第26話 ククチヒコという男

 今までずっと見てきた夢はなんだったのだろう。

 ずっと信じていたこと。

 あの恐ろしい思い出。

 恐怖でしかなかった過去。

 ずっとずっと、あのスサノオの名前を恐ろしい男の名前だと信じてきたのだ。

 それはおそらくソシモリも同じだ。ずっと同じまじないを受けてきたのだ。

 ソシモリの母のかたきだと信じ、憎みつづけていた人が、実は違う人物だったなんて。


 そして。


 ソシモリは、本当のかたきとは違う相手を刺してしまった。

 ツノのある少年は、うつむき、わなわなと震えていた。

 

「俺、俺、父ちゃんを殺しちまった。俺、俺……」


 顔は真っ青になり、手がずっと小刻みに震えている。


「いや」


 カヤナルミは


「残念ながら、死なないわよ」


と、きっぱりと言った。

 

 しかしスサノオはグサリと剣が突き刺さり、倒れてしまったのだ。倒れてからしばらく経っているが、ピクリともしない。


「でも、もう遅いじゃないですか! スサノオ様、死んでしまった!」

「死んでおらん!」


 今までにない強い口調でカヤナルミは怒鳴った。


「よいか、今から私が言うことをよく聞け」


 大きく息を吸って、今度は静かにそう言うと、カヤナルミは前にアカルが持っていた麻袋から、先ほどの白い玉とは違う、別の赤い玉を出した。


「私は今からスサノオを蘇らせるまじないを行う。これは生玉いくたま。人を蘇らせることのできる玉じゃ。この生玉を使い、まじないを唱えるのだが、彼をあの場所から動かすと、二度と魂は戻ることはできない。その間、ククチヒコは必死でそれを邪魔しにくるだろう。ククチヒコを倒せとは言わん。あいつは並みの呪術師ではない。いいか、ソシモリ。ククチヒコの攻撃から、スサノオを守れ。ククチヒコの操るヤマタノオロチの攻撃から、スサノオを守れ!」


 そしてソシモリの懐に手を突っ込み、剣先のない剣のつかを取り出すと、ソシモリに手渡した。

 

「これを使いな」


 それだけ言うと、カヤナルミは白い衣を翻してスサノオに向かって走った。

 ソシモリは手に持った、剣の柄を握りしめた。


「それ、ソシモリだけじゃあ使えないっていう剣の柄だよね。アカルが呪文を唱えなきゃいけないとか言ってなかったっけ」


 パムが使い物にならない剣の柄だと指摘すると、ソシモリはジロリと睨みつけた。

 それから八咫鴉に抱きかかえられて宙に浮いているアカルを見上げた。上空では、アカルがバタバタと足をばたつかせている。


「いいかげん下ろしてよ、八咫鴉! お父様を助けたいのよ、下ろして! お父様、死んじゃう! ばか!」

 

 泣き叫ぶアカルを八咫鴉が下に降りないように抱きかかえて飛んでいるのだった。


「アカル! てめえ、ちょっと来い!」ソシモリはやにわに怒鳴りつけた。

「いやよ、なんであんたのとこなんかに。お父様を、お父様を……」


 アカルは言葉を詰まらせると、今度は身体を震わせながらソシモリを睨みつけた。


「いいわ、今から降りていくわ。そしてあんたのことを刺してやる」

「だから、降りてはいけません、アカル様」


 八咫鴉が静かに制する。

 パムは、どうしていいのか分からずおろおろするしかなかった。


「こんの、クソ女、オレ様が話があるって言ってんだから、言うこと聞いてさっさとこっちへきやがれ」


 ソシモリの相変わらずの上から目線の態度に、


「何よその態度、なんで人殺しなんかのところに素直に行かなきゃいけないのよ、ふざけないで。絶対に行かないわよ、あんたのところになんて!」


 アカルは激昂した。もう怒りでわなわなと震えているのである。

 しかし、そんな子供の争いの向こうで、またオロチの咆哮が聞こえだした。

 オロチの頭がゆっくりともたげては、また倒れ、そしてまたもたげるのが見えた。オロチが大きく首を振ると、大きくコオオオオオオオッと息を吐く音が聞こえた。

 パムは二人を遮って大声をだした。


「オロチが起きだしてるよ! 頼むからさ、二人とも気持ちはわかるけど、今はとにかくオロチを止めてくれるかな?」


 そしてアカルの方に向き「アカル」とつづけた。


「アカル、なんとかして今はオロチの攻撃を止めないといけないだろ。……今はカヤナルミが生玉のまじないをしないと、アカルの父さんが死んじゃうんだろ。ソシモリの剣じゃないとオロチを止められないらしんだ。アカルが呪文を唱えないとソシモリの剣が使えないんなら、アカル、ソシモリが嫌いなのは十分知っているけど、憎らしいのもわかるけど、呪文を唱えてくれないかな?」


 パムが一気に言うが、アカルは顔をしかめたままだった。


「クソ女! いいから来い!」

「いやよ! 死んでも嫌だからね」


 ソシモリがまた怒鳴りつける。アカルが怒鳴りかえす。ソシモリがまた怒鳴りつける。アカルが怒鳴りかえす。

 これではいつまでたっても堂々巡りだ。ソシモリとアカルではどだい協力して一緒に仲良く戦うなんて無理な話なのだ。


 河川敷ではカヤナルミはスサノオの隣に立ち、ぬさを振り、舞を舞っていた。蘇りの儀式だろう。カヤナルミがスサノオの横に置いた赤い生玉は、光を放って輝いている。


 しかし。


 その真上には、迫りくるオロチの姿が見えた。

 笛の音が遠くから風に乗って聴こえてくる。オロチを操っている笛の音だ。

 ククチヒコの蜃気楼が、またゆらりとオロチの頭上に揺れた。


「あーっはっはっはっ! 死ね死ね死ね、スサノオ! やっとあの時の恨みを晴らすことができる! 私に恥をかかせやがって。あの日あの時、あの屈辱を私は忘れないよ。あれから国を追放され、どれだけ苦しい道を歩んできたのか、お前に思い知らせてやろう!」


「ソシモリ! アカル!」

 

 ソシモリは剣の柄を河原に向かって投げつけた。

 ああ、とうとうソシモリは剣を放りだしてしまった! 怒りのままに柄を投げつけたのだ。

 パムはがっくりと肩を落としてうなだれたが、それでも剣の柄を拾いに行こうと一歩を踏み出した。


 その時。

 思いもかけない光景を見た。


 ソシモリが、右足の膝をつき、そして、左足の膝をつき、ゆっくりとこうべを下げてゆき……しまいには地面に押しつけたのである。


「アカル、すまん!」


 思いもかけない言葉に、パムは目をこすって、ソシモリを見た。確かに、両膝をついて、両手を河原の石について、頭を石の中にめりこむほど下げているのだ。


「アカル、オレが悪かった。オレ様は、知らなかったんだ。あの人が、オレの父ちゃんだったってことをなあ。オレ、オレ、とんでもねえことしちまった! オレ、どうしたらいいんだ? オレ、父ちゃんのこと、助けたいんだよ! 助けてくれよ。アカル! よくわかんねえけど、この剣なら父ちゃんを助けられるみてえなんだ。父ちゃんをオレに助けさせやがれ! 頼む!」


 ソシモリはさらに頭を河原の石にこすりつけた。

 パムは信じられない光景に目を疑った。あの、ソシモリが頭を下げている。頭を下げて、泣いているのだ。


 ソシモリの傍らに転がっていた剣の柄が、鈍く光りはじめた。

 柄が突然強く赤い光を放つと、柄から芽が伸びるかのように、刃が現れはじめた。じわじわと長く伸びるのだが、刃は枝分かれしていく。海で拾った赤いサンゴのように、右へ、左へと剣先を枝分かれさせた、見たこともない剣だった。その剣は、両腕を伸ばした長さにまで伸びると、ごろりと石の中に転がった。


 ソシモリがその剣を握って一振り振ってみた。七枝に分かれた剣は、白く鈍く光っている。 

 

「この剣を持っているだけで、力があふれてくるじゃねえか……」


 ソシモリがそうつぶやいて上空を見上げた。そこにはアカルがじっと八咫鴉に抱きかかえられたまま、呪文を唱えつづけていた。アカルはソシモリの方を見向きもせず、じっと父の方へと視線を送る。

 そして少し呪文が途切れると、「さっさとしないと、その剣消すわよ」と吐き捨てるようにいった。

 

 ソシモリは肩口で涙をふくと剣を右手で握りしめ、オロチに向かって走りはじめた。舞を舞っているカヤナルミと、倒れているスサノオの前までくると、オロチを見上げる。


 オロチは相変わらずデカかった。

 そしてオロチの頭上で揺らめく陽炎は、ククチヒコの顔を歪めている。


「あらあ、この小僧、なんか目覚めちゃった感じ? ケダモノ小僧め。素直にわたしの言うことだけ聞いてりゃいいのに。そうしたら楽に殺してあげるのによお!」


 ソシモリは剣でオロチに立ち向かった。ウロコに七つに分かれた刃がグサリと刺さる。オロチが痛みにのけぞった。


「あら、何よ生意気ねえ!」


 ククチヒコが呪文を唱えると、オロチの傷口はたちまち治っていく。


「なんだありゃあ、すぐに傷が治っちまうじゃねえか!」ジリが遠くで叫んでいる。

「オーッホッホッホッホッ! そう簡単には倒されやしないわよ」


 オロチの傷はあっという間に治ってしまい、オロチは景気づけに大きな口を開けて吼えた。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」


 それはまるでソシモリを見て笑っているかのようであった。


「このバケモン野郎!」


 ソシモリがオロチに向かって飛び上がり、七枝に分かれた七支刀を上段から斬りつける。オロチはソシモリの剣を避けると、河原に横になっているスサノオと、蘇りの舞を舞うカヤナルミを執拗に狙い、口を開けてかぶりつこうと襲いくる。ソシモリがそのオロチの首を斬った。しかしククチヒコが呪文を唱えてすぐに治す。

 ソシモリが斬り、ククチヒコが治す。

 ククチヒコとソシモリの果てのない攻防がつづく。

 その手前でカヤナルミが舞を舞っている。目の前の激しい攻防とは対照的に、時の流れのゆったりとした舞。スサノオがこんな舞で治るのだろうかと不思議でしょうがなかったが、カヤナルミはかまわず舞っていた。

 

 パムがカヤナルミの舞を前にして立ち尽くしていると、何かが背中にのしかかってきた。


「おらよ」


 すごい匂いがして振り向くと、傷を負ったハハカラがニタっと笑って立っていた。パムの背中には胃液まみれのひょうたんが乗っている。そしてその後ろに鵺が「ヒーン」と相変わらず情けない声を出し、行儀よく座っていた。


「鵺に乗れパム。そしてこの酒をオロチの口の中に放り込んでこい」

「え、なんで僕が……ハハカラさんが行った方がイイヨ」

「わしは、この傷で鵺には乗れん。それに、鵺が今もっとも心を許しているのはツヌガアラシトとお前さんだけだ」

「ヒヒヒーン」


 鵺の言葉は分からなかった。しかし鵺がパムに近寄り、頭を下げて座るところを見ると、どうやら乗れということらしい。自分の好きなソシモリを助けたいのかもしれない。

 ハハカラと目が合う。ハハカラはうなずいた。パムもうなずく。

 パムが鵺の頭にひょうたんを担いだまま乗り上がる。鵺はパムを落とさぬように立ち上がった。そして「ヒーン」という啼き声とともに、後ろ足をひと蹴りすると、大きく飛び上がった。


 目の前で、オロチとソシモリが激しく戦っている。そしてオロチの頭上にはククチヒコの顔が陽炎のように揺らめいている。パムの登場にククチヒコが大きく笑い出した。


「あらあ! 誰かと思えば、確か駕洛国の情けない小僧! なあにをしに来たのかしらねえ」


……かまうな、かまうな、自分の仕事をしろ。海に出て漁をしているように、ただ無心になって、釣り糸を垂らして、じっとその時を待つんだ。


 パムは心の中で呪文のように唱えて、大きく深呼吸をした。

 ひょうたんの口を開けて、大きく上下し、開いたり閉じたりと忙しいオロチの口をじっとみていた。ソシモリが構えると口を開けて上を向く。斬りかかり、傷ができると少し後ろに引いて口を閉じてしまう。その間にククチヒコが呪文を唱えて傷を直している。

 鵺は黙っているパムを乗せたまま、右へ左へと動き、オロチの攻撃をひたすらかわしていた。

 

「ソシモリ、構えて!」


 パムが声をかける。

 ソシモリが怪訝な顔をしながら、剣を頭上に構えると、オロチは頭を高く上げて口を開いて咆哮をあげた。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」

「鵺! 高く飛べ!」


 鵺が地面を力強く蹴り、高く高く飛び上がった。

 オロチの鎌首より高く飛ぶ。パムはオロチの真上から、ひょうたんを投げ落とした。オロチは自分の胃液にまみれたひょうたんをバクリと飲み込んだ。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」

 

 しばらく顔を左右に激しく降り出した。

 酒のせいというより、もしかしたら、胃液のあまりの不味さに悶えていたのかもしれない。

 

「おい、オロチ、落ち着きなさあい!」


 ククチヒコがオロチの頭上で揺さぶられながらも呪文を唱える。それが効かないと見ると、笛を吹く。しかしうまく吹けずに、調べは拍子抜けしたものになっていた。

 オロチを飛び越えた鵺はそのまま反対側の山腹へと着地した。オロチはちゃんとひょうたんを飲みこんだだろうか。パムは振り向いた。オロチはソシモリの方をまっすぐ向いたまま、微動だにしない。

 しばらく時が止まったように感じた。オロチは、酒を食らったのか、それとも失敗して吐き出したのか……。


 と、突然。


「ウイー」


 オロチがしゃっくりを始めた。


「あれ、酔っ払ってんじゃねえか?」ジリの言葉に

「ツヌ! さっさと行きなはれ!」キジが手を振りまわした!

「行け! ツヌガアラシト!」ハハカラも、

「行けー! 今でございますよ!」ユタも大声を上げる。


「いけー!」

「突っ込めー!」


 出雲兵が剣を振り上げて大騒ぎである。


「ねえ早くして! ソシモリ!」


 アカルがイライラしながら、宙で怒鳴った。


「うるせえなあ! わかってんだよ! 行くぞ、クソ女!」


 ソシモリは七支刀をぐるりとまわして、オロチに向かって走り出し、そして飛び上がった。

 剣が太陽に閃く。パムは眩しさに目を細めた。





 剣を、真横に一閃。


 


 その刹那。


 

 オロチの首は、胴体と真っ二つに分かれた。胴体はドドウッと大きな音を立てて地面に倒れこむ。オロチの頭がまだ地面に落ちずに宙にある間、パムは、時が止まったように見えた。

 

 ソシモリの目の前に、目を見開いて驚いているククチヒコがいたのである。そのククチヒコは、陽炎のように揺らめいていた、幻像ではなく、れっきとした姿形のあるククチヒコであった。今、生身のククチヒコを目の前にしているのである!


 パムはちょうどその二人、ソシモリとククチヒコを真横から見ていた。


 ククチヒコは思ったよりも小さかった。子どもの頃見たククチヒコは、もっと大きく恐ろしいと思っていたのだが、こんなに小さな姿だったとは。なんだか拍子抜けした。


 ソシモリとククチヒコが、パムの目の前でじっと睨みあっていた。

 ソシモリが、顔を傾けて、ククチヒコの左側を見た。


 そして、「その耳」と言った。

 

 耳を、パムも見た。かぎ裂きの、引き裂かれた傷跡のある耳。幼いソシモリが母の仇に向かって飛びつき、噛みちぎった耳だ。


「てめえがあの時の……」と声を絞り出した時、ククチヒコが顔を歪めて笑った。


「ああ! そうだよ! やっとわかったのかねえ! 牛ツノの王子さんよお」


 ククチヒコの耳。

 あの日の光景が、一瞬で目の前にめぐりめぐった。雨のそぼ降る日。ソシモリの母がいたぶられ、殺された日。あの日、親玉として指示していたのがククチヒコ。この男。


 ソシモリの本当の母の仇は、このククチヒコだった。


 ソシモリがその剣を、オロチを斬ったときと反対から薙ぎ、一閃させた。 

 

 ククチヒコは真っ二つに斬られた。

 とうとうやった! ククチヒコを殺した! ソシモリは母の仇をとったのだ!


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