第28話 呪いと罪を背負って
午前に来た道はあけぼの山の裏道だった。午後は別方面を歩いてみようと本道に向かえば、町人もよく利用しているのか裏道よりも整備されて歩きやすい。裏道と異なり、石を並べて階段となっている坂もある。
「手がかりっても難しいよねー。周り見ても草だらけでさっぱりUFOなんてないんだけど」
「そんな目立つところにUFOがあったら困る……でも懐かしいなぁ」
「佳乃ちゃんはこっちの道も通ったの?」
「うん。お世話になったおばあちゃんと一緒にくるときはこの道を使ったんだ。子供たちだけの時は、探検っぽい雰囲気を味わえるから裏道を使ったけど」
でも裏道を通ると怒られていた。町人でもよほどのことがない限り使わない道で、階段のない急な斜面があったからだろう。
「歩きやすいからオレはこっちの道でいいや。探検とか興味ないし」
「といいながら、浮島先輩もたったいま探検をしていますけどね」
ふふ、と菜乃花が笑う。どうやら言い返せなかったらしく、浮島は両手をあげて降参だとジェスチャーをした。
「……おばあちゃん、か」
先頭を歩いていた剣淵がぽつり、と呟く。
「そういや奏斗もあけぼの町の親戚の家にいたんだっけ?」
「あ、ああ……」
「もしかしたら佳乃ちゃんの知ってる人かもよ? 二人とも11年前の夏にここにいたんだからさ」
浮島の問いかけに対し、しばし剣淵は口を噤んだ。表情はわからないがきっと眉間にしわをよせて、話すかどうか悩んでいるのだろう。
長い階段となっていた斜面が終わり、ゆるやかな道に戻る。どうやらこちらの道は裏道よりも早く町に戻れるらしい。自然の濃さが薄れて、町の雰囲気が漂いはじめたところでようやく剣淵が口を開いた。
「ここはおふくろの故郷で、俺の祖母がここに住んでたんだ」
「へえ。奏斗のおばあちゃんか」
「つっても、11年前に死んだけどな。そもそも死ぬ前に『俺のばーちゃん』ではなくなったし」
その言葉に悲しみはなく、淡々としていた。11年もの年月が経っているから、というより剣淵自身が祖母への感情を捨てているようだ。
「話すとめんどくせーんだけど、まあいいか――11年前に、俺たち3兄弟とおふくろで町に帰ってきたんだ。あとでわかったけど、帰省の理由はおふくろとばーちゃんが話し合いをするためだったんだろうな」
「話し合いって……もしかして、離婚する、とか?」
佳乃が聞くと、剣淵は「勘がいいな」と頷いた。
「姉貴と兄貴は両親の離婚について知ってたらしいけど、俺はわからなかった。毎日毎日友達と遊んでばかりで、親がどうなるなんてまったく気づかなかった。でもその友達がいなくなって、寂しくなった頃に――おふくろが兄貴を連れていなくなった」
「お兄さんだけ、ですか?」
「ああ。兄貴は頭も運動も出来がよかったから、兄貴だけ連れて行ったんだろうな」
図体も態度も大きい剣淵なのに、どうしてかいまはその背が小さく見える。寂し気に丸まった姿が佳乃の胸を苦しめて切なく、この距離がなければ、剣淵の手を握りしめていたかもしれない。
「その後は親父が迎えにきて、俺と姉貴は町を出た。まあ姉貴は大変だっただろうな、家に帰ってからは俺と親父の面倒をみて母親代わりみたいな役をやってた」
「そっか、お姉さんが……」
「俺を小学生みたいに扱ってあれこれ押し掛けてくるからめんどくせーけど」
そう言いながらも剣淵は姉のことを嫌ってはいないのだろう。住む場所を貸し、さらに料理のまったくできない剣淵に食料を届けているのだ。内心では感謝しているのかもしれない。
ようやくあけぼの山が終わって町にでようかといったところで、菜乃花が聞いた。
「剣淵くんのおばあちゃんは11年前に亡くなったんですよね……ということは剣淵くんが町を出た後?」
ゆるやかな坂を下りて、山と町の境目のような役割となっていたアスファルトの上に降りる。全員が降りたところで、剣淵が振り返って菜乃花の問いに答えた。
「夏の終わりに、死んだ」
「……っ」
それを聞いた瞬間、佳乃の背がざわりと粟立った。
知っている、気がする。剣淵が語る話が、鮮明に映像化されて頭に蘇るのだ。
その人は脳卒中で亡くなったのではないか。葬儀の日は雨だったのではないか。聞いてみたいのに、怖くて口に出せない。
どう思いだしても、そこにいる男の子は剣淵ではないのだ。どの場面を浮かべようが、共にいる姿は伊達享である。
動揺しうつむく佳乃に気づかず、剣淵は再び山に入ろうとしていた。どうやら休憩なしでのぼるつもりらしい。浮島の猛抗議を無視して、剣淵は言った。
「俺がUFOを見たのはたぶん裏道だ。もっかい行くぞ」
***
UFOという単語を口にするとどうも具合が悪くなる。今日はまだ落ち着いていると思ったのだが、再びあけぼの山にのぼったあたりから嫌な汗をかくようになった。最初は疲労かと思ったが、ずきずきと響く頭の痛みは以前も味わったもので、疲労だけが原因ではなさそうだ。
本道を引き返して山頂に到達し、裏道にさしかかった時には、冷や汗どころか目も回る。皆よりも歩くペースが遅れて、最後尾を歩いていた。
「ないねぇ……どこらへんで見たか覚えてる?」
「道から外れて、どこかの斜面をおりたと思う。確か大きな岩か木があって、それに隠れていたはずだ」
「……うーん、おりるのには勇気がいるなぁ」
剣淵と浮島の会話も遠く聞こえる。荒い呼吸を繰り返しながら、木や草を掴んで支えにしていると、菜乃花が振り返った。
「顔が青いわ。休憩する?」
座って休めば楽になるのかもしれない。だが刻一刻と時間が減っていく中に休む暇はない。『大丈夫』や『平気』と答えてしまえば嘘になる。慎重に言葉を選んで佳乃は答えた。
「探そう。もうすぐ夕方になるから」
その一言で察したのだろう。「何かあったら言ってね」と心配そうに話した後、順番を入れ替えて菜乃花が最後尾となった。
前を歩く剣淵と浮島を見る。どうやら剣淵の記憶にあった岩もしくは木を探しているらしく、たびたび立ち止まっては斜面を覗きこんでいた。
「その友達はどこで消えたの?」
「覚えてねーな。ただ裏道を歩いている途中で後ろを振り返ったらいなくなってた。その後俺が勝手に探し回って、そいつを見つけたのはどこかの斜面を降りたところだ」
「やっぱ下に降りるしかないのかぁ……やだなぁ、泥まみれになったらモテなくなっちゃう」
「蹴飛ばしてやる」
立ち止まって話していた二人が再び動きだす。
佳乃もそれを追いかけて、坂をくだろうと一歩踏み出し、伸びた草を掴んだ――のだが。
くらりと視界が大きく揺れると共に、ぶちんと嫌な音が手のひらから伝わってくる。
まさかと慌てて自らの手を見れば、掴んだ葉は見事に千切れていた。その千切れた葉の後ろには歩いていたはずの場所があるのだが、角度が異なる。
視界の隅に空が見えたことで自分の体勢がおかしいのだと悟った。
「佳乃ちゃん!」
菜乃花の叫ぶ声がする。その時にはもう佳乃の体は落ちていて、足裏にあったはずの裏道の感触もない。枝を掴もうと手を伸ばすのだが間に合わず、鬱蒼と茂る草葉が体中にぶつかり、めきめきぶちぶちと嫌な音をたてていく。
そうだった――あの夏も、こんな風に落ちていったのだった。視界を流れるように駆け抜けていく草葉の緑色も、斜面の下に葉が溜まってクッションになるのもすべて同じ。
どす、と嫌な音と共に佳乃の足が地に着く。見上げると、三人がこちらを見ていた。
「三笠! 大丈夫か!?」
「佳乃ちゃーん、怪我はない?」
急な傾斜となっているが大人ならば登れる程度の高さだ。すぐに裏道へ戻ることができるだろう。
「大丈夫!」
そう答えて坂を上ろうとした時、ずきりと右足が痛んだ。落ちた時に足をくじいてしまったらしい。ゆっくり歩けばなんとかなりそうだが、この斜面をのぼることは厳しいだろう。
そこではたと気づく。みんなに答えてしまったが、落ちた時にはもう怪我をしていた。
佳乃が気づいていなかっただけで実は『大丈夫』ではなかったのではないか。嘘と判定され呪いが発動されるかもしれない。ここで呪いが発動したのなら、巻き込まれるのは剣淵か浮島か。
しかしいくら見上げていても二人の様子に変化はない。呪いが発動した時の、操られているような独特の空気は微塵も感じられなかった。
つまり、嘘とみなされていない。安堵しつつも、何かが引っかかる。菜乃花の言葉があったから余計にこの呪いについて疑ってしまうのだろう。この呪いの発動条件である『嘘』の基準とは何なのか。
「ごめん。ちょっと……のぼれないかも」
佳乃が伝えると、剣淵がすぐさま答えた。
「俺が行く。北郷と浮島さんはこのまま道なりに山を下りてくれ」
「でも、剣淵くんだけじゃ……」
「この下に道があるから、俺と三笠はそっちを通っていく。もしも俺と三笠がなかなか戻らなかったら、人を呼んでくれ」
菜乃花は不安そうにしていたが、浮島は頷いた。
土地勘のまったくない菜乃花や浮島よりも、幼少期といえあけぼの山にきたことのある剣淵に任せるのが正しいと判断したのだろう。
「三笠! そこで待ってろ」
剣淵の叫び声が聞こえてから、佳乃が落ちてきた時と同じように葉や枝の騒ぐ音が響く。見上げると、支えになりそうな太い枝を探し、慎重に下りてきている剣淵がいた。
運動神経のいい剣淵のことだから大丈夫だと信じている。しかし滑って落ちてしまうのではないかと恐ろしくて、目が離せない。
舞い落ちてくる小枝。見上げた時の夏の日差し。
剣淵の姿を見ていたはずなのに、頭の奥がぼうっと熱くなる。佳乃の記憶が、夏の思い出が疼いて騒ぎだすのだ。
確か、あの時の夏もこんな風に落ちたのだ――蝉の鳴く声に混じって、遠くの方から佳乃の名を呼ぶ声が聞こえていた。きっと彼は落ちてしまった佳乃のことを探していたのだろう。
幸いにも怪我はなかったのだが、立ち上がることができなかった。落下していく恐怖が頭から離れず、足が竦んで動けない。このまま家に帰れず、おばあちゃんにも両親やこれから生まれてくる弟にも会えないのかもしれないと思えば、視界がみるみるうちに滲んでいく。
でも、泣かないと約束をしたのだ。おばあちゃんの家に預けられて寂しさに毎夜泣いていた佳乃は彼と約束を交わした。
『泣くなよ。俺が遊んでやるからお前は一人じゃない』
その言葉が浮かんで、泣いてはいけないのだと自分に言い聞かす。汚れた裾で零れ落ちそうだった涙を拭い、ふと顔をあげ――そして見てしまったのだ。呪いがはじまる不思議な光を。
鮮烈に蘇っていく夏の記憶。その時に不思議な光を見た場所が気になって、佳乃は振り返る。夏の記憶をなぞるようにとったその行動は、思いもよらぬ眩しさを放っていた。
「え……?」
咄嗟に声をあげてしまうほど、明るい光。気づいた瞬間、その光は一気に広がって佳乃を包み込む。周辺にあったはずの緑豊かな景色はどこにもなく、辺り一面は薄青い光の世界となってしまった。靴底から伝わっていた地面の感触は失われ、ふわふわと体が浮いている気がする。
「な、なにこれ」
覚えている。あの時もこんな風に、不思議な光を見た。そして体の奥底をぎゅっと掴まれて縛り付けられるような、重たく嫌な言葉を聞いたのだ。
だが今回は何も聞こえてこない。しかし代わりに、うっすらと甘い香りがする。ぼうっとしてしまいそうなほど甘ったるくて、夢中になる香り。
「三笠! おい!」
両肩を揺さぶられ、剣淵の大きな声で我に返ると、あの不思議な光は消えていた。佳乃の足もあけぼの山の地面をしっかりと踏みしめている。
「何、ぼさっとしてんだよ」
「あれ……私っていま何してた?」
気づけば剣淵は坂を降りきっていた。服のいたるところに葉や小枝をくっつけ、手には泥がついている。
「突っ立ってぼんやりしてただけだ。俺が何回読んでもぼけーっとしやがって、どっか頭でも打ったのか?」
「でもあの光は……」
「光? んなもんなかったぞ」
先ほどの方角をもう一度見る。しかしそこは普段通りのあけぼの山だ。眩しいどころかじめじめとした空気が流れている。
「何か見たのか?」
佳乃の反応から察したのか、剣淵はひどく真剣な顔をしていた。UFOの手がかりがあるかも、と期待しているのだろう。
「不思議な青い光を見た。見たってよりも包まれたとかその中にいた、が正しいかもしれないけど」
「まじかよ……他に変わったことは?」
佳乃の言葉に剣淵はごくりと喉を鳴らし、絞り出された声はかすかに震えていた。その表情を見るに、剣淵にあるのは恐怖よりも長年求めていたものが近づいていたことに対する緊張だろう。
「光はすぐに消えちゃったけど……でも昔のことを思いだしてた」
「昔って、ここに遊びにきたって話か?」
「うん――昔ね、私がこの町で仲良くなった子がいたの。その子と『泣かない』って約束をしていたな、って」
佳乃がそれを口にした瞬間、両肩を掴む剣淵の指先に力がこもった。そして佳乃の顔を確認するように近づく。
「お前、やっぱり――」
「い、痛い! 肩、痛いんだけど!」
「……っ、悪かった」
めきめきと力が入って、それでなくても普段鍛えている剣淵の力だ。このまま両肩を握りつぶされてしまうのではないかと悲鳴をあげれば、慌てたように手が離れていった。
そして改めて、剣淵が佳乃を見る。
「その約束、覚えてる。泣くな、一人にしない、ってやつだろ?」
「うん。そう、だけど」
でも。佳乃の記憶にいるのは剣淵ではなく、伊達享だ。
この約束は伊達と交わしたはずなのに、どうして剣淵がそれを知っているのか。頭の中がごちゃごちゃになって、訳がわからなくなる。
「……お前があの時のやつ、なのか?」
身動きどころか呼吸さえも億劫になるほど強く見つめられて、混乱がさらに増していく。あの夏にあけぼの町で出会った子は伊達なのに、剣淵の鋭い眼光に晒されて、自信が失われていくのだ。
本当は誰だったのだろう。伊達なのか、それとも剣淵なのか。
だがほんの一瞬だけ。願ってしまった。
佳乃自身もどうしてその願いが浮かんだのかわからない。無意識のうちに、喉をすり抜けて唇からこぼれる。
「剣淵、かも」
そうだったらいいと、ほんの一瞬だけ、願ってしまったのだ。
唱えた瞬間。二人の間に流れていた空気が変わる。夏だというのに肌をさすような冷たい風が吹いて、顔をあげれば剣淵の表情は失われていた。瞳に不自然に輝き、それは散々佳乃も学んできた呪いの発動を報せるものだった。
ゆらりと影が迫り、浅はかな願いを抱いてしまった佳乃を責める唇が重なった。
きっといつもの剣淵だったのなら、佳乃の腰を支える手に力が込められていただろう。それこそ手加減なんか知らなくて、痛みすら感じるぐらいに。それがなく、ただ触れているだけの優しい指先がもどかしい。
これは剣淵ではない。呪いの発動によるキスなだけ。わかっているのに、距離の近さに鼓動が急いていく。重ねた唇から伝わる温度は火傷しそうなほどに熱く、触れているだけなのに体の芯まで溶かしていくようだった。
呪いを発動させてしまった佳乃が悪いのであって、剣淵は被害者だ。しかし四回目の口づけとなったからか罪悪感は薄れ、佳乃の心中にあったのは妙な高揚感だった。数秒ほど触れて離れていくことは予想がついているのだが、そのわずかな間を忘れてしまうのが怖くて、息をひそめて伝わってくる感触に思考を寄せてしまう。柔らかく形を変えた唇も、伏せ気味な瞳やまつげも、すべてが記憶に焼き付いていく。
それが、剣淵奏斗と三笠佳乃の四回目のキスだった。
唇が重なってしまえば呪いは終わる。その予想通り、剣淵の瞳に光が戻ったのは唇が離れた後だった。
「い、いま……俺、は」
腰に回していた手もくっついていた体も離れ、剣淵は数歩ほど後ずさる。それから佳乃をじいと見つめ、深くため息をついた。
「また……キスを、していたのか」
無意識のうちに佳乃にキスをしていた剣淵自身に呆れるような声だった。
「ご、ごめん……」
「なんでお前が謝るんだよ」
「え、っと……その……」
口ごもる佳乃を無視して、剣淵は背を向ける。そしてその場に膝をついてしゃがみこむと言った。
「乗れ」
「え? 乗れって、どういう……」
「あの落ち方、足くじいてんだろ? いいからさっさと背中に乗れ」
「いやいやいやいや! 私重たいから、剣淵を潰しちゃうかもしれないし――」
「うるせー! 黙って乗れ!」
何もそこまで怒らなくても、というほど怒声が響く。これに逆らっても剣淵の機嫌を悪化させるだけだ。それに右足の痛みを考えれば、背負ってもらえるのは大変ありがたい。佳乃が歩けば、山を下りるのは日が沈む頃になっていただろう。
意を決して、剣淵の背に身を預ける。両足が地を離れてふわりと浮いた瞬間、己の体重を思いだして逃げだしたくなったが、剣淵はぐらつくことなくあっさりと立ち上がった。
「帰るぞ。掴まってろ」
躊躇いながらも剣淵の肩を掴む。触れると普段見ているよりもがっしりしていて、いつだったか服を借りたがこれは佳乃が着ても幅や丈が余るわけだ。女性と男性の体つきの差というよりも、剣淵が普段から運動を好んでいることが現れているようだった。
このあたりの道は知っているのか、剣淵は淡々と歩いていく。草をかきわけて、裏道よりもずっと細いけもの道に出て、ようやく剣淵は口を開いた。
「前に、この道を通ったことがある」
「……うん」
「一緒に遊んでいたバカを見つけた後、そいつを背負ってここを通ったんだ」
それは剣淵なりの『覚えているか?』という確認だったのかもしれない。
けれど先ほど、佳乃の記憶は正しいのだと証明されてしまった。だからキスをした。呪いは、あの夏に出会ったのが剣淵だということを嘘だと示したのだ。
剣淵の期待を裏切ってしまう。だがこれだけは伝えなければならない。剣淵の服を強く握りしめ、泣きそうな声で佳乃は呟いた。
「ごめん……剣淵じゃないの。私は伊達くんと会ってる」
赤くなりだした太陽のように、しぼんだ言葉だった。
これを聞いて、剣淵がどんな表情をしているのかわからない。だが絞りだすように「わかった」と掠れた声だけが聞こえた。
「ごめん」
「謝るな。めんどくせーから」
「……ごめん」
「黙って背負われてろ」
どうしてあんなことを言ってしまったのだろうかと後悔がぐるぐる巡る。佳乃の頭に浮かんだ願いは無意識のうちに発していた。そしてキスの間も、罪悪感に勝る感情が佳乃を支配していた。
それでも。その感情はまだ消えてやくれない。ただ背負われているだけなのに、触れている箇所が熱くてくすぐったい。
剣淵が歩くたびに視界や体が揺れる。耳を寄せれば伝わってくる剣淵の鼓動が心地よくて、もっと身を預けたくなってしまう。そんなことを考えていると、剣淵の声が聞こえた。
「謝るのは俺の方だ」
さっきとはキスのことだろう。佳乃は何も言わず、返答のように服を掴む。
「そういえば前に『どうして私にキスをしたの』と聞いたことがあったよな」
「うん。春だったよね、懐かしいね」
「ああ。そのまま、黙って聞いてくれ」
そう言って、剣淵が小さく息を吸いこむ。砂利を踏む音が聞こえて、それから。
「お前が好きだ」
その簡潔な言葉が鼓膜を震わせ、心臓が暴れる。剣淵にも伝わってしまうかもしれないのに、急いていく鼓動が抑えられない。
『好き』という単語だけならば日常で飽きるほど使っているのに、剣淵が口にすればこんなにも温度が変わるのか。佳乃を占めるのは驚きとそれから喜びと――しかし、それは続けて聞こえてきた言葉によって落ちていく。
「どうしてお前にキスをしたのか、ずっと考えていたんだ。でも答えがわかった」
「え……」
「無意識のうちにキスをしてしまうのは、お前が好きだからだ」
がらがらと足元から崩れていくように、舞い上がりそうだった気持ちが一転して地に着く。
剣淵奏斗は呪いを知らない。これまで四回重ねた唇が呪いによるものだと知らず、それが好意だと思っているのだ。
キスは呪いによるものだと告げていたら、この告白は存在しなかった。
「剣淵! それは――」
「いい。わかってるから」
呪いの存在を隠し、剣淵を騙し続けてきた佳乃が悪いのだと伝えようとしたが、剣淵によって遮られる。
「お前が、伊達を好きなのは知ってる。だから言わなくていい」
「――っ!」
「俺も本当は言うつもりじゃなかった。でもさっきのことがあったからな、ちゃんと話しておいた方がいいかもしれねーって思った」
剣淵はそう言って、まるで笑っているような声をしていた。佳乃に気遣わせまいとしているのかもしれない。けれど片思いの苦しみは佳乃も知っている。それが伝わってしまって、そこまで剣淵を苦しめてしまったのだと後悔が襲う。
呪いのことを、剣淵に話すしかない。佳乃が隠してきたせいで剣淵を傷つけてしまったのだと、ちゃんと謝らなければ。
しかし佳乃の決意よりも早く、剣淵が再び言葉を紡ぐ。
「お前を背負ったのは、顔見られると恥ずかしかった。こういう話すんの、あんま得意じゃねーから……ずるくて、悪い」
いま、剣淵はどんな表情を浮かべているのだろう。気になるようで、しかし目の当たりにするのは恐ろしくもあった。いま剣淵の瞳に晒されてしまえば、呪いについて明かすと決めた気持ちが揺らいでしまいそうで。
「……剣淵、ごめん」
「謝るんじゃねーよ。わかってたことだ。学校で会ってもいままで通りにするから安心してろ。ちゃんと協力もしてやる」
そう言った後、剣淵が空を見上げた。
「UFO、見つからなかったな」
「……うん」
「お前が伊達と付き合ってなかったら、またUFO探しにくるぞ」
答えたいのに、胸が詰まって声が出せない。たぶんちらりと、剣淵の耳が赤く染まっているのが見えてしまったからだ。
伝わればいいと願って、剣淵の服を強く握りしめて顔を埋める。その温かさが体に染みこんで、安心してしまうから――やはり呪いのことを話さなければいけない。
沈んでいく夕日と終わるあけぼの山探索。それは呪いがこんなにも苦しいのだと知った日だった。
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