第13話 太耳の謀略に乗る

 屋敷の中では大勢の女が部屋の両側に隙間なく並んでおり、ソシモリとパム、そして土蜘蛛つちぐもの四人が部屋に入ると、一斉に頭を下げた。

 さらに奥へ入ると、ゴザの上に胡坐をかき椀をあおって酒を飲む太耳ふとみみがいた。何を食べればここまで太ることができるのかというほど太い。そして耳たぶもたっぷりとして肩に乗りそうな豊かな耳たぶだった。豪華な衣装と、豊かな体格の持ち主は、碗をそばの女に渡すと、こちらを見て笑った。


「ああ、よくいらっしゃいました。まぁ、そこへ座りなさいな」と優しげに声をかける。


 パムが戸惑っているのに対し、ソシモリはいきなり怒鳴りつけた。

 

「てめぇ、こんなことしやがってただじゃおかねぇ! てめぇのケツの穴からこの剣を突っこんで、ぐっちゃぐちゃの、めっためったにしてやる」


 太耳はにこにこと笑いながらパムの方を見た。


「あなたが言葉を駕洛から語で伝えてくれるのかしら」


 パムは後ろの土蜘蛛たちを一度見た後、太耳に向かって頷いた。


「えっと、トテモ僕の口から言えないコト、言ってマス」

「そうでしょうね。言葉は分からなくても通じるものね」


 太耳はそういいながら手を叩いて女を呼び、一言二言支持をだすと、それからすぐに食事を盛った膳が次から次へと運ばれてきた。みるみるうちにパムとソシモリ、そして土蜘蛛の前に食べ物が並ぶと、みなは顔を見あわせた。捕まってからほぼなにも口にしていないのである。豪勢な食事が目の前に並ぶと、唾をごくりと呑み込んだ。しかし、まだ身体は縛られており身動きがとれない。

うらめしそうに太耳を上目づかいでみる土蜘蛛の一行に、太耳は念を押した。


「ツヌガアラシト、そして他の者たち、暴れないって約束してくれたら縄を解くわ」


 パムが伝えるとソシモリは首がちぎれんばかりに勢いよくうなずいた。太耳はにっこりと笑うと兵に支持を出して縄を切らせ、ソシモリとパム、土蜘蛛はようやく自由になった。自由になるなり食事に手をつける。


「さ、召し上がれ。今日のこのすばらしい出会いのお祝いよ」


 パムは一瞬、考えた。

 この男がすんなりうまい食べ物を出すはずがない、毒でも持っているんじゃないか、さもなくばとんでもない条件を出されるんじゃないか……しかし、しばらく黙ってご馳走を見ていたが、あまりに美味しそうな匂いに我慢できずに食べだした。腹が減っていたこともあるが、それを差し引いてもうまい。採れたての魚、どんぐりのだんご、のびるの汁、栗、いちじく……そして玄米の炊いたのが本当にうまかった。


「ワタシ、駕洛国の金海からキタ。金海、米ウマイ、でも、この米もウマイ」


 パムの言葉に、


「よかったわ。この米は筑紫から送ってもらっているのよ。向こうではここよりもさらに米作りが進んでいてね、今度は米の作り方を教えてもらうように話はちゃんとしてあるんだけど、あいにく今は戦乱の最中。狗奴國くなこくと出雲が争っているじゃない。米どころじゃなくってね、」


 と、太耳は残念そうな顔をしたが、あらためて食べている二人の顔をじっと見ると、話しはじめた。

「今日はみなさんにお会いできてうれしいわ。ツヌガアラシトの武勇伝はこの丹波にも届いてるのよ。気比に海の向こうの駕洛国からツノの生えた客人がみえたってね。」


 太耳がついとソシモリの角の方をみると言葉が分からずとも察したのか、ソシモリは眉間に皺を寄せ、片手でツノを隠した。口に食べ物をいっぱいにほお張りながら、太耳を睨みつける。どうやらツノの話をされるのが嫌いらしい。


「そのツノの生えた人間が、気比に現れてすぐにあの恐ろしい鵺を従え、あの丹波にまで聞こえるほど有名な山賊、土蜘蛛の一員となり、しまいには気比を治めるのだと聞いたわ。気比にいる私の友人が教えてくれたのだけど、土蜘蛛がさらに強大になると恐れていたわ」


パムは太耳を見ると、


「今の、ソシモリに訳すカ?」


と、聞いた。


「ごめんナサイです、全部伝えるの、難しいデス」

「ふふ。あなたが伝えないと、彼はまったくわからないのね。ま、会えてうれしいって言っておいて。少し落ち着いたら大事な話があるから、そちらはちゃんと伝えてちょうだい」


 パムは言われたことだけを訳したが、ソシモリにたいした反応はなかった。

 パムは太耳を見ないように、声をひそめて駕洛語でそのままソシモリに話しかけた。


「ソシモリ、なんかおかしいと思わないっすか。僕たちにこんなご馳走を用意してくれるなんて。ご馳走はうれしいっすけど、なんかあの男だか女だかわからないあいつが気持悪くて」

「そうか?」


 ソシモリは気にもせず、なんとメシのおかわりまで要求していた。


「きっとこれは何かの罠っすよ。なんか話しがあるって言ってたし、ソシモリ、気を付けた方がいいっすよ」

「おう」


 返事はしていたが、ソシモリの返事は当てにはならなかった。

 太耳は、じっとこちらを見ながら話しはじめた。


「さっきも少し言ったけど、今オオヤシマ(日本の事)では争いが絶えないのよ。

 今大きい争いになっているのが、狗那國と出雲國。

 狗那國は九州にある小国だったんだけど、九州に散らばる小さな国々を次から次へと攻め落とし、その手におさめて、今は海峡を越えて瀬戸内海を東へ東へと攻め込んできているの。狗那國の王はククチヒコ。呪術が使えるなんて噂もあるわ。

 そして一方でその瀬戸内海を席捲しているのが出雲國のスサノオ。どうやらあの赤い森の妖怪、まるでヒヒみたいなおそろしい猩々を、出雲の王スサノオが送ってくるみたいなのよ。周囲の国に片端から猩々を送りこみ、国が弱ったところに兵を送りこんで支配しているの」


「スサノオ!」


 ソシモリは例のごとく、スサノオという言葉に反応して立ち上がった。


「スサノオ、殺す!」


 顔色の変わったソシモリは、突然眼の前の膳を太耳の方に向かって投げつけはじめた。ソシモリが隣のパムの膳やジリの膳からも、皿でも食べ物でも投げつけるので、部屋の脇に立っていた短甲兵が驚きソシモリを止めに入った。身体の大きさの割に力の強いソシモリに手こずりながら、護衛兵はなんとかソシモリを再び縛り上げる。

 太耳が突然のことで胸を押さえて驚いているので、パムが「昔酷いことがアッテ」と説明した。


「ごめんなサイ、子供のころ、ソシモリ、母親ヲ、スサノオに殺さレタ」

「ソシモリ?」

「いえ、ツヌガアラシトでス。ツヌガアラシトの母親、スサノオに殺さレタ」

「まぁ、ひどい。」

「ダカラ、ツヌガアラシトはスサノオを殺したい、オモッテル。ソシモリ、可哀そうな奴デス」


 そういいながら太耳の表情が刹那、歪んで見えた気がした。

 パムはもう一度太耳を見なおしたが、その表情はソシモリの過去を聞いて悲しんでいる表情にしか見えなかった。

 それからパムは、


「土蜘蛛の村にも、猩々キタ」と言った。


 パムの言葉に太耳は悲しい顔でうなずくと、


「ええ、そうでしょうね。わが丹波にも猩々が何度もきているけれど、何重にも塀を巡らすことで対応しているわ。その丹波を襲えなかった猩々が、そのまま北まで行ったと聞いたわ。どうやらあなたたちのいる気比まで行ったのね」


 パムは太耳の話しをできるだけ、ソシモリに伝えていたが、難しい言葉、分からない言葉は省略している。もっとも、ソシモリはそんな込みいった話は端から聞いてはいないし、スサノオの言葉を聞いてからはもう興奮状態で、縛られたまま、聞こえてはいるが何も聴こえず、見えてはいるが何も視えていないようだった。


「今、その出雲から、狗那國を倒すために協力するように求められているの。」

「は? 何じゃそりゃ」そう口を挟んできたのはジリだった。

「確か、さっき猩々を送りこんでいるのは出雲だと言わんかったかい?」

「ええ、猩々を送りこんでおいて、ひどい話だとは思うけれど、でも本当に出雲が送りこんでいるのかという証拠はないのよ。だから今は断れない状況なの」

「ではなぜ出雲が猩々を送りこんできていると知っているんだ」そう口を挟んだのはハハカラだった。

「私を誰だと思っているの?」太耳は、口を歪めて笑った。「丹波國の太耳よ。それくらいの情報はいくらでも入って来るわ」


 キジが、そっとハハカラに耳打ちをする「たしかに、情報じゃあ太耳さまの他にかなう王などいないかもしれまへんで。それくらい情報通や」


 太耳はその言葉にうなずくと、話しをつづけた。


「出雲は今や葦原中つ国あしはらのなかつくに(日本の古い呼び名)の中でも最大の王国となりつつあるわ。その巨大な出雲國を敵に回して戦うか、涙を飲み出雲の味方となってこの丹波を守るか、その瀬戸際にいるの」


 パムは聞いてもいないソシモリに伝えるのをやめた。


「太耳サマ」


 パムは皆と同じように名前を呼んだ。


「ツヌガアラシトは子供デス。難しい国ノ話し、ツヌガアラシトに話しても、意味がナイ」


 パムは正直な感想を言った。これ以上国家の存続の話しをこんな子どもの自分にされても困るのだ。

 この丹波国はすでに統率された兵がいて、この太耳という王が政治を執りしきっているようだ。それに家や張り巡らされた柵などの建造物も、山海そろった食べ物も、質のいい服もすべて土蜘蛛の村とは比べものにならないほど進んでいる。文化は駕洛国に劣らないほど進んでいるとパムは思った。

 この進んだ国が、一体こんな子どもを相手に何をしてほしいというのだろう。


「それより、カヤナルミ姫に会わせテクダサイ。僕たち、それだけ聞きタイ」

「カヤナルミ……ああ、そうだったわね。あの子ならもう西へと行ったわよ」

「ツヌガアラシトと話ししたら、カヤナルミの居場所教える、キイタ」

「そんなことも言ったかしらねえ」


 食えない人である。

「このやろう!」と土蜘蛛の男たちが、一斉に立ち上がった。武器は持っていないが、素手や膳の乗っている盆で戦うつもりである。


 太耳は「まあまあ」と土蜘蛛たちに手をふって落ち着かせると、全員に近くまで来るように言った。

太耳の身体から甘い匂いがするのだが、こんな太った男からする匂いだ。顔をしかめて少し遠ざかろうとするパムやハハカラの腕を捕まえて、太耳は顔をくっつかんばかりに寄せた。


「あなたたちに大事な話しがあるの」

「な、なんでショウ」

「なんだ」

「なんやねん」



「スサノオを殺してほしいの」


 その甘ったるい匂いと、女のような話し方から放たれる矢のような言葉が、パムを襲ってくる錯覚を感じた。そしてパムの腕を太耳が強く握った。握られた腕が、そこから氷のように冷たくなるのを感じた。


「い、イヤ、ツヌガアラシト、ホッテおいても、スサノオを倒しにイクよ」

「あなたたち、スサノオは越の国のオロチを倒した男よ。あいつこそ化け物よ。生半可なことで殺される男ではないわ。あいつは尋常じゃなく強いの。あなたたち田舎小僧の相手になる男じゃない」


 田舎呼ばわりをされてパムはむっとしたが、太耳はその場にいる一人一人の目をじっと見ながらつづけた。


「そうでなくても彼の取り巻きも屈強の男たちが揃っているわ。呪術を使う者もいるという話よ。そう簡単には殺せやしない」

「……」


「あなたは、一体なにが目的なのですか?」静かに聞いていたユタが、訊いた。


 しばらく太耳はもったいをつけてから、にっこりと笑う。


「いい作戦があるの」

「作戦?」

「あなたたちも、丹波の國もお互いに幸せになる計画よ」


 太耳は掴んでいた手を放すと、部屋の脇に待機している兵に声をかけた。そして兵が絹布を持って現れ太耳に渡す。太耳はそれを菰の上にさらりと広げ、一同に見せた。ハハカラ、ジリ、キジ、ユタものぞき込む。すると少し落ち着きを取り戻したソシモリが縛られたまま、もぞもぞとこちらへとやってくるではないか。

葦原の中つ国の地図がそこに描かれている。


「ここがアナタたちの国、気比よ。そこから西へずっとくると若狭の国、そしてこのあたりがワタシの国、丹波ね」


 太耳の太くて丸々とした指は、葦原中つ国の北の海岸線を辿りながら、西へ西へと移動していく。


「さらに西へ。このあたりがスサノオの出雲國」


 ソシモリはスサノオの名前に身体をびくっとさせたが、驚いたことに暴れずにじっと地図を見ていた。

「いま出雲はこの不弥國ふみこくあたりに陣を構え、九州の狗那国に備えているわ。もう不弥国は出雲のスサノオのいいなりになっているの」


 太耳はふと、ソシモリが真剣なまなざしで地図を見ているのを見ると


「あなた、ツヌガアラシトに伝えなさい」


と、指示を出した。パムはしばし黙り、考えていたが、今聞いた葦原中つ国の状況をソシモリに説明をする。

太耳はその様子をみてうなずくと、おもむろに居住まいを正した。


「ワタシがお願いしたいのは」


 もったいをつけて土蜘蛛の一行をそれぞれ見る。


「あなたたちに、この出雲の援軍にいってほしいの。丹波の軍として」


 パムは訳そうとして、口をつぐんだ。彼の言葉が何を意味しているのかが分からなったのだ。


「それはドウユウこと。太耳様、援軍はスサノオ助ケルことデショ。あなた、スサノオ、助けたイカ」

「さっき出雲から援軍を要請されているって言ったわよね。その援軍として、この丹波の軍としてアナタたちに行ってもらいたいの。もちろんあなたの仲間だけじゃなく、ウチの兵も1,000人ほどつけるわ。武器も必要なだけ用意するし、食料も用意する」


 パムはソシモリにそのまま訳して伝えた。ソシモリは怪訝な顔をしてじっと聞いている。


「いい? これがどういうことを意味しているか。この方法ならスサノオのそばまで簡単に近づけるのよ。わかる?」


 太耳の言葉は次第に熱を帯び、顔は上気し、手を大きく広げながら弁舌をふるう。


「自分で言うのもなんだけど、スサノオは私のことを一国主として一目置いているわ。この広大な領地をもつ人間はこの葦原に二人といないもの。その私が援護としていかせる軍なら、スサノオは喜んで受けいれるでしょう。スサノオが受けいれたらこっちのもの。相手はアナタを味方だと思っているし、それにアナタはまだ少年、容易に懐まで入り込めるはずよ。」


 太耳はくすっと笑った。


「残念ながら、スサノオをワタシの手で倒すということはできない。スサノオは私を認めながらも、人一倍警戒しているから、ワタシと会う時は大体大勢の警護と一緒に、距離をとって離れて会談をするの。失礼しちゃうわね。でも」


 太耳はソシモリの鼻を指でそっと突っついた。


「あなたなら殺せる」


 パムが伝えることばを聞きながら、ソシモリは目をぎらりと光らせた。


「いい? 狗那國と争いになったら、必ずスサノオはククチヒコを自分の手で倒そうとするはずよ。その時を狙いなさい。いい? ククチヒコと対峙しているときがねらい目よ。その時ばかりは、化け物のスサノオもククチヒコに全神経を集中するから、背中ががら空きになるでしょう。スサノオがククチヒコを刺したとき、アナタはそこを後ろから一突き、スサノオを刺すの。どう? いい考えでしょう。もう一度言うわ。ククチヒコと戦う時よ。これが一番、スサノオのスキのできるとき」


 太耳は剣を刺す真似をした。


「やってみる価値はあるんじゃない。とりあえず、アナタたちだけで出雲に行っても箸にも棒にもかからないわ。それが私の作戦なら、スサノオに一気に近づくことができる。ウチの兵もつけるんだから、悪い話じゃないはずよ」


 太耳は二人を見てにっこり笑った。


「ワタシのかわりに、スサノオを、殺してちょうだい」

「あの失礼だが」ハハカラが苦虫をかみつぶしたような顔をして口を挟んだ。

「わしらには、スサノオを倒す意味がないのだ。そんなお主の事情に付き合うほど暇ではない。今わしらの村は猩々のおかげでとんでもないことになっているのだ。一刻も早く、わしらはカヤナルミ姫と話をし、猩々を倒すすべを知っているアカル姫を探して戻りたい、それだけなのだ。そして猩々を倒すためには、そのアカル姫とツヌガアラシトが必要なのだ。悪いが、今回の話は別の人間にしてもらいたい」

 ハハカラは、深く頭を下げた。それを見て太耳はカラカラと笑い出した。


「あら、それじゃあ、ちょうどいいじゃない。カヤナルミも、アカル姫もそこにいるわよ、出雲の

國に」

「なんだと?」驚いて、みなが声を揃えて訊いた。

「なぜあなたはそんなことがわかるのですか?」ユタが怪訝な顔をして訊くと、けろっとした顔で太耳は言う。

「あら、あなたたち知らないの? 知らないなら教えてあげるわ……カヤナルミは……」


と、一度言葉を区切ってもったいをつける。


「カヤナルミはね、スサノオの女よ」

「なんだって!」


 驚いて、一同は顔を見合わせた。太耳はさらにつづける。


「だから出雲に向かったのよ。今最大の危機にある愛する男を助けに、出雲に行く、泣かせる話よねえ? それからね、もう一つ教えてあげるわ。アカル姫は、スサノオとカヤナルミ、二人の子どもよ」

「ええっ!」


 パムは、その言葉をソシモリに伝えられなかった。まさか、こんなところで、あの少女とスサノオがつながるとは思わなかったのである。この言葉を伝えたら、ソシモリがアカル姫に対してどう出るのか、想像がつかなかったのだ。


     *******************************************************


 アカルがスサノオの娘だと言う話をソシモリに伝えないまま、その場はお開きになった。


 こうなれば出雲までアカル姫を追いかけるまで、とハハカラの一言で土蜘蛛一行はしばらくこの町で待機することになり、町の一角にある家でただただ、太耳の支持を待った。

 ハハカラはじっと姿勢を正して座りつづけ、ジリは木ノ芽峠から持ってきた酒を煽ってばかり、キジはあちこちに情報を集めに走り、ユタは太耳の近習からもらい受けた文を読みふけっていた。

 そしてソシモリは、丹波の町から出て鵺のところへ行って野山で好きにしていた。初めは大人しく待てと言っていたのだが、その方がかえって静かでいい、とみな放っていた。丹波の人たちは鵺の恐ろしい姿に恐れおののいていたが、パムが弁解して歩き、しばらくすると害はないと理解された。そしてそのパムは……ソシモリについての弁解が終わると、やることもなく、ただ横になっていた。ただ待つと言うのは暇なものである。


「ほんのいく日か出かけて、アカル姫を見つけたらすぐ戻るつもりだったのにのう」ジリは狭い部屋の中でそう呟いては、酒をあおる。

「本当だ。子どもたちが心配だ。元気にしているだろうか……」ハハカラは、時折そう呟いた。そしてたまに外に出て、星を見あげている時があった。猩々の息を吸い、寝込んでしまった妻のことも思い出しているのだろうか。などとパムは思ったが、声などかけられるはずもない。


「だが仕方ない。これも家族を守るためだ」


 ハハカラは気丈にもそう言いながら姿勢を正し、パムに向かって笑いかけた。


 太耳は援軍を改めて編成するから待て、と告げていた。そう時間はかからないとの話だったが、とはいえ装備やら食料やらを支度するのだ。結局、出立のための召集が掛かったのは、それから十日ほど経った頃のこと。

 イナキ兵長が部屋にやってきて、「一同、集まるように」と声をかけた。

 パムは急いでソシモリを呼ぶために指笛を吹いた。遠くで鵺が「ヒーン」となく声がしてしばらくすると、ソシモリがしれっとして門を通してもらい、部屋へと戻って来た。パムたち土蜘蛛一行は一緒に集合場所の広場へと赴いた。兵たちに地面に押しつけられた場所である。はじめはそれを思い出して顔をしかめていたが、広場へ入ると同時に一斉に感嘆の声をもらした。


 そこには集められた兵がきっちり100人、それはそれは美しく隊列を組み、整然と並んでいたのである。パムは思わず、


「すげえ」


と駕洛語で呟いた。

 この軍は急ごしらえの寄せ集めだ、と太耳は言ったが、日頃から訓練されているのがよくわかる。この軍は誰一人として隊列を乱さず、静かに指示を待っていた。

 隊長とおぼしき精悍な青年が一歩前へと進みでる。


「丹波を率いるイヅツである。一行とともに出雲へ向かうよう仰せつかった。今後は私、イヅツの指示のもと動いていただくことになる」


 パムはそのイヅツの姿を上から下まで見た。

 青銅で作られたかぶとをかぶり、このあたりの者が”伽和羅かわら”と呼ぶ短甲(丈の短いよろい)を身につけていた。袴の膝のあたりを、赤い足結いの緒でしばってある。腰には頭槌かぶつち大刀たちき、丈の短い刀子とうすも差してあった。


 冑は銅か、とパムは心の中でイヅツの恰好の品定めをしていた。丹波は鉄のやり取りをしていると聞いたが、まだ部下に持たせるほど、ふんだんにはないのかもしれない。


 パムはそっと彼の後ろを見る。隊長の背後にぴくりとも動かずに控える歩兵たち。彼らの装備はというと、木の板を縄で編み、身体の前後に当てている程度の鎧ともいえぬような代物だった。が、髪型はきっちりとみづらに結っているところは、さすが土蜘蛛とは品が違う。

 元の色なのか汚れた色なのか分からぬ黒のぼろ毛皮を着て、腹を掻きながら好き勝手に居並ぶ土蜘蛛とは比較にならない。


 ハハカラがイヅツの前に進み出て挨拶をした。


「わしは土蜘蛛のハハカラじゃ。これから一緒に行動していくことになるが、こちらは軍としての教育はしておらんため、不備もある。足りぬところはぜひご指導願いたい。しかし」と、さらに続けた。

「さて、こちらのツヌガアラシトであるが、あいにくと言葉が分からぬ。ちと面倒であるがツヌと話したいときにはこの小僧を通して話しをなさるがよい」


 イヅツはジロリと、ソシモリを見、そしてパムを見る。

 パムは軽く頭を下げて、ソシモリにハハカラが何を言っていたのかを伝えた。


「ソシモリは言葉がわからないからって話をしている」


 そこへ太耳がご機嫌な足どりで巫女に囲まれながら現れた。


「あらあ、みんなお揃いね。どう、立派な兵が集まったでしょ。これなら出雲への援軍としても十分ね」


 太耳のその言葉に兵たちは一斉に頭を下げた。そして、土蜘蛛のところへそっと耳打ちをする。


「ちゃんと目的は忘れないでね」


 ソシモリに目配せをすると、くるりと振り向き、巫女たちに合図をした。巫女たちは手に手に包みをもち前へと進みでる。包みを開くと、金色に輝く銅の剣が六本現れた。


「これはあなたたちへの贈り物よ。これで出雲へ行っても頑張ってちょうだい」


 土蜘蛛が銅の剣を腰に佩くと、一行はゆっくりと進みだした。

 ソシモリはふいに指笛を吹いた。

じっと森で静かに待っていた鵺が現れ、兵たちがどよめき、弓矢を持つ者は一斉に矢をつがえた。太耳がその弓を制する。

 ソシモリがその頭上にかるがると乗ると、またどよめきが起こった。


「オレ様は、駕洛からより来た、斯羅しら國は王子、ツヌガアラシトじゃあ! オレ様の後についてこい!」


 パムは苦笑いしながら、小さな声で訳した。


「イヤ、アノ……斯羅國の王子、ツヌガアラシト、デス。ついてコイ、って言ってマス」太耳はそれを聞いて大きく笑った。


「たしかに只者ではないわねぇ。期待できそうじゃあないの。いってらっしゃい。吉報を待つわ」


 一同は太耳と巫女たちの見送りを受けて、丹波を出発した。

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