第37話 剣淵応援団

 三笠佳乃にキスをする時、剣淵はいつも不思議な感覚に襲われていた。

 頭がぼうっと痺れたようになって、眠ってしまったかのように意識を失う。そして気がついた時には唇が重なっているのだ。

 無意識のうちに行動をしてしまう理由を探し、浮島から『佳乃が好きだから』と言われてそれを信じていたが――呪いなのだと明かされれば納得する。


 好意よりも呪いの方が、あの不思議な感覚によっぽど相応しい。だから佳乃の口から呪いの存在を聞いた時、それをすんなりと受け入れた。

 呪いのことを黙っていたことは腹が立つが、それよりも呪いによるキスが好意によるものだと誤解していたため、目の前の存在に裏切られたような寂しさを抱いてしまった。


 ではこの感情は何だろう。抱いてきた三笠佳乃への想いがぽっかりと穴を開けて、喪失感を与える。好意は本物なのか嘘なのか。剣淵はそれすらわからなくなっていた。




 もやもやとした気持ちを抱きながら週末を迎え、剣淵は八雲と共に母親の墓参りに向かった。


 八雲との関係はまだぎこちないが、しかし緩和はされてきたように思う。二人で車に乗っていても、それなりの世間話ができるようになっていた。


「てっきり、佳乃さんもくるんだと思っていたよ」

 兄弟のドライブが終わり、霊園についた頃である。夕暮れの閑散とした遊歩道を並んで歩いていた時、八雲が言いだした。

「二人、仲がよさそうに見えたから、もしかしたら奏斗の彼女かな、なんて思ったんですけどね」

「ちげーよ。あいつとは何でもない」


 からかい混じりの八雲の言葉に、剣淵は乱暴に答える。


 こんな時まで三笠佳乃の名を聞きたくない。勘弁してくれと願いたいのだが、八雲は探りを入れるように再び佳乃について触れる。


「僕が帰った後、佳乃さんから呪いについて聞いたんでしょう? どうでしたか」

「別に。はた迷惑な呪いってだけだろ」

「おやおや。呪いをあっさり信じるとは」


 八雲はにたにたと笑っていた。

 その様子から見るに、呪いが発動して剣淵と佳乃がキスをしてしまったことを八雲は知っているのだろう。随分と知れ渡っているものだと呆れてくる。


 佳乃が喋ったのかそれとも菜乃花か。どちらにせよいい気分ではない。不快を示すようにじろりと八雲を睨みつける。


「僕は部外者ですから、奏斗と佳乃さんがどうなろうと知ったことではないですが……でも気になることがあるんですよ」


 三笠佳乃と呪いに関わりたくはない。そう決めているのだが八雲の発言が引っかかり、剣淵はぴくりと反応してしまった。


「僕たちは、佳乃さんの『ずれてしまっていた11年前の記憶』を元に戻している。佳乃さんの反応を見るに、『鷹栖』という名がきっかけとなって本来の記憶が戻ったのでしょう。しかしこれは良いことだったのか、僕はそれが気になっているんです」

「あいつの勘違いを正せたんだから、良いことなんじゃねーの?」


 それを聞いて八雲が首を横に振った。


「いいえ。では、自分が呪いをかけた側だったらどう思うか考えてみてください」


 剣淵は低く唸りながら、考えこむ。もしも自分が呪いをかけた側だったのならどう思うだろうか。佳乃に呪いをかけ、記憶を変えてしまうほどの目的があったはずだ。それが正しい記憶に戻ってしまったと気づいたら、きっと焦るだろう。


「よく思わねーだろうな」

「ええ、嘘の基準は佳乃さんの記憶です。そのベースとなる記憶が正しいものに戻ってしまった。それを呪いをかけた犯人が知ってしまったら――」


 佳乃の身に何が起きるかわからない。平和的なものであればいいがもし危害を加えられたら。

 想像しようとすれば妙に苛立って、佳乃に手を出すやつをぶん殴ってやりたいと考えてしまう。


「くだらねー話はいい。さっさと行くぞ」


 もう関わらないと決めたのだ。剣淵はかぶりを振って、思考から三笠佳乃を追い出した。



 遊歩道を歩き、目的だった場所についた時である。


「剣淵くん!」


 その場所になぜか、北郷菜乃花と浮島紫音が待っていた。いったいどういう組み合わせなのかという驚きと、またこの嫌な面子が揃ったのかと呆れたくなってしまう。


 ちらりと八雲を見やるが、その瞳が丸く見開かれていたことから、二人がいることを八雲も知らなかったのだろう。


「お前ら、なんでここにいるんだよ」


 面倒なことに巻き込まれるのではないか。苛立ちながら菜乃花と浮島を交互に眺める。

 しかし、いつもならここに混じっていただろう三笠佳乃の姿はない。それが剣淵に違和感を与えた。


「おい。三笠は?」


 いないことに気づくと、無意識のうちに問いかけていた。


 剣淵が聞くと同時に菜乃花が泣きだす。


「……連絡、つかないの」


 関わらないと決めていたのに、その言葉を聞いた瞬間、剣淵の肌がざわりと粟立った。動転し、足元から冷えたものが這い上がる。


「何があった?」

「佳乃ちゃんが、伊達くんに会いに行って……それで、それでっ、」

「あいつは伊達と付き合ってんだろ。会いにいくぐらいおかしなことじゃねーよ」


 だが泣きじゃくる菜乃花の様子は尋常ではない。喋ることもできず地に膝をつけて、堰を切ったように声をあげて泣き続けている。

 代わりに浮島が、一歩前に進み出て言った。


「奏斗、何も聞いてないの?」

「あ? 聞いてるも何も、俺はあいつと伊達が――」


 キスをしている場面を見た。だから付き合っていると思った。それを言いかけて、気づく。

 その時は知らなかったが、三笠佳乃は呪いにかかっているのだ。嘘をつけばキスをされるなんて、奇妙な呪いが。


「佳乃ちゃんと伊達くんは付き合っていないよ」

「じゃあ、あのキスは呪い、だったのか」


 だとするなら三笠佳乃は何の嘘をついたのか。瞬時に思考が巡る。それは剣淵の願望も込められていたのかもしれない。心臓がどくどくとうるさく急いて、答えを求めてしまう。息を呑む剣淵に対し、浮島が続けた。


「『伊達くんが好きです』って言ったら嘘になっちゃったんだってさ。伊達くん、フラれちゃったねぇ」

「……でもあいつは、伊達に会いにいったんだろ?」


 伊達は性格の悪い嫌な男だ。嫌がらせはしても、佳乃に危害を加えるようなことはしないのではないかと剣淵は考えた。それが伊達を信じる最終ラインだったのかもしれない。


 しかし八雲は違った。「うーん」と唸り考えこんだ後に呟く。


「11年前の話で、最も怪しかったのは伊達享くんでしたね」

「それに。伊達くんは、佳乃ちゃんが話していないのに呪いのことを知っていた。奏斗でさえ言われなければ気づかなかった呪いを、伊達くんはなぜかノーヒントで知っていたんだよ」

「じゃあ、伊達があいつに呪いをかけたってことか?」

「それはわからないけどね。でも危険な人物だと思う。佳乃ちゃんはそれを知りながらも、伊達くんの呼び出しに応じたんだ」


 伊達は危険だと知りながらどうして飛び込んでいくのか。剣淵は頭を抱えた。


「バカだろ。なんで、伊達に会いにいったんだよ」

「わからない? 佳乃ちゃん、呪いを解きたかったんだよ」


 嘲笑うような浮島の物言いに、剣淵は顔をあげる。


「呪いによって、誰かさんを傷つけてしまったからね。呪いが解けてきれいさっぱりな状態になったら、もう一度話ができるかもって思ったんじゃない」


 はっきりと名を告げなかったが、その誰かさんとは剣淵のことだろう。それを察して、剣淵はため息をついた。


 やはり三笠佳乃はバカだ。

 いまさら、呪いを解いたからといって、また好きになるわけではない。いまだって、佳乃のことが好きなのか自信がなくなっているというのに。


「俺は、別にあいつのこと、」


 好きじゃないと言いかけて、声が震えた。口にしてしまったら引き返せなくなりそうで躊躇う。そのわずかな間に浮島が言った。



「じゃあオレが迎えにいってくる」

「……は?」

「オレが探しにいって、佳乃ちゃんに告白する。佳乃ちゃんが何と言おうが、オレのものにする」


 にたりと口元は弧を描いているが、その目つきは真剣なもので、動こうとしない剣淵を冷ややかに見つめていた。


「奏斗は佳乃ちゃんが好きじゃないんでしょ? じゃあ文句ないよね、あの子はオレが守る」

「――っ、てめぇ!」


 好きじゃない、三笠佳乃は好きじゃない。

 暗示をかけるように心の中で唱えても、浮島の言葉に全身が熱くなり、苛立ちが体を支配する。


 弾かれるように浮島の元へ寄ると、その襟を掴みあげる。

 理由なんて考えられず、勝手に体が動いた。


 衝動に突き動かされるまま、頬を殴ろうと腕を振り上げた時――浮島が笑った。


「……なあんだ。奏斗も、佳乃ちゃんが好きなんじゃん」

「ち、ちが――」

「じゃあどうしてオレに掴みかかったの? ヒントださないと自分の気持ちと向き合えない?」


 浮島に煽られているのだと気づき、掴み上げた手の力を緩めていく。そして浮島から数歩ほど後ずさる。


 佳乃のことが好きだからキスをしてしまうのだと思っていた。無意識のうちにキスをしてしまった理由は、佳乃への想いなのだと結論を出していた。

 しかしそれは呪いが理由だった。だから三笠佳乃のことが好きなわけではないのだと、思っていたのに。


 ではなぜ、体が動いた。浮島が佳乃を守るといっただけで、体中の血液が沸騰したかのように苛立って、殴ろうとまでした。

 それだけではない。佳乃と連絡がつかず、その身に何かが起こったのではないかと考えれるだけで怖くてたまらないのだ。


 春から今日まで、たくさんの時間を共に過ごした。馬鹿げた呪いに振り回されてキスをしただけでなく、一緒に花火を見たり、勉強をしたり、あけぼの山にも行った。


 一度重ねた唇は忘れられなかった。四回目にもなれば驚きよりも心地よさの方が増して、離れることが惜しいとさえ思ってしまったのだ。たぶんそれほど、三笠佳乃が好きだった。


 一緒にいても緊張をしたり背伸びをすることもなく、自然体でいられる存在だったのだ。だから家にあげようと思ったし、どんな無茶をするのかと心配にもなった。


 いままでのキスが呪いによるものだとしても――思い返せばキスだけではない。見えない感情を重ねてきた気がする。


「奏斗、」


 ぽんと優しく、八雲に肩を叩かれて剣淵は振り返る。


「母さんの墓参りはこの次にしよう。いまは佳乃さんの方が大切だ」

「でも、俺は――」

「菜乃花さん。佳乃さんが向かった場所はわかりますか?」

「あけぼの町の公園だと言っていました。でもあけぼの町に公園はたくさんあるから、私たちじゃわからなかったの。でも剣淵くんなら、わかるかもしれないって思って……」


 そこで再び菜乃花は声をあげて泣く。


「お願い、剣淵くん……佳乃ちゃんを助けて」


 どくり、と心臓が跳ねた。

 三笠佳乃を失うのかもしれない。そう思えば、失恋したと勘違いした時よりも辛く、胸が張り裂けそうになる。


 しかし呪いのことを明かされて二人は喧嘩したままなのだ。果たして佳乃を助けにいく権利があるだろうか、と剣淵の足が重たくなっていく。


「俺が迎えにいっても、あいつは喜ばないだろ」

「いいことを教えてあげる。佳乃ちゃんが好きなのは『こいつ』だと思うよ」


 そう言って、浮島は人形らしきものを投げた。


 訳もわからず受け取ってみれば、それは汗を流して走っている、少し間抜けなハリネズミのマスコットがついたキーホルダーである。


 この人形が佳乃の好きなやつなのか。疑いつつじっと見ていれば、ツンツンと逆立った針や走っている姿は何かに似ている気がした。


「ついでに言うと、オレも佳乃ちゃんに告白したんだよね。でも好きな人は伊達くんでもオレでもなくて、そのハリネズミに似た野郎らしいよ」


 剣淵の頭に佳乃との会話が蘇る。あれは、佳乃に弁当箱のお礼としてタヌキのキーホルダーを贈った時だ。

 佳乃は『私がタヌキなら剣淵はハリネズミね』と言っていた。だとすれば佳乃の想い人というのは――


「クソッ、めんどくせーな!」


 叫びと共に剣淵が顔をあげる。そこに迷いはなかった。


「兄貴、車だせ!」

「わかったよ。菜乃花さんと浮島くんもくるかい?」


 八雲が聞くと、菜乃花は首を横に振った。


「私と浮島さんはお姉ちゃんの車できているので。ここは二手に分かれて、佳乃ちゃんを探した方がいいと思います」

「そうだね。何かわかったら、蘭香に連絡を入れるよ。そっちも何かあれば僕か奏斗に連絡をお願いします」


 そして走りだす。

 いつだって三笠佳乃に関われば、走らされてばかりだった。


 11年前だってそうだ。あの日に何もできなかった自分を悔やんで、今度は助けることができるようにと体を鍛えはじめた。元々走ることは好きだったが、しかし原動力となっていたのは11年前の一件である。


 太陽が赤く染まり、不安を煽るように沈んでいく。

 三笠佳乃に連絡がつかなくなってかなりの時間が経つ。無事を祈りながらあけぼの町へと向かう。


 長い夜が、始まろうとしていた。

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