオ達は常日頃から、ティエンの顔色を伺い、不機嫌を恐れていたのである。単なる王族だから、ではなく、あれには理由があったのだ。


「覚えとけクソガキ。王族に逆らうことは、天に逆らうも等しい。舐めたことをしたら、命はねえと思え」


 力説するハオだが、自分こそ謀反兵の身ではないか。


(なんで、ハオ達は今の国に逆らおうと思ったんだろう)


 逆らえば命がないと分かっているくせに。


 ふと、馬の音が止まった。気配があるので、去ったわけではないのだろう。



「おや。あそこにいるのは……はて、どういうことでしょう」



 含みある言葉は疑問を抱いている様子。男のものであった。透き通った声は、心なしか此方へ向けられているような気がする。


「そこの兵よ、あの者を」


 兵の足音が近づいてくる。ユンジェはハオと共に身を強張らせた。

 まさか、早々に気付かれてしまったか。自分達は勿論、頭を下げているであろうティエンとカグムの顔も見えないと思うのだが。


 兵が立ち止まった。ユンジェはどっと冷汗を流す。目の前にいる。兵が目の前にいる。


「お前、面を上げよ」


 兵の持つ槍で軽く頭を小突かれる。

 ユンジェは嘆きたくなった。なぜ、目を付けられてしまったのだろうか。自分はハオ達の言う通りにしていただけなのに。

 恐る恐る顔を上げると、初老の兵が厳かな顔で問うた。


「歳はいくつだ」


 落ち着け。動揺するな。下手な行動を取れば、ティエン達にまで被害が及ぶ。冷静に受け答えすれば切り抜けられる。

 ユンジェはからからの口内を唾で潤すと、静かに答えた。


「今年で十四となります」


 それを聞くや、兵が何故ここにいると言葉を重ねてくる。

 ユンジェはその疑問の意味が、よく分からない。何故とはなんだ、何故とは。ここにいては駄目だというのだろうか。だったら、すぐにでも立ち去るつもりなのだが。

 すると、隣にいたハオが顔を上げる許しを乞う。兵が許可をすると、彼は恭しく答えた。


「僭越ながら、わたくし共兄弟は、先ほど都に着いた者。故郷を失った者にございます。それゆえ、事を存じ上げませぬ。御意思にそぐわぬ振る舞い、まことに失礼致しました。しかしながら、いま一度、卑賤の身の我らにご慈悲をお与え下さいませ」


 それを聞いた兵は一つ頷き、「都の者ではありませぬ」と、通りの方へ声を掛けた。間髪容れず、返事が来る。


「構いません。その子どもを広間へ連れて行きなさい。私は十二から十五の少年であれば、どのような身分でも懐剣の儀をさせるつもりです。対象の子どもは一人残らず集めなさい」


 懐剣の儀。

 ユンジェはティエンの話を思い出す。彼は言っていた。両兄が南の紅州に兵を放ち、十二から十五の少年に対して、己の懐剣を抜かせていると。

 では、懐剣の儀を口にする者は――第一王子リャンテ、もしくは第二王子セイウ。麒麟の使いを狙う者。


(なら、俺を呼ぶ声は)


 ユンジェは兵に無理やり立たせられ、背中を押された。

 ティエンの手が伸び、それを止めようとするが、カグムに制されている。正しい判断だ。今は黙って従うべきだろう。


(懐剣は腰に移動させておこう。見られたら面倒だ)


 外衣の下で懐剣を移動させると、ユンジェは兵に連れられ、裏の道から広間へ移動する。


 そこには己と同じくらいの少年達が集められ、膝をつかされていた。数はとても多い。

 ユンジェは十以上の数になると、曖昧にしか数えられないので、全部で何人いるのかは把握できなかったが、とにかく多いことだけは言える。さすが都だ。


(まずい。すごく、まずい)


 両膝をついたユンジェは、人知れず冷汗を流す。

 懐剣の儀に参加するのは、とてもまずい。なんとなくであるが、己の呼ぶ声は王族の持つ懐剣からのような気がしてならないのだ。


 大丈夫、抜けるわけがない。ユンジェはティエンの懐剣なのだから。

 

 でも、高鳴る鼓動と胸騒ぎは止められない。


(だから都に行くのは嫌だって言ったのに……どんな騒動が起きても、俺は責任を持たないからな)


 大通りから馬車が見えた。

 二頭の馬が引く馬車には、大層美しい装飾が施されている。それが現れたと同時に、少年達が平伏したので、ユンジェも慌てて頭を下げる。まだ頃合いが掴めない。


 どれほど頭を下げていただろう。

 ひとりの兵が面を上げるよう命じたので、ユンジェはやっと正面を見ることが叶った。


 目を見開く。少年達の集まりを挟んで、向こう側には織金の敷物。その上には男が鎮座しており、腰掛で茶を啜って寛いでいる。


 男は穢れを知らぬ白の絹衣をまとっていた。金の刺繍の入った、見事な衣であった。絹糸のような黒髪を纏め、象牙の簪を挿している姿は出逢った頃のティエンのよう。首には王族を示す、麒麟の首飾りがさげられている。


 また男は美しい顔立ちをしていた。

 しかし、ティエンのように女性的な顔つきではない。一目で男だと分かる、華やかな顔立ちをしていた。どことなくティエンに似ている気がするのは、その体に半分、同じ血が流れているからだろう。


 ただし、こちらを見てくる瑠璃の目は冷たい。とても、とても。



「麟ノ国第二王子セイウさまであらせられる。いま一度、頭を下げよ」



 何度、頭を下げさせれば気が済むのだ。ユンジェは内心毒づきながら平伏した。


(あれがセイウ。ティエンの兄さんのひとり。確か王位継承権を争っている奴で、第一側妃の子どもだったよな)


 そんなセイウは前置きなど良いと切り捨て、少年達の上体を起こさせると、さっそく懐剣の儀を始めるよう促した。


「この小汚い人間の群れに、まこと使いの原石が埋もれていると良いのですが。あまりにも知らせがないもので、直々に参った私の気持ちを察して頂きたいものです」


 セイウが不機嫌になると、取り巻く兵や侍女達が顔色を変えた。きっと見つかると、へこへこと頭を下げているので、なんだか可哀想に見えてくる。

 彼が飲んでいた緑茶を後ろへ投げ、それはもう飽きたと言うと、侍女が急ぎ足で果実茶を持ってくる。

 しかし、セイウは見向きもしない。それは嫌だと態度で示している。他の侍女がこれまた急ぎ足で玄米茶を持ってくると、「お茶の気分ではありませんねぇ」と返事していた。


 だったら、最初から言えと思う。


(我儘にも程があるだろ。本当にティエンの兄さんかよ)


 ティエンが兄達を毛嫌いする理由も、よく分かる。



 懐剣の儀が始まった。儀と立派な名がついているが、実際は簡単な行いである。一人ひとり、王子セイウの前で懐剣を抜けるかどうか試す。それだけであった。


 どうやらセイウは平民を汚らしいと思っているようで、己の懐剣を触らせる前に、水を張った桶で手を洗わせていた。しかも水は一人が使ったら、必ず換えさせていたので、兵達は常に走っている。


(どうしよう。逃げたいけど)


 周りは兵に囲まれていて、到底逃げられそうにない。

 腹が痛いと騒ぎ立てれば見逃してもらえるだろうか。いや、セイウの目を見る限り、腹痛が起こっても懐剣を試すだろう。


 考えている内に、ユンジェの番が回ってきた。

 その頃にはセイウも飽きた様子を見せており、もう宿に戻ろうか、と独り言を呟いていた。ぜひぜひ、そうして欲しい。ユンジェは見てもらわなくて一向に構わない。

 第一自分はティエンの懐剣なのだから抜けるはずがない。抜けるはずが。


 なのに。


(呼ばれている。俺はっ、この懐剣に)


 手を洗ったユンジェは織金の敷物の上に置かれた、台座の前で両膝をつく。

 そこには一本の懐剣、大きな黄玉トパーズが飾られたそれは、ティエンの懐剣と瓜二つだ。やや飾りの形が違うものの、ほぼ同じと言っていい。


 兵が持てと命じてきたので、ユンジェは震える手を握り締め、恐る恐るセイウの懐剣に手を伸ばす。


 その瞬間、天から轟くほどの雷鳴が響いた。広場に驚きと悲鳴が上がる。空を仰げば、晴れ渡る青空が広がっているというのに。


「今のは……貴方。もしや」


 せっかくセイウが飽きた様子を見せていたというのに、目覚めた顔でユンジェを見つめてくる。

 本当に勘弁して欲しい。なんで、ここで雷鳴が轟くのだ。

 ユンジェが懐剣に触れると、黄玉トパーズが眩い光を放った。それを見たセイウが腰掛を倒し、立ち上がる。


「子どもよ、私の前で懐剣を抜いてみなさい。今すぐに」


 ああもう、どうにでもなれ。

 ユンジェは半ば自棄になりながら頭を下げると、懐剣を両手で持った。

 快晴なのに小雨が降ってきた。風が吹きすさぶ。天はふたたび雷鳴を轟かせた。腰辺りがとても熱い。ティエンの懐剣が熱を持っているようだ。


 鞘を掴み、柄を握る。抜けない振りをしよう。そうしよう。そうすれば、この事態は万事丸く収まる。振りをすれば。


「あっ……」


 鞘から刃が見えた。振りをする間もなかった。

 力を入れずとも、柄を動かせば刃が抜けていく。うそだ。こんなことがあるわけがない。ユンジェはティエンの懐剣なのに。懐剣なのに。鞘から刃が抜けていく。


(でも、ティエンの時と違う……普通、だな)


 半分ほど抜けた時、興奮し切ったセイウは我慢ができなかったのだろう。もういいと言い放ち、兵達に命じる。



「その子どもを捕らえなさい。青州へ連れて帰り、私の宮殿に“飾”ります」



 飾る? ユンジェは我が耳を疑った。いま、なんと言われた。

 セイウが目の前まで移動し、懐に入れていた扇子で、ユンジェの顎を掬う。目を逸らすことは、許されなかった。


「ああ、貴方はとてもみすぼらしい子ども。汚らしい人間。惨めな人間。しかしながら私の懐剣となる者。ならば、磨いて差し上げますよ。なにせ、貴方は原石なのですから」


 宝石の原石にたとえれば、抱く嫌悪感すら消えてしまう。原石とはそういうものだ。汚く、光らないものなのだ。そう、宝石は誰かが磨かなければ輝かない。

 ユンジェを見つめる、セイウの目は凶悪であった。人を見る目ではなかった。物を見る目であった。


「小汚い貴方も磨けば、立派な懐剣になるはず。早く美しくして、宮殿に飾ってやらねばなりませんね」


 麒麟から使命を授かった懐剣など、国のどこを探しても見つからない。腕利きの鍛冶師が作った懐剣より、ずっと価値がある。素晴らしい収集物コレクションになることだろう。


「麒麟の使いを飾っておけば、ゆくゆく王座も手に入りますし、運が良ければ瑞獣をおびき出すこともできるでしょう。麒麟を宮殿の庭で飼える日も近いやもしれませんね」


 自分は金で買える物を買い尽くしている。そういった物には飽きがきていたので、新たな刺激が欲しかったのだと、セイウはご機嫌になった。


「ふふっ、懐剣が手に入ったことで、憎きリャンテに一泡吹かせることもできる。今日はなんて喜ばしい日なのでしょうか!」


 正直に言おう。飾られるなんて冗談ではない。

 ユンジェは少し前の自分を呪う。あの時、強く拒絶しておけば。みなを説得し返していたら、こんなことにならなかった!


(ティエンの兄さん、頭がおかしいよ。麒麟を飼うとか、使いを飾るとかっ! ……どうしよう。俺、このままじゃ飾られる)


 セイウの欲望を目の当たりにしたユンジェは、彼の懐剣を握り締め、ひどく怯えた。聞いていた以上に、セイウは歪んでいた。

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