刹那の夏、一瞬の邂逅

 西暦2094年、夏……くれの港を吹き抜ける風は、さわやかに髪をそよがせる。

 御堂刹那ミドウセツナにとって、この年の夏は何度目だろうか。

 幾度いくども繰り返す放浪の旅が、再び始まろうとしている。終わりも見えぬまま、次の世界線を無作為むさくいに選んで飛び込むしかない。はっきりしていることは、ここが求めていた終着点ではないということ。

 何故なぜなら、この地球は平和な時代を謳歌していたから。


「日本の夏は何度目か……何度目の失敗なのだ? こうしている間も、奴は……ッ!」


 海上自衛隊の制服を着ている刹那は、その姿は十代の少女をかろうじて抜け出た美貌にいろどられている。今まさに大人の女性へと脱皮する直前、そんな可憐な姿に自分では無自覚だった。

 今はただ、制帽を脱いで白い髪を風に洗わせる。

 もうすぐ、この世界とも別れの時間がやってくるだろう。

 リレイド・リレイズ・システムを使うのは慣れているが、やはり何度も死んで生まれてを繰り返す中で心は枯れていった。同時に、徐々に遺伝子情報が欠損し、肉体はその都度成長を忘れ続ける。


「……考えても詮無せんないことだな。やつに辿り着くまで、私は何度もトライし続ける。たとえこの身、この肉体が完全に消えるまですり減ってもだ」


 今、刹那は海をのぞむ甲板に立っている。

 この世界では、日本は民主主義国家で、この軍艦も国際自衛隊の所属である。このパターンは何度も経験してきたが、去る前の雑事をこれから片付けるつもりだ。

 ちらりと刹那は腕時計に視線を落とす。

 背後で声がしたのは、そんな時だった。


「やあやあ、ごめんごめん。レディを待たせてしまったかなあ」

「……いえ、今来たばかりです」


 振り返って刹那は、老人へと敬礼を返す。

 海上自衛隊の退役海将補たいえきかいしょうほ刑部志郎オサカベシロウ提督だ。

 これぞ好々爺こうこうやといった穏やかな表情が、同じ敬礼のあとで制帽を脱いだ。


「いやあ、若い連中が言ってる天才少女ってのは君だね? 御堂刹那一尉」

「天才かどうかはわかりませんが、おかしな奴だと気味悪がられてる自覚はあります」

「うんうん、そうかあ。僕は可愛らしくていいと思うけどねえ。気に入ったけど、どうだい? 広報の仕事でポスターの写真のモデルとか、やらないかなあ」

「……刑部提督、本題を話してもらってもいいでしょうか」


 志郎は奇妙な男だった。

 海自では変わり者で通してきた刹那から見ても、変わっている。それも変人のたぐいだ。そして、類は友を呼ぶという言葉を苦々しく思い出す。

 刹那は今回も、情報収集を円滑にこなすために軍人の道を選んだ。

 そして今、この世界での仕事は終わろうとしている。

 そんな彼女を突然、なんの面識もない志郎が呼び出したのである。


「刹那ちゃん。君の計画案は読ませてもらったよ? うん、いいじゃないか……僕の権限で、この天城あまぎを実験艦として使用する許可を取り付けたよ。来年度には予算も承認される」

「は、光栄であります……刹那、ちゃん? 提督、あの」

「僕も退役した身だからねえ。もうあれこれ大きなことはできないんだけど……この計画だけは、これからの日本に必要なんじゃないかと思ってさ」


 軍服が似合わず、とても軍人には見えない。志郎の第一印象は、刹那には違和感のかたまりに見えた。大きなことはできないと言うが、退役後も後進の育成のために国際自衛隊に残り、こうして陰ながら国家規模の大計画を押し通すだけの影響力を持っている。

 食えないじいさんだと、刹那は思った。

 最も食えないのは、その人懐ひとなつっこい笑顔だった。


「さて、刹那ちゃん。きみの計画……領宙圏内りょうちゅうけんないにおける国防のための艦隊運用計画、目を通させてもらったよ。なかなか面白かったし、うん、いいんじゃないかなあ」

「はあ」

「……これ、宇宙自衛隊の新設とかじゃ、駄目なのかなあ? まあ、そっちのほうが時間もお金もかかるんだけどねえ」


 ――領宙圏内における国防のための艦隊運用計画。

 要するに、航宙戦艦こうちゅうせんかんを造ろうというものだ。

 この世界は平和だが、それは大国間のバランスが極めて危うい均衡を保っているからに過ぎない。今が平和というだけで、それが永遠に続くとは誰も保証できないのだ。


「提督、今後人類の活動領域が宇宙へと広がることは明白です。その時、事前に宇宙での艦隊運用の経験は財産になるでしょう。たとえ、この天城一隻、単艦でもです」

「そうだねえ。あと、国民受けはいいかもなあ」

「最終的には、国際自衛隊の内部に第四の軍、宇宙自衛隊が創設されるでしょう。しかし、先の大戦でも……第二次世界大戦でも、航空機が大きなウェイトを占める戦場が主になったにも関わらず、日本は陸軍と海軍しか存在しませんでした」

「うんうん……困っちゃうよなあ、陸軍も海軍も別々の飛行機使うし、機銃の弾丸だって別々で口径もバラバラときてる。でも、よく知ってるねえ、刹那ちゃん」

「……提督、あまり茶化ちゃかさないで頂きたい。そう、今の国際自衛隊も同じです。いずれ宇宙での戦いを想定する事態が訪れる、これは必然です。だから、今は陸自と空自、そして海自でそれぞれにノウハウを貯めるしかない」

「それで、この天城を宇宙戦艦アマギにしちゃおうってんだから、はは。まあ、漫画の世界だよね。各方面に話を通しちゃった僕が言うのもなんだけど」


 志郎は振り返って、空にそびえる艦橋構造物へ目を細める。

 この艦は、海自で唯一の砲打撃戦用護衛艦ほうだげきせんようごえいかん……ようするに、である。

 艦名は、天城。

 志郎は現役時代、この老巧艦ロートルで世界各地への派兵要請に応じた。中東から南米、はては北極海まで、様々な海で専守防衛を体現してきたふねなのである。

 刹那の計画では、廃艦寸前のこの天城を改装、改造する予定だ。

 そういえばと、刹那は思い出す。

 スクラップにするにも金がかかるこんな艦が、そもそも何故存在するのだろうか? この時代、洋上艦と言えばイージス駆逐艦か空母である。それ以前に、海の主役は潜水艦になって久しい。


「提督、一つ質問をよろしいですか?」

「ほいほい、なんでも聞いて頂戴ちょうだい。あ、そうだ。あめをあげよう。難しい話をすると、脳が糖分を必要とするからね」

「結構です。それで」


 そう、今になって疑問が強まるのを感じた。

 だから、それをそのまま志郎に聞いてみる。

 もう何十年も前の話だが、周囲の大反対を押し切ってこの天城の建造を推進したのは、この刑部志郎なのだから。


「どうして、今の国際自衛隊に巡洋戦艦が必要なのですか? お教え願いたい、提督」

「んー、いらないと思う?」

「必要ないと感じます」

「ま、どんな兵器も……必要とされない時代、必要ない世界が一番なんだけどねえ」


 制帽を被り直して、志郎はしばし黙考する。

 少し離れた距離では、彼の護衛の者たちが何度も時計に目を落としていたのだ。この老提督は退役しても、まだまだ忙しい日々を送っているらしい。

 やがて、志郎は刹那にだけ聴こえる声を静かに絞り出した。


「一つは、造船大国日本の軍艦技術を保存するため。大戦後は、このクラスの艦艇を建造する技術が失われつつあった。それは、一度失われればロストテクノロジーになってしまうからね」

「……大型の艦艇を建造する技術の保存、伝承のためだと?」

「それが一つ。もう一つは――」


 志郎の目が、真剣さを帯びた。

 その瞬間、刹那は老人の別の顔を知る。

 それは、冴え冴えとしたカミソリの輝きを感じさせた。


「航空機による制空権確保、戦略爆撃による絨毯爆撃じゅうたんばくげき、そして無人機によるピンポイント爆撃。現代の戦争は多くのファクターを航空戦力が握っている。これはいいね?」

「言われるまでもありません。……ま、まさか」

「そぉ、そのまさかさ。もしだよ? もし、今後……が生まれ、それに基づく兵器が戦場の主流になったら……さて問題です、海自は有事に防衛行動としてどのような戦闘行為が予想できるでしょうか、ってね」


 刹那は戦慄した。

 ここは、無数に渡り歩いてきた世界線の一つ、そしてあの男が逃げ込んだ場所ではない。ここにはパンツァー・モータロイドもないし、監察軍かんさつぐんと名乗る異星人の襲来もない。無限に等しい数だけ分岐する可能性の、その一つに過ぎないのだ。

 だが、まるで志郎は新地球帝國しんちきゅうていこくを……最後の世界でパラレイドと呼称される人類の敵を、予見しているかのような口ぶりだったのだ。

 だが、すぐにへらりと笑って志郎はほおを崩す。


「なんちゃって、ね! まあ、軍人たるものは常に最悪の事態を想定しておくんだよ。それにほら、天城は君のおかげで最後の仕事ができた。ありがとう、刹那ちゃん」

「そっ、そそ、それは! 私は、去る人間なので! せめてなにかと……思う訳でありまして」

「退官しちゃうんだってねえ? ひょっとして、結婚? 家庭に入る? ……あ、こゆのは若い人にはセクハラになっちゃうんだっけねえ。ゴメンゴメン」


 不思議な男だと思えば、不思議と刹那は鼓動が高鳴る自分が不思議だった。

 だが、身を正して志郎は敬礼し、チャーミングなウィンクをよこしてくれる。


「御堂刹那一尉、天城のために……日本と世界のために、色々とありがとう。人生は船旅にも似て、まだまだ波高しといったところだけど、うん。元気でね、刹那ちゃん。よい航海を」

「は、はあ……あ、はい! ほっ、本日はありがとうございました」

「うんうん。ま、なにかあったら何でも連絡して頂戴。力になれることもあるからね」


 そう言って、気安く志郎は刹那の頭をポンポンと撫でた。

 そして、行ってしまった。

 気付けばその背を、刹那は熱い眼差まなざしで見詰めてしまう。

 そんな馬鹿なと思う。自分はもといた世界では、小さな息子もいた人間だ。その子は夫と一緒に消し飛んでしまったが、消えない傷を刹那に刻んだ。んだ痛みが憎しみと恨みを募らせ、刹那に戦う力を与えてくれた筈だった。

 だが、そんな中で刹那は……初めて、次の世界線に行きたくなくなっていたのだった。

 だから、護衛に守られ去ってゆく志郎を、見えなくなるまでそっと見送る。


「……おさらばです、刑部提督。提督はこの平和な世界で、年齢を重ねてください。生きて、ください。私は――」


 ――私は、さらに自分の成長を削って、大人である未来を生贄いけにえにして進みます。

 そう、刹那たちに立ち止まっている時間はない。一人の狂った男が、禁忌きんきのシステムによって異なる世界線へ戦乱を持ち込もうとしている。それを追うために、刹那たちもまた同じ手段に手を染めた。

 大人であるための全てを捨てた、呪われた子供たち……その名は、リレイヤーズ。

 この世界の行く末を見届けぬまま、再び刹那は旅立つ。ただ一つ求める、唯一の時代……リレイヤーズ同士の決戦の舞台、戦いの時代を探して。

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リレイヤーズ・クロニクル ながやん @nagamono

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