クリスマスの前日譚 後編 【朝霧美晴】

「あの……美晴?」

「んー?」

「その……夕飯の支度、とかは」

「大丈夫! ケーキ作る時間が終わったらやる! 今の時間は予定がなくなって暇なの!」


 小さなアパートの狭い台所はケーキ作りには狭すぎる。リビングのテーブルに広げられた各種の粉や液。ケーキになるためスタンバイする彼らも、まさかこのタイミングでパティシエが交代するとは思うまい。


「暇なら手伝ってもらっても」

「ごめん暇じゃなかった! 私にはリョウくんを見張る仕事がある! 美晴みはるだけに!!」


 ふかふかのソファにふっかり座る朝霧美晴のどや顔に、霧島涼介は苦笑いで応えた。


「リョウくん、細めに見えてしっかり筋肉あるよね」

「ずっとバスケやってたからな。というか、今更? 裸ならいつも見てるだろ」

「言われてみれば、いっつも顔ばっかり見てた気がする! 次は全身じっくり見てみるね!」

「それはそれで恥ずかしいんだけど」


 粉と液と共に並ぶ金属類に1冊の料理本、付箋はショートケーキのページ。霧島涼介は4人分を2人分に再計算しながら、テキパキ事を進めていく。


「手際いいねえ。プロみたい!」

「レシピ通り作るだけだし、誰にでもできるさ」

「お、言ったね? じゃあ来年もお願いしようかなー」

「格好が普通なら喜んで」

「えー? あ、じゃあ逆に私も裸エプロンする!」

「なんでそうなるんだ?」

「見たくないの?」

「…………見たい、です」

「素直でよろしい!」


 カフェオレもびっくりなアツアツべたべた激甘トークを繰り広げる二人。白濁液を金属ボウルに投入(豆乳ではない)した時、朝霧美晴はキログラム入りの砂糖袋を指差した。


「あ、ホイップクリームにはたっぷりお砂糖入れてね! 我が家の体重計は壊れてることにする!!」

「ああ、これ砂糖入ってないのか。分かった」

「えっとね、確か8パーセントから10パーセントが黄金比だって!」

「微妙だな。200mlだから、おおよそ15から20グラムか」

「ちょっとずつ味見して、あとはシェフのお好みで調整してね!」


 料理の苦手な人間は味見を軽視する傾向がある。味の現在地を逐一確認する作業はプロも欠かさぬ重要な行程。地図も方位磁針も持たぬ登山家はいない。仮にいたとて、遅かれ早かれいなくなる。


「ん、こんなもんかな」


 数回味見を繰り返し、オーダー通り少し甘めに。


「どれどれ」

「うわっ!?」


 驚き咄嗟に振り向く一瞬、ただ一点を狙い定めた攻撃が唇を捕らえた。

 口の中、甘いミルクの残滓を舐り取られる。肌を擦る布の感触、唯一の装備はあまりに頼りない。


「美味しそうだったから、つまみ食いしたくなっちゃった」


 小さな量りでグラム単位を細かく刻む作業、手元に集中するのも無理はない。背後に迫る影に全く気づかないのも無理はない。


「足りないなあ。全然足りない。もっと、ちょうだい?」


 押し退けようにも、スポンジケーキより柔らかい体に指が沈む。背に回された手が、筋肉質な肌をゆっくりと撫でる。


「涼介。トリックオアトリート、だよ」

「そ……それはハロウィンだろ!」

「ふふふ。いたずらトリックお菓子トリートも、おんなじ意味だけどね」


 聖なる夜に、甘い戯れを。

 ケーキが完成するまでには、まだだいぶかかりそうだ。

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