十三.手向け草



「ティエン。カグムとハオだ」


 熱風が吹きすさぶ、炎の森の向こうに、小さな人影が二つ見える。

 それは騎兵を撒いた謀反兵であった。彼らはピンイン王子を探していたのだろう。

 ティエンの姿を見るや、保護しろと声を上げていた。喉が焼けそうな熱気の中、よく声音を張れるものだ。


 ユンジェは足を止め、未だに震えるティエンの手を見つめると、そっと顔を持ち上げた。


「どんな道を選んでも、俺はお前と一緒にいる。だから、安心しろよ」


 その言葉に彼は力なく笑う。


「お前は強いな。悔しさを覚えるほど、ユンジェは強い。敬服する」


 敬服なんて、難しい言葉を使われても困るものだ。ユンジェには立派な言葉に返事できる、言葉も、知識も持ち合わせていない。


「俺は強くなんてないさ。ただ、よく考えようとしているだけ。いざとなると、お前に甘えたくなっちまう、背伸びしたガキだよ」


「おや、ついに子どもと認めるのか? ユンジェ、子ども扱いは嫌いだろう?」


「使い分けは大切だろ?」


 そっと笑いを返し、こちらに向かってくるカグムとハオに視線を投げる。彼らの下へ走り、二人の来た道を辿れば、きっと炎の森から抜けられることだろう。

 しかし、ユンジェもティエンも動かない。駆け寄って来る彼らを静かに見守る。


 まるで意思を宿したかのように、炎に包まれた木が一本、また一本と倒れ、それは兵達の行く手を阻んだ。

 高温のせいで一帯の景色が歪んで見える。


「何をしているんです! はやくこっちに来て下さいっ、焼け死にますよ!」


 立ちのぼる炎の向こうで、焦燥感を滲ませたカグムが垣間見えた。


「クソガキ! はやくピンインさまを走らせろ、はやくっ! うわっ!」


 揺らめく炎の先でハオが右の手を振り、合図を送った。今ならまだ間に合う、と言いたいのだろう。

 けれど、二人は動かない。目の前で木が倒れても、微動だにせず、炎々と燃えるそれを見つめた。


 やがて、ティエンが口を開く。


「はやくお逃げなさい。時期この森は亡ぶ。天士ホウレイの命を受けたお前達とて、死にたくはないでしょう?」


「ま……待て、ピンイン。お前まさか」


 カグムの敬語が崩れた。それに苦々しく笑うティエンも、「それは死んだ」と言って、敬語を崩した。


「私の名前はティエン。ピンインではないと何度、申し上げれば分かるのか」


「お前っ、死ぬ気か!」


 ティエンは満面の笑みを浮かべた。一点の曇りもない、無邪気な顔であった。


「私は亡びゆく森の、この土地の最後を見届けたい。それだけだ」


 彼は謳う。この森が、町が、農民の集落がとても好きだった。ユンジェと出逢った、この土地が本当に好きだった。

 なのに自分のせいで災いを運んでしまった。だから――最後まで見届ける責任がある、と。


「そんなもの、ここを出てからでも見届けられるだろうっ! 残れば焼け死ぬ。馬鹿でも分かることだ。ユンジェ、お前は何をしている。頭の回るガキのくせに、なんでピンインを止めない!」


 そんなの決まっている。


「ティエンがそうしたいと願うなら、付き合うしかないじゃんか。こいつの我儘は、今に始まったことじゃないし」


 付き合うと言ったのは自分なのだ。だったら、最後まで彼に付き合わなければ。


「すまないな、ユンジェ。私はお前に世話を焼いてもらってばっかりだ」


「本当だよ。ティエンが十九だなんて、いまだに信じられねーぜ。あーあ、喉が渇いた」


 横目で見るユンジェと、どことなく嬉しそうな顔を作るティエンが笑い合った。

 その直後、灼熱に耐えられず、周囲の木々が音を立てて折れる。そして、それらは二人目掛けて、躊躇いなく倒れた。


「ピンイン! ユンジェ!」


 カグムとハオの視界から彼らの姿は消え、代わりに大量の火の粉が舞い、燃え盛る炎が景色を呑み込んだ。



 ◆◆



 将軍タオシュンが放った炎は三日三晩、森を、町を、集落を焼き続けた。

 消息を絶っていた将軍の亡骸は燻る森の中で見つかり、彼が率いていた兵達は一時撤退を余儀なくされる。七日後のことであった。


 カグムとハオは同志と共に、呪われた王子と懐剣の行方を探した。


 亡骸が見つかれば、森の中にいたと証明されるが、大人らしき亡骸も、子どもらしき亡骸も見当たらなかった。

 手掛かりが見つからず残念に思うが、反面安堵もした。彼らに死なれては困るのだから。


 森をさまよっていると、小さな家を見つける。焼け崩れてはいるが、確かにそこは家であった。


 カグムは焼け跡から小壷やすき、半分ほど焼けた蓑など、生活感に溢れた物を見つける。小壷を開けてみると、芋が塩水に浸かっていた。保存食だったのだろう。

 家の側らにある畑も燃え尽きていた。

 しかし、土を探ってみると、大小の青い芋がたくさん出てくる。ひと月後には収穫だったに違いない。


 ふたたび森に足を運ぶと、奥地に小さな墓を見つけた。誰の墓なのかは分からない。石が建てられただけの、粗末な墓であった。

 カグムは墓の前で膝をつき、供え物に手を伸ばす。


「こんなところに銭一枚と、塩漬けの野菜」


 一枚の銭。そして葉の器に盛られた、少しの塩漬け野菜を見下ろし、カグムは深い息をついた。それは大きな安堵に包まれたものであった。


「宣言通り、この土地から炎が消えるまで見届けていたってわけか。ったく……やっと見つけたのに振り出しなんてな。俺達から逃げられると思うなよ」


 悪態を吐き捨てる、彼の口端がつり上がる。生きているなら、なんだって良かった。


「ハオ。馬を出すぞ。王子と懐剣のガキはもう、この土地にはいないようだ。今度見つけたら、首に縄を括ってホウレイさまの下へ連れて行くぞ」




 同じ空の下。

 焼けた故郷と別れ、あてもない旅に出る二人組がいた。

 ひとりは、天女のように美しい顔を持つ男。

 そして、もうひとりは小柄な体躯を持つ農民の少年。彼の帯には立派な懐剣が差さっていた。その身分には不似合いの、黄玉トパーズの装飾が、帯の中でいつまでも輝いていた。



(第一幕:懐剣と少年/了)

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