第11話 奏

 数日後。

 クラスのみんなに見送られて、篠原かなでは一足早く僕のクラスを卒業していった。

 たくさんの手紙と、プレゼントを貰って。

 僕が彼女への寄せ書きを書いたのは、本当に最後の最後であって、最後の日、篠原かなでが学校に登校してくる直前だった。

「あゆむくんて、なんでそうどうしようもないの?」

 矢沢萌には、もう散々な言われようだった。

“紙飛行機”の作文については、十月中に提出だったものをうっかり僕は日付変更線を越えてしまい、大槻先生にさんざん怒られる。

 入選作品は結果的に矢沢萌の「信頼される立派な教師になりたい」というような内容のものだったから、まぁいいだろう。


 篠原かなでがいなくなった後の僕の生活も、彼女がいないというだけで他に大した変化を見せることもなくて、僕たちの生活は穏やかに、緩やかに過ぎて行った。

日々成長をしていく僕たちの手には、いつの間にかランドセルもあの日のクレパスも必要なくなってしまい、今現在僕の手の中にあるのは母さん手作りのお弁当と期末の範囲が定められた参考書。

 好物の唐揚げをほおばりながら適当にマーカーでラインを引いていく僕の頭を突っついたのは誰でもない、畠山康則だ。

「なぁ渉。今度の期末の範囲、アタリつけてんだろ?」

 教えてくれよ、というノリの頭を押さえこんで、誰がお前に教えるか知りたきゃ自分で調べろあほー、と言ってやる。

「俺に教えてもらうんだったら、それよりも先に矢沢に頼めよ。すっげー丁寧の教えてくれんじゃないの?」

 僕の言葉にノリは、「うっわ、ちょっと無理」といって大笑いした。

 中学三年の卒業のころに、畠山康則と矢沢萌は付き合い始めた。もう結構な長さになる――二年、か。もう、三年目に突入している。

 土田幸樹の淡い恋がどうなったのかというと、中学へ入学するとほぼ同時に矢沢萌への興味がまったく薄れてしまったようで、今は他校の女子生徒と付き合っている。なかなかプレイボーイだったらしい土田幸樹は、ここ数年付き合ったり別れたりと色々な女子と繰り返しているらしいのだが、本人が幸せそうなのでいいのだろう。

「ちぇー。こういうのは、医学部を目指す渉くんに聞いた方が手っとり早いんだけどなー」

「S女子大を目指す彼女に聞いても、たいして変わんないんじゃないの?」

「だってあいつ、いちいちうるせーんだもん」

 のろけなのかなんなのか、僕の後ろで頬杖をついてぶーぶーと口を尖らす畠山康則は鬱陶しいことこの上ない。

 面倒だからそのまま放っておくと、どこからか彼氏の名前を呼ぶ矢沢萌の声が聞こえてきて、「やべっ」と言った畠山康則はまたどこかへ消えていった。

 まったく、このバカップルめが。

 赤い印ばっかりの目立つ参考書の表紙を閉じて、それを鞄の中にしまいこむ。その代りに僕は、ファイルの中から茶色い封筒を取り出す。これは今朝僕の家に届いたもので、時間がなくてまだ中身を確認していないものだ。

 口のところはひどく丁寧に糊が貼ってあって、かわいらしい花柄のシールもついていた。僕は筆箱の中からカッターナイフを取り出して、なるべく汚くならないように丁寧に封筒の口を開ける。

 中に入っていたのは、CDアルバム程度の大きさの、小さな絵本だった。

 そこらへんの本屋で売っているような代物ではない、淡いピンクのきらきらとした素材で作られた表紙は間違いなく人の手で作られたものであった。

 僕はその糊の匂いのする表紙をすべすべと親指でなぞり、表紙を裏返して造り手の名前を確認する。


“present by kanade sinohara”


「絵のない絵本」という童話がある。

 そのタイトルは、この世に存在するどの本よりも滑稽で、印象的だ。

 僕が彼女の家で見た「絵のない絵本」にはきちんと挿絵がしてあって、その挿絵には色とりどりの配色だってしてあった。

 本編の内容で、売れない作家である主人公は唯一の友達であるお月さまから語られるお話のひとつひとつを汲み取って、壮大な絵本を作り上げた。

 作者であるアンデルセンは、自分自身の詩に共感する心を持っている人にはアンデルセンが心に描いている絵が自然と見えてくるというつもりでタイトルをつけたのだという。

 廊下から、「渉くーん」という僕を呼ぶ声が聞こえてきた。それと混ざって、ノリの悲鳴のようなものも聞こえてくる。

 僕は「なんだよー」といって、その淡いピンク色の表紙を机の上に押し付けて、黒い学生服のズボンの腰を上げる。それと同時に、座っていたときよりもほんの少し目線が高くなる。

 僕はもう、十八歳になった。

 身長だって伸びたし、あの頃よりもずっとずっと、この世界の色々なことが分かるようになった。

 君は今、どのような目で、どのくらい鮮やかな色でこの世界を見ているのだろう。


 開かれた教室の窓から風が入り、薄水色のカーテンをひらひらと揺らした。

 僕はその揺れる裾に、一瞬だけ鮮やかな幻を見出して足を止めて、もう一度僕の名を呼ぶその声に「わかってるよー」と反応する。

 机の上には参考書に押しつぶされて、一枚の薄い絵本が置かれている。




――君は、

 この、絵のない絵本の中に、どのような色をつける?


奏。





fin.




2010.12.16 完結

2017.12.16 修正


参考文献 「絵のない絵本」 アンデルセン作 山野辺五十鈴訳 集英社文庫

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絵のない絵本 シメサバ @sabamiso616

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