第22話 戦鬼襲来

 舞鶴公園まであと少しと言ったところで、八正空間に外部からの干渉があった。今の俺はこの空間そのものであるため、突然背後から肩を叩かれたような、いきなり手を掴まれたような妙な感覚だ。

 物理的には牛若の左手首に腕輪として収まっているので、肩も手も無いのだが、兎に角外部から強烈な力が加えられたことは感じ取れた。

 腕輪であるが、半径10kmの世界でもある俺に、芯まで響く干渉を一撃で食らわすと言うのはどれだけテンション高いんだと少し訝しく思いもしたが、八正空間内に援軍を途中参戦させるときの肌感覚が通常ではどんなものとか知らないし、知っている人なんかいるはずがないので、まぁそんなものかと思うしかなかった。

 けどまぁ、時間的にも方角的にも干渉したのは継信さんに違いが無い。と言うか継信さん以外だと佐世保に残した伊勢さんしか、この世界には干渉する術を持った人間はいない。





『おい!牛若!援軍だ!合図が来た』

「ええ、その様で、これで少しは楽にケリを付けられます」


 勿論、俺を装着している牛若にも、肌感覚と言う訳ではないがその反応は送られている。

 俺のデータを完璧に利用し、背後から襲い来る触手を、前を向きながらひょいひょいとかわし続ける天才少女は、ほんの少し安堵の表情を浮かべながらそう答えた。


 ビキリと、世界の片隅が崩壊する。ここまでされてようやく俺は異常に気が付く。円滑に回っていた歯車(せかい)、に焼けた鉄杭が撃ち込まれたような感覚、あるいは掴まれた手を骨ごと握りつぶされたような感覚。

 違った、違っていた、間違っていた。最初の干渉はただ、この世界を確かめるために手を添えただけだ。

 世界に対し、これ程の影響を与える個体が居るはずはない、居て良いはずがない。だがしかし、それは確かに存在し、俺の全力(ささやかな)抵抗など全く意に返さず、ごく自然に侵入してきた。


「主殿!主殿!お気を確か……に」


 牛若の声が遠くなる、破綻しかけた世界(じぶん)を気合で取り繕う。

 歯を食いしばりながら、侵入者に意識を向ける。そこに立つのは身の丈2mを超える大男だった。縦にもデカイが厚みも凄い。その男に比べれば、継信さんですら貧弱な青二才に見えてしまう。蓬髪からは野獣の気配、眼光からは死の焔、微かな笑みは悪鬼の愉悦、一体の戦鬼がそこにいた。

 そして、その鬼は左手に持った、鉄板を胸前に構える。いや違う、それは鉄板じゃない。一見では、歪んだレールやH鋼に見えるそれは弓だった。どれだけの重量があるのか想像もつかないそれに矢をつがえ、鬼は軽々とそれを引き絞る。


『うしわ……よ、け……』

「っ!」


 鬼から放たれた矢は、音の壁を易々と突き破り、衝撃波により軌道上のものを無差別に食い破り――俺たちが散々手をこまねいていたGENの巨人を一撃で容易く殺しつくした。

 真一の言葉受けて、真横に跳び逃げた牛若にも着弾の余波が襲い掛かり、枯葉の様に吹き飛ばされる。

 舞い上がった土埃が薄れゆくころには、鬼の姿はこの世界から消えていた。


 体に刻まれた、鬼気と言う灼熱の傷みに悶えつつも、真一は牛若にあの鬼の正体について尋ねた。牛若が知っているかは分からないが、あんな生物はこの世界にいない以上、牛若の世界から来たに違いないからだ、いやもしかしたら牛若の世界にもいないかもしれない、牛若を基準としてもあまりにも存在が規格外すぎたからだ。

 その問いに、埃を払い立ち上がった牛若は、こう答えた――





 門を潜り暫く、整備された林道を走り抜けた黒塗りの高級車は静かに停車した。助手席から降りたアンドロイドは、後部座席のドアを開け静かに一例をし、そこに座る男に声をかける。

 のそりと、広々とした車内から、背をかがめて降りた男は。そのアンドロイドのことなど一瞥もせずに、ゆっくりと歩き出す。


 広大な庭園だった。そこは一つの完成された世界だった。滝があり、小川があり、池がある。木々は青々と生い茂り、花々は色鮮やかに咲き乱れる。計算されつくした起伏は、庭園を広く複雑に見せ、どこまででも探索したくなるような、何時までも眺めていたくなるような、そんな庭園だった。

 男はちらりと一瞥する、巧妙に隠された監視の目、木々や岩等に偽装した、過剰とも言える防衛装置。普段からこうなのか、今日と言う日だからこうなのか。自分を少しでも知るものならば、こうしてもおかしくないし、こうしたとしても意味は無い事は知っているだろう。


 視線を感じる、残念ながらカメラの向うからだったが、心地よい殺気だった。

 敵などとうに居なくなり、そんなものを感じられなくなって久しいが、探せば出てくるものだったのか。もっとも、今回は彼方から招待された誘いだが。

 複雑な通路を、案内役のアンドロイドを背後に従え歩く。殺気が濃くなった、招待主はこの門の向こうらしい。

 門が開く、さらに少し歩いた先の東屋に、従者と1人の老人が待っていた。





 薄暗い管制室、壁面に設置された多数のモニターは、1人の男を追っていた。また、追っているのは監視カメラだけでない、普段は内外全周囲をカバーしている防衛装置の照準も全て男に合わせて動いていた。

 管制室の最上部に2人の男が座っていた。短髪の男は平教経と言い、長髪の男は平知盛と言った。

 教経は、椅子に深く腰掛け腕を組み、重く、煮えたぎる様な視線を男に捧げ。知盛は、椅子に浅く腰掛け腕を組み、静かに、凍るような視線を男に向けていた。


 議論は散々と交わした、教経は積極的反対、知盛は消極的反対だった。だが結果としてこの会合は実行された。自分の命より大切な人に頭を下げられたのだ、今更語る言葉は持たない、2人とも会合の様子をじっと眺めるだけだった。

 ただ、言葉には出さなかったが、2人の気持ちは同じだった。その人を害するようなことがあれば、死をもって償わせる、と。

 ポツリと、どちらかがその男の名を呟いた。



「源為朝(みなもとの ためとも)」





 源為朝。平安時代、いや日本史上最強の武将の1人だろう。身長2mを超える巨体の剛力無双、5人張りの弓を易々と使いこなし、その力を頼りに乱世の時代を自由気ままに暴れつくした。

 13歳の時、父親の手におえないと九州に追放されたがこれ幸いと九州制覇をなした。また、二度と弓が引けないように肘を壊されたにも関わらず、異常な回復力で力を取り戻し300人乗りの軍船をたった一射で沈めた等の伝説が残っている。


 そのあり方は、牛若達の世界でも全く変わりないようだ。艦砲射撃と見間違うほどのあの一射が全てを物語っている。そんな彼が何故ここに現れたのか、継信さんはどうしたのだ?第三者が来るにしても継信さんの弟である忠信さんではないのか?たったの一撃で一切合切ご破算にしといて、何故何も言わずに消え去ったのか?底知れぬ不吉さに思考が強張り、暗い妄想が湧き上がってくる。


 いや違う、あの目だ、悪鬼の様なあの目が焼き付いて離れてくれない。弓の威力は凄まじかった、とても1人の人間が生み出した威力とは思えない。だけど、それよりも深く刻まれたのは、あの目だ。

 単純な攻撃力だけではない。あの目が、あの顔が、あの存在が、何よりも恐ろしい。恐怖だ。そう、この身が感じたものは、絶対に勝てない、いや勝負にすらならない絶対的な存在を目にした時に感じる生物的な恐怖だ。

 今の自分には存在しない、背筋を振るわさせている時に、牛若からかけられた声で我に返った。


「主殿、駅の様子を見に行きましょう」





 悲鳴と怒号、嘆きと恐怖。血煙の揺らぐ駅構内は正に地獄の有様だった。俺は授業で多少なりとも血の匂いや、内臓の匂いを嗅ぎ慣れている。そのおかげか、辛うじて嘔吐や気絶をすることは無かったが、そんな事は何の慰めにもならない。むしろまともな精神状態でこの惨状を直視しなければならないことこそが狂気の沙汰だった。


 赤、赤、赤、一面の赤。線路内どころかホームまで血と肉片でコーティングされていた。

 少しでも血の海から逃げようと、力の入らない手足でもがいている人がいた。

 放心し、血まみれのまま座り込んでいる人達がいた。

 泣きじゃくる子供がいた。

 恐怖のあまり絶叫する人がいた。

 狂気が臨界点を超え笑っている人がいた。

 逃げ出す人がいた。

 邪魔だと突き倒される人がいた。


 駅員だろうと、乗客だろうと関係が無い、彼らの主観ではほんの少し前までは何時ものホームだったはずだ、それが一瞬で、唐突に、なんの脈絡も無く、この世の地獄と言う言葉ではとても追いつかない非現実的な惨状に代わってしまったのだ。

 GENの事を知っている俺ならば説明することは出来る。GENに感染され制御不能となった電車がホームに突っ込み、GENに感染され気を失ったホーム上の待合客が将棋倒しに線路内に落下したことによる大規模な衝突事故、それだけだ。

 それだけで、多数の、あまりにも多数の人間が、肉片となった。

老若男女なんて関係ない。普通に生活を行っていた、普通の人たちが、いつも利用していた駅で起きた惨状だった。


「うろたえるなッ!」


 狂気と混乱と死臭に満ちた空間を、凛とした少女の声が切り裂いた。発生源、そんなものは言うまでもない、俺の隣に立つ少女、牛若からだった。


「某の声を聴け!某の姿を見よ!此処は戦場だ!恐怖を捨てよ!」


 小柄な彼女から発せられたとは思えない、芯の通った力強い声が響き渡る。マイクなどは使っていないが、その声はホームの端まで行きわたる程であり、混乱を切り取るには十分だった。


「駅員諸君!」


 牛若の声に、駅員たちは混乱しながらも反射的に返答をする。


「緊急事態だ!日頃の訓練の成果を見せよ!」


 なんの前触れもなく出現した非現実的な惨状による混乱。その混乱を牛若の檄は一閃する。

 思考の大部分を占めていた混乱はひとまず頭の片隅に追いやられ、代わりに緊急避難マニュアルが思考の表面へと浮上する。


「乗客たちよ!」


 発せられる檄は少女のものではない、ここにいるのは少女の姿をした1人の武将のものだった。


「自力で立てる者は立ち上がれ!余力のあるものは弱者を助けよ!皆で協力し合いこの窮地!潜り抜けよッッ!」


 しんとした構内に牛若の声が隅々まで響き渡った後、彼方此方で動きが起こる。それは今までの様な無秩序な混乱でなく、明確な方向性を持った避難活動だった。

 駅員の誘導が始まり、乗客同士が肩を貸し合い避難をし始めた。

 




 戸惑いはある。混乱も、怒りも、嘆きも、恐怖も、後悔も、悲哀も、痛みもこの唐突に訪れた理不尽で非現実的な惨劇によってもたらされた苦痛は勿論ある。

 だが、牛若の発した号令により、なんとかそれを脇に置いて避難行動に取り掛かれていた。

 そして、その流れに逆らって、文字通り飛び込んでくる影が一つ。


「ごめん!遅れた!牛ちゃん!」


 アンドロイドなので息を切らしてこそ無いものの、あちこち汚れや擦り傷にまみれた姿だ。何時も余裕綽々としている屋島さんにしては珍しい姿だった。


「良い。それよりも仕事だ屋島。お前の力を見せよ、全力でだ」

「……そうね。りょーかい!それじゃ!ヤバイ人からじゃんじゃん連れて来て!」


 そう言い、屋島さんは外装を予備の者に着替える。


「屋島、援護します」


 ボロボロ具合では、俺達の中でも群を抜く弁慶さんがそう声をかける。


「うわちゃー。まぁ弁ちゃんは後回しってことで。それじゃあお願いね」


 正座した屋島さんを中心に、弁慶さんが力場を使って怪我人を円形に横たえる。

 突然の巫女風コスプレ女の出現と、人体の空中浮遊に周囲の人間からどよめきが上がり、流れが止まるが。


「よい!この者たちは某の配下だ!某らに任せよ!ここから先1人の犠牲者も出さんッ!諸兄らは諸兄らの為すべきことに集中しろッ!」


 滞っていた流れが動き出す。不思議な事に、一般市民からすれば、どこの誰とも知らないだろう、この小柄な少女の号令に皆が従う。これが戦場で兵を率いて勝ち抜いて来た牛若のカリスマと言うものなのだろう。





「準備開始、処置室展開」


 屋島さんの周囲に自動販売機サイズの柱が5本現れ、それを覆うように半透明のドームが展開される。


「接続、展開」


 一旦手を引っ込めた袖口から、多数のコードが伸び柱に接続されると、5本の柱が一斉に動き出す。つるつるとしていた表面に多数の小窓が生じそこからフレキシブルアームが伸び、横たわる患者に向かっていく。


「施術開始」


 全身のスキャン、静脈確保、切開、内視鏡挿入、縫合。こちらの世界でも、ロボットを用いた手術は一般化されてきているが、屋島さんの行っていることは桁が幾つか違う、最大の違いは何といってもその速度だ、怪我の大小はあれど1人当たり長くて数分、短ければ数十秒で施術を終える。

 例えとしては不謹慎だが、まるで椀子蕎麦や回転寿司のように恐るべき速度で、弁慶さんが運んでくる患者たちを次々と治療していく。

 また、治療範囲はドームの中だけではない、ドームの周囲にも例の医療用ナノマシンが散布されているらしく、通り過ぎて行く人たちの小さな擦過傷などもみるみる塞がっていく。


 五芒星の中心で身じろぎもせず正座する屋島は白拍子風の外装も相まって、祈りをささげる巫女にも見えるが、彼女の周囲で踊るのは無数の触手にも見える、医療用フレキシブルアームだ。巫女は巫女でも邪神を奉る巫女にも見えてしまうのが、あまりにもな欠点だが。





「すみません、ちょっとよろしいでしょうか」


 と仁王立ちで作業を監督している、牛若に声が掛かる。ようやくと言うべきか、この異常事態を鑑みれば早かったと言うべきか。声をかけて来たのはキッチリと制服を着こなした、この駅の上層部とみられる人だった。


「了解です。ですが、この者たちの作業は続けさせていただきます。某の言を自ら破る訳にはいきません」

「ええ、本来ならば中止させるべきなのでしょうが、私が責任を持ちます。そのまま続けて頂きたい。それでは事務所の方まで来ていただけますでしょうか」

「了解です。某は牛若、源牛若と申します、こちらは主君である佐藤真一殿でございます」

「ああ、すみません。自己紹介が遅れてしまいました。私は駅長を任されております深沢博と申します」

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