第38話 たくさん喋る時はキケン

 ふわり、ふわり。体が揺れていた。重力を無視して足は浮き、まるで水中のようだが、息苦しさはなく、温かくて居心地がいい。

 緩やかに意識を取り戻しつつも、その居心地のよさにまだ眠っていたいと思ってしまう。


 しかしおかしい。佳乃が倒れたのは公園で、そこに海やプールなんてものはなかったはずだ。

 地面がいつも通り硬かったことは顔や身体がしっかりと覚えている。では、三笠佳乃はどこにいるのか。その疑問に至って、瞼を開く。


「……え? なにこれ」


 そこは、眠りに呆けていた頭も一瞬で醒めるほど、眩しい場所だった。あたり一面、乳白色の世界となっていて、公園どころか雑草一本見当たらない。閑静なあけぼの町の外れといえ環境音は聞こえていたのだが、まったくの無音である。


 佳乃の両足は何かを踏みしめているようで、しかし足裏に地面の感触はない。乳白色で塗りつぶされたような場所のため床や地面らしきものの判別はできず、浮いているにしては両足がしっかりと体を支えていた。空中に立っているが正しいのかもしれない。何にせよ味わったことのない奇妙な感覚だ。


 まずは手や足といった自分の体を確認する。ちゃんと存在しているし動かせる。視覚がおかしくなったということもなさそうだ。

 そうなればいよいよここはどこなのかと気になってくる。もう一度ぐるりと周辺を見渡した。


「まさか、私、死んじゃったとか?」


 誰もいない寂しさを埋めるよう呟いてしまったのだが、予想外のところから返答があった。


「……死んでいないよ」


 先ほど見た時は誰もいなかったはずなのに、改めて見るとそこには伊達享の姿があった。


「だ、伊達くん!? なんでここに」

「おかしなことを聞くね。ここに連れてきたのは僕なのに」


 佳乃が意識を失う直前、目の前にいたのは伊達だった。


 公園にて、伊達は見えないものを断ち切るのように手を振り下ろていた。伊達との距離は開いていたし、触れられてはいない。だというのにそこから意識がぱったりと途絶え、この不思議な場所にくるまで一切のことを覚えていない。

 得体の知れないものばかりで恐怖を感じ、佳乃は身構えた。


「ここはどこなの?」

「どこと言われても説明が難しい。君がわかるように言えば『11年前にも来た場所』かな」

「11年前……あけぼの山、もしかしてあの不思議な光の中とか?」


 乳白色の世界にヒントとなるものはなく、あけぼの山の豊かな自然は草一本見当たらない。

 だが思い当たる場所はそこだった。光の中にいるのだとしたら、このおかしな景色も納得がいく。


「でも私、こんな場所覚えてない……」

「君は11年前もここにきたよ。そしてここで呪われた」

「どうして、呪いのことを知ってるの?」


 やはり伊達は呪いの存在を知っているのだ。その確信を持って伊達に尋ねると、あっさりと返ってきた。


「知っているも何も、君に呪いをかけたのは僕だから」


 可能性の一つとして考えてはいたものの、実際に面と向かって言われると言葉が出なくなる。

 そんな佳乃を無視し、伊達は顔色一つ変えず淡々と告げていく。


「本来であれば僕の存在やこの空間を君たちに見せてはいけないんだけど。だけど君に見せてしまったからね、僕は自己防衛をしなければならなくなった」

「ぼ、防衛?」


 存在だの空間だのと理解し難い言葉ばかりで佳乃は首を傾げる。


 わかることは、目の前にいる伊達享がおかしいということだ。その表情は佳乃の知っているものではなく、伊達享の姿をした別人のようだった。口調も普段の穏やかな物言いではあるのだが、どことなく冷ややかで無機質なものを感じる。まるで機械とか感情のない生き物のようだ。


「防衛とは、君が僕の存在を口外しないようにすること。そのために君の記憶を改変し、このことを喋ろうとすれば罰を受ける呪いをかけた」

「それが嘘をつくとキスをされる呪い……」

「嘘とは『三笠佳乃の記憶』に基づいて判断を行っている。だから君が僕の存在について発言した場合、事実としては正しくとも記憶に残っていなければ嘘となる。そういう呪いだ」


 やはり八雲の推理は当たっていたのだ。この呪いは佳乃の記憶が重要であり、そのために記憶を操作していたのだ。


 だが疑問は残る。この空間や存在を隠すために記憶を改変し呪いをかけたとするのなら、なぜ剣淵に関して忘れてしまったのか。


「……じゃあ、剣淵は? 私の記憶から剣淵が消えていたのはどうして?」


 佳乃が聞くと、伊達の体がぴくりと反応した。表情や声に変化はないものの、体がかすかに震えた。


 伊達が一歩、佳乃へ歩み寄る。


「剣淵くんだから消したわけではないよ。たまたま、剣淵くんなだけだったんだ――まさか、こんな風に関わるとは思っていなかったけど」


 徐々に詰まる距離に怯えて後ずさりをする佳乃だったが、それでも伊達は足を止めず一歩ずつ迫ってくる。


 視線は佳乃をじっと見つめ、そして告げた。


「目的っていうのはね。三笠さん、君のことが好きなんだ」



 告白、にしては砂糖のように甘い空気はなく。伊達がどれだけ優しげな笑みを浮かべていても、瞳はしんと冷えていて好意の欠片も感じ取れない。まるで用意した台詞を読み上げているだけのような、あっさりとした告白だった。


「11年前に、転んで落ちてしまった君を見つけたんだ。泣くまいと歯をくいしばって耐えている姿がとても可愛くて、たぶん僕は一目惚れをしたんだと思う」

「でもあの時伊達くんはいなかったはず。落ちた時に見たのは不思議な光だけだったよ」

「本来の僕は、地球人には認識できない存在。だけど僕は三笠さんを自分のものにしたいと思ってしまった。だから君に光を見せたんだよ。そうすれば防衛のために君の記憶に介入できるし、僕も君の監視という名目を得て地球に留まることができる」


 告白かと思いきや、話が斜め上の方向に飛んでいく。

 何度も地球地球と聞いていればいよいよおかしな気持ちになり、目の前にいるのは伊達享ではなく伊達享のふりをした宇宙人や異星人と言われれば、信じてしまうかもしれない。


「君に近づくために記憶を改変し、親しい者――つまり剣淵くんを僕に変えたんだ。そうすれば僕は剣淵の代わりに君の信頼を得て、君に近づくことができる」


 光の中へ招き、記憶を改変し、呪いをかけた。すべては、伊達が佳乃に惚れてしまったがためだったのだ。

 まさか嘘の呪いの発端が一目惚れだったなんて、誰が想像しただろうか。

 唖然とする佳乃に伊達は苦笑する。


「でも失敗だった。剣淵くんがやってきて、それによって君の記憶が元に戻ってしまうなんて、計算外だったよ」


 人を好きになるということは佳乃も経験し、散々悩まされ、振り回されてばかりだった。会いたくてたまらない気持ちも、好きすぎて頭がおかしくなりそうな夜も知っている。


 だが、だからといって相手やその周辺を壊してまで手に入れようと思えるだろうか。伊達はその域に至って呪いをかけたのだろう。嘘つきとキスの呪い、それはまるで所有印のような。


 伊達は佳乃に手を差しだし、言った。


「だから君をここに連れてきたんだ。君の呪いを解くために」

「ほ、本当に呪いが解けるの!?」

「呪いをかけたのは僕なのだから、それぐらい簡単だよ。でも呪い解除のために再び君の記憶を改変しなければならない」


 呪いが解けるのならばと伊達の手を取ろうとしていた佳乃だったが、記憶改変と聞いて動きが止まる。


 どんな内容であれ記憶を変えられるのはいい気がしない。他人に頭の中をぐちゃぐちゃとかき混ぜられるようだ。どの記憶が狂わされてしまうのかわからず、それが佳乃にとって大切なものであれば悲惨である。


 瞬時に浮かんだのは剣淵のことだった。もしも剣淵のことがわからなくなってしまったら、佳乃自身もつらく、そして剣淵も傷つけることだろう。想像するだけで体が震えた。


「どうしたの? 呪いを解かなくていいの?」


 手を伸ばしかけたまま固まる佳乃に伊達が聞いた。


 呪いはもちろん解きたい。


 だが呪いから解放されたい思いと共に、伊達への不信感がある。どこまで記憶が変わってしまうのか、本当に呪いは解けるのか。


 伊達の微笑みも、佳乃の不安を煽っていた。それは、たとえば浮島が人を騙す時のような薄っぺらな笑みである。信用していいものかと判断に迷う。


「呪いは嫌だけど……でも、怖い」

「どうして?」

「私、伊達くんが信じられないよ。今日はたくさん話してくれた、呪いのことも不思議な光のこともわかった。だから怖いの。今日でたくさんのことを知りすぎてしまったから怖いの」


 不思議な光の中らしいこの乳白色の世界だって初めて来たような感覚でいる。

 しかし伊達は二度目だと告げるのだ。つまり一度目の記憶は変えられてしまっているのだ。もしもここで記憶をいじられてしまえば、いまのこともわからなくなってしまうのではないか。


 そして、今日で呪いについてたくさんのことを知った。11年間追い求めても得られなかった情報が、理解が追い付かぬほど次々と佳乃の前にやってくる。だから怖いのだ。知りすぎてしまったのかもしれない。ここで伊達の手を取って呪いの解除を願えば、たくさんのものを失ってしまいそうな気がする。


「僕を信じられないというなら構わないよ。でもここで呪いを解かなかったら、君の呪いは一生解けない。そして、君が呪われている限り、君は剣淵奏斗を傷つける可能性がある」

「――っ、それは……」

「三笠さんは、剣淵くんが好きなんだよね? でも剣淵くんはどうかな。呪われている女の子なんて不気味じゃないか。きっと剣淵くんは好きになってくれないよ」


 伊達の唇が剣淵の名を紡ぐたび、言葉が見えない針になってざくざくと突き刺さる。


 もしも呪いが解けたのなら剣淵とまた話せるだろうか。仲良くなれるだろうか。また好きになってくれるのだろうか。抑えていた感情があふれ出し、それは伊達に対する不信感を上回って佳乃の思考を支配した。


「呪いを解こうよ三笠さん。大丈夫、少しだけ記憶をいじるだけだから」


 差し出された伊達の手は、恐ろしいのだ。


 一度掴んでしまえば戻れなくなりそうな真黒い闇のようだと、佳乃も気づいている。



 それでも。呪いを解きたい。

 大切な記憶を失うとしても、後悔することになったとしても。


 呪いを解いて、また剣淵と話したいのだ。

 片思いでもいい、挨拶を交わす程度の関係でも構わない。呪いを解けば、剣淵に話しかける自信を得られる気がするのだ。



「お願いします。私の呪いを解いてください」


 佳乃の瞳に浮かぶ決意に、伊達は口元を醜く歪ませてにたりと笑った。

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