老師M ――キュア国分町




 幼いころ、わたしは体の弱い子どもだった。

 わたしにとっての原初の記憶は、三歳頃に入院した病院で看護婦さんにでっかい注射を打たれて大泣きしている記憶であったし、小学校のころはよく風邪を引いて頻繁に学校を休んでいた。それが理由でからかわれたりもした。

 虚弱な子どもだった。

 だから――というわけではないのかもしれないが、運動は苦手だったし、喧嘩も弱かった。そんなわけで小学校では教室のすみに甘んじていた。

 年を経るごとに、段々と体調を崩すことは減っていくと、それと同時に少しずつ性格も明るくなった。それでも学校のクラス替えや進学、そうした環境の大きな変化があると決まって体調を崩すのは相変わらずだった。

 そのせいか、わたしは自分の体というものに全く自信が持てなかった。早死にするのだろう。そう思っていた。

 ――老師Mに出会うあの日まで。





 東北一の繁華街・仙台市国分町。キャバクラやホストクラブのど派手な看板、風俗案内所、怪しげなスナックや中華料理屋、それらに挟まれて、そのサウナはある。

 ――キュア国分町。

 東北随一と言っても良いサウナであり、そして何よりわたしのホームサウナである。かつては足繁く通っており、週に一回は行っていたが、コロナ禍により休業した時期があったり、その後も繁華街の中ということもあって、以前ほどは残念ながら通えていない。

 わたしが初めてキュア国分町に訪れたのは、もう何年も前のことである。

 友人K氏にサウナを教えられたわたしは、ドハマりして近所のスーパー銭湯に足繁く通っていたのであるが、数ヶ月も通うと、それに物足りなさを覚えていた。

 近所のスーパー銭湯のサウナも確かに悪くないのであるが、しかし、世の中にはもっと凄いサウナがあるのは明白だった。素人目で見ても、近所のスーパー銭湯は明らかにサウナに力を入れていない。

 もっと良いサウナが近場にないだろうか。そう思って調べた結果、浮かび上がったのが、仙台はキュア国分町であった。

 実際にキュア国分町に行ってみると、途端にその虜になって、それ以来というもの、当時独身だったわたしは土曜日になるとキュア国分町に行き、サウナを楽しみ、そうしてリクライニングチェアでそのまま日曜の朝を迎えるようになった。

 わたしはその週末を楽しみに日を数える生活を送っていた。

 結婚した今でも、それは同じだった。




 キュア国分町は、国分町の一角、晩翠通り沿いの東北公済病院の脇を裏手に入り込むとある。五階建てのビル一つがすべてキュア国分町である。

 いつもの通り、一階のフロントで受付を済ませると、そそくさとロッカールームで館内着へと着替えをする。キュア国分町に来て最初の五分。いくら通い詰めても、わたしはその時間を落ち着かずにいた。

 ――早くサウナに入りたい!

 受付をしてからサウナ室に入るまでのあいだ、わたしは気が逸ってそわそわとしてしまう。

 そそくさと着替えを終えると、すぐにエレベーターに乗る。

 キュア国分町の五階建ての内、浴場は五階にある。二階と三階はカプセルホテルとその利用者用のロッカールーム、四階は休憩室、一階が受付と日帰り用のロッカールームである。

 気が逸るわたしとしては、当然に浴場のある五階のボタンを押したいのだが、その気持ちをぐっと堪えて、四階のボタンを押す。ここで四階に寄らないと大抵は後悔することになることを知っているからだ。

 そうして四階で用事を済ますと、わたしは足早に階段で五階へと向かう。エレベーターが一つしかないキュア国分町は一階分移動するなら階段の方が早い。

 階段を上りながら、さっき着たばかりの館内着をいそいそと脱いだ。それを棚へと置くと、すぐにタオルを手にとって、浴場の重い扉を開けた。


 広々とした浴場には大きな窓が取り付けられて明るい。

 お風呂は三つ。普通の風呂とジャクジー、そして水風呂である。窓の外には露天風呂。そして、浴場の最奥にはサウナが二つある。

 浴場を一番奥へと進んだ左手にドライサウナ、右手に韓国式サウナ。

 流し場で体を急いで洗い、身を清めると、わたしは足早にドライサウナへと向かった。

 ドライサウナは四段ほどのひな壇になっている。広々とした造りで目一杯に座れば三〇人程度は入れそうが、週末は大抵混んでいて少し狭く感じることさえある。

 温度計の針は大抵、九〇℃から九五℃。よくある温度ではあるが、体感的にはそれよりもずいぶん熱い。

 原因はサウナストーブだ。

 キュア国分町のドライサウナにはサウナストーブが二つある。

 一つは、ひな壇の左正面にどんと構える大きな石造りのサウナストーブ。対流式――サウナストーンの熱で室内を暖めるタイプのものだ。

 もう一つは、大型のファンヒーターのような形の――遠赤外線式サウナストーブが、石造りのサウナストーブと逆側にどんと居座っているのである。

 この遠赤外線式サウナストーブ、わたしはどうにも好きになれない。

 確かにこのタイプのサウナストーブはサウナ室をしっかりと熱してくれる。しかし、このサウナストーブのあるサウナ室にいると、どうしても顔だけが先に熱くなってしまうのだ。体の奥まで熱が行き渡る前に、顔だけに熱が行き渡り、耐えきれなくなる。顔にまとわりつく熱の不快感に我慢ならなくなり、サウナ室を出てしまう。そうして水風呂に入ると、体はまだ芯まで熱が通っていないことが如実に分かる。そんな状態で水風呂を出てベンチに座ったとしても、いまいち整い切らない。体の芯まで熱していないのだから、当然だ。

 大抵、こうした事態に陥り、いまいち整わずに、がっかりとしてサウナを後にすることが多いのが、このタイプのサウナストーブなのだ。

 こうした苦手意識があるわけだが、わたしが入ったことのあるサウナの中でその例外だった場所が二つある。その一つがキュア国分町なのだ。(もう一つはおふろの国)

 キュア国分町のドライサウナの場合、二つのストーブを組み合わせているせいか、顔だけに熱が当たるという不快感はない。

 遠赤外線ストーブがガンガンと熱してくるが、しかし対流式のストーブの放つマイルドな熱がそれを和らげくれる。そうして、二つのサウナストーブが合わさって作り上げられるのは、猛烈な“熱”だ。

 温度計は九〇℃ほどのはずなのだが、体感的にはそれ以上に強烈な熱が生み出されていると感じる。

 この熱を十二分、テレビに映る楽天イーグルスの試合をぼんやり眺めながら楽しむと、わたしはサウナ室を出て水風呂へと向かう。時に試合が佳境を迎えていた場合、試合の方に集中してしまい、くたくたに茹だってしまうときもある。

 

 キュア国分町の水風呂の温度は十七℃。

 水風呂の壁に設置された温度計にそう表示されている。

 様々なサウナ施設でよく見かける、実にありふれた温度ではある。がしかし、サウナ室と同様に、キュア国分町の水風呂の体感温度は数字以上、いや数字以下だ。

 シャワーでさっと汗を流して水風呂に足を浸けると、予想以上に冷たい水に驚く。十七℃とは思えない冷気だ。

 わたしが思うにその冷たさの一番の要因は、“深さ”ではないかと思う。

 キュア国分町の水風呂に入ってみれば分かるが、見た目以上に深さがあることに驚くはずだ。計ったことはないが、だいたい水深は一メートル。

 経験上、人間の脚、あるいは腕というのはあまり水温の低さに驚かない。水風呂に限らず、風呂というのは、大概、立った状態で水深は太ももの途中ぐらいであるものが多い。初めて出会う水風呂に入っていくとき、だいたいの温度を脚で感じるものの、無意識のうちに体が冷気で強ばるという現象を脚で感じることはない。その現象が起きるのは、胴体の下の方のあたり――いわゆる丹田と呼ばれる場所が水に浸かってからだ。内臓のある胴体を守ろうという防衛反応なのか、ぶるりと体が身震いして、堅く硬直する。水風呂に慣れていない人が「うわっ、ダメだ!」と驚いて、水風呂から逃げ出すのもだいたいそのぐらいまで体が浸かってからだろう。

 しかし、このキュア国分町ではサウナーだけでなく、水風呂も無遠慮だ。

 一メートルという水深は、中肉中背のわたしでいうと、立って入った状態で、ちょうど丹田のあたりまで水の中に入り込む深さだ。つまり、水風呂に入っていくと、すぐに体がぶるりと防衛反応を発し、内臓へと冷気が浸透していくのだ。入る者を慮ることもなく、水風呂は冷気を与えてくれる。これがキュア国分町の水風呂の魅力だ。

 体をひと震えさせてから、肩までしっかりと浸かる。

 壁から絶えず流れ落ちる水が水流を生み、“熱の羽衣”を剥がしてくれる。水底に沈んだ紀州の炭が水質をソリッドにして、冷気は体を突き刺す。

 そして、わたしはと言えば、その極楽浄土の冷気で「あぁ……」と声を漏らして、周りから変な目で見られるのである。


 キュア国分町のロウリュは熱い。

 いや、確かにどこのサウナの熱波も熱い。ロウリュとは熱くするためにしているのだから、熱いのは当然だ。しかし、キュア国分町のロウリュは格別に熱いのだ。

 キュア国分町は、二台のサウナストーブで熱を生み出している。それだけでも他のサウナよりも熱い。

 だというのに、熱波師は何の遠慮もなくサウナストーブにアロマ水をさぶざぶと掛けて、部屋をタオルで掻き回す。尋常ならざる熱がサウナ室の中に立ちこめる。

 その熱はときにやけどをするのではないかと思わせるほどの熱量がある。

 その熱量の中で一人、十回扇がれる。

 その上、それを二セットだ。

 一度、友人K氏を連れて行った際には、あまりの熱さに「本当にやけどした!」と騒ぎ立てたほどだ。

 キュア国分町のロウリュは熱波だけでなく、熱波師もテンションが高い。

 ドアを開けるなり、彼らは大声でテンション高く、お祭りのように騒ぎ立てて盛り上げる。だいたいスベっている空気になり、本人達は微妙な顔をしているが、けれど、少なくともわたしは、それも含めて楽しんでいる。

 ときどき変わったイベントも開催していて、一度あったのは風速計で熱波の風速を測るイベントだ。こうしたイベントをたまに開催して、ロウリュの熱量を精神的にも押し上げる。

 キュア国分町のロウリュはエンターテイメント性の高さが売りなのだ。

 このお祭り騒ぎが如きロウリュは、一見すると疲れ切った精神をより疲れさせてしまいそうにも思えるが、さにあらず。

 例えば、御神輿を担いで街を練り歩いたとき。

 確かにそれは疲れるが、終えたあとに不思議な一体感がこみ上げて、その感覚が妙な神秘性を帯びているように思える。

 キュア国分町のロウリュはそうした不可思議な一体感を与えてくれる。

 ロウリュを終えたあと、汗だくになって礼を告げる熱波師たちに拍手を送るとき、サウナ室の一体感は確かに奇妙な神秘性を帯びていて、少なくともサウナの中で私はただ孤立した一人ではなく、このお祭り騒ぎの一員だったという自覚を与えてくれるのだ。

 ロウリュを終えると、すぐに水風呂に向かう。

 やけどするような熱を浴びた体に、この鋭い水風呂はよく染みる。

 水風呂に入って、ものの数秒でガツンとしたサウナトランスに襲われる。すぐに水風呂を出てベンチへと駆け込みたい気持ちに駆られるが、それをぐっと堪えて水風呂に体を埋める。

 カナヅチで殴られるかのような暴力的なサウナトランスを何度も何度も耐え、それが落ち着いていくのを見計らって水風呂を出てベンチへと向かう。

 すると途端に体が軽く、すっと虚空に溶けた。

 どこかで落ちる水滴の音。

 それを聞くとわたしの体は、いつも不思議と整った。


 ドライサウナと水風呂を三往復ほど、それに加えてロウリュを受けると、体は最高のサウナトランスを迎え、視界は揺れて、窓からの陽光は光り輝く、頭はぼんやりとして、足取りはややもさえすれば、おぼつかない。

 三セットを終えた、本来なら一番長い時間ベンチに座るはずのこのタイミング。そこで、わたしはベンチに少し座って、ある程度のサウナトランスを楽しむと、すぐに立ち上がる。

 目的地は韓国式サウナである。

 韓国式サウナの中は、ひな壇がなく、いくつかのマットと木の枕が敷かれているだけの造りになっている。温度も六〇℃程度と低い。

 要するにゆっくりと寝て過ごせるサウナということだ。

 どの辺が韓国式なのか、未だによく分からないが、韓国のサウナである汗蒸幕はんじゅんまく(石造りのドーム状の蒸し風呂)か、オンドル(床下に煙突を通し、床板などを熱して温める床暖房のようなもの。温浴施設としてオンドル宿がかつて日本にもあった)をイメージしているのであろうか。

 この韓国式サウナは、さっきまでいたドライサウナのようなガツンとした熱はない。けれど、整い終えた今のわたしのように、ただのんびりとした時間を過ごしたいというときには最適である。

 わたしはスポーツ選手がトレーニングの後にクールダウンをするように、私は整い終えたあと、この弱火のサウナで横になり、澄んだ体をぼんやりと楽しむことにしていた。

 普通のサウナなら十二分時計一周が限度だが、ここでは時間を気にせず、うとうととまどろみながら横になるのだった。

 そうしてぼんやりと寝転んで、二十分ほどを過ごす。

 サウナを出て水風呂にさっと入ると、強烈なサウナトランスはないが、整った状態へ体を軟着陸させるように調整してくれるのだ。

 水風呂を出たあと、心地良い眠気と爽快感を感じながら、いつもわたしは浴場をあとにするのだった。




 浴場から出て、さわやかな気分のままに、わたしはまた階段を降りて、四階の休憩室へと向かう。

 リクライニングチェアに体をぐったり預けて、例によってコーラを注文して水分補給すると、時計を見やった。

 サウナを出て、休憩室の椅子に座るとき、人は時間を忘れ、社会から解放されるが、わたしにとって、それはまだ早かった。

 マッサージを予約しているのだ。

 最初にエレベーターで浴場のある五階まで行かず、四階に一度立ち寄ったのは、その予約を取るためだった。最近では出かける前に家からマッサージ受付に直接電話して、予約を取ることもある。

 わたしは肩こりがひどい上に、若くして腰痛持ちだった。一時は毎年のようにぎっくり腰になるほどに。

 そのために自分に合うマッサージを探していたのであるが、あるとき、興味本位でキュア国分町のマッサージに行ってみたのが最初だった。

 ――老師M。

 わたしが心の中で勝手に“老師”と呼び、尊敬している男。彼と出会って以来、腰の調子が悪くなるたびに、いや、調子が悪くなくとも、老師Mのもとに行くようになった。いまや最低でも月に一回、出来れば二週に一度は老師のもとへ行かなれば気が済まない。

 老師Mは、それほどに実力があるマッサージ師なのである。わたしの肉体的健康はこの老師の存在によって保たれていると言って過言ではなかった。

 

 わたしが老師のもとを初めて訪れたのは、キュア国分町に通うようになって、数ヶ月が過ぎたころだった。

 その日は腰の調子が悪く、「サウナに入れば腰も治るんじゃね」という浅はかな考えでキュア国分町へと向かったのだが、サウナに入っても腰に改善の様子は見られなかった。

 そうして浴場を出て、痛い腰をさすりながら四階の休憩室に行くと、マッサージの受付が目に入った。わたしは半ば諦めつつも、少しでも良くなったら儲けものと考え、試しに行ってみることにしたのだった。

 それまでキュア国分町のマッサージは受けたことはなかったが、正直、期待はしていなかった。

 わたしの勝手なイメージなのであるが、サウナをはじめとする温浴施設にあるマッサージ、それはあまり上手ではないという印象を持っていた。それまでもスーパー銭湯などでマッサージを頼んでみることはあったが、上手だったことはほとんどなかったからだ。

 だが、期待していなかった理由はそれだけではない。

 その日、初めてキュア国分町のマッサージを頼んで、案内されたとき、出てきた男を見て不安になったのだ。

 マッサージの受付を済ませて、施術用のベッドに案内されると、現れたのは小汚いおっさんだった。いや、おっさんというよりもじいさんといった方が正しいかもしれない。年の頃は還暦を幾分か通り過ぎたように見えた。

 小汚いというのは、その風貌だった。

 白いシャツ――シャツと言っても、ワイシャツのようなものではなく、スーツを着るとき、ワイシャツの下に着るようなアンダーシャツを着て、その裾を下に履いた黒いジャージのズボンにインしている。ジャージはと言えば、足先へ向かってすぼまっている。頭はハゲており、生き残った白髪まじりの鬢は長く、それが無造作、というよりも整えようという意思が微塵もないままに、うねうねと一本一本の自由意志のもと散らかっている。

 失礼な感想だとは思うのだが、休日の朝からワンカップ片手にその辺にたむろしていても違和感のない風貌だった。

 異臭がするとか、汚れているとかではないので、決して不清潔にしているわけではないのであろうが、けれどその佇まいは何となく小汚く見えるのだった。

 わたしは失敗したかなぁと考えながら、そのじいさんに導かれるがままにマッサージ用のベッドに横になった。

「今日お辛いのはどのへん?」

 意外にもじいさんの声はバリトンだった。よく通る低音の声は、その容貌と反してダンディーで、声だけ聞けば格好の良い老紳士のようだ。そして、その声には不思議な安心感を含んだ響きがあった。

 わたしは素直に腰痛を伝えると、「じゃあ、ちょっと見てみますか」とまた格好の良い低音で言った。

 じいさんがわたしの体を引っ張ったり、押したりしながら、「うぅん」と考えるように低音を放つ。わたしは「このじいさん大丈夫かな」と思いながら、様子を見ていると、「よし、わかった」とじいさんが言って、施術が始まった。

 年齢に似合わず、じいさんの力は強い。

 わたしの張った背中にちょうどよい具合の力で指が押し込まれている。「まぁ、それなりには気持ちいいかな」と思っていると、じいさんが声を掛けた。

「お身内に長生きの人、多いでしょ?」

「え? あぁ……、まぁ、そうですね。結構、多いかもしれませんね」

 不意に聞かれた、その質問に面食らったが、しばらく考えてそう答えた。わたしの親類には確かに比較的長生きの人が多い。それは確かだったが、けれどそう質問されれば、よっぽど早死にの親戚が多くなければ、たいがいはYESと答えるのではないか。占い師がたいがいの人に当てはまることを、さも的中させたように言うそれに似ているように思った。

「あぁ、やっぱり。いえね、これは良い体ですよ。長生きする体です」

「はぁ、そうですか?」

 その言葉に曖昧に答えると、わたしの疑う気持ちを見抜いたようにじいさんは続けた。

「本当ですよ。こんな体のひとは滅多にいやしませんよ。この体は丈夫だ。内臓も強そうだし。今は歪んで痛み出てますがね、普通の人だったら、これこんな痛みじゃ済みませんよ。丈夫だから無理が利いちゃうんですね。上手にメンテナンスしてやればね、長生きしますよ。親から良い体を貰いましたねぇ」

 なんでも鑑定団で、高額商品が出たときの審査員のように、じいさんはそう言った。

 じいさんにとって、なんてことのない世間話だったのかもしれない。けれど、わたしは平静を装いながら、その実、とんでもない衝撃を受けていた。じいさんのその言葉、それはわたしの人生にとって、全く初めての言葉であったのだ。

 わたしは子どもの頃、体の弱い、虚弱な子どもだった。季節の変わり目毎に風邪を引き、時に大病を患ったりする。それで学校をよく休んでからかわれたことも少なからずあった。

 風邪を引くと両親には叱られた。自分の体調管理が悪いからだと言われた。体が弱いのだから、それを見越して体調管理をしなさいとも。

 成長して、大人になると、昔ほど体調を崩すことはずいぶんと減ったが、日常的に肩こりや腰痛に悩まされ、寝付きも悪い。仕事を休むことは滅多にないが、それでも他人よりはよく風邪を引いている。

 ――わたしは体が弱い。

 わたしという人間はそういう人間であると、思われていたし、何より他ならないわたし自身がそう思っていた。

 ――これは良い体です。長生きする体です。

 ――この体は丈夫だ。

 人生で初めての言葉だった。

 親にも、祖父母にも、友人にも、誰に言われたことのない言葉だった。

 単純に嬉しかった。

 周囲からも、そして何より自分自身でも虚弱だと思っていたこの肉体を、手放しで褒めて貰えたのだ。人生で一度も言われたことのない言葉で褒め称えられたのだ。嬉しくないわけがない。

 あるいはそれはじいさんが、初めてのお客さんに気を遣って言った言葉だったのかもしれない。営業トークだったのかもしれない。

 けれど、じいさんが何気なく言った言葉――どんな整体師にも、どんな身近な人間にも言われたことのなかった、その言葉は彼の心地良い指圧とともにわたしの体に染み入った。

 体が軽くなるとともに、心までもが軽くなるのが分かった。


「さっきも言いましたけど、体が良い分、無理が利くんですね。これだけ歪みが出てたら普通こんなに我慢できないですよ。その分といいますかね、なかなかクセがある体でもあるから、並の整体師じゃ、芯まで歪みを取れないでしょうね」

「はぁ、そうですか」

 わたしはじいさんの言葉にひどく感動していたが、彼のマッサージというよりは、言葉に感動していただけだった。実際、彼のマッサージは確かに力強く、心地良かったし、彼の言葉でわたしの心は軽くなったが、しかし、このひどい腰痛を実際にどうにかできるようには思えなかった。

 だから、わたしは彼の言葉に曖昧に答えるだけだった。

「さて、そろそろいきますか」

 わたしのその心を見通したのか、じいさんはにやりと笑った。いや、わたしはうつぶせになっているから、彼の顔は全く見えなかったが、背中越しに笑ったのがわかった。

「“効きますよ”」

 一字ずつ、区切るようにそう言うと、じいさんはさらに強い力でぐっとわたしの体を押した。さっきまでの指圧も、彼の年齢と乖離したような力強さがあったが、それを遙かに超える力だった。万力のような力で、彼は前腕をぐっとわたしの肩に押しつけた。

 わたしはいろいろなマッサージに行っているからか、どこを押されればよく効くのか知っている。だからじいさんが今押している場所が……痛い! 痛い! いたたたたた! 痛てー! 痛た! いっったーーーーー! あだだだだだあだだだあーーーーーー」

「大げさ、大げさ。ンフフフフッ」

 あまりの痛みにいつのまにか大声が出ていた。じいさんはそれを笑って受け流す。

 うそだろ、どうなってんの? 人間の体って、そんなとこ押して、こんな痛くなるもんなの? え? なに? 何が起こった?

「じゃ、反対側。“効きますよ”」

「え? ちょっと待って。ちょ、痛っ。痛い。痛たたたた。痛った! 痛ったーーーーーー! いでえええええええ! あだっだだあだだだあーーーーーーーーー!!!?!?!?!!」 

 キュア国分町の四階にわたしの悲鳴が轟いた。

 じいさんは相変わらず楽しげに「ンフフフフ」と笑う。周りにいる他のマッサージ師のおばちゃんも「Mさんのは痛いよねー。我慢、我慢。ふふふ」なんて暢気に笑っている。

 いや、笑ってる場合じゃない。尋常じゃない痛みだ。わたしはマッサージ慣れをしていて、大概、押されている感じで、どんな風にして指圧されているか分かるが、しかし、このじいさん――M氏のマッサージは一体全体何をされているのか、さっぱり分からない。ともかく痛いとしか分からない。

「今、我慢すると後で良いことありますよー。さて、もういっちょ。“効きますよ”」

 そう言ってM氏は、わたしの体にかつて感じたことのないタイプの痛みを与える。痛い。とんでもなく痛い。しかし、その一方で痛いだけでなく、ものすごく“効いている”感じがあるのも確か。口癖のように繰り出されるM氏の「“効きますよ”」は本当に“効いている”。

 「さて」と、M氏が言うと、今度は年齢を感じさせない身軽さで、M氏はベッドに乗って、立った。

「ちょっと重かったら、すいませんねぇ」

 そう言ってM氏は、ひょいっと軽く飛んで、わたしのケツの上に蹲踞のような姿勢で乗った。

「え?」

 何が起こったのか、また分からなかった。いや、正確に言えば分かる。うつぶせに寝ている状態のわたしのケツ、その両頬につま先立ちするようにして、M氏は足を乗せ、そうしてしゃがんでいる。

 それは分かる。

 けれども、わたしのケツには全く体重が感じられなかった。

 M氏は一八〇センチはあろうという長身の男性である。スラリとしたスタイルを維持しているが、痩せすぎというわけでもない。いくら年配で年を重ねていようが、その身長に見合う分の体重があるはずだ。

 だが、わたしのケツに今ある重みは、全くそれに見合わない重さだった。全く体重を感じさせない。昔読んだマンガに軽気功という技を使う、仙術を極めたキャラクターがいたのを思い出した。そのキャラクターは木の葉のようにふわりと浮いて、主人公の腕に乗った場面があった。もしかして、あれってノンフィクションだったの?

 ケツには、まるで二枚の木の葉が乗っているようにしか感じない。

「“効きますよ”」

 驚いているわたしを尻目に、M氏はまた何かをした。今度こそ本当に何をされたか分からない。

 言うまでもなく、わたしの叫び声がまたフロア中に響き渡った。

 死ぬほど痛かった。


 一時間。そうは思えないほどの濃密なマッサージを終えると、体はいつになく軽やかだった。

 M氏のマッサージは死ぬほど痛かったが、しかし、他ならぬ彼が「今、我慢すると後で良いことありますよ」と言った通り、かつてないほどに体が軽い。自分の体ってこんなにも軽かったのかと驚くほどに。あんなにも苦しんでいた腰は、「腰痛ってなんですか?」と言わんばかりに調子が良い。

 いろいろなマッサージに行ったことがある。行くと大抵は体が軽くなる。けれど、それは大抵二、三日のあいだのことで、時間が経てば、魔法が解けたようにまた体は重くなった。

 だが、M氏のマッサージは違った。

 その日、かつてないほどに体が軽いのはもちろん、三日経っても、一週間経っても調子が良い。もちろん、日を追うごとにまた体が重くなっていくのであるが、しかし、それでも以前ほどは悪化しない。

 ――恐ろしいほどに腕の良いマッサージ師だ。

 こんな人間がこの世にいるものなのか。体を整える技もさることながら、さらに心までもを軽くする。彼の言葉は間違いなく、わたしを感動させたし、自信を与えてくれた。感謝しても感謝しきれない。

 初めて出会ったこの日から、わたしは畏敬を込めて、彼を心の中で“老師”と呼ぶようになった。仙人というものが存在するならば、まさに彼をおいて他に相応しい人物はいない。

 この初めてのM氏との邂逅以来、わたしはキュア国分町に行くたびにM氏のもとに行くようになった。そうして、彼は常に予約が埋まっている、キュア国分町で絶大な支持を得るマッサージ師だと知った。

 あれだけの実力があれば当然であると言える。

 「今からMさんお願いします」と言っても、大抵は三時間くらいは待つ。ひどい時には二〇時頃に予約しようとして、深夜一時なら開いてますと言われたことがある。というか、何時まで働いてるんだ、すごいな。

 キュア国分町は素晴らしいサウナだが、その価値を押し上げているのは、サウナ施設のみならず、M氏という存在が欠かせない。わたしにとっては、キュア国分町の魅力の五〇%以上はM氏の魅力だ。

 その後もいろいろなサウナのマッサージを受けた。けれど、M氏に匹敵する人物に出会ったことはない。しいて言うなら、ジートピアのケイコ(ジートピアの回を参照)が、老師Mの片鱗に近づいているくらいだ(もちろん、それでさえとんでもなく上手いということだ)。

 老師Mは紛れもなく日本一のマッサージ師である。自信を持って断言出来る。


 わたしは今も相変わらず、M氏のもとに通っている。

 予約した時間に行くと、施術用ベッドの脇であぐらをかいて、目を瞑って、ただ時が来るのを待っている。その佇まいはまさに仙人そのものだ。

 もはや体の調子がどうこうではなく、ただただ彼のファンになったわたしは老師のあの言葉が聞きたくて行っている節もある。

 さて、今日も聞きに行こうかな。

 老師Mに思いを馳せると、今も耳元で彼の言葉が聞こえてくる。


――「“効きますよ”」




【SAUNA DATA】

キュア国分町

サウナ:フィンランドサウナ 95℃程度、テレビ有

    韓国式サウナ 60℃程度

水風呂:17℃

ロウリュ:13時、17時、20時

宿泊:リクライニング、カプセルホテル、仮眠室有

営業時間:24時間年中無休

料金:3時間パック1,080円(他、時間に応じて)、カプセルホテル3,480円

HP:http://cure-kokubuncho.jp

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