未来の思い出、あるいは抗う者達の断章

彼女が彼女でいられた日

 広大な基地の敷地内に、妻帯者さいたいしゃ向けの官舎が並んでいる。

 パンツァー・モータロイドのパイロットはエリートなので、ややこじんまりとした家だ。瀟洒しょうしゃな一軒家という形容がピッタリで、五百雀千雪イオジャクチユキは少しうらやましい。

 家庭を持つことも、伴侶はんりょと一緒に子をなすことも。

 玄関の呼び鈴を鳴らすと、小さな足音が駆けてくる。

 不意にバン! とドアが開いて、小さな男の子が飛び出してきた。


「なにものだー! かんせーめーをなのれー!」


 軍の礼服を着込んだ千雪を見上げて、男の子は瞳を輝かせる。

 千雪は小さく笑って、かわいい上官殿に敬礼してから屈み込んだ。


新地球帝國軍第707戦技教導団しんちきゅうていこくぐんだいナナマルナナせんぎきょうどうだん所属、五百雀千雪大尉です。摺木スルギ家への上陸許可を願います、大佐」

「うーむ! じょーりくをきょかすゆー! わーいっ、チユキおばちゃんだーっ!」


 抱きついてきた幼子を抱き返し、軽々と千雪は抱き上げた。

 このかわいくてやんちゃな大佐殿は、千雪にとって特別な子供だ。

 好きな人の血を受け継ぐ者、そして敬愛する兄の一字をたくされた者。

 でも、そんなことなどこの子には関係ない。

 祝福された平和な未来が、その無限の可能性が広がっているのだ。


統馬トウマ君、いけませんよ? 千雪おばちゃんではなく、千雪お姉ちゃんです」

「うんっ! チユキおねーちゃん、またクンショーつくったよ? あとであげるね!」

「いつもありがとうございます、統馬大佐。ちゃんとお母様のお手伝いをして、いい子にしてますか?」

「してるよー! ボクはたいさだから、チユキおねえちゃんはそんなこといわなくていいのー!」

「はいはい、わかりました。そうでしたね、統馬大佐」


 再びドアが開かれたのは、そんな時だった。

 奥から、エプロン姿の女性が飛び出してくる。

 確か、自分と同い年だから……25歳だ。

 摺木りんな、旧姓更紗サラサりんなが笑顔で出迎えてくれた。


「お疲れ、千雪! 元気だった?」

「ええ。統矢トウヤ君は忙しいみたいですね」

「そうなのよー、全然連絡もよこさないのよ? なんか、典型的な仕事馬鹿になっちゃって」


 りんなはすぐに、千雪に抱きつく自分の息子をひっぺがした。


「こーら、統馬! ちゃんと挨拶したの?」

「したもん! うむ、チユキたーい、ごくろー!」

「もう、どこでそんなの覚えてくるんだか。さ、上がって上がって! 散らかってるけど」


 そう、ここは摺木統矢がりんなと結婚して暮す家だ。

 統矢は現在、皇帝団警護大隊インペリアルガードナーに所属し忙しい日々を送っている。一つの国家に統一されたこの地球でも、彼は五本の指に入るPMRパメラ乗りだ。昔は同じ部隊でくつわを並べた千雪だったが、ついぞ秘めた想いに気付いてはもらえなかった。

 統矢にとって千雪は、よき相棒であり、信頼できる副官。兄弟同然の先輩の妹で、唯一背中を預けられる存在。でも、そんな彼が愛したのは目の前の女性なのだ。

 玄関をあがるとすぐ、統矢の存在をそこかしこに感じた。

 好きな人の匂いが、微かに感じられる。

 リビングで千雪をソファに座らせ、りんなはダイニングで繋がったキッチンへと駆けていった。解放された統馬が、とてとてと再び千雪の元にやってくる。


「千雪、仕事はどう? かつて【閃風メイヴ】と恐れられた鬼教官に、みんなびびってんじゃない?」

「上手くやれてる自信はありませんが、なんとか。……私は、ものを教えるのは向いてない人間ですから」

「またまたー! 千雪はわたしが知る限り、世界で二番目に強いパイロットだぞ?」


 ひざによじ登ってきた統馬が「だぞー」と笑う。

 その柔らかな髪を撫でながら、千雪はくすぐったい感情にはにかんだ。

 今でもやっぱり、少し切ない。

 ずっとまだ、統矢を好きなままだ。

 でも、行き場のない想いが重く濁って、我が身を熱くいても……焦がれてさいなまれる気持ちさえ愛おしい。多分、死ぬまでずっと千雪は統矢のことが好きだろう。


ちなみに、一番はどなたでしょう。戦技教導団を預かる身として、気になります」


 お茶の用意をしてきたりんなは、満面の笑みでのろけてくれた。


「そりゃー、わたしの旦那様、統矢に決まってるっしょー! なんてな、わはは!」

「そう、ですよね……確かに、統矢君の操縦はあらゆる局面で洗練されています。それでいて、全くパターン化されていないナチュラルな操作、判断」

「おーい、千雪? ここ、突っ込むとこなんだけど。うん、まあ……あいつ凄いよね」

「ええ」


 りんなが嫌な女だったらよかったのかもしれない。

 でも、統矢と幼少期から一緒だったこの女性は、今や千雪にとっても親友だ。悔しいくらいに憎めなくて、うとまれれば楽ではと思う程だ。

 りんなはきっと、千雪の胸の内に気付いている。

 でも、千雪から統矢を取り上げないし、統矢を隠したりもしない。

 その気になれば、統矢に言えるはずだ……千雪とあまり親しくしないで、と。

 信用されているし、信頼がある。

 夫のよき戦友としての千雪を、同じ戦友だったりんなは信じてくれているのだ。だから、ますますりんなを嫌えなくて、千雪はずっと自分を律してきた。


「ねー、チユキおねーちゃん? ケーキもあるろー?」

「ほらほら、統馬! 千雪の膝から降りなって」

「やら! ママよりチユキおねーちゃんがいい」

「お前はもー……ごめんね、千雪」


 全然構わないと伝えれば、それが嘘偽りない言葉として伝わる。

 りんなはサバサバしていて気が置けないし、下手な嘘は通じない。そして千雪には、彼女に嘘をつく必要がなかった。

 ただ、自分が軍人として守るべき存在が今、膝の上にいる。

 統矢の血を受け継ぐ、命の重さが確かに温かい。

 お菓子に手を出し始めた統馬を撫でながら、千雪は訪問の理由を思い出した。


「りんなさん……軍に復帰するそうですが」

「そだよん? 統馬の育児も一段落したしね」

「……い、一応、その、調べて、しまい、ました。どんな任務か、えっと、気になりまして」

「ちょっと統馬! こぼれてる! 千雪のスカートにこぼれてる! ……ん? ああ」


 少し後ろめたかったが、千雪はりんなの軍への復帰を調べた。彼女もまた、新地球帝國軍にその人ありと言われたエースパイロットである。

 だが、高度な機密扱いで、千雪のアクセスコードでは情報開示ができなかった。

 軍の中でも、皇帝団警護大隊と並ぶ最精鋭、戦技教導団の隊長でもだ。

 もしや危険な任務ではと、心配して駆けつけたのである。

 統馬をよいしょと取り上げ、りんなはスカートに散らばったお菓子を綺麗にしてくれた。そして、統馬を抱いたまま見下ろしてくる。


「ふっふっふー、流石さすがの千雪もわかるまいー! ってね、まあ……ちょっと極秘任務」

「危険はないのですか?」

「さあ? 宇宙は未知の脅威があったりなかったり? なんてな、ニシシ!」

「ふっ、ふざけないで、ください……その、りんなさん……貴女あなたになにかあったら、統矢君が。わっ、私だって、悲しい、です……きっと、泣きます」


 つい、言葉に熱がこもってしまった。

 引かれたかもしれない。

 だが、りんなは統馬を抱いたまま、もう片方の腕で千雪の頭を抱いてくれた。ふわりと柔らかな体温が浸透してきて、これが母親の匂いなのかと千雪は驚く。

 安心させるように千雪の背をトントンと叩くと、りんなは少しおどけてみせた。


「千雪、そこまでわたしのこと……よし、結婚しよ! わたし、統矢と別れて千雪を嫁にする!」

「あ、ずるいろー! ママ、だめー! チユキおねえちゃんはボクとけっこんすゆの!」

「お、統馬がお嫁さんにもらうのかー? じゃー、ママは千雪のお義母かあさん……しゅうとめさんになっちゃうぞー! 嫁いびりするぞー!」

「キャハハ! ママ、らめ! らーめ! チユキおねえちゃん、いじめちゃ、らめ!」


 なんて温かな家庭だろう。

 統矢が選んだ、統矢の帰るべき場所。一緒に生きてゆく家族。そのどれもがまぶしくて、直視すれば瞳を潰されてしまいそう。でも、ほのかな温かさがとても心地よい。

 だが、りんなはそっと千雪から離れると、真面目な表情を作った。


「実はね、宇宙に上がる。千雪さ、信じられる? ……宇宙人て、信じる?」

「宇宙人、ですか……はっ! ま、まさか」

「あ、戦争するんじゃないんだ。まだしない……ってか、戦争にならないようにするの」


 驚くべきことに、りんなは地球と異星の知的生命体と会うという。極秘に選ばれた使節団と共に、月の裏側で会談が行われるのだ。

 今、地球は一つの国家として一繋ひとつなぎになった。

 国境は意味を喪失し、人の目は平和の中で外宇宙へと向いている。

 その見据みすえる彼方から、異なる星の生命がやってくるらしい。


「使節団の護衛、これはね……腕っこきのベテランPMR乗りが必要だけど、下手に人員を動かせば気取けどられる」

「気取られる……敵対勢力がいるんですね?」

「そ、異星人との交渉に反対する一派がいてさ。だから、千雪や統矢達を使う訳にはいかない。で、このロートルりんな様に白羽の矢が立った訳!」


 千雪は毎日、PMR乗りを目指す若者達と接しているからわかる。恐らく、りんなの腕は全く落ちていないだろう。操縦桿スティックを掃除機とフライパンに持ち替え、フットペダルの代わりに自転車のペダルをいで幼稚園とを行き来しててもだ。

 自分達と同じ、この地球で最高峰のエース、それがりんななのだ。


「千雪、一つだけお願い、頼めるかな?」


 真剣な母の顔に驚いたのか、統馬は黙ってしまっていた。そんな息子にいつもの笑顔を向けてから、りんなは迷いなく言葉を選ぶ。


「なんでしょうか、りんなさん。私にできることなら」

「千雪にしかできないこと、だよ? ……もし、わたしがいない間に統矢が」

「りんなさん! それは無理です! 嫌です……いなくなられては、困ります」

「はは、もしもの話! もし、わたしの不在中に統矢がなにか失敗をしでかしたら。ほら、あいつって結構無鉄砲むてっぽうで周りが見えないことがあるから」


 よく知ってるし、すでにりんなとの間で共有されてきた人となりだ。統矢は真っ直ぐで正義感が強く、りんなの尻に敷かれてきたが……本当は常に、ギリギリのところでは彼がりんなを守ってきたのだ。

 そんな彼の、正しさゆえの危うさ、強さゆえのもろさは千雪も気になっていた。


「統矢が間違ったら、助けてあげて。支えて、正して、それで駄目なら」

「駄目なら……?」

「バチーン! って、ひっぱたいてあげて! いい? 女と女の約束! お願いねっ!」


 千雪は呆気あっけにとられたが、黙ってうなずくしかなかった。

 それが、りんなとの最後の思い出で、彼女は永遠になってしまった。

 時間を超えた存在として、千雪達の心の中へ去ってしまった。そして、世界線をも超えるシステムへと組み込まれてしまったのだった。

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