第28話 エピローグ アカルのまじない


 大きなほうきで掃いたような雲が、青い空にたなびいている。お天道さまの柔らかい光が降りそそぐ中を、赤や青の大きな秋津あきつ(トンボのこと)が、葦の原を飛びかっている。

 今ごろ、故郷の金海キメの田んぼは、たわわな稲を実らせて、その名の通り金色の海のように輝いているだろうか。そんなことを思いながら、パムはみんなの後ろを歩いていた。

 先頭には鵺に乗ったソシモリがいる。

 相変わらず鵺の上でくつろいで寝転がっているのだから、ソシモリの旅というのは楽なものだ。その横をいつもの連中が、いつもどおり、わいわいとにぎやかに歩いていた。旅も終盤。故郷が近くなると、誰もがやはりうれしいようで、自然と笑い声も多くなる。


 気比の浜へ着くころには、もうすっかり季節は秋になっていた。冷たい風が心地よい。パムは大きく息を吸い、秋の空気を飲みこむ。和國にきて、三月がたっていた。そしてここはパムとソシモリが初めについた浜。透けるように美しい遠浅の青い海、キラキラと輝く白い砂浜、砂浜を縁取るように並ぶ緑の松林。その海にはいつものように、何人かの気比の村人たちが、漁をしていた。上半身裸の男たちの身体には、黒々とした刺青がうねっている。気比の海人の証拠だ。

 銛をついていた気比の村人たちが、鵺を見つけると、とたんに騒ぎはじめた。


「鵺や!」 

「うわっ土蜘蛛の連中や!」

「ほやほや、鵺の上にツヌガアラシトもおるで!」


 土蜘蛛の目印である、鵺の姿と、毛皮の腰巻に驚き、思わず銛を構え海の中をこちらに向かって走ってきたのだが、近づくにつれ「あれ?」と首を傾げはじめた。


「あんたら本当に土蜘蛛か?」

「なんだかいい身なりになっとるやないか」

 

 ハハカラたちは顔を見合わせて笑った。


「そうだろう! 出雲のいい衣をもろうてきてん」


 キジは赤にみずちの模様の入った衣をわざわざくるりと回って見せびらかす。


「いいじゃろう? これなんぞは、出雲と丹波で誂えてもらった武具じゃあ!」ジリも鉾を振りまわしてみせる。

 ハハカラは「それより、長老に伝えてくれ」と気比の連中に向かい、真剣なまなざしを向けた。


「わしらは、猩々を倒すための道具を手に入れてきた。猩々が現れたら、わしらを呼んでくれれば、倒すことができる。これからは、猩々に悩まされることもなくなるだろう。そう、長老に伝えてくれるか?」


 白い巫女の衣を身につけた女が、手に持った青い比礼ひれを気比の村人たちに見せた。アカルである。しかし、手を突き出したアカルは顔を苦々しくしかめていた。


「えー。んじゃ猩々が出るたび、わたしがいちいち呼ばれるわけ? なんで知りもしない人たちを助けなきゃいけないのよ。このわたしが」

「まあ、そういいなさいますな」ユタが笑った。

「それも修行だとカヤナルミさまもおっしゃってたでしょう」


「あのオニババア」アカルは小さく毒づいた。


 気比の刺青だらけの漁師たちは、猩々を倒してくれると聞くと、涙を流し、拝みだした。そしてアカルの手をとり、次々と「お願いしますわ」と頭を下げていく。

 噂を聞きつけて、次第に漁師やら、気比の女たちやらが、ワイワイと浜に集まってきた。アカルはあとからあとから増えていく刺青の男たちと、おしゃべり好きな女たちに辟易して走って逃げだした。八咫鴉が笑いながら、「では、お先に失礼いたします」とアカルを追いかけて飛んで行った。




 木ノ芽峠についたのは、その日の夜。


「父ちゃん!」


 夜も更けていたが、頭領に起こされたハハカラの子どもたちは、父を迎えて飛びついてきた。ハハカラは子どもたちとしっかり抱き合うと、「かあちゃんは?」と尋ねた。


「うん、ずっと寝とるで」


 ハハカラは、久しぶりの自宅へ……猩々のためにずっと寝たきりになってしまったマヤカの元へといそぐ。

 ハハカラの後を追うように、パムがアカルと八咫鴉を案内をした。急いでハハカラの家に向かいたいのだが、アカルはゆっくりと歩いてついてくる。


「ねえ、アカル、もっと頑張って走ってよ」

「もう疲れた。もう寝たい。美味しいもの食べたい。団子食べたい」

「まあ、そう言わないでよ。あとちょっとだけがんばってさ」

「もう無理。がんばれない……あっ」


 仕方ないと思ったのだろう、八咫鴉がアカルを抱きかかえて飛びあがった。


「離してよ、八咫鴉!」

「早く寝たいのでございましょう。早く済ませましょう」


 ハハカラの家は、すでに大勢の人たちによって囲まれていた。帰ってきたハハカラを迎え、そして早速なんの儀式が始まるのかと、もう夜も遅いというのに集落の連中が集まってきたのである。

 アカルが、その雰囲気に首をすくめながら、ハハカラの家へと小さくなって入る。


「やじうま、多すぎ」


 ぼやきながら家の奥へと入ると、そこにマヤカが菰をかぶって眠っていた。アカルは例の汚い麻袋の中から、蒼い玉をひとつ取りだした。そしてため息をつくと、説明をはじめる。


「これは『反魂はんごんの玉』。魂をもとに反す、つまり人を生き返らせることができる玉なのよ。宗像の家でずっと大事に伝わる、十種の神宝とくさのかんだからのひとつ」


 アカルは恭しく、その玉をマヤカの前におくと、

「ま、これが終わったら、すぐに八咫鴉が返しに行くんだから、借り物ね」とつけ加えた。

「余計なことは言わなくていいですから」八咫鴉が苦言を呈すると、アカルは舌をちょっと出した。

 背中からぬさ(木の枝に木の皮を薄く削ったものを挟んだもの。神事に使う道具)を取り出し、一心不乱に振る。


「ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ」


 サラサラと幣を振り、鈴を鳴らし、くるくると舞いだした。

 しばらくなにも起こらない。


「また失敗じゃねえの?」部屋の後ろでふんぞり返って座っているソシモリの呟きに、パムは、しっと指を口に当てた。


 まじないはつづく。


「ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ」

「ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ」

「ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ」


 アカルがじっと頭を下げると、突然光がどんと家の中に落ちてきた。

 そして……。


 マヤカの手が少し動く。


「マヤカ、マヤカ!」


 ハハカラが呼びかけ体を揺さぶると、マヤカが目を開いた。


「あら……あなた、どうしたの?」


 そして起き上がると周りを見回した。子どもたちが「母ちゃん!」と母親に飛んで抱きついた。そして堰を切ったようにワンワンと泣きだした。


「みんなどうしたの? ねえ、みんな泣いちゃってどうしたのよ」


 マヤカも何が何だかわからないまま、一緒になって泣きだした。


「わたしが起きるのを待ってたのね。ありがとう。何かご馳走作りましょうか」


 そう言うマヤカをハハカラは男泣きに泣きながら、「もう少し休んでいろ」と横にさせた。マヤカはもう眠くないわよ、と言いながら寝そべり、ハハカラの手を握っていた。


「ありがとう」


 優しく微笑むマヤカと、手をしっかり握っているハハカラを見て、よかった、とパムは呟いた。

 なんだかまわりがさらに、にぎやかになってきた。振りむくと、集落の者たちがハハカラの家の前で歌い踊っている。集落の全員が集まったのではないかと思えるほど、小さい家の中も周りも人でごった返し、どんちゃん騒ぎになっていた。


「やった!」

「生き返ったぞ!」


 そこに集まったみなが、だれかれなく抱き合って喜んだ。


「酒盛りじゃ、酒盛りじゃあ!」


 ジリが叫ぶと、土蜘蛛たちは「おう!」と応え、誰それの酒を持ってこいだの、酒の肴は何の肉がいいだのと騒ぎはじめた。


「あはは……できた。できた」


 喜ぶみんなの中で、アカルは気が抜けて、へなへなとその場に座りこんだ。


「よくやりましたね、アカル姫。修行の成果でございますよ」と、八咫鴉がめずらしく褒めた。


「これからしばらくはこの土蜘蛛にお世話になるのですから。まずは第一歩、ですね」

「はあ、このクソど田舎で暮らすのかあ……やだなあ」

「まあ、そういいなさいますな。カヤナルミさまのお言いつけですから、きっと、アカルさまのことを思ってでございましょう」

「……そだね」


 アカルは、目の前の家族を見て微笑んでいた。


「マヤカが戻ってきたで!」

「酒盛りじゃ、酒盛りじゃあ!」

「酒を持ってこーい!」


 土蜘蛛たちのどんちゃん騒ぎは、三日三晩つづいた。

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