十.ピンインとカグムと、ティエン(壱)


 来た道を戻った馬達は、迂回路を通りながら青州の関所を目指して、半日走り続けた。


 本当はすぐにでもユンジェを休ませたいところではあったが、万が一のことがある。知将を撒けたと確信を持てるまでは、王族の兵達から距離を置きたかった。


 時々心配になって、ティエンはユンジェに声を掛ける。

 熱に魘される子どもは返事代わりに、苦しそうに笑ってくれた。辛抱してくれているのは、一目瞭然であった。


 山に入り、ようやく身を隠せそうな場所を見つける。

 運が良いことに、そこは無人の小屋であった。木こりでも住んでいたのだろうか。暮らしていた形跡こそあるものの、家主の姿は見受けられない。

 中も外も荒れていたので、おおよそ追い剥ぎに襲われたのかもしれない。


 今晩の寝床が決まったところで、ユンジェを寝台に寝かせる。やや埃っぽかったので、寝かせる時は外衣を敷いた。


「ライソウ。シュントウ。悪い、周りに王族の兵がいないか偵察に行ってくれないか」


 そんな声を背後で聞きつつ、ティエンはユンジェの額に滲んだ汗を濡れた布で拭ってやる。

 横になることで、怪我人の苦痛帯びた表情が少しだけ和らいだ。やはり、長時間の馬の移動はつらかったのだろう。顔を紅潮させ、しきりに水を求めた。


 けれど自力で飲む力はなく、口元に運んでもこぼしてしまう。


「てぃえん……じじ……どこ……」


 ユンジェは昏睡に入っていた。

 うわ言をもらし、苦痛から逃れるように誰かの名前を口にする。ティエンがここにいるよ、と手を握っても、子どもは熱に魘されたまま怯えを見せる。

 ひとりにしないで、と呟く声は、ユンジェの幼い心そのものだろう。


 いつもの気の強さや、背伸びする小生意気さはどこへやら。


「苦しいなユンジェ。そこは暗くて、つらくて、怖いな」


 手を握ったまま腹を叩き、子どもを落ち着かせてやる。

 大丈夫、と言い聞かせてやると、少しずつうわ言が消えていった。声が届いたのだろうか。そう信じたいものだ。


 患者を診ることのできるハオは、ずいぶんと頭を抱えていた。

 彼が手を尽くしているのは見て取れるが、それでも容態は思わしくないのだろう。己の持つ薬や、薬草を並べ、唸り声ばかり漏らしている。


「見ての通り、ガキは芳しくありません。熱が下がる様子も見られない。傷の炎症による熱は、非常に厄介です」


 元々ユンジェの傷は深く、出血も多かった。

 なのに回復を待たず、馬での移動、連日の野宿、最低限の薬のみ。ハオからして見れば、過酷な環境の中、よくここまで持っている方だと唸る。


 彼は元看護兵。傷による感染症で命を落とす人間を何人も見てきている。


「最後まで責任は持ちますが……どうぞ、御覚悟はしておいて下さい」


 今日明日が峠だろう。ハオは言いづらそうに、けれどハッキリとした声で告げた。

 思いの外、動じることはなかったティエンは、本当に八方塞がりなのか、と尋ねる。よく考えれば、まだ子どもを救える。そんな気がした。


 すると彼は、これまた躊躇いながらに、薬草の中から一本の花を取り出す。

 それは花びらがひし形になっている、少し変わった形をした花であった。穢れを知らない、白色をしていた。


「カヅミ草と言います。この花弁は解熱剤として利用されているもので、これを煮詰めてガキに飲ませれば、高熱も下げられるやもしれません」


 しかし。手持ちにあるカヅミ草は二本、とうてい足りないとハオは目を泳がせた。

 幸い、この薬草花は年中咲いており、ここ紅州の山地にも生息している。きっと、この山のどこかにも咲いているだろうとのこと。


 問題は咲く時間だ。


「カヅミ草は別名しるべの草。夜になると花開き、発光するのでそう呼ばれています。またの名を擬態草。日中は木や草に擬態し、姿を晦ませてしまうんです」


 探し出すには夜しかない。


 けれど夜の山をうろつくなど、危険極まりない。ましてや土地勘もない山だ。

 下手をすれば、道に迷い、遭難してしまうやもれない。それだけならまだしも、凶暴な獣に遭遇したり、藪にいる毒蛇に噛まれたり、足を滑らせて崖から落ちる可能性もある。


 浮かない顔を作るハオとは対照的に、ティエンは希望を胸に抱えた。


「そうか、話は分かった。ユンジェを頼む」


 握っていた子どもの手を、掛けている衣の中に入れると、ティエンは彼の持っていたカヅミ草を取り、駆け足で小屋を出て行く。


「ああもう、やっぱりこうなると思った! 王子、お待ちください! 危険ですって!」


 嘆くハオの声を無視し、太い枝と布縄で松明を作る。

 大丈夫、夜の山を歩き回る経験はないが、夜の森は何度も歩き回った。注意すべき心得はユンジェから教わっている。


「ピンインさま。私が行かせると思いますか?」


 後を追ってきたカグムが前に立ちはだかる。

 邪魔だと足蹴にするが、彼は首を横に振るばかり。踵を返して、別の道から行こうとすると、へし折らんばかりに腕を掴まれた。


「だめです。お戻りください。その役は私がしますので」


 なぜだ。なぜ邪魔をする。ティエンは眉を寄せた。王族だから行かせてもらえないのか。


「放せカグム。ユンジェが苦しんでいるというのに、貴様は私に座っていろ、と言うのか」


「ええ、そうですよ。貴方様はそういう存在です。ユンジェに感化され、多少やんちゃになられたようですが、身分は弁えて頂きたい。貴方様は、あの子よりも価値がある。だから一年間、私はピンインさまを探していたのです」


「価値? 仮に私に弑逆させ、王位簒奪させ、その後の私の価値とはなんだ。王座に座らせて終わりだろう? 私はお飾りなのだろう?」


「新たな麒麟を誕生させるお役があります」


 たった、それだけではないか。

 カグムが口にするティエンの価値とは、第三王子ピンインの身分ばかりではないか。


 王族だから動くな、王族だから身を弁えろ、王族だから品位を保て。聞けば聞くほど、ピンインの価値など小さい。なにがあの子よりも価値がある、だ。なにが。


 ああ、心が冷えていくのが手に取るように分かる。

 

「どけ、カグム。私は貴様と戯れている時間など、爪先もないのだ」


 嘲笑うように喉を鳴らして笑うと、なぜであろう、カグムの手が畏れるようにティエンの腕を振り払う。

 飛び退いて距離を置く彼と視線を合わせ、ティエンはきゅっと口角を持ち上げた。


「呪われたくなければ、私の邪魔をするな」


 そう言ってティエンは走り出す。馬だとカヅミ草を見逃す可能性があるので、その足で山道を下った。


 もう日は暮れ始めていて、これから恐ろしい夜が訪れようとしているのに、己の心は早くその刻が来ることを待ち望んでいる。

 さあ、はやく夜になってくれ、はやく。


(待ってろユンジェ。必ず熱を下げてやるからな)


 死なせない。死なせてなるものか。


 ティエンがこんなにも、生きたい、と思えるようになったのはユンジェのおかげなのだ。あの子が生きて欲しいと、ティエン自身を必要としてくれたから、自分はいま、必死に生きようともがいている。


 ユンジェと一緒に生きたい。生き続けたい。


(あの子は生きる術をたくさん知っていて。頼れる子で。とても我慢強くて)


 ティエンは非力であった。無知であった。飢えにも弱く、疲労したらすぐに寝込んだ。

 そんな自分をユンジェは見捨てなかった。自分の出来ることをすれば良いと教え、寝込んだら看病し、傍に置いてくれた。


 食い物に困っていても、いつもユンジェはティエンの分を多くした。

 たくさん食べれば、体力がつく。自分は飢えに強い。そんなことを言って、我慢ばっかりして。本当は腹いっぱい食べたいくせに、ティエンの面倒を甲斐甲斐しくみてくれて。


(でも本当は)


 ティエンは知っている。

 身寄りを失い、天涯孤独になった子どもは、夢を見てはじじを想って泣いていた。ひとりにしないで、と寝言を呟いていた。

 本当のあの子は、とても寂しがり屋で孤独なのだ。


 そんな子に巡り合えたティエンは、いま、あの子の兄として走っている。


(私はユンジェのように、器用ではない。それでも)


 健康な手と足がある。目と耳だってある。あの子のために、何かしてやれることがある。


(必ずやユンジェを救う。私はあの子を生かす。絶対に)


 道すがら、迷わないように木の幹に大きな×印を付け、枝に布きれを巻く。

 ユンジェは言っていた。夜の森はたいへん迷いやすいので、目印ひとつでは見逃す可能性がある。必ず二つ以上、違う目印をつけるように、と。


 これで木の幹の印を見逃しても、上の枝を見れば、布が道を教えてくれる。


 そろそろ、帯に挟んでいる松明を点ける頃だろうか。ちらりと視線を下げると、視界の端でぼんやりと光る物を捉えた。もしかして。


(ここは傾斜が急だから、慎重に動かねば。滑らないように、滑らないように)


 木から木へと伝い、急となっている斜面を覗き込む。

 そこには夕陽を浴びなくなったカヅミ草が、藪の擬態をやめ、仄かに花弁を光らせていた。


 ティエンは思わず、笑みが零れる。これは幸先が良い。もうカヅミ草を見つけることができるなんて。


(しまった。ハオにいくつほど摘めば良いか、聞くのを忘れたな。下に見えるのは、三本程度。さすがに三本じゃ足りないよな)


 最低でも十は摘んでおきたいところ。数が多い方が、煮だす薬の効き目も強そうだ。


(まずは三本確保だな。しかし、あれをどうやって摘もうか。そうだ、確かユンジェが作ってくれた縄が)


 ぬっ、と背後から伸びた手がティエンの肩を掴む。そのせいで、間の抜けた声を出してしまった。


 振り返ると、忙しなく肩を動かしているカグムが、疲れた顔で見つめてくる。


「はあっ、はあっ。やっと追いつきましたよ。ピンインさま。いきなり飛び出さないで下さい。さあ、戻りましょう」


「カグムっ、また邪魔をしに来たのか。私はカヅミ草を探しに来たのだ。見つけるまで、戻るわけないだろう」


「そういう仕事は下々の役目です。王子の貴方様がすることではございません」


 また身分の話か。ティエンは苛立ちを覚えた。


「ふざけるな。ユンジェは私の弟だ。あの子が苦しんでいるのに、何もせず天に祈れと言うのか。それでユンジェが助かるわけがないだろうっ!」


 ティエン自身は健康だ。熱もなければ、怪我も負っていない。なのに、王族だから座っていろ、なんて納得がいかない。


 だいたい、命が懸かった薬草探しを、下々の仕事とはなんだ。

 ユンジェの薬草探しは、身分の低い者がすべきだと考えているのか。あの子の命とはそんなものなのか。


 だったらティエンとて、今は農民だ。卑賤の身だ。王族を追われた自分が、今さら王子に戻れるわけがない。


「何をすれば、貴様は口出しをしない。平伏でもすればいいのか? だったら、いくらだってしてやる。私に王族の誇りなど持ち合わせていないのだからな」


「これから王座を目指すお方が、それではいけません」


「それは貴様らの勝手な都合だろう! いつもそうだ。勝手な都合で私を谷に突き落とし、勝手な都合で私を救おうとする」


 もう、いい加減にしてくれ。王族の都合に振り回されるのも、謀反を目論む者に持ち上げられるのも、ティエンは疲れてしまったのだ。


 肩を掴むカグムの腕を強く弾くと、相手をぎっと睨んだ。


「ピンインさまっ、ここで暴れないで下さい」


 カグムの注意すら耳に入らない。完全に頭に血がのぼってしまった。


「その名で呼ぶな! 私はティエン、ピンインなどではないっ」


 自分は王子ピンインに戻りたくない。農民ティエンのままでいたい。


 この名をユンジェにつけてもらってから、生きる心を持ち、生きる自分を持ち、己を認めてくれる人間に出逢えた。

 ユンジェを筆頭に、トーリャやリオ、ジセンが自分の生を願い、親しくしてくれた。身分問わず友になってくれた。また一緒にご飯を食べようと言ってくれた。


 それがどれだけ、ティエンを救ってくれたことか。


「あの子が死にそうになっているのにっ、なぜ私はじっとしておかなければならない。私はいつも、あの子に救われたというのに。あの子は私と一緒に生きたいと言ってくれたのに、なぜっ……」


 カグムはティエンにユンジェを見殺しにしろ、と言いたいのか。


 すると彼は、そうではない、とやや声音を強くした。


「ユンジェを見殺しにするわけではありません。しかしながら、夜の山は危険だと、先ほどハオも申し上げたでしょう。貴方様に何か遭っては遅いのですよ」


「計画が狂うからだろうっ! 貴様らは私を、私自身を必要とはしていないっ」


 そう、目の前のカグムだって、ティエンを必要とはしていなかった。はじめて出来た友だと心から信じていたのに。


 十二から十八の誕生日まで、カグムはずっと傍にいてくれた。

 お忍びで町に連れて行ってくれたり、弓を教えてくれたり、庶民のお菓子を買って来てくれたり。近衛兵として傍にいながら、友として接してくれたカグムのおかげで、暗い毎日に火がともった。


 なのに。ティエンはカグムに死を望まれてしまった。父や母、兄弟達と同じように。それがどれほどの絶望を与えたか、この男は知る由もないだろう。


 もしかするとティエンの知らないところで、カグムはずっと憎んでいたのやもしれない。呪われた王子である自分のことを。


 だったら、なぜ六年もの間、友のように接してきたのだろうか。ティエンの気持ちを弄んでいたのだろうか。見えないところで、慕う己を嗤っていたのだろうか。


 心から慕っていたからこそ、裏切られた憎しみも悲しみも計り知れないのだ。どうしたって許せそうにない。


「貴様は知らないだろう。谷よりも深い悲しみを、谷底より暗い絶望を」


 もう止められない。一度堰切った感情は濁流のように、己の中で暴れ狂う。この男だけは憎んでも憎み切れない。


「まことの孤独は死よりも恐ろしい。それを、味わったこともないくせにっ」


 短剣を抜く手も、頬に伝う滴も熱い。もうぐちゃぐちゃだ。


「ピンインさまっ」


「何が一年も探していた、だ」


「落ち着いて下さい。ここでは」


「あの夜、声を奪い、逆心を向け、強く私の死を望んだくせに」


「ピンインっ!」



「お前を友だと信じていたっ、私の心を返してくれ――っ!」



 突きつけた短剣が、半分ほど抜かれた太極刀によって弾かれる。と、同時に体を強く押された。

 押したカグムは、ほぼ条件反射だったのだろう。しまった、と呟く声が聞こえる。


 それを耳にしながら、ティエンの体は急傾斜へ傾き、そして滑り落ちていく。

 地面に体がぶつかる寸前、押した本人が庇うように、頭を抱きしめてきたので混乱してしまう。


 どうして自分はこの男に守られているのだろう。べつに少しくらい怪我を負ったところで、天士ホウレイの下は連れて行けるだろうに、なんで共に落ちる選択肢を選んだ?


(カグム、お前にとって私は――なんなんだ)


 景色が勢いよく流れ、流れて、ティエンの目の前は暗転した。



 ◆◆



 それは突然であった。

 患者の薬草を切り刻むため、ハオが道具を煮沸消毒していると、寝台の方から大きな物音が聞こえた。

 驚いて振り返れば、昏睡状態に入っていたはずの子どもが這いつくばっている。目が覚めたようだ。その手には懐剣が握られていた。


 出入り口へ向かって這っているので、急いでユンジェの下へ向かう。


「馬鹿野郎、どこに行くつもりだ。寝てろっ!」


 身を起こしてやると、子どもがハオに縋った。


「ティエンはどこ。おれ、いかなきゃ」


「はあ? 行くってお前」


 そこでハオは気付く。この子ども、目の焦点が合っていない。


「行かないとっ……ティエンっ、守らないと。俺はまだ折れてないよ」


 ハオは恐ろしくなる。

 麒麟から使命を授かると、身も心も所有者を優先するようになるのか。

 子どもの体は怪我と熱で弱り切っているというのに、昏睡状態に入っていたというのに、瑞獣はそれすら許さず、使命を優先させようとするのか。


 これが麟ノ懐剣となった者の、所有者から災いを守る者の姿。


(自分より所有者を優先させなきゃなんねーなんて)


 思わず哀れみを抱いてしまう。

 己を大切にする心を、麒麟は取り上げてしまったのだろうか。


「ピンインさまなら大丈夫だ。あの方は今、カグムと一緒にいる。何か遭っても、あいつが……あー……あの二人だしな……」


 もしかして。ハオは嫌な予想を立ててしまう。


(カグムの野郎、ピンインさまに何かしているわけじゃねーよな)


 王子を煽って武器を交えたり、王子の方が私情に駆られて剣を抜いたり、そのようなことになっているのでは。

 大いにあり得る。あの二人ならあり得る。自分が行くべきだったのだろうか。悩ましい問題にハオは肩を落としてしまう。


(頼むから面倒事だけは起こしてくれるなよ。ただでさえ、ガキのことで手いっぱいなのに。俺の立ち位置って、考えなくとも苦労ばっかじゃねーか?)


 腕の中にいるユンジェは、懐剣を両手で握り締め、うわ言を繰り返す。ティエン、ティエン、ティエン、と。


「おれは、まだ折れていないよ……まだ……」


 己の死を折れていない、と口にするあたり、子どもは懐剣の自覚を持っているのだろう。いつか、この子どもは自分が人間であることすら忘れてしまうのでは?


 そこでハオはユンジェに告げる。


「いいか、クソガキ。てめえは今、死に掛けているんだよ。それを王子がどうにかしようと、奔走している。そんなピンインさまを守りたきゃ、あの方に助けられろ」


「たすけられ……」


「そんな体で何ができる。お前は刃物じゃねえ。刃をその身で受け止めれば、当然血が出る。血が無くなれば体は動かなくなる。てめえの身は脆い、なぜならてめえは人間だから」


 人間である自覚を持て。王子を守りたければ助けられろ。王子が一喜一憂する存在はお前だと、ハオはユンジェを見据え、容赦なく胸倉を掴んだ。


「王子を守りたいんだろう? なのに、あの方の心を傷付けるような真似をしてどうするんだよ。お前ら、家族なんだろうが。兄弟なんだろうが」


 ユンジェの手から懐剣が滑り落ちる。

 思い出したように、「肩が痛い」と、「体が熱い」と、「とてもつらい」と呟き、ハオの手に己の手を重ねた。


「ハオ。おれの体、動かないよ」


「そりゃそうだろ。お前は怪我人、懐剣じゃねーんだから」


 子どもは少しだけ嬉しそうに、そうだね、そうだよね、と頷いて、ハオに凭れ掛かった。

 体を受け止めたハオは神妙な面持ちでユンジェを見下ろす。子どもはぐったりと目を閉じ、胸に頭を預けていた。


「ほんと。面倒くせぇ奴等ばっかだな」


 どいつもこいつも、ただただ面倒だ。

 悪態をつくハオは懐剣を拾うと、子どもを横抱きにして寝台へ戻す。不思議なことに、懐剣は重みを感じなかった。以前はとても重たいものだったのに。なぜだろう。


「王子と家族なんて……身の程知らずだな、てめえ」


 農民のくせに。ハオは力なく笑う。


「あの方が王族でなけりゃ、王子でなけりゃ……お前ら、本当の家族になれたかもしねーな。ずっと、平和に暮らせたかもしれねーのに……天は無情だよ」


 拾った懐剣を子どもの手に持たせる。らしくもない同情を抱いてしまった。


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