第7話 行くべきか、出るべきか (2)

 芝田君が吉川英美さんと出会ったのは、今から二年前、「しきしま」が地球を出発してまだ四ヶ月しか経っていない頃のことだ。当時の彼はまだ二十四歳だった。


 同期が主催したコンパで彼女を初めて見た時から、芝田君には「何となくこの人とは気が合いそうだな」という直感があった。

 一目惚れというほどの激しさではなかったが、無意識の仕草や口調、話の内容といった総合的な印象が、いつの間にか彼の心の中に、この女性と一緒にいたらきっと楽しそうだなぁという漠然とした好感を抱かせていた。


 吉川さんは二十五歳。芝田君より学年は一つ上だが、彼女は十二月生まれで芝田君は四月生まれなので、実質ほぼ同い年といえる。

 彼女はいま個人の会計事務所に勤めていて、いずれは税理士の資格を取るべく仕事の合間に勉強しているのだという。


 極力、全員の話を均等に聞いているようなふりをしつつも、芝田君は吉川さんが自分の事を語る時だけは絶対に聞き漏らすまいと格別熱心に耳をそばだてていた。

 しかし、飲み会も佳境にさしかかり、参加者同士の込み入ったプライベートの話がチラチラと会話の端に漏れ出し始めた頃、どことなくフワッとした落ち着かない心境を、芝田君はこの言葉で思いっきり叩き折られる事になる。


「うちは両親が自営業やってんの。床屋さんね。」

吉川さんは実家住まいの定住組であった。


 彼女が「しきしま」に乗り込んだのは、その時点から数えて十三年前、「しきしま」が新造船として初就航した時である。


 乗り込んだ時の彼女は小学六年生。それまで彼女の両親は、東京近郊の町で個人の理髪店を営んでいた。ところが、新造のステラ・バルカー級宇宙輸送船で理髪店の公募があるという告知を見た父親が突然船に乗ると言い出し、家族四人全員で「しきしま」に移住したのである。


 父親としては、宇宙で暮らしてみたいという個人的な憧れもあったが、移住を決意した理由はそれだけではない。

 「しきしま」の理髪店公募枠数には上限がある。つまり、競合店の数が最初から分かっているのである。そして一回宇宙に出てしまえば、航行中にいきなり、船内で理髪店を新しく開こうなどと考える人はほとんど居ないはずである。


 ちょうどその頃、吉川さんの両親が経営する理髪店は、近所に新しく競合店が何件かできて客足が徐々に減りつつあった。だったら、競合の激しい地球上でこのまま苦しい商売を続けるよりは、新天地「しきしま」に活路を見出したほうがいいのではないか、というのが父の狙いだった。


 船内で店を開業するには当然、まとまった額の開店資金が必要だったが、「しきしま」側としても理髪店は住人の生活に欠かせないものだから、一定数を確実に確保する必要がある。そこで、この理髪店公募には開業を支援するために様々な補助や低利の資金貸し出し制度が手厚く設定されていて、それも父の決断を後押しした。


 結果的に、吉川さんの父親のこの思い切った決断は、吉川家にとってプラスとなった。競合店の数は地球にいた時よりも少なく、また船側で居住区画を割り当てる際に、理髪店の配置が偏り過ぎず適度に分散するようコントロールしてくれたので、理髪店の収入は地球にいた時よりも確実に安定した。


 そして、船を降りる理由も無いまま十三年。

 吉川家の木星旅行はすでに三往復を終え、いまや四往復目に突入している。彼女は「しきしま」に関しては、運行管理部に勤務してたった一年の芝田君よりも、ずっと熟知している大ベテランなのであった。


「定住組が、なんで乗務員のコンパに来てるんだよ……」

 その言葉を聞く前までは、本当に後光が差しているかのようにキラキラと輝いて見えていた吉川さんの姿が、一瞬で普通の女の子に戻った。俺もずいぶんと薄情だなぁと、芝田君は自分で自分が面白くなった。


 芝田君は、この「しきしま」の旅は一往復で終わりだと出発前から心に決めていたのだ。

 一年間の宇宙船実務研修の後で「しきしま」で四年間勤務すれば、地球へ帰ってきた時に芝田君は二十七歳である。

 若いうちに宇宙船での勤務経験を積んでおいて、三十代からはその経験を生かして地球で運行計画の仕事をやりたいというのが、芝田君が皮算用していた会社人生のプランだった。


日本宇宙輸送という会社に入社してはいたが、正直、芝田君は宇宙船に乗る事自体にあまり興味はない。彼がこの会社に入った理由は、単に物流関係の仕事が面白そうに感じたというだけであって、就職活動の際には海運会社や航空会社も候補に入っていた。


 ただ、いずれは地球の本社で運行計画の仕事をするにしても、その前に宇宙船での実務経験があるのと無いのとでは仕事のやりやすさや周囲の見る目が全然違う。まして、現代社会を支える最も重要な宇宙船といえる、ステラ・バルカー級輸送船での勤務は絶対に経験しておくべきだった。

 芝田君が「しきしま」に乗っているのは、その程度の理由なのである。あくまでこの船は、自分が次のステップに進むための四年間の足がかりにすぎない。


 独身者が「しきしま」に乗る場合、結婚時期の問題もある。

 医学の進歩により日本人の平均寿命は男女とも九十歳台前半まで延び、定年退職の年齢は七十歳となったが、出産可能年齢の上限は二十一世紀からほとんど変わっていない。

 結婚の年齢や夫婦の形は多様化し、今や五十代以降の結婚も珍しくはないが、こと子供を希望する夫婦の場合は、できるだけ三十代のうちには結婚しておきたいという縛りは今でも存在する。


 芝田君は子供を作るタイプの結婚を希望していたので、遅くとも三十五歳前までには結婚したいと考えていた。だとすると、もし仮に三十歳前後でステラ・バルカーに乗ろうとすると、その頃すでに芝田君は結婚している可能性もあり、奥さんが宇宙船への転勤を嫌がる可能性だってある。それに引越しの準備も独身の時と比べてずっと大変だ。


 では、乗る時に独身だったらどうなるか。確かに、ステラ・バルカー級の船内には一万人以上が暮らしているが、その住人は、船内で半永久的に生計を立てている「定住組」と、地球にある会社に勤務し、転勤扱いで船に乗っている「転勤組」に大別される。


 一周で船を降りようと考えている芝田君にしてみたら、「定住組」と結婚するという事は、結婚相手の女性に対して、いずれは実家を捨てて地球に一緒に移り住んでもらわなければならない事を意味する。地球からはるか離れた宇宙船の中で暮らす両親には、四年に一度、船が地球に帰ってきた時しか会えないのである。それはあまりにも重かった。


 となると、結婚相手候補は「転勤組」に絞られるが、転勤組は、芝田君と同じ日本宇宙輸送の社員と、「アグリしきしま」をはじめとする協力会の会社の社員に絞られる。その人数は三千人弱にぐっと減り、さらにその中で二~三十代の独身女性となると、一体何人いるだろうか。

 ステラ・バルカーに勤務すると婚期が遅れがちになるというのは、一般的にもよく言われている傾向であった。


 そのような事情を踏まえて、彼なりに自分の人生プランとキャリアプランを考えた結果、芝田君は新入社員ですぐに「しきしま」に乗る道を選んだ。

 そこには、二十三歳で乗れば帰ってくる頃はまだ二十七歳で、そこから大急ぎで彼女を作って二~三年付き合って結婚に持ち込めれば三十前後で結婚できるはず、という彼なりの皮算用がある。


「『しきしま』以外での生活、もう考えられないわよ」


 そんな芝田君の前に、偶然ふわりと現れた吉川さんという女性。彼女は、芝田君が考えぬいた人生設計を一発の笑顔で軽く吹き飛ばす、彼とは全く正反対の存在だった。


 彼女は典型的な「定住組」だ。両親と同居していて、両親は理髪店という定年退職のない職業である。きっとご両親は体力の限界が来るまで、この船でずっと理髪店を続けるはずだ。

 十三年前、吉川さんの父親が宇宙船に乗ると突然言い出した時には、家族で真剣に議論して、大ケンカになった事もある。地球の小学校の友達と半永久的なお別れをしたのは今でも忘れられない悲しい思い出だし、船に乗って最初の頃は慣れない環境の中で色々なトラブルもあった。

 しかしそれらの艱難を一緒に乗り越えた今、吉川家はとても仲良く、互いに本音で話し合える素敵な家族になった。


 もし漫然と地球で理髪店を続けていたら、ここまで家族が意見を戦わせて、結果的に絆が深くなることもなかっただろう。

 吉川家の人たちにとって、「しきしま」は人生を変えてくれた大切な船であり、さまざまな思い出の舞台となった、かけがえのない「ふるさと」なのである。


 当然、吉川さんは「しきしま」を降りるつもりは全く無い。

 その固い意志は、コンパという本音の出にくい短い時間にも関わらず、芝田君にもわかりやすく伝わってきた。

 家族思いのいい子だなぁと、彼女に対する好感はますます高まる一方で、家族思いだって事は、絶対に船は降りないだろうなぁという確信も深まり、芝田君の残念な気持ちも一層強くなるのだった。


「ホント、なんで船を降りる気が無い定住組が、転勤組のコンパに出てるんだよ……」

芝田君は臍をかんだ。

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