弟子の日常と女子会に行く魔法使い

「これで怖いものはなくなったぞ」


 青ざめたメティの両頬を、包むようにディエルは手を添える。しかし強すぎてぐちゃっと唇が押し出され、不細工顔になる。メティは涙ぐんだ。


「ディエルさん、止めてください」


 いろいろ思いの詰まった「止めてください」に怯んだディエルは手を放し、向かい側の席に座り直す。

 今二人がいるのは応接間だった。魔法部隊の面々は地下牢の囚人をどうするか話すため、別の場所で会議中だ。決まったらアルランド王国に、正式に苦情を言う予定である。


「こ、こんなのはいけません。アルランド王国に喧嘩を売るなんて、とても危ない行為です。あの国は先進国なんですよ。フォカレみたいな発展途上国が目をつけられたらどうするんですか」


 今回のことも、表沙汰にせずに秘密裏に遣り取りした方が良い。

 そういうメティにディエルは首を振って答える。


「だめだ。彼らは犯罪者だ」


 国の中でも好き放題やってきた魔法使いが勝手に他国へ来たのだから、国際問題にならないはずがない。というか、しないとまずい。あの国は何をしても反撃しないと見れば次は何をしでかすか。


 本人に自覚はないが、メティは目をつけられやすい。つけ込まれて強制送還されたら困るのだ。

 もともと下見のつもりでフォカレに来たメティは、移住はしたが国籍はアルランド王国のままになっている。これから説得してフォカレに籍を移しても間に合わない可能性がある。


「私、目をつけられているんですか?」

「むしろ亡命してほしいとすら思ってる」


 自覚がなかったメティは青ざめて挙動不審になる。手を上げ下げして慌てているのを見ながら、ディエルはため息を噛み殺した。


「ついでだから言っておくが、写本した物の中に変な請求書の情報が入ってたぞ」

「え!?」

「あと、二年前までの日記があった」

「愚痴とかいっぱい書いてあるので見ないでくださいー!」


 問題は日記の中身だとディエルは言う。

 会議に行ったはずの上司が、なぜか避暑地として有名なホテルの請求書をあげたとか、どこぞの官僚が騎士の上層部と密会してて仕事が止まったとか、少々言葉にするのははばかられる事柄から、なぜか帳簿の金額が合わなくて、調べたら二冊あった。でも上司にごり押しされて、元々の帳簿を魔法省の隠し金庫にしまってきただとか危ない情報も書いてあった。当然今回の件と併せて、アルランド王国を揺するつもりである。


 正直頭が痛い。一番の理由は、裏帳簿やら二重帳簿やらに気づいていながら、犯罪の片棒を担がされていたことに本人が気づいていないからだ。社畜になると正常な判断能力が欠如するのだろうか。


「そんなのありましたっけ……。次の日になると前日の記憶が曖昧で」


 つくづく社畜は人権無視されている。

 うんうん言ってるメティを見て半目になってしまったディエルは「とりあえず、これに署名してほしい」と言って契約書を出した。


「身元保証人ですか? ディエルさんが私の?」

「ああ。この件なんだが、尋問したら汚職歴が川の流れのように――いやなんでもない。とにかく、この国での立場をはっきりさせておきたいんだ。これからアルランドが何を言ってきてもメティの引き渡しを断れるようにしておきたい。今のままじゃ弱いから」

「そ、そうなんですね」


 聞けば、他の魔法使い達も契約書に署名したか、国籍を移すことにしたらしい。

 人生をやり直す決意で国を出てきたのだ。今更戻りたくないのはメティも一緒だった。


 するすると名前を書くと、インクを乾かすために息を吹き付ける。

 紙は魔法契約用の用紙であり、署名したら文書的拘束力の他、魔法的措置も執れる仕様になっていた。

 魔法省に就職したとき書いたのを思い出す。


「あの頃は夢と希望に満ちあふれて現実が見えていませんでした」

「いきなり落ち込まないでくれ……。まあ、これで大丈夫だろう。この件に関してはこちらでやるから、メティは家に帰ってゆっくりしてろ。リマス、用は終わったぞ」


 外で待っていたリマスは、ディエルに声をかけられると、そっと室内に入ってくる。不安そうな顔を見てしゃっきりしなければと気持ちを改めたメティは、次の言葉に顔を引きつらせる。


「速く頭の中の本を出して危ないことから遠ざかりましょう! ぼくも、お師匠様が浚われないように魔法の勉強を頑張りますから!」

「り、リマス……いったいどうしたんですか? 私は大丈夫ですよ」

「でも、皆さんおっしゃってます。お師匠様の頭の中にはブラックボックスがあって、出てくる情報がたまに国家機密レベルだって!」


 なので、最近は怪しげなメモ書きが混じってると、直ぐに騎士団長が呼び出されるらしい。正直に言うと、書いた記憶がない。

 治安維持隊にはよく会うが、騎士団長にはあったことがない。申し訳なさ過ぎて菓子折もって謝りに行こうかな、とメティが考えていると、


「気にしなくていい。おかげで弱みを握れて万々歳だそうだ」


 ディエルがなんとも言えない顔で呟く。


「あの、重ね重ねご迷惑を……」

「とにかく今は頭の中の物を全部出せ。内容は今まで通りで、隠さなくていい。というか変に隠されると後が大変そうだから止めてくれ」

「は、はい」

「お師匠様、頑張りましょうね」


 そうですね、と微妙な表情になりながらメティは頷く。もしかして自分は意外と大変なことをしてきたのだろうかと気づいたが、後の祭りである。全方位にどういう人物か触れ回った後なので取り繕えない。


 これも仕事ばっかりしてきたツケなのか、いやいや……などと悩んでいるうちに、メティは部屋を出た。思い悩むメティの手を引っ張るリマスは、手のかかる師匠を守ろうとキリリとした表情を作っていた。



 リマスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の魔法羊さんをモフらねばならぬ。


「毛生え薬は塗らないと効かないんですよー! もー!」


 牛のようにもーもー言うリマスの傍ら、魔法牛が「待て、機が熟すのを待つのだ」と言うように肩に前足を置く。二足歩行のムキムキ魔法牛の蹄の堅さが、リマスを正気に返らせた。


「でも、一体どうしたら……」

「モー」


 襲撃の後、半毛刈りにあった魔法羊は、意中の娘に見られたくないからとメティの家に預けられることとなった。リマスはメティと一緒に魔法羊の世話をする傍ら、畑作業にいそしみつつ勉強もすると言う、以外とハードな日常を送っている。


 忙しすぎたので、畑作業を手伝ってくれる人を探した所、動物園にいた魔法牛が引き受けてくれたのだ。仕事が終了したら……彼の願い通りステーキにして食べるつもりだ。


「うぅ」


 思わず切なくなってしまったリマスは鼻をすする。どうして魔法牛たちは人間に食べてほしがるのだろう。ベジタリアンになりたい。


「モー、モー」


 こっちに来るのだ、と言うように魔法牛に呼ばれ、リマスは現実逃避を忘れて玄関へ向かった。そこにはしょんぼり顔の魔法羊と幼女がいた。学校の魔法科の先生をしてるリーシャの妹だ。


「アンニャちゃん、こんにちは」

「あ、リマスくんこんにちは。羊がにげてたから、なわでつかまえてきたの」

「よくわかりましたね」

「はんぶん毛刈りされてるのは、この子だけだもん!」


 凄い使命を果たしたと言わんばかりに胸を張って、首の縄を引っ張った。

 実際、魔法羊を捕まえるのは骨だ。一緒に暮らし始めたグールクがいろいろ仕込んでいるせいだろうか。最近リーシャの兄弟達が凄腕の傭兵になりそうで、周囲がハラハラしている。


 お礼を言って縄を受け取った瞬間、魔法羊が逃げようと前足を高く上げる。その瞬間を狙ったかのように「とう!」とアンニャちゃんが足払いをかけると、魔法羊が転がった。


「ふふん! わたしからにげようなんて、ひゃくまんねんはやいの!」

「メー!!」

「モゥ!」


 やだやだーとだだをこね始めた魔法羊の縄を魔法牛が叱り、首の縄を引っ張った。その隙に持っていた毛生え薬を塗ると、くねくねと動いて嫌がる。


「もー! どうして嫌がるんですか。速く生えないとお家に帰れませんよ」

「メェ、メー。メーメー」

「……モゥ」


 わがまま言うな、とばかりに魔法牛が叱りつけると、だってだってと言うように尻尾を振る。


「メェー」

「モウモウ! モーモー」


 二匹が話し込み始めてしまったので、リマスはアンニャちゃんを家に招いてお菓子と飲み物を出して歓迎することにした。


「ねぇリマスくん。メティさんはどこにいるの?」

「お師匠様にご用だったんですか? 今はお城で女子会というのをしているんだそうです」

「じょしかい……」

「食べ物じゃないですよ」


 涎をすすったアンニャちゃんは「ちぇー!」と言ってお茶菓子を食べると帰って行った。

 薬を塗ってしまえば魔法羊に用はない。

 リマスは「お夕飯には帰ってきてくださいね」と動物園に魔法羊を連れて行くと、城へ向かった。


「お、リマス。お使いか?」

「お師匠様を迎えに行くんです」

「そうかそうか。工具棚ができたって大工の親父が言ってたから、帰りに寄ってやんな」

「ありがとうございます」

「リマス! どうしたんだよ。今日は暇なのか?」

「お師匠様を迎えに行くんですよ」

「なーんだつまんね! 今度遊ぼうぜ」

「分かりました」

「リマス、ちょうど良い所に!」


 などなど頻繁に声をかけられ寄り道すれば、あちこちからいろんな物をもらう。フォカレに元々いた住人が多いが、中には最近移住してきた人も多かった。


「リマス君、検診に行きたいんだけど場所が分からないの」


 大きなお腹をした妊婦さんに話しかけられる。最近あった戦争で亡命してきた人だった。旦那さんは後から来ると言う話で、今は南の専用区域に住んでいる。


「建物が複雑化してきましたから、ぼくと一緒に行きましょう」


 そう言うと彼女は喜んで手を差し出した。リマスは彼女が転ばないように気をつけながら病院へ送ると、やっと城へ向かった。

 水道が通り、下水処理場ができあがってから、急速に町の整備が進んだ。



 居心地が悪い。

 城下町の奥様方やお嬢さん達が集まって、入浴剤作りをするからとエイリーに誘われたのだが、メティだけは「初めてですからね!」という理由で一人だけソファーに座らせられていた。その周りには貢ぎ物のようにお菓子が積み上げられている。


 そして他の女性達は麻布に乗せた大量の葉をすりつぶしたり、粉を練り込んだりしている。

 女子会ってこんなだったのかな、と思いながらもそもそ食べていると、


「それではつまらないのではなくって? 姫様、すり鉢くらいお願いしましょうよ」

「あ、そうですね! メティさんできますか?」

「任せてください、これでも擦るのは得意な方でした」


 あまりにも暇そうにしていたメティに、奥様が持っていたすり鉢をメティに渡す。

 喜んで擦っていくと柑橘系の香りが広がる。


「凄く良い香りですね」

「はい! 兄様はこの香りが一番好きなので」

「ディエルさんが……ん? これはディエルさんの入浴剤なんですか?」

「そうですよ、言ってませんでしたっけ? お兄様の魔王化が進んじゃったので、お風呂で煮るんですよ」

「これで三十二回目でしたっけ? 陛下と違って殿下はやんちゃだから大変だわ」


 大鍋で煮るんですよ、と教えてもらった。

 眩暈のようなものを感じて思わず額に手を当てる。


「すみません、今日は女子会をすると聞いてきたのですが……」

「そうですよ。“女性による王子浄化委員会”略して女子会です! 手の空いているお母さん方が応援に来てくださいました!」

「先に教えて欲しかったです……。その魔王というのは何でしょうか?」

「魔を統べし新たなる法則を見つけ出した王です。私達の先祖で、フォカレの建国者ですよ。ハウゼン・エルリ・フォカレ。元々は南の流民でした」


 ハウゼンは剣闘士だった。

 彼は理由があって祖国を失い、国を転々としながら、この土地にやってきた。そして戦闘民族がそれぞれ土地を奪い合う中、今のフォカレに住む民達の祖先に受け入れられ、国を興したのである。


 ハウゼンは強い男だった。鋼のような肉体に卓越した剣の腕。一振りで岩を切り、精霊すらも叩き伏せ、豊かな水を砂漠にもたらした。


「そして死の淵に、ハウゼンは私達に契約と対価をくださったのです。鉄の体と、民を守る事。約束を違えればハウゼンの遺産は私達の体から流れ出るのです」

「それは……」


 まるで精霊のようだ。

 ふと自分が昔書いた論文を思い出す。


「ディエルさんが魔法を切れるのと関係があるのですね。でも、私に言って大丈夫なのでしょうか?」


 エイリーは首をかしげた。


「国の皆さんなら知っていますよ。隠していることでもありませんから」

「でも、狙われるのでは……」

「ああ! 時間がかかるだけでハウゼンの力は人の身でも習得できるのです。兄様みたいに傭兵稼業で出稼ぎをしないので、父様は使ってませんが」

「まぁ、滅多に見せないから、あまり外の人には知られてないみたいね」

「うちの旦那なんて、教えてもらったのに全然だめだったわ」

「血筋ではないんですね」

「同じ事ができても王子に敵う人なんていないわよ」


 そういえば戦闘民族に囲まれた国だったな、と思い出す。

 しかしこの穏やかな人達もそうだと言われても、いまいちピンとこない。しきりに首をかしげるメティに、女性達が笑う。


「ご飯が食べられるようになって、子供達は勉強っていうの? それをして良い仕事に就けるようになって、前よりずっと生活が楽になったわ」

「うちの子、選択が簡単になる魔法考えてくれてるのよ」

「あら、できたら教えてくださる?」


 話が和やかな雑談に移りそうになり、慌てて聞く。


「大鍋で煮るというのはどういうことですか?」

「使いすぎるとグレちゃうんです。精神が闇属性になっていくというか……最近の兄様はちょっと強引でしょう?」

「あー」


 図書館で逆さ釣りにされたのを思い出す。


「なので、お鍋で煮ながら歌を歌うんです。下手な人は過呼吸になるほど笑われますが――あ、兄様じゃなくてハウゼンが笑うので! メティさんも参加しませんか?」

「絶対嫌です!」


 何を言っているか全く分からないが、とりあえずハウゼンが嫌なやつなのは分かった。

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