第7話 行くべきか、出るべきか (3)

 芝田君が、自分の人生設計という重大な問題をあっさりと棚上げにして、吉川さんと本格的に付き合い始めたのは、そのコンパの二ヵ月後だった。


 コンパの翌日、コンパを主催した同期から、「吉川さんがどうやらお前に興味があるらしいぞ、どうする芝田?」と聞かされた。女性側の幹事役だった子を通じて打診があったそうだ。

「そんなに悪くないってお前も思うんだったら、深く考えずにとりあえず一回映画でも行ってみたら? 連絡先は聞いとくよ。」


 最初は正直、断る気だった。どうせ最後は船を降りるか残るかで揉めて別れる事になるんだから、本当に残念だけど深入りしない方がいい、と思った。


 でも、その選択に対して悶々としている自分がいる。あんなに気が合いそうな子と偶然出会える機会なんて、そうそうあるもんじゃない。しかも相手も好意を持ってくれているなんて、これ一生に何回も無いチャンスではないのか?

 それを、全く本人と話もせず「定住組だから」とかいうちっぽけなレッテルだけで断ってしまうなんてバカバカしくないか?


 で、結局、吉川さんと二人で映画に行くことにした。

 映画の内容は正直どうでもよかった。とにかく新鮮な驚きで一杯だった。今までに芝田君が付き合った女性は、同じ部活だったり趣味をきっかけに仲良くなったり、必ず何らかの共通点があったが、吉川さんとは何一つ趣味も共通の話題も無かったのに、不思議と会話が弾んだ。

 何よりも、まだ出会って二度目なのに、会話の間にちょっとした沈黙が出来てしまっても全く気まずく感じなかったのは、芝田君にとって人生初めての経験だった。

 会話の切れ目の沈黙で何か話題を出さなきゃと焦らなくても、この人なら大丈夫じゃないかという不思議な安心感が彼女にはあった。


 そして帰りの別れ際、「今日はとても楽しかった。ぜひまたどこか行こうね」と笑う彼女に、「そうね、次はいつにする?今もうこの場で時間決めちゃうか。」と芝田君は自分から次の予定を決めにかかった。断られるかもな、とは一切思わなかったし、実際彼女は明らかに社交辞令ではない喜び方で快諾した。


 自宅に帰る彼女の後ろ姿を見送りつつ、そこでふと冷静になった芝田君は「俺、なにやってんだろうな……」と独りで苦笑したが、つい二週間ほど前まで堅く抱いていた「定住組とは付き合わない」というポリシーを捨てることに全く迷いはなかった。

 だって、未来なんて何が起こるか分かりもしないのに、何となく作った「人生プラン」とかいう皮算用の帳尻を合わせるために、いま目の前にいる彼女と付き合うのをやめるなんて、そっちの方がずっとバカバカしい事じゃないか。


 ずっと後になって分かった事だが、実はこの時吉川さんも同じ事を考えていた。

 彼女にも当然、付き合うなら絶対に定住組という強いこだわりがあったが、コンパの人数合わせで出てほしいと知人に強く頼まれたため、全く興味のない状態で参加していたのだ。

 だからこそ、彼女は会の途中で進んで自分の経歴を会話に出し、自分は定住組である事を盛んにアピールして男を寄り付けないようにしていたのだが、彼女もまた、偶然その場にいた芝田君の事がどうしても気になってしまったのである。


 コンパの翌日、主催者の子に「だれか気になる人いた?」と聞かれた時に、吉川さんは「だって私定住組だし、人数合わせで参加しただけだから、全員最初から眼中にないよ」と答えるべきだったし、そもそも彼女は、最初はそう答えるつもりだった。

 それなのに、その時つい芝田君の名前を出してしまったのは、吉川さんも彼に対して、他の男性とは違う、何か自分と通じ合う雰囲気のようなものを感じ取っていたのだろう。


 そのようなわけで、二人はお互いに将来の問題を棚上げにしつつ、その事は相手に対して一切おくびにも出さないまま、ズルズルとなし崩し的に付き合い始める事になった。

 その後二ヶ月の間に何回か二人きりで遊びに行き、もう引き返せないところまで来ると、二人は周囲の人々に対して自分たちが付き合っている事をオープンにした。


 お互いに第一印象の時から、魅かれあう並々ならぬ何かを相手に感じていただけに、交際は一見順調に見えた。

 ただ、いずれ必ず来る将来の問題については、二人とも常にモヤモヤとした釈然としない疑心暗鬼が頭の片隅にわだかまっていた。


 付き合い始めると、芝田君も吉川さんも、軽い気持ちで試しに少しだけ付き合ってみようといった事はあまりしたがらない性格だという事はお互いに分かってきた。そして二人とも、強い結婚願望がある。

 そうすると二人とも次第に、相手に対して「なぜこの人は私と付き合っているのだろう?」という疑念が生まれてくる。

 この人はいい加減な気持ちで付き合うような人じゃない。でも、定住組と転勤組の恋愛は、地球に着くまでが賞味期限というのが一般的な感覚である。お互いに結婚を前提としない、割り切った上での遊びの恋愛関係が普通なのである。


 なぜなんだろう、なぜかしらと疑心暗鬼はつのるけど、怖くて相手に確かめる事ができない。二人とも、最初はこの残酷な現実にとりあえず目をつぶって、目の前の楽しい恋愛に集中する事で精神を保っていた。

 そしてそのうち、疑心暗鬼との苦しすぎる自問自答から逃げ出すように、二人は目に映る事実に甘い願望をミックスした虫のいい解釈を加え、各自がそれぞれに同じ結論を出したのだった。


「敢えて転勤組の俺と付き合ってくれたという事は、実は吉川さんは船を降りてもいいと内心は思ってるんじゃないだろうか。そうでないと、なんでコンパの後に俺に興味があるなんてわざわざ言ったのか全然説明がつかない」


「私は最初から定住組だって何度もアピールしてるのに、それを承知で付き合い始めたって事は、つまり最初から芝田君は船に残る気なのよね、きっと。でなきゃ辻褄が合わない」


 こう結論を出してしまえば、後は楽だった。

 相手を疑う事をやめ、信じることにした二人は幸せな恋愛を思う存分に満喫する事ができた。

 付き合い始めたのが地球を出発して半年の頃。それから一年半が経ったあたりで「しきしま」は木星に到着したが、その頃が二人の熱愛の絶頂期で、木星軌道上に停泊している間だけ営業する木星遊覧艇には、二人で毎週のように乗りに行った。

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