第7話 行くべきか、出るべきか (1)

 その日、輸送船「しきしま」の乗務員たちの個人端末に、一斉にある通知が届いた。すでに一周以上「しきしま」での旅を経験済みのベテラン達はみな、あぁもうこの時期が来たか、早いものだなぁと通知の表題を感慨深げに眺めている。


【人事部長代理発信】進路希望調査 地球到着後の乗船継続/下船希望について


 輸送船「しきしま」は現在、木星で水素を積んで地球に帰る途中にある。四年間の全行程のうち三年弱を終え、木星と火星の中間に広がる小惑星帯の中を、地球に向けて秒速約二〇kmの速度で巡航している。地球への帰還まで、あと一年と四か月。


 「しきしま」で暮らす人々のうち、船内で個人の自営業を営む人達は、船が地球に帰還してもまず船を降りる事はない。

 しかし「しきしま」の運行を司る乗務員たちはみな、日本宇宙輸送株式会社の社員であって、「しきしま」への乗船は四年間の転勤・海外駐在という扱いになる。

 四年という転勤期間は区切りとして非常に手頃であり、これが二周して八年、三周して十二年という事になると、駐在の期間としては少々長すぎる。そのため、船が地球に帰還すると、「しきしま」の乗務員は全人員の実に三分の二以上が船を降りるのである。


 船を降りずに二周、三周する乗務員は、その部署にとってどうしても欠かすことのできないベテランが上司からの要請を受けて残るケースだったり、事情があって地球よりも船にいたほうがその人にとっては都合がよく、敢えて自分から希望して残るケースだったり、人それぞれに様々な事情があった。


 全ての乗務員は、船が地球に到着する一年四ヶ月前になると、地球に帰還した後に船を降りて地球での勤務に戻るのか、降りずにもう一周木星に行くのか、どちらを希望するのかを申告する調査票を人事部に提出する。

 人事部ではその結果を集約し、船を降りる事を希望する人にはその後任者を探し、船に残る事を希望する人には、次の旅ではどの部署に配属するのかを調整する。


 しかも、人事部はその調整作業を大急ぎでやらなければならない。

 何しろ、地球到着を境目に、船の運航に携わる人員の三分の二以上が新しい人に入れ替わるのである。引継ぎは十分すぎるほどの時間を確保して念入りに行わなければ、船の安全に必要な知識が継承されず、重大な事故の原因となりかねない。


 そのため、後任者は「しきしま」が地球に到着してから船に乗り込むのではなく、高速輸送艇で火星の少し手前近くまで「しきしま」を迎えに行き、そこで乗り込むという方式を採っている。

 そうする事で、火星付近から地球に到着するまでの約四ヶ月間、後任者は前任者と一緒に実際の作業をこなしながら、じっくりと時間をかけて十分な引継ぎをすることができるのである。


 このような事情があるため、地球帰還後の「しきしま」の人事は、実は地球到着の八ヶ月前にはとっくに確定しているのである。


 到着の一年四ヶ月前 進路希望調査提出

 到着の八ヶ月前 人事確定、後任者への異動内示

 到着の五ヶ月前 後任者が「しきしま」に向け高速艇で出発

 到着の四ヶ月前 後任者が「しきしま」に到着


 後任者を地球到着の四ヶ月前までに「しきしま」に届けるためには、乗組員の進路希望調査は、どうしても到着の一年四ヶ月も前という非常に早い時期にならざるを得ない。調査の時期が早すぎるという不満は常に各部署から出されているのだが、千人以上もいる乗務員の人事を全て決めるという膨大な作業なだけに、人事部がどれだけ急いでもこのスケジュールが最速なのである。


 そんな希望調査のメールを、万感の思いで眺めている人物がここにもいた。運行管理部の芝田君である。


 「しきしま」が地球を出発した時は、一年間の宇宙船実務研修を終えたばかりの新人だった芝田君も、今や二十六歳の中堅社員。

 「しきしま」艦内での新卒採用は非常に人数が少ないため、二十六歳でも彼は未だに運管部内で最年少の下っ端なのだが、今では外部からの質問への受け答えも堂々とこなし、課長に頼らずに自分の判断で動ける仕事もかなり増えた。

 独身寮での独り暮らしで、実家の家族は遠く地球にいて気兼ねする事もなく、彼にとってまさに人生で一番自由な時期といえた。


 芝田君は進路希望調査表の「下船希望」の欄に印をつけると、下船後の配属希望部署などの必要事項を一気に書き終えた。そしてまだ提出の締め切りまで三週間近くあるのに、そのまま即座に人事部に送信しようとした。


 そして、踏みとどまった。


 なぜ一気に書き上げたのか、そしてなぜ送信前に踏みとどまったのか。芝田君自身が意識的にそうしたわけではない。しかし彼の無意識が、自分でも気付かぬうちに自然とそういう行動を取らせた。


 そして芝田君は

「この表は自分の人生に関わる非常に大事なものだし、これから先、ひょっとしたら突然自分の気が変わるかもしれないんだから、わざわざ提出期限よりもずっと前に焦って出す必要はない。」

と自分の中で理屈をつけると、とりあえずは送信せずしばらく置いておく事にした。

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