第27話 幻

 ククチヒコは真っ二つに斬られた。

 そう思った瞬間。


 真っ二つになったククチヒコは、大きく口を開けてわらった。


「オーッホッホッホッホッホッホッホッホッホッ! ちょっと油断しちゃったかしらねえ。覚えてらっしゃいよ、このクソガキども」


 突如、そのふたつに分かれた身体は、砂のようにサラサラと崩れはじめた。


「ククチヒコ! てめえ!」


 ソシモリは剣をもう一度振りあげ、ククチヒコを斬ったのだが、剣は流れる砂をかすめただけとなった。


 と同時に、まだ宙にあった巨大なオロチの鎌首が、斐川ひかわの中へとドドウッッッと音を立てて落ちた。飛び散った水しぶきがパーっと上空へ舞い上がり、少ししていくさ場に、そのしぶきが雨のように降った。

 大きな水の玉がバラバラと落ち、あたりにいる土蜘蛛も、出雲兵も、猩々も、屍の兵も、もちろんカヤナルミもスサノオもぐっしょりと濡らした。


 大きな水玉の雨の中、斐川へと落ちたオロチの巨大な鎌首が、ククチヒコと同じように砂へと変わり、崩れていった。いや、鎌首ばかりではない。山と同じようにのさばっていた大きな胴体も砂へと変わる。河原や斐川の中へと、大量の砂がザザーッと流れる。

 その砂の中に、何かの影をパムは見た。

 流れ落ちる砂の中に女の姿があるのである。

 パムは見覚えのある女の姿に目をこすった。砂の中の女は、同じように砂と化して崩れていくククチヒコとともにそっと抱き合うと、そのまま消えていった。


 崩れ落ちた砂は、斐川の河原に不似合いな小さな小山を作った。


 あれは、もしかしたら、赤い傘の女かもしれない。

 パムは遠い過去の記憶の中をかきわけて、赤い傘の女の姿を探す。確かに、ソシモリの母親がいたぶられていた事件の折、ククチヒコに傘を差し出していた女だ。傘の女は、いまでもククチヒコとともにいて、オロチへと化身し、ククチヒコに傘を差し出すように守っていたのだ。

 パムの目の前に、いつまでもいつまでも、砂が空から降ってくる。


「ククチヒコ! どこへ行きやがった! 出てこい!」


 ソシモリは、目の前のククチヒコとオロチが一瞬で消えてしまい、砂の中にわけ入って姿を探しはじめた。ククチヒコは、出てこない。しばらく探していたが、ククチヒコもオロチも、大量の砂の中から現れることはなかった。


 さらにその周りでも異変があった。

 ククチヒコの術が解け、丹波・出雲の兵たちと戦っていた猩々や屍の兵までも、次から次へと砂と変わっていくのだ。あたり一面を覆い尽くしていた猩々と屍の兵が、ザザーッと音を立てて崩れていく。

 あふれんばかりにいた敵どもは一瞬にして砂となりはて、いくさ場は一面の砂地となった。


 皆呆然として立ち尽くした。

 あるものは空を見上げて、あるものは砂と化した目の前の敵を見つめて。

 

 アカルも呪文をやめてその砂地となったいくさ場を見つめていた。呪文をやめた途端にソシモリの七支刀はすっと姿を消し、ソシモリは「あっ」と声を漏らした。しかし、それ以上何も言わなかった。柄だけになった剣を懐へ押し込み、目の前の砂地へ走り出した。

 まだククチヒコを探していた。砂の中に隠れているククチヒコを探し、山の中に隠れているヤマタノオロチを探し、右往左往しているのだ。ハハカラがソシモリを追いかけ、肩に手を置く。


「ツヌガアラシト、もう、終わったのだ」


 ソシモリは、そう声をかけられて、初めてその場にへたりこんで座った。




 八咫鴉に抱きかかえられたアカルが中空で騒ぎはじめた。


「八咫鴉! 早く下へ降りなさいよ! 早く!」

「はいはい。わかりましたからもう少しおとなしくしてくださいませ」

 

 八咫鴉が黒い羽を大きく羽ばたき、すうっと地上へと降り立つと、アカルは足をもつれさせながら母のところへと走り出した。それをみてパムも我に返り、山から下りようと鵺を促した。鵺も木々をよけながら素早く山を降りていく。

 出雲兵も丹波兵も、土蜘蛛たちも、ゆっくりと歩き出していた。誰がいうともなく、同じ場所へと集まっていく。

 そして、倒れているスサノオを中心に、皆が集まり、大きな円が描かれていた。


 円の中央では、まるで深く眠っているかのように動かぬスサノオがいた。その横には生玉いくたまが、河原の石を高く積みあげた塔の上に恭しく置かれている。

 カヤナルミは倒れたスサノオを前に、厳かにそして淡々と舞い、そして時折手にした鈴をシャンと鳴らした。その音に合わせて、生玉が赤くぼんやりと光る。

 

 これが、十種神宝とくさのかんだからの一つだと言っていた。


 カヤナルミの属する宗像一族の宝である。

 カヤナルミは時にうたいを口にし、時に深くこうべを垂れてじっと祈る。その様を、みなは息を呑んで見ていた。斐川の水が静かに流れる音が、やけに大きく聞こえる。

 と突然、カヤナルミが、


「えーーーいっ!」


と大声をあげ、しゃがみこんだ状態から突然大きく伸び上がった。と同時に赤い玉がぼうっと炎に包まれ、上空へと飛び上がった。みな首を上に向けると、火の玉はそのまままっすぐ下に向かって落ちてきた。


 ドン!


 とスサノオに、火の玉が落ちた。

 地面と空気が揺れ、土煙が上がる。

 カヤナルミもそのまま動かない。

 土煙が風に流れていくと、スサノオの姿がふたたび現れた。

 遠くで囲んでいた男たちが、一歩、そっと前へと踏みだす。パムはなんだか近くによってはいけない気がして、鵺の上で首だけ前に出した。

 しばらく沈黙がつづく。

 鵺が沈黙に耐えきれずに「ヒーン」と啼いた。パムが場の空気を読まぬ鵺の口元を押さえたその時。


「うう……」


 スサノオが呻いたのである。

 ユタとジリはお互いに顔を見合わせた。


「今、声が出ましたよね? ジリ」

「気のせいじゃないよな」


 男たちが半信半疑でまたスサノオを見ると、


「うう……うう」


 スサノオの目がゆっくりと、開いた。


「生き返った?」

「生き返った?」


 その言葉はざわざわと男たちの間をさざなみのように広がっていく。


「生き返った?」

「生き返った!」

「生き返ったぞーーーーーー!」


 男たちは歓喜のあまり、見知らぬ者同士でも抱き合い、笑い合い、手を握りあった。


「おとうさま!」


 アカルが寝ているスサノオに抱きつくと、スサノオがその手をアカルの背にそっと当てた。


「おとうさま、よかった、よかった……」アカルがスサノオの胸に顔をうずめてむせび泣く。


 男たちの歓喜の輪から外れたところでソシモリは立ち尽くしていた。アカルとスサノオの様子を黙ってみていた。パムはどうしようか考えたが、結局鵺をソシモリのそばへ連れて行こうと思った。鵺が一番好きなのはソシモリだからだ。ソシモリが好きなのも、鵺だと知っていたからだ。鵺の首をトントンと叩くと、それだけで鵺は理解し、待っていましたというようにソシモリに向かって走り出す。ソシモリのそばへ行き鵺を下りると、ソシモリは神妙な表情でこちらを見た。お互いに目があったのだが、何を言ったものかパムにはわからない。何か言えるようになるには、もっと大人にならなければわからないのかもしれない。

 鵺がソシモリに甘えて顔を猫のように寄せると、ソシモリは少し顔を和らげ、鵺の体をやさしく叩いた。


 わっとスサノオの元に男たちが押し寄せる。

 カヤナルミが


「しっ!」


 と口に人差し指を当て、男たちをその場にとどめると、男たちに向かって怒鳴りつけた。

 

「まだ魂がカムロ様に戻ったまでのこと。魂がしっかりと根づくまでしばしの安静が必要じゃ。そのもとたち静かにせんか」


 怒られたため、男たちは声をひそめて、静かに抱き合って喜んだ。


 それからカヤナルミは次々と命令を出した。

 出雲兵には村からスサノオを乗せるための戸板を運んで来るように支持した。アカルと八咫鴉には、これこれの薬草を集めるようにと指示していた。怪我をした兵たちは、早く傷の手当てを受けるように伝え、元気な兵には先に村へと戻り、出雲で手当ての体制を整えるようにと指示をだす。

 テキパキと指示を伝える姿に、「さすが、スサノオの惚れた女は並の女じゃないのう」とジリは感心していた。


 長い戦いを終えた出雲を讃えるように、真っ赤な夕陽が、砂の山と斐川の水面をキラキラと輝かせながら落ちていく。

 人々が命令のままに走りまわり、その場に残っていたのはパムとソシモリ、そしてカヤナルミだけとなった。カヤナルミの足元にはスサノオがまだ横たわっている。

 ソシモリは、横たわったままのスサノオをじっと見つめていた。






 


「なあんてね」

 






 カヤナルミは突然今までと調子を変えておどけて言うと、パン、と手を叩いた。


「え? なに?」


 そして、信じられないことが起こる。

 目の前で寝ていたスサノオが、サラサラと流れていくのだ。鼻が、目が、口が形を崩していき、そしてあのヤマタノオロチと同じように砂と化して、そして、最後にはすっかりスサノオの姿は消え、小さな砂の山がそこにできたのみとなった。カヤナルミはそれを見ると、カラカラと笑った。

 

「おいおい、あんたたち、このカヤナルミさまが愛する人をそんな死ぬような目に合わせると思うかい? やだなあ。私を見くびらないでくれるかな」


 駕洛語で話しているのだが、パムとソシモリは何が何だかわからずにいた。


「まだわからないかな。スサノオはあんたごときに刺されてなんかないよ。本体はまだ出雲の町の中さ」


 そう言うと、砂をすくって見せた。そして、呪文をなにやら唱えると、砂は鳥となって飛んで行く。カヤナルミがまたパン! と手を叩くと鳥は砂となってさらさらと夕日の中を落ちていく。


「これは傀儡かいらい、私が呪術で作りだしたニセモノさ。ほら、さっきのククチヒコやオロチみたいなもんだよ。だからスサノオ本人は痛くも痒くもないのさ。まあ、わたしの呪術で、スサノオの自身が傀儡を動かしていたことは確かだけどね。そんなわけで本人はピンピンしてるから、ほら、そんなしょぼくれた顔をしなさんな。大丈夫だよ、生きてっから。アッハッハ」

「それじゃあ、スサノオはずっと出雲にいたってこと? ソシモリが……殺したんじゃないの?」 

「ソシモリが憎んで来るのを知ってるのに、そうそう本物を殺させるもんですか。あらかじめわたしが手を打っておいたんだよ。スサノオもあれだけ弱っているからね、万が一のことを考えてスサノオの傀儡を作って動かしておいたのさ。あんたが刺しても大丈夫なようにね」

「じゃあ、全部知ってて……」

「知ってるもなにも、全部おみとおしさ。あんたたちが駕洛国で雨の中濡れて泣いていた時からね。私たちはずっとあんたたちを見ていたんだから、知ってて当然さ」


 そう言うと、カヤナルミは片目をつぶってみせた。


「パムも、ソシモリも、わたしたちの子どもみたいなもんだからさ」

「それじゃあ、なんでもっと早く教えてくれなかったんですか、そうすれば、こんなに長く苦しみつづけなくてもよかったのに……」


 パムは拳を握りしめて震えていた。長い長い、苦しい時代が、頭の中をぐるぐると駆けめぐる。


「わたしもあんたたちにかかっているまじないは何度も解こうとしたんだよ。でも解けなかった。あいつの強力な呪術は、ソシモリが刺すことで完了するようになっていて、私たちが何をしても解けるようにはならなかったのだ。どうしても、解けなかったのだ……すまない」カヤナルミは頭を下げた。


「でも信じてくれ。私たちは、ずっとあんたたちをわたしたちの子どもだと思って見守ってきたのだ」

「うそつけ! てめえ、今までだましてやがったくせに!」


 ソシモリは、顔を真っ赤にしてカヤナルミに拳を振り上げて殴りかかった。ソシモリの拳をカヤナルミはかるがると掴むと、ソシモリをしっかりと抱きしめた。そして、そのツノのある頭を、優しく撫でた。


「長い、辛い時代だったな。でももう今日で終わりだ。嫌な夢は忘れるんだ」

「なんだと! 夢だって!? あれは現実だ。何を言っているんだ! 今までだましてきやがったくせに!」

「幻だったろう? 辛い思い出も、憎い相手も。過去などしょせん、みな、まぼろしでできているのさ」


 幻。

 たしかにすべてが幻だった。心から憎み、恐ろしいと思っていたスサノオも、今は自分たちをずっと見守ってきた父のような存在だったなんて。誰が信じられるというのだ。

 過去は幻だった。つらい思いも幻だった。

 今まで、僕は一体何に向かって恐れを抱いていたんだろう。


 もしかしたら、父のことも幻だと思えるのだろうか。


 鵺とともに出雲の町へと戻って行く土蜘蛛たちの姿が、夕日の中に浮かんで見えた。


「おーい! 先に町へ戻るぞ!」

「早くしないと日が暮れるぞ! ツヌ、パム!」


 ハハカラたちの声が呼んでいる。


 カヤナルミはパムの頭を抱き寄せて、「ありがとう。苦労をかけた」とそっと囁いた。それから、


「さあ、ソシモリ、パム、出雲へ戻ろう。スサノオがお前たちを迎えてくれるだろう」


「カヤナルミさまー!」

 出雲兵が数人、走って戸板を運んできた。

「カヤナルミさま、スサノオさまを運ぶ戸板を運んで参りましたぞ。スサノオさまはどこに?」


 カヤナルミはカラカラと笑った。


「もうスサノオは出雲にいるよ」


 出雲兵はきょとんとしていた。そりゃそうである。戸板を運んで来いと言われてもう本人は出雲だと言われれば、キョトンとするしかない。


 そんな出雲兵に構わず、笑いながらカヤナルミは「さあ帰ろう」とパムとソシモリの肩を叩き、夕陽の中を歩きだした。

 出雲の町に夜が訪れようとしていた。

 パムは立ち止まると、ヤマタノオロチのいた場所をふりかえる。


 ククチヒコはあのまま砂となって姿を消してしまったが、どこへ消えたのだろう。あの小さな体躯の男はまたいつか、現れるのだろうか……。

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