第15話 狗奴(くな)国来襲

 陽はすっかり海の向こうへと消えてしまい、あたりは暗くなってしまった。ウズヒコが腰から松の木を取り出すと、火打ち石と火種で手際よく火をつけた。土蜘蛛一同はその火を頼りに浜から町へと戻っていく。


「ウズヒコどの」とハハカラは前を歩くウズヒコに声をかけた。

「いくさの地はここから遠いのか? 我らはこれからどうすればよい」


 丹波軍のイヅツとともに前を歩いていたウズヒコは、いそいそと土蜘蛛のハハカラのいる場所まで下がってきた。


「ここから筑紫國つくしのくにへと行ってもらいます。ちょっと距離がありますが、そこが今いくさ場となってるんでさ。丹波の一行さんが援軍として来てくれれば本当に心強い。聞いてますよ。この辺りでは手に入らない武具をお持ちだって」

「いや、丹波は前の連中だ。わしらは気比の土蜘蛛。まあ、丹波で立派な剣をいただいたがな」


 ハハカラは銅剣をスラリと抜いて見せた。


「ああ、頼りにしてますよ。もういくさ場一人でも助けがほしい状態で……」

 

 そういうと、ウズヒコはひとり足早に前を歩いた。


 いかんせん出雲國いずものくには混乱のさなかにあった。

 稲作いなさ小汀おばまで待ちぼうけを食っていた丹波の軍とともに、行軍の物資を分けてもらうため、一度は出雲の町を訪れたのだが、食料も武器も何もなかった。すべて現れた猩々や大ナメクジに荒らされてしまっていたのである。結局そのまま一夜を明かした後、ウズヒコに案内されて、筑紫つくしへの旅路についた。しばらくは海岸を右手に見ながら南西へ向けての行軍となった。


「みなさん、はやく! まったくなんてノロいんだ。これでは出雲は全滅してしまうじゃないか!」


 100人の軍ともなると、そう思うようには進まない。丹波軍のあゆみののろさにイライラしながら鵺をも追い抜き、一人、先頭を切っていくウズヒコであった。しばらく平原がつづいていたから、景色も変わらず進んでいる気がしないせいもあるだろう。よけいにイライラしてしまうのだ。

 でも土蜘蛛は呑気であった。


「そんなに焦るな、ウズヒコどの」

「出雲は逃げやしませんで」

「焦ってくださいよ! 非常事態なんですよ、あんたたちは、まったく!」


 焦っても仕方がない、長旅ならそれなりの速さでいかねば長続きしないものですよ、とユタがウズヒコに伝えたが、聞く耳持たず。まったくこのウズヒコのイライラは見ているこちらも気分が悪い。気分をなんとか変えられないかとパムがやきもきしていた時、ジリが不意にこんなことを口にした。


「おう、ウズヒコさんよお、スサノオってどんなやつだい? あんたらのとこのおさなんじゃろうが!」訊いたという感じではない。列の後ろから怒鳴りつけた、その表現の方があっている。

 ウズヒコは突然スサノオの名を聞いて飛びあがった。先頭の鵺に乗っているソシモリも、スサノオの名前を聞いて振り向いた。パムが、なんでもないと身振りで伝える。


「しっ。その名を呼ぶな。加茂呂かもろさまと呼べ」


 ウズヒコは、誰もいない野っ原なのに、左右を伺い、列の後ろのジリのところまで下がってきた。


「加茂呂?」

「あの名前では呼んではならぬとのお達しなのだ。加茂呂さまとお呼びするように」

「なんでじゃ」

「敵国、狗奴くなのククチヒコが、スサノオの名前を唱えて居場所を探しておる。ククチヒコは怪しい妖術を使うからな、本当の名前は隠さねばならぬのだ」

「ふむ、なるほど。あいわかった」


 そういえば、加茂呂というのはカヤナルミも呼んでいた名前だ。加茂呂というのは、スサノオのことだったのか。


「へんな名前だなあ」ジリは笑いながら、「じゃあ、その加茂呂さんのことを教えてくれよ」と気比から持ってきている巨大なひょうたんをクイっと煽った。ジリにしてみれば、スサノオの話を酒の肴にする気らしい。


「スサノ……いや、加茂呂さんか……そいつはずいぶん強えやつらしいじゃねえか、え?」


 ジリの質問にウズヒコはため息をついて答える。


「あなたたちは知らないでしょうけど、そりゃあ、おっかないんですよ。見るものはみんな、その眼光をみると石になっちまうって話があるくらいでね。 恥ずかしい話ですが、私なんかションベン漏らしちまったこともありましてね。真正面から話なんかできやしませんよ。あんまり大きな声で言えませんが、さきほどのカヤナルミさまは、加茂呂さまの妾なんでしてね。巫女は処女じゃなきゃいけないはずですが、相手が加茂呂さまじゃあ誰も文句は言えねえ。カヤナルミ様もあのご気性だから、こちらにも誰も文句が言えねえって塩梅です」

「メカケ、なに?」パムが横から口を挟んだ。


「お子様は知らなくていいことですよ。ま、奥さんとは別の女ってことで。

 加茂呂さまの妻はクシイナダ姫って言いまして、出雲にいらっしゃる。こちらもおっかない奥さんでしてね。加茂呂さまも大八洲国おおやしまのくに(日本のこと)を統べるためにあちこちに旅してますから、方々に女がいて奥方も頭が痛いってもんでして……おや?」


 ウズヒコが不意に上を向くと、空を指差す。赤い衣を翻した猩々が、パムたちのはるか頭上をヒュンヒュンと音を立てて、飛び越えて行った。それが何匹も何匹も空を飛んでゆくのである。

その猩々の群れはパムたちには目もくれず、南西の方から北東へと次から次へと飛んでは消えてゆく。


「あいつらどこへ行くんだ?」ジリがぽかんとして頭上を見上げる。


 遠くから仲間の猩々の奇声も聞こえた。東の方からこちらの猩々を呼んでいるようで、東の猩々が啼くと、南西から現れた猩々がそれに応える。ソシモリは鵺の上に立ち上がり、その行く方をしばらくじっと見ていたが、おもむろに


いくさだ! 出陣だ!」


と大声で呼びかけた。パムが訳して


「イクサ。行きマス言ってる」


とウズヒコに伝えると「いくさですって?」とぽかんとしてパムを見た。


「出雲國へとものすごい数の何かが向かってるぞ」と駕洛語でいうソシモリの言葉を

「出雲のクニ、すごい数、向かっていマス」と訳して伝える。

「すごい数!?」ウズヒコの顔色がさっと青くなった。


 その会話の横で、ユタがひょいひょいと、近くのケヤキを登り、遠くを見回した。


「南だ。やられましたな。敵は、われわれの南を大きく回って出雲へと向かっておりますよ」

「南から!?」ウズヒコはユタが指さす南の方角を見ると、呆然とした。パムもつられてそちらに顔を向けると、南の空が赤く染まっていた。


「アレ、何?」パムが訊くと、

「猩々だろう。信じられない数が飛んでいるな」ハハカラも立ち止まってそう言った。

「方角からすると、出雲の方へ向かってるんなやいか」


 キジの言葉に、ウズヒコはへなへなとその場に座りこんだ。


「おい、案内どの、座っている場合じゃなかろう、急いでとって返すぞ」


 ハハカラがウズヒコの首根っこを掴んで立ち上げようとするのだが、ウズヒコはメソメソと泣き、ハハカラに背くようにそのまま、再び座りこんだ。


 そこへ、先を行っていた丹波のイヅツが肩をいからせ、行軍を止めている土蜘蛛に文句を言いに後列へと戻って来た。


「いったい何をしておるんだ! 貴様ら、止まってないで早く進め! ほら、肝心な案内のウズヒコどのまで、いったい何を座りこんでいるんだ」


 イヅツは、座って呆然としているウズヒコに向かって怒鳴りつける。ウズヒコはまっすぐ指をさした。イヅツは「はん?」と言いながらその視線の先を見た。


「なんだ、あれは? なんだ、あの赤いのは」

「猩々ですよ……出雲へと向かっているんだ……もうだめだ……出雲は、出雲の軍は、加茂呂さまはやられてしまったんだ……やっぱり遅かったんだ……丹波軍がもう少し早ければ間に合ったのに!」

「なんだと、丹波のせいにする気か! ふざけるな! だいたいお主ら出雲がしっかりとククチヒコを抑えんから、丹波まで猩々が現れるのだ。もともとは出雲のせいであろう」

「こんなに遅れて来ておいて、いばりやがって。あんたらがもっと早く来てくれさえすれば、もっと早く来てくれさえすれば……ああ……」ウズヒコは地面に突っ伏して、しまいにはワンワン泣き出した。


 丹波の行軍は止まってしまい、そして兵たちは真っ赤に染まった南方をじっと見た。

 空が赤く見えるほどの猩々の大群は、ジリジリと東の方角へと位置を変えている。しばらく頭上を飛んでいた何匹かの猩々も、あっという間にその集団へと飛んでいき、姿はとっくに見えなくなっている。

 鵺がひーんと啼くと、遠くで猩々がそれに応えるがごとく奇声をあげた。

 ほうぼうで猩々が啼く。

 こちらで鵺が啼く。

 最初は、鵺の啼くさまを笑っていた丹波の兵たちも、次第にその不気味な啼き声の応酬に身震いをした。そこへ


「ゴオウ、ゴオウン」


 ひときわ大きな、そして聞いたことのない啼き声が空気を揺さぶらんばかりに響いた。


「なんだなんだ」


 ざわめく兵たちを尻目に、ソシモリの行動は早かった。鵺を東の集団のいる方角へと向けたのである。ゴオウ、という啼き声の方へ。


「出雲へ戻るぞ、まだ間に合うかもしれねえ」ソシモリの言葉を、パムは訳した。

「出雲へ、戻りマス。間に合うカモデス」


 それを聞いた丹波の兵たちは急いで冑をかぶり直し、土蜘蛛も頭巾をしばり直した。

 ハハカラが座り込んでいるウズヒコをもう一度立たせ「ほら、泣くな」と言った。


「泣くのはいいかげんにしろ。ツヌガアラシトも言っているじゃないか。まだ猩々が出雲を襲う前に間に合うかもしれん。行くぞ」


 ウズヒコは「わ、わかりました……」とうなずいた。


 太陽はまだ天高く登っているのに、うっすらと東の空は赤く、そして黒い雲がグルグルと渦巻いていた。天候が急激に変わリつつある。見るからに何かが起こりそうな天候である。その赤い猩々より先に出雲へ戻らねば。


 生温かい風も吹きはじめ、パムの体を包み込む。

 パムは生暖かい空気に言い知れぬ不安を覚えて、「ソシモリ!」と鵺を追って走り出した。

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