第14話 七支刀(しちしとう)の作り方〜出雲國

 丹波から出雲まではほぼ半月の行軍や、と出発当日にキジは言った。

実際には、言うことをきかない連中ばかりで、さらに行く先々で食料を調達しながらだったから、もっとかかってしまった。

 太耳の持たせてくれた干し飯ほしいいなど、あっという間になくなった。大の大人が百人以上も一度に移動するのだから、万が一の時を考えて少しずつ食べよう、とハハカラが提案していたのだが、こっそり食べようとする輩が続出し、結局数日で平らげてしまった。もっとも、率先して食べていたのは、土蜘蛛の連中だったが。結局おのおので食べ物を見つけなければならないため、行軍もなかなか進まない、そんな状況である。

 ソシモリは


「あのクソ女に逃げられるわ」


 といらついていた。そう言いながらも手慣れた調子で魚でも鳥でもなんでも獲っては食べる。みなの歩く速さに合わせてぬえも、のんびりした調子で歩いていた。

 あるときは、異世界に紛れ込んでしまったかのような白い砂丘の中を、足をとられながら横切り、それをすぎると、今度は雄大な大山たいせんを南に見ながら旅をした。


 そして。


 眼下の村に一筋、煙が立つのを見た。


「タタラ」

 

 パムが呟くと、あちこちを旅してきたキジがパムの肩を強く叩いた。


「よくたたら場を知っとるなあ。この辺りはよう砂鉄が採れるんや。鉄をつくるのにはもってこいや。以前ワシがここを訪れたときは駕洛国から韓鍛冶からかぬち(大陸の鍛治職人)が来たばかりで、たたら場をつくる話しをしていたところじゃったが、完成したみたいやの」

「ボクのまち、タタラ、アル。タタラ見るの、ウレシイです」


 パムが答えると、キジが嬉しそうにパムの肩を壊れそうなほどたたいた。そして今度は皆の方へと向かって言った。


「とうとうついたぞ! ここがあの出雲國いずものくにじゃ」


 丹波の兵も土蜘蛛の男たちも、一斉に声をあげた。

 集落の一角から上がる一筋の煙は、パムに故郷を思い起こさせ、男たちの歓声の中に取り残されたように、一人煙を見て佇んだ。


 何はともあれ、やっと出雲の国についた。

 一行ははしゃいで町に近づくのだが、近づくごとに、その大きな町は鈍色にびいろにくすんで見えてくる。大勢の人の気配がするのに、とても静かに感じるのだ。

 煙の上がる出雲の町は、たたら場を大きく囲んだ形で何重にも環濠かんごうと高い柵で守られていた。丹波の町にも兵の周りに環濠はあったが、それとは比較にならぬほど深く掘られ、高い杉の杭が隙間なく打ちこまれた柵が巡らされており、その物々しさは普通ではなかった。



 いくさの匂い。

 それは出雲のあちらこちらから感じられた。


 町を何重にも囲んでいる柵をたどり、門らしき場所をやっと見つけた。門は見上げんばかりの大きな落とし門で、一人では開かない仕組みになっている。その門の前に立っている門兵にキジはひょいひょいと近づいて声をかけた。


「いやあ、どうもどうも。わしらは気比から来たものでな。ちょっとあんたんとこのお偉いさんとお話がしたいんやけど」

「なんだ、貴様らは」


 軽い口調のキジに顔を曇らせた門兵に問いただされると、ハハカラも前に進み出て来た。

「わしらは気比から来た土蜘蛛……」その言葉を遮ってハハカラの前にぐいと出て来たのは丹波の将イヅツであった。


「あー我々は! 出雲軍からの要請により丹波から援軍に参ったものである。スサノオ様にお目通りしたい」


 イヅツはハハカラをジロリと睨むと、太耳から託された鳥の模様が描かれた木簡を、これ見よがしに門兵に渡す。門兵は木簡に目を通すと「しばし待て」と答えた。


 しばらくすると、


「丹波の衆、この度はご足労感謝つかまつる。この近く、海岸の神の岩場で御祈祷しておられるカヤナルミさまがおよびである。カヤナルミさまの元へとゆくようにと指示が出た。今案内のものが来るからそのまま門の外でしばし待たれよ」


 その大きな門から中へは入れてもらえぬまま、門兵はその大門を閉じてしまった。

 土蜘蛛は顔を見合わせた。カヤナルミが自ら呼んでいる。もしかしたら、アカルも娘であるならそばにいるのかもしれない。さらにさらに、件のお宝も手に入るかもしれない。顔を見合わせただけで、お互いの心が伝わった。


「もうカヤナルミ様に会えるんやろか」

「会ったらさっさと帰らんか? なんだかここは嫌な雰囲気がプンプンしとる」


 キジとジリがコソコソと土蜘蛛連中に声をかけた。


 通用門ののぞき窓が少しだけ開いていた。パムはその窓のすきまからそっと中をうかがったが、人気というものがあまりなかった。大きな町であるのにこの閑散とした雰囲気は一体どうしたものだろう。そして数少なく行き交う出雲の人々は誰もかれも表情が暗く、眉根を寄せながらみな通り過ぎてゆくのであった。どんよりと沈んだ空気に影響され、あのにぎやかな土蜘蛛でさえも皆黙ってしまった。


「とにかく、はやいとこ門兵の言っていたカヤナルミ様のところへ行こう」

「迎えが来るって言ってたな」


 そこへ西の方から血みどろの兵が一人、足を引きずりながら現れると、パムたち丹波軍一行を見て目を瞠いた。


「丹波の援軍か。何をしていたんだ。我々はずっとあんたたちを待っていたんだぞ。援護に来る、援護に来ると聞いていたのにまだこんなところにいたのか。すぐさま筑紫へと向かってくれ。加茂呂かむろさまが待っていらっしゃる」

「加茂呂さまとは?」イヅツの問いに、

「加茂呂さまは加茂呂さまじゃ。とんだ田舎者たちめ。まぁいい。とにかくワシが案内いたすからすぐさまついて来い」血みどろの兵は、いていた。

 

 ハハカラはキジと顔を見あわせた。ソシモリは鵺の上に寝転がり、例のごとく鼻をほじっている。パムが駕洛語で、あの人はカヤナルミのところへ案内してくれる人だと伝えた。カヤナルミと聞くと、体をむくりと起こす。


「あのクソ女の居場所がわかるんだな」


 パムが「たぶん、ね」と苦笑いしながら答える。

 イヅツがパムとソシモリの、言葉の分からぬやり取りを横目に、出雲の兵と話をつづける。


「あんたがカヤナルミという方のところに案内してくれる御仁か? わしはイヅツと申す丹波の者。丹波の兵とともに援軍に参った」


 血みどろの兵は頭を下げた。


「吾はウズヒコと申す。吾はたった今戦地から戻ったばかりで、カヤナルミさまの案内という話はあい知らぬ。……ナルミさまか。ナルミさまはずっと稲佐の小汀おばま磐座いわくらでご息女のアカル様と御祈祷のはずだ。なぜ戦さ場いくさばにもいかず、あんなところで祈祷なされているのか……まったく、ナルミさまの御心は分からぬ。あんな祈祷など、戦地の加茂呂さまのなんの助けにもならぬであろう。おかげで前線の兵たちは大変な目にあっておる」


 途中からウズヒコは独り言のように呟きだしていると、そこへふわり。空から人が降り立った。


八咫烏やたからす!」


 ソシモリが条件反射のように鵺の上から飛び降り、拳を振りあげたが、八咫烏はひょいと舞いあがってあっさりと避けた。


「おいおい、私は今回案内人でございますよ。喧嘩はあと。皆の者、カヤナルミ様が稲佐の小汀でお待ちでございます。ウズヒコ、そこにいたならちょうど良い。ぐすぐずしてないで早く小汀まで連れてきていただきませぬか。ただでさえウスノロなのですから」

「ううぬ、言わせておけばこのできそこないの鳥人間が!」ウズヒコはカッとなって言いかえす。

「いいか、よく聞け! 今は戦地が大混乱で人を一人でも欲しているところだ! 一刻も早くこちらの丹波の援軍を戦地へとお連れしなければ、出雲も終わりだ。戦地で何が起きていると思っている! 加茂呂さまもお前を許しはすまい。ナルミさまはお前さんが話しをしてくれ。ワシはこの方たちを戦地へとお連れする」


 ウズヒコが見上げながら宙に浮いている八咫烏に訴えると、八咫烏はウズヒコの目の前にふわり舞い降りるや否や、手にした刀子をウズヒコの首元にすっと当てた。


「今ここで死にたくなければ、ちゃんと言うことを聞け。ナルミ様のご命令だ」


 一言凄むとすぐに上空へと飛んで行った。ウズヒコは身震いをすると、ちとバツがわるそうに丹波の男たちの視線をかわしながら、


「あのクソカラス」と毒づいた。

「仕方ない。カヤナルミさまにお会いしたら、すぐに一緒に戦地へと向かってくれ」


 土蜘蛛の六人、ハハカラ、ジリ、キジ、ユタ、そしてソシモリとパムはウズヒコのあとをついて行く。小汀まではそんなに遠くはないそうだ。丹波の百人の兵はおいていくように、そう八咫鴉が言ったため、百人の丹波兵は出雲の入り口で待つことになった。イヅツの不服そうな顔と言ったらなかった。


 小汀おばまへと歩く。

 西の空に熟したカラスウリのように赤く輝く太陽は、いまにも水平線の向こうへと落ちようとしていた。夕焼けの美しい光景をもくもくと湧きだした雲が、静かに黒く染めつつあった。少し生ぬるい風が浜辺に吹きはじめた。今に天気が荒れるだろう。

 荒々しい波がひっきりなしに寄せる波打ち際を、鎧姿の兵たちがごつごつしたその足を砂まみれにしながら歩いた。

 ふと見上げると、そこに見上げんばかりの大きな岩がそびえ立っている。その岩のてっぺんには、縄が張られ、縄に白い紙がひるがえっている。そしてあんな岩場にどうやって建てたものかほこらが建っており、その祠にむけて八咫烏は一足先に飛んでいった。

 ウズヒコが「あれは神の宿る磐座いわくらだ」と指差した。


「あの上にカヤナルミさまとその姫さまがいらっしゃいます」


 指差す方には確かに人影が動いている。パムがじっと目をこらしてみていると


「あのクソ女!」

 

 ソシモリはこの薄暗い中でもアカルの姿をその磐座の上に見出したようで、一声叫ぶや否や、磐座に向かって走り、岩にかじりついてのぼりだした。

 パムは目を細めて岩を見た。どうやら磐座の頂上で儀式が執り行われているらしい。

 体の小さな白装束が手を大きく振り、舞っていた。あれがアカルだろう。そのアカルの横で同じように髪の長い、白装束の大人の女性もいた。少女が舞っているうちに足をからませて倒れると、どうやら大人の方がひどく怒っているようである。この大人がカヤナルミだろう。

 ソシモリが徐々に岩を登っていくその上でお互いに怒鳴りあうさまがみえる。

 少女は再び立ち上がると怒ったように木の枝を振り回した。女性がその様子をみて平手打ちをした。少女は倒れた。

 風がどうと吹いてくる。

 ソシモリが岩に必死でしがみつき、岩場の頂上に辿り着くと同時に声が響いてきた。


「このクソ女! オレ様の宝を返しやがれ」


 遠くからでもわかったのは、アカルがソシモリを見た瞬間、足下の石を片っ端から投げつけはじめたということであった。

 小さな争いの間に、飛んでいった八咫烏が加わり、彼は巫女たちを守りながらソシモリと闘いだす。

 パムはハラハラしながらみていた。


 その時である。


 笛の音が聞こえた。

 パムが笛の音の方を見やると、見覚えのある赤いモノが浜の向こうから列をなして、跳ねながらやってくるではないか。

 耳障りな奇声が浜に響き渡る。


「猩々⁈」


 パムが丹波で与えられた銅剣を取りだし身がまえる。猩々は手をだらりと垂らし、跳ねながらやってきた。その動きを見ただけでパムがおもわずすくみあがってしまった。猩々は何体も何体も、次から次へと現れ、砂浜を跳ねて来た。

 そのうちの一匹がこちらへと向かってくる。

 ぴょんぴょんと跳ねた猩々の一匹がパムの側まで来ると、小さな手で肩をつかんだ。真っ赤な仮面に空いた黒い穴ぼこの目がこちらに向いてじっと見つめてくる。


 猩々は「はあっ」と死の息を吹きかけて来た。


 逃げなきゃ! と思うが、体はガチガチに固まっていて全く動かなかった。死んでしまう、と思ったその瞬間、ハハカラが背後からばっさりと猩々を斬った。


「た、助かっタ」


 パムがへたり込んでいると、その周りでは百戦錬磨の手練れたちが剣を振るい猩々を次から次へとばさりばさりとなぎ倒していく。強かった。日頃はひょうきんでふざけてばかりのジリやキジ、そしてパムには興味なさそうなユタであったが、いざという時は、強かった。丹波の太耳が援軍に入れるわけである。


 猩々は早々に逃げて行った……と思いきや、今度は一直線にアカルやカヤナルミがいる磐座へと向かっていた。


(あれ? 猩々は出雲の國が、けしかけてたんじゃなかったっけ?)


 パムは丹波の太耳の言葉を思い出していたが、当の猩々は、磐座の方へと殺気を帯びたまま進んでいく。みるみるうちに何匹かの猩々が岩に辿りつくと、あっという間に磐座の頂上へと着き、奇声を発する。頂上にいたカヤナルミとアカルが振り向いた。振り向くと同時に、その猩々が二匹、白装束の巫女二人をそれぞれ抱きかかえた。

 八咫烏が巫女の元へと、黒い羽根を大きく羽ばたかせて飛んでいったが、次から次へと頂上に登ってくる新たな猩々が攻撃を仕掛けてくるため、巫女たちの元へ近づけないでいる。


「カヤナルミ様! アカル様!」

「八咫鴉!」


 八咫鴉が巫女の差し出した手をとろうとした時である。巫女を抱きかかえた猩々どもが、岩のてっぺんのから一気に飛び降りた。


「きゃーーーーっ!!!!」


 どう見ても、巫女が猩々を操っているというのではなく、猩々に連れ去られた感じだった。

 そして磐座から飛び降りた猩々たちは、二人の巫女を抱えたまま、なんとこちらへと飛んでくるではないか。




 その時である。




 まばゆい光が空中にひらめいた。

 

 巫女を抱えた猩々は奇声をあげると体をこわばらせ、砂浜に、ざん、と突っこんだ。そしてその猩々の手から放り出された巫女二人も少し離れた砂浜にざざん、と落ちた。

 磐座からも猩々どもの奇声が聞こえる。パムが声の方へ目をやると、磐座によじ登っていた多くの猩々も光を浴びたのだろう、体を石のように硬くし、ぼとぼとと砂浜へと落ちていた。頂上にいた猩々も動けなくなったらしく、八咫烏が一匹ずつ蹴落としている。

 パムは浜へ落ちて来た巫女二人のそばへと駆け出した。そばにいた土蜘蛛のハハカラ、ジリ、キジ、ユタの四人も駆けよる。そして、少し離れていた出雲のウズヒコも巫女が飛んで来たと見ると誰よりも早く駆けよった。


「か、カヤナルミさま!」

「まったく、油断も隙もありゃあしない。あんの猩々め」と、毒づきながら立ち上がったのは、長い髪の、美しい大人の巫女だった。


 遠くから全速力で駆けよったウズヒコが、急に砂の上でいずまいを正すと、頭を浜にめりこませてひれ伏した。そして頭を上げると、「だ、大丈夫であらせられますか?」と顔中砂だらけにして言った。


「大丈夫に見えるか? ったくあんの猩々どもめ、加茂呂さまがいないとおもえば、つけあがりやがって。女だと思ってバカにしてやがんな。クソッ」


 この髪の長い砂だらけの白装束の巫女が、やはりカヤナルミだった。

 カヤナルミは衣についた砂をうるさそうにはたきながら、こちらへと向かってきた。それからもまた新たな猩々が何匹も襲い掛かろうとするが、彼女が手にした青い玉をそちらに向けると、途端に玉が閃光を放ち、猩々はばたばたと倒れていった。先ほどのまばゆい光は、この玉から発せられていたのだ。

 ということは、これがあの神宝かんだからだ!


「何? あんたたちは。あの猩々連れてきたのあんたらかい?」


 カヤナルミはパムとウズヒコの方へ玉を向けると、ウズヒコが慌てて手を横に振って否定した。


「カヤナルミさま、めっそうもございません。私は出雲ために尽くしているのですよ。それにこの方たちは我らを救ってくれる援軍、丹波軍でございます。我々が猩々を連れてくるなんてめっそうもない」


 ウズヒコは、先ほどの愚痴を言っていたときの態度とはうって変わって、今度は揉み手をしている。パムとそばにいたジリは互いに顔を見あわせた。


「なんだ、あの変態おやじのとこの軍かい。あのオヤジの軍じゃ援軍に来たってろくな兵じゃねぇだろうよ」


 カヤナルミの言う変態オヤジが太耳のことだろうとわかると、パムはプッとふきだした。会話をしながらも、襲い来る猩々をこともなげに玉の光で退散させている。


 パムはふと考えた。


 あれ、ソシモリがいなくてもお宝の玉は使えるんじゃないの? それならカヤナルミさまに頼めば……


 頭の中にそんな希望がよぎったが、それより気になることがあった。

 砂だらけとはいえ、みどりの黒髪をなびかせたこのカヤナルミは美しい女性であった。美しい。確かに美しいのだが。


「小汚ねぇ連中連れてきやがって」

 

 土蜘蛛の男たちに負けず劣らず口が悪かった。


「で、あいつは? ツノ男いるんだろ」


 パムがカヤナルミの迫力に押されながらも恐る恐る指をさす。その方向には……磐座から降りようと思ったのだろうか、イモリのように岩の中腹にかじりついたまま、情けなく動けずにいるソシモリが叫んでいた。


「てめぇら、早く救けやがれ!」


 どんな状況でも上から目線で命令するのはたいしたものだとパムは変な感心の仕方をしていた。


「誰か、ツヌガアラシトが、タスケてってイッテルです」パムが和語に訳した。


 八咫烏は黒い羽を羽ばたかせると、気を失ったまま砂に埋もれていたアカルを救けだした。そしてカヤナルミのところへと抱きかかえてくる。

 カヤナルミはアカルをちらりと見ただけで、そいつはいいから、すぐにソシモリを連れてこい、と指示を出した。八咫烏は露骨に嫌な顔をしたが、命令は絶対なのだろう。頭を下げるとソシモリの傍まであっという間に飛んでいった。


「ほら、手を出しなさい。本当は助けたくはないのだが、カヤナルミ様のご命令では仕方がない。お前を助けましょう」


 八咫烏は手を出したのだが……。

 ソシモリは八咫烏に向かって襲いかかった。岩から手を放し、八咫烏に向かって飛びかかり……結局そのまま岩の下へと落ちた。砂浜に頭から突っ込む。頭を抱えてソシモリはしばらく悶えていた。八咫烏はそれを見てひとしきり笑ってから、ソシモリを片手にむんずとつかむと、ひきずってカヤナルミの前に連れて行き、放り出した。


「カヤナルミさま、お連れいたしました」


 そう言って汚そうに手をはたき、それから念入りに黒い服をはたく。

 

「ご苦労、八咫」と和語で言ってから、カヤナルミは悶えているソシモリのそばに座り込むと、にっこりと笑いかけた。


「ソシモリ」


 ソシモリは和人から「ツヌガアラシト」以外の名前で呼ばれたことに驚いた。


徐福じょふくの宝のひとつ、あんた持ってるよね」


 驚いたことに駕洛から語だった。名前にカヤとついているから、駕洛国と関係があるのかもしれない。駕洛はカヤと呼ぶ人もいるのだ。


「なんだあ、ジョフクってのは」ソシモリが睨みを利かすが、この巫女は動じない。


「その胸元に入っている、七支刀しちしとうの柄さ」


 ソシモリは胸元を両手で閉じると、カヤナルミから遠ざけるように背を向けた。


「私のいうことをきかないと、それ、いつまでたっても使えないわよ」

 

 ソシモリが狼のような眼差しでカヤナルミを睨みつける。


「ババア、矛の出し方を知っているのか」

「ババアじゃない、カヤナルミ様だ」


 カヤナルミは今にも食いつきそうな顔をしているソシモリに顔を近づけると、いたずらっぽい瞳を輝かせながらソシモリの頭の角を突っついた。


「本当に本物なんだ、このツノ。前から触ってみたかったんだぁ」


 ソシモリがその手に噛みつこうとすると、カヤナルミは反対の手に持っていた玉をすっと二人の間に挟んだ。


「いいことを教えてやろうと思ってわざわざあんたを呼んだのさ。噛みつくんじゃないよ」


 カヤナルミは声をひそめてこう言った。


「矛の出し方を、確かに私は知っている」


 カヤナルミは笑った。

 パムはカヤナルミとソシモリの二人の間に挟まり立ってしまっていた。パムもその玉がのぞきこめる。玉を見ると逆さまになったカヤナルミが映っていた。ソシモリが眉間にしわを寄せて、その逆さまの像の映っている玉に顔を近づけると、カヤナルミの反対側にソシモリの歪んだ顔が映りこんだ。


「聞きたいかい?」


 カヤナルミはもったいをつけると、左手に玉を掲げたまま、右手の人差し指と中指を顔の前に立て、おもむろに呪文を唱えだした。

 しばらく何が起こるのかと辺りをうかがっていると、ソシモリが隠している胸元から七支刀の柄がひとりでに宙に浮いて出た。

 その柄は低い唸りをあげている。


「よく耳をすまして、かすかに聞こえる、その柄と共鳴する音を聞いてみな」

「なんだって?」

「頭悪いな。だから音だよ、音。音を探しな」


 ソシモリはその眼をキョロキョロさせながらかすかに聞こえる音を探した。

 どこかで、確かに矛の柄以外の唸りが聞こえてくるのである。

 その音を辿り、ソシモリは砂の上を右往左往した。


 そして。


 ソシモリの足が止まった。砂の上で気を失っているアカルの首にかけられた勾玉が陽の暮れつつある薄暗闇に光っていた。そして矛と同じように低いうなりを立てている。

 ソシモリはアカルの胸に光る勾玉を見つめ、それからカヤナルミを見た。カヤナルミはカラカラと笑いながら、アカルを指差した。


「いいかい、その子が矛を使ってほしいと心から祈らなきゃならないよ」

「何のことだ」

「その矛を使う条件だよ。その矛には矛と共鳴できる巫女の祈りが必要なのさ」

「はぁ?」

「矛を使いたければこの子にお願いをしなきゃならないってことだよ」


 そう言ってカヤナルミはさらにカラカラと笑った。


 アカルが胸の上で振動している勾玉のその唸りによって目を覚ました。アカルは起き上がるや否や、顔についた砂もかまわず、母に向かって訴えかけた。


「カヤナルミさま! 私はこんな盗人でウソつきで野蛮な男の力になるなんて、天地の神に誓って絶対にないわ。そんなバカなこと言わないで、私は加茂呂かむろさまのためでなければ祈らない。そう、加茂呂かむろさまのためでなければ! だからけっしてその矛が出てくることなどないんだからね!」

 

 ソシモリがキッとアカルを睨み据える。


「ウソつきとは誰のことだてめえ」

「あんたしかないじゃない。王子だとかなんとかウソついて、野蛮な盗賊じゃんか。私は何もウソなんて言ってないわ、本当のことを言っているだけなんだから」

「てめえの方がよっぽどうそつきじゃねぇか。オレ様を騙してお宝を盗ませておいて、盗人のオレ様から宝を奪ってるんだ。てめえの方が、よっぽど盗人でうそつきでブスで口ばっかりやかましい最悪の女じゃ」

「ブス? 最悪の女?」

 

 アカルは母の手から青い玉を奪い取ると、頭上にかざした。ソシモリは宙に浮いている剣の柄を掴み、身構えた。

 呪文を唱える。長く、長く呪文を唱えた。

 パムも、また閃光が出ると顔を背けていたが……今度はどれだけ待っても何もでなかった。


「ありゃ、不発か? こりゃ」


 ジリが言うと、土蜘蛛の男たちは大声で笑った。

 アカルはバツが悪そうに玉を下げると、


「あーもう、くやしい」


 アカルは何も光らない玉を砂浜に投げつけると、怒ってどこかへと去ってしまった。

「やっぱり、まだまだですな」八咫鴉が冷たく言い放つ。


 カヤナルミは涙を流して大笑いしながら、玉を拾い上げ、まだ七支刀の柄を構えているソシモリの肩をたたいた。


「残念だねぇあんた。あの分じゃ、どっちにしろあんたの役には立ちそうもないね。ま、アカルはまだここで修業をしなきゃならんし、すぐに戦さ場いくさばに行くわけにもいかないんだけどさ。ソシモリ、まだしばらくは七支刀を使うのはあきらめて自力で戦うんだね。加茂呂さまにお願いすれば、すぐに使えるいい剣をもらえるよ」


 ソシモリは「はあ?」と睨みつけた。


「誰だ、カムロってんのは!」

「会えばわかるよ」カヤナルミはほくそ笑んだ。ソシモリはその笑みをどう受け取ったのか、七支刀の柄を振りかぶって怒りをあらわにした。


「てめえ、オレ様をバカにしてやがんな。オレ様が誰だと思ってやがるんだ、斯羅國しらこくは王子、ツヌガアラシトだ。オレ様は丹波のふてえジジイにいい刀をもらったんだからよう、そんな剣なんかなくたって十分じゃあ! そんなわけのわからんやつの剣なんぞいらん。いいか、まず出雲に着いたらなあ、てめえの旦那っていうスサノオをぶっ……」殺す、という言葉を言う前に、パムは急いで「わ、わかったから!」とソシモリの口を両手で塞いだ。


「もがっもがっ」


 パムはソシモリの口を塞いだまま、威圧感のある巫女の目を、恐る恐る下からのぞきこんだ。そして駕洛語で言った。


「あ、あの、カヤナルミさん。僕たちがわざわざ気比からこんな遠くまで来たのは、あなたに会うためです。みんな、そのためにはるばる旅をして来ました。丹波の援軍というのはついでの話で……聞きたいのは、別のこと。僕たちの目的は猩々を倒すことなんです。それは僕たちを助けてくれた気比の土蜘蛛さんたちに恩返しをするためでもあって……。その剣のことは、僕は正直どうでもいいんです。剣よりも、どうしたら、猩々を倒せるのか、教えてください!」


 駕洛語で話すパムを見て、カヤナルミは目を丸くした。パムはその鋭い眼光に見つめられると、ひたいに汗が滲みでるのを感じた。何か、おかしなことを言っただろうか、何か、気に障ることをいっただろうか?


「僕たちが土蜘蛛から聞いたのは、ソシモリが猩々を倒すのに必要な人間だっていうことと、それにアカル姫の持っている宝が必要だってこと、です。でも、今見ていたその青い玉なら、猩々を倒せるんでしょ? その玉を貸してもらえませんか? 猩々を退治したら、気比の町から猩々がいなくなったらお返しします。どうかお願いします」


 パムはソシモリを抱きかかえた状態だが、できる限り頭を下げた。カヤナルミは何かを言いかけたが、口をつぐんだ。


 そして突然。


 頭をグラグラ揺らすと、視点が合わなくなり突然、その場に倒れ込んだ。カヤナルミに一体、何が起こったのだろうと皆、急のことに動揺していると、また巫女は木偶でくのように起き上がって口を開いた。


『皆のもの、聞くがよい』


 今まで語っていた駕洛語ではなく、和語だった。しかも発せられたカヤナルミの声は、別人のようになった。表情はなくなり、固まったかのように棒立ちだ。一体何が起こったというのか。


『ツヌガアラシトは現れる、ツヌガアラシトは現れる。

 ツノありて、海より渡り来たる者あり。

 七支刀を形なす者、それがツヌガアラシト。

 ヤマタノオロチを制する者、それがツヌガアラシト。

 ヤマタノオロチが消ゆる時、そのしもべたちも消ゆる。

 ツヌガアラシトを探せ、ツヌガアラシトを』


 巫女はそこまで告げると、また倒れた。


天御中主アメノミナカヌシのお告げでございます」と八咫鴉は宙で羽ばたきながら言った。


「なんだ、アメノなんとかって?」横にいたジリが訊いた。


「天御中主は、高天原たかまがはら……神々の暮らす天上世界におわす、偉大なる神であらせられます。皆の者、天御中主のお告げをありがたく頂戴するがよい」八咫鴉はツンと済まして言う。


「ヤマタノオロチってのは、なんや?」キジが問うと、


「ヤマタノオロチは……それは、巨大なオロチ、蛇でございます。いまのお告げでは、ヤマタノオロチを倒さねば、猩々は消えることはないということですな。つまり……」


 その時、カヤナルミが頭を振りながら起き上がった。


「ああ、頭が悪い連中だな。つまりだ。今私が持っている青い玉は、目の前にいる猩々を倒すことしかできんのじゃ。これで倒しただけでは、次から次へと新たな猩々が現れる。これで倒すことができていれば、今頃苦労などしておらん」

「はあ、なるほど」とユタは納得していたが、ジリはまだ首をひねっていた。

「そうか? あの光でバチバチやっつけりゃあ、猩々なんぞ、すぐいなくなるじゃろう」

「ああ、だから、頭が悪いのう! 元を断たねば、いくらでも奴らは増えて襲ってくるのじゃ!」

「元とはなんだ?」

「それと今闘っておる! 狗奴国くなこくのククチヒコが操るヤマタノオロチが元じゃ。ヤマタノオロチを倒さねば、しもべである猩々が消えることはない!」

「ククチヒコ」パムはなんとなく訊いた名前だと思った。なぜか体がぞくっとする。そういえば、太耳がそんな話をしていた。


「あの、今出雲のスサノオが戦っているという、相手でございますか?」ユタが眉間にしわを寄せてカヤナルミをみる。


「そうじゃ」

「でも、出雲が猩々を放ち、大八洲国おおやしまこくを混乱に陥れているのでしょう?」

 

 カヤナルミは怒りをあらわにした。


「誰だ、そんなことを言ったやつは」

「……丹波国主、太耳さまに訊いてまいりました。猩々は、出雲國が放っていると」


 カヤナルミは頭を抱えて「あのタヌキおやじめ」と呟いた。


「みな猩々は出雲のかたより来たるためにそう申しているのかもしれませんな。鹿頭よ、実際は狗奴国のククチヒコが放っておる妖怪でございます。誤解なきよう」と八咫鴉が上空から口を挟んだ。


 土蜘蛛はざわついた。お互いに顔を見合わせている。

 ソシモリがまだ口を塞いでいるパムを振り払うと、「おい、今何を話してるんだ」と訊いた。

 パムは、やりとりに圧倒されてぽかんとしていた。ああそうか、途中から和語になっていたのだった。いまのやりとりを思い出して伝える。


 ツヌガアラシトの出現が予言されていたこと、カヤナルミの持つ青い玉では目の前の猩々しか死なないこと、ヤマタノオロチを倒せば、どうやら猩々は消えるらしいことを伝えた。そしてそのヤマタノオロチを操っているのは、狗奴国のククチヒコ。スサノオが今闘っている相手であること。

 

 ソシモリは手にした七支刀の柄を見た。ふん、と鼻を鳴らす。


「よくはわからんが、これはやっぱりオレ様のものだってことだな」


 パムは、ひっくり返りそうになった。一体何をどう解釈すれば、そうなるんだ。

 ソシモリは柄をじっと見た後、カヤナルミを一瞥し、


「ババア!」と叫んだ。


「おいババア! そのなんだかいう蛇をやっつけたら、この七支刀は俺のものってことにしろ!」


 カヤナルミは大笑いを始めた。土蜘蛛の連中が、パムを見て「何を言ってるんだ?」と聞く。

「オロチをやっつけたら、このシチシトウ、ください、言ってマス」

「ええええーっ!?」

「それは無理だろう」

「なにせ、十種神宝とくさのかんだからだろう? あのカヤナルミ様の一族、宗像一族の御神宝……」


「いいだろう!」カヤナルミが叫んだ。土蜘蛛がワイワイ言っている間に、あまりにあっさりと承諾したので、その場にいた者の方が驚いた。


「本当でございますか! 本当にあの十種神宝とくさのかんだからを!?」ハハカラが目をまんまるくして叫ぶ。


「いいよ、ソシモリ。ああ、やれるもんなら、やってみな!」カヤナルミは駕洛語でソシモリに言った。


「はん。そしたら俺はこの七支刀で仇を討ちにいくだけだ。さ、話は終わりだ。さっさといくぞ、てめえら」


 ソシモリは肩をいからせて歩いて行った。パムがハハカラたちに戦に行く事を伝えると、土蜘蛛はカヤナルミに深く頭を下げ、ソシモリの後を追った。


「仇を倒せよ、ソシモリ」カヤナルミは後ろから駕洛語で声をかけた。

 

 パムはそれを苦々しく聴く。カヤナルミは、ソシモリの仇が誰なのかまだ知らないのだ。

 ソシモリは一度降りむいた。ふん、と鼻を鳴らして答えた後、指笛を吹く。鵺が「ヒーン」と言う鳴き声とともに現れる。ソシモリはひょいと鵺の肩に飛び乗ると、矛の柄を振り回して遊びはじめた。

 パムが振り向くと、そこにはもうカヤナルミも、アカルも、烏の姿も消えていた。累々と倒れる猩々だけを残して。

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