第35話『そして裏切り者は嗤った』

 衝撃が走る。その衝撃で。謁見の間の窓ガラスが粉々に砕け、蝋燭立てが木の棒のように軽々と吹き飛ぶ。カーテンがバタバタと暴れ狂い、爆風が室内の隅々まで行き渡った。イレーヌが身につけていた鎧――それが爆発したのだ。


 強制装甲解除アクティブパージ。装着者の意志で鎧を強制的に脱着する機能である。イレーヌはそれを作動させ、斬り掛かろうとしたギルバルドもろとも、爆発に巻き込んだのだ。剥離した鎧がギルバルドに直撃し、彼の美形な顔立ちが醜く歪む――そして猛烈な爆風が、彼を壁際まで押しやった。


「グぶハッ?!!!」


 ギルバルドは自分になにが起こったのか分からず、石畳の上を転がり、壁へと叩きつけられる。エリスは防御魔法を展開し、その爆発と散弾のように飛来する鎧から身を守った。そして砂埃が舞う中、急いで親友の元へと駈け出した。


「イレーヌ!!」


 エリスの瞳に、仰向けに倒れているイレーヌの姿が飛び込む。エリスは青ざめた表情でイレーヌをそっと、慎重に抱き上げた。


「イレーヌ! しっかりして! イレーヌ!」


 イレーヌはゆっくりと瞼を上げ、「ケホ! ケホッ!」と咳き込みながら意識を取り戻す。その姿を見たエリスは感極まり、まるで我が子の生還に喜ぶ母親のように、彼女をギュッと抱きしめてしまう。


「よかった! 無事ね! 本当に……よかった!」


 エリスは満面の笑みで、イレーヌの無事を喜ぶ。言葉を放つことのできないイレーヌは、口を動かしてエリスに釈明する。エリスはその唇を読み取り、顔を横に振った。


「いいえ上出来だったわ! レイブンが予見していた通り、ギルバルドは貴女あなたを狙った。騎士の風上にも置けない卑劣なヤツよ!」


 エリスはそう言いながら、倒れているギルバルドを見た。彼は横たわったままピクリとも動かない。脅威が無力化されたことを改めて確認すると、その視線をイレーヌへと向ける。


「イレーヌ、体は無事? 怪我はないわね?」


 イレーヌは強制的に鎧をパージしたため、鎧の下に着用していたインナー姿だった。イレーヌが着用しているインナーは、近未来的なデザインのラインが入り、所々発光している。それはレイブンが用意したものだ。まるでイレーヌの体に直接ペインティングしたかのように薄いが、強制装甲解除アクティブパージの衝撃から身を守る、高衝撃吸収素材でできている。そのためイレーヌの体はあの衝撃にも関わらず、まったくの無傷だった。


 復讐を遂げ、互いの無事を喜ぶエリスとイレーヌ。それに水を刺すかのように、一人の若い男の声が、謁見の間に響き渡る。


「――なるほど。エリスがガレオンの影武者として暗躍していたのか。どうりで帳尻が合わないわけだ。それにしても、エストバキアの連中はどいつもこいつも使えぬヤツばかりだな。人間というイキモノは悪い意味で、期待を裏切らない。何一つ計画をまともに実行できないとは、本当に笑わせてくれるよ。実に……不愉快極まりない」


 二人は抱き合ったまま、その方向を睨んだ。その若い声の主は、意外な人物だった。


 エリスは謁見の現われた、その人物の名を口にする。


「ゴボラ……」


 国王控室から、ゴボラが姿を現す。そして、この国を治めるのに相応しいのは誰であるのかを示すかのように、あろう事か王座に腰を下ろした。そして脚を組み、悠然とした面持ちでこう告げる。


「『初めまして、魔王閣下』と言うべきかな? 私の名は――」


 名を告げようとしたゴボラは、胸を押さえ、唐突に苦しみ出す。


「うぅ?! ぐ……殿下お逃げ下さい! こやつは!! こやつはァ!!!!」


 束の間、ゴボラはいつもの嗄れた声に戻る。だがすぐさま、その老いた顔に似合わない若い声へと戻り、眉間にシワを寄せ、忌々しげに唸った


「ゴボラめ……往生際が悪い。大人しく、に摂り込まれていればいいものを――」


「あなたは……ゴボラじゃない?! 何者だ! 姿を見せろ!!」


「姿? 目の前に居るではありませんか。ここに……――」


 ゴボラの右肩がゴボゴボと不快な音を立て、なにかが蠢く。それは服を破って、正体を現した――腫瘍だ。その腫瘍は顔の大きさまで膨らむと、自らの意志で口を形成し、なにがあったのかを語り始めた。


「ゴボラはすでに死んでいるはずだった。不治の病である神経筋疾患の病に蝕まれ、余命いくばくもなかったのだよ。しかしその時だ、我が創造主がゴボラに救いの手を差し伸べたのは……」


 その腫瘍はぐにゃぐにゃと形を変化させながら、自らの意思で目や耳といった器官を創り出し、形を整え、ある男の顔へと擬態する。ガッドナー博士――いや、彼が老いる前、若き頃のガッドナーの顔だ。


「ガッドナー?! 死んだはずじゃ?!!」


「死んだはず……そうか、やはり創造主は死んでいたか。 “死んだはず”という単語を用いたということは、実際に手を下したのは、エリスか? それともイレーヌか? フンッ、まぁどちらでも構わない。こうして私を救ってくれたのには、なんら変わりないからな。感謝しているよ」


 イレーヌは、吐き気すら覚える歪んだ存在に、口を押さえて絶句し、恐怖している。無理もない。腫瘍が人の顔となって語り始める――そんな悪夢めいた光景を目にすれば、恐怖で萎縮してしまうのも頷けよう。


 ガタガタと震えるイレーヌを庇うように、エリスは毅然とした態度で立ち上がった。臆すわけにはいかい――もう自分たちを守ってくれる、魔王であり、父であり、この上ない理解者だった魔王ガレオンはいないのだ。彼の意志を引き継ぎ、この国を守る者として、魔王エリスは人ならざる者の前に対峙する。


「救う? いったいなにを言っている! お前のようなバケモノを救った覚えはない!」


「だが紛れもない現実だよ。分からないようだから説明してやろう。ガッドナーも老い、彼もまたゴボラと同じように死の影が迫っていた。彼が生き永らえるために目をつけたのが、この私……いや、“我々”と言ったほうが適切か。死を逃れる新たな肉の受け皿として選んだのが、であり私達、、――魔界のヒルだ。


 彼は魔界や人間達の使う魔導学を駆使し、様々な生物やツノツキ、人間やエルフ、果ては同族である魔族までもを実験台にして、器であるこの私を完成させた。厳選に厳選を。吟味に吟味を重ねて。まぁそれもそうだろう。なにせ将来、大切な自分の体になるものだ。魔族も人間も、自分のためならどんな禁忌も犯す。彼もまた人だったということだ。そして彼は治療と称し、ゴボラに私を移植したのだよ」


「なぜゴボラにそんなモノを……」


「難しく考える必要はない。創造主はゴボラの記憶と、知識を必要としていた。賄賂や汚職・表に露呈すれば破滅するような、日の目を見てはならない裏の情報……宮宰として嫌でも耳にするそういったものは、人を動かすのになにかと都合が良いからな。そして皆が信頼を集めるゴボラという顔も、嫌われ者のガッドナーと比べれば遥かに都合が良い」


「ガッドナーは、ゴボラの肉体を乗っ取るつもりだったのか?!」


「あー、少し違うな。用済みとなったゴボラの肉体は、処分されるはずだった。そもそも、こんな老いた肉体に執着する必要もなかろう。なにせガッドナーには、魔界のヒルという瑞々しい肉体があるのだ。それに意識を私に上書きすれば済む話。顔もこうして――」


 まるで腫瘍は、見えざる者の手によってこねくり回されるかのように、グネグネと形を変えていく。そして若きガッドナーから、老いたゴボラの顔へと形状を変える。同じ顔が二つ並んだ光景は、まさに異様だった。

 ゴボラの肩から生えた腫瘍は、ゴボラの声で得意気に語る。


「――変幻自在に変えられることだしな。わざわざゴボラの肉体に固執する必要はない。重要なのは使い古された肉体ではなく、彼のココ、脳みその中身だ。後は苗床である本物のゴボラを始末して、魔界のヒルが擬態した偽物ゴボラとすり替える。そういう手筈が整えられていたのだよ。

 だがここで、ある問題が発生する。私をゴボラから摘出し、創造主の記憶を上書きする前に、それを行うガッドナーが行方をくらましたのだ。何者かに消されたと思っていたが……まさか、死人、、に消されているとはな。実におもしろい。皮肉とは思わないか? 私は笑えたよ」


 エリスは会話のイニシアチブを握るため、バケモノの境遇を皮肉し、神経を逆撫でしようとする。


「それはそれは残念だったな。バケモノとはいえ生みの親を殺されて、さぞかし悲しかったろう。私が憎いか?」


 だが人ならざる者は怒りを抱くどころが、穏やかな口調でエリス達を感謝する。


「言ったはずだ『感謝している』と。ガッドナーの記憶を上書きされれば、私という人格は消えてしまう。私が殺されるのを、君たちは未然に阻止してくれたのだよ。命の恩人と言っても過言ではない。心から、君たちの英雄的行為に感謝しているよ。我が創造主であり、父でもあるガッドナー。あの老いぼれを殺してくれて、本当にありがとう」


 ガッドナーが生み出し、魔都の裏で人知れず成長していた脅威。それはこの騒動を意図的に引き起こした黒幕だった。

 自ら考え、行動し、思考する自我を持った魔界のヒル。その集合意識体はゴボラのなかで成長を続け、最終的には、魔族のみならず人間すらも駒として動かすまでの、智将と化していたのだ。


 斃すべき本当の敵を目の前に、エリスは不快感を全面に押し出した表情で、ボソリと呟く。


「ガッドナーの忘れ形見か。あの男は死して尚、我々の前に立ち塞がろうというのか……亡霊め!」 


「亡霊が亡霊と罵るのか。笑えるな。ユーモア溢れる女は好きだよ。寄生して脳の中を覗きたくなる。記憶や感情、心という深層心理の隅々まで、余すことなく凌辱したいものだ。

 しかし残念だ。あぁ……とてもとても残念だよ。君たち二人は、私のことを知りすぎてしまった――と言っても、秘密をべらべらと喋ったのは、私だが。計画に君たちの存在は想定されていない。そもそもこの国を転覆させるための役者は、もう揃っているのだよ」


 魔界のヒルの口調が徐々に変わっていく。紳士的な口調から、少しずつ冷徹な口ぶりと化した。


「そもそも生かしておく理由がない。擬態する上では、君たちが擬態していたガレオンのほうが、遥かに魅力的でネームバリューがある。人をひれ伏させるあの権力と発言力。しかし、お前達二人はそれがない。そもそも役を終え、舞台を下りた死人なのだよ。墓下で永遠の眠りを謳歌しているはずの君たちは、ここで二度目の死を迎えるのだ」


 ゴボラの右腕から突如、無数の触手が伸びる。伸びた触手がエリスの頭部に巻きつき、口を覆った。

 会話に乗じる振りをして、反撃する機会と隙を伺っていたエリス。しかし彼女の目論見は、すでに読まれていた。詠唱による魔剣の強化を防がれ、エリスは対抗手段を喪失する。恐怖で身を強張らせているイレーヌは、武装を解除したインナー姿。そんな軽装でバケモノ相手に太刀打ちできるはずがなかった。


 叫ぶことのできないイレーヌは、戦意を喪失し、恐怖で顔を歪める。エリスは体全体を使い、なんとか触手の拘束から逃れようとする。


 会話のみならず戦闘の主導権を握った魔界のヒルは、彼女達の愚かさを鼻で嗤った。


「時間稼ぎをしている事ぐらいわかっていたよ。気づいていないと思ったのか? 私は名将である軍師ゴボラの思考パターンを吸収しているんだ。小娘ごときの姑息な考えなど、すべてお見通しだ」


――しかしこの謁見の間で、唯一、戦闘能力を失っていない者がいた。イレーヌの思わぬ一撃によって気を失い、彼等の会話に耳を傾けていた一人の騎士、ギルバルドである。

 自分が利用されていた――それも、得体の知れない怪物によって。それを知ったギルバルドは、憤怒すら生ぬるい、悪鬼のような形相を浮かべていた。魔族に利用されただけでも憤死に値する屈辱。にも関わらず、その魔族が生み出した腫瘍のバケモノに利用されていたのだ。

 魔王を継承するエリスも危険に変わりないが、寄生する魔界のヒルは、それ以上の災いとなるのは必至。いずれ人間に仇なす存在となって、エストバキアに牙を剥くのは容易に想像できる。


 ギルバルドは斃すべき優先順位を変える。ここで駆逐しなければならない災いの芽へ、焦点を合わせた。


 奇襲における勝負は一回のみ。これに失敗すればバケモノから反撃を許すことになる。ギルバルドは頃合いを見計らい、行動に移した。自分の中に存在するありとあらゆる魔力を、すべて聖剣へと注ぎこむ。聖剣に限界まで魔力を分け与え、魔界のヒルが背後を向けたその瞬間――倒れていたギルバルドはガバッと起き上がる。そしてゴボラ目掛けて一気に走りだした。


 ギルバルドは、不意打ちが成功したと確信する。相手はエリスとイレーヌに夢中で、他には目もくれてなかったからだ。


 背後を盗ったギルバルドは、光る聖剣を振り下ろす。


「くだらん能書きは地獄で振るうがいい! このぉ!! バケモノがァアァアァ――――ッ!!!!」



 ドシュ!


「グハッ!?!!」



       グチぃ!! ブチブチブチ……ボキィッ!!



「グあぁ?! ……――ぅぐぎぃッ?!!!」


 ギルバルドは腹部に温かさを感じる。それが次第に激痛と化し、全身の隅から隅へと駆け巡った。ギルバルドは耐え切れず、耳を引き裂くような奇声染みた断末魔を上げる。


 ゴボラの背中から、鋭利な鉤爪を備えた触手が生え、背中から接近していたギルバルドを串刺しにしたのだ。

 魔界のヒルは、ギルバルドが刺さった触手を振るう。遠心力で彼を投げ飛ばし、石柱へと叩きつけた。その衝撃で鎧が砕け散り、鮮血が飛散する。まるでジャムの瓶を壁に叩きつけたかのように、ベッドリとした血糊が石柱をつたい、ポタポタと滴り落ちる。


魔界のヒルは、すでにギルバルドの奇襲を予期していた。わざと背中を向け、罠に掛かるのを待っていたのだ。

 魔界のヒルは、奇襲に失敗したギルバルドに厳しい評価を突きつける。


「死んだフリに不意打ちか。語るに堕ちるとはまさにこの事。勝ちにこだわる姿勢は見事だが、それでは騎士というより、勝利に飢えた獣ではないか。騎士を名乗るのであれば、身の振り方は弁えるべきとは思わんかね? あとそれと――」


 魔界のヒルはゴボラの頭を指先でコツコツと叩き、優越に浸った嫌味な笑みを浮かべる。


「来世では、もう少しココ、、を使うことだな」 


 魔界のヒルは視線をエリスとイレーヌへと向ける。そして触手で拘束された二人を自分の元に引き寄せつつ、幕を引き下ろす準備を始めた。


「さて、そろそろ城内に侵入した人間達も駆逐される頃だな。他の者に私の正体を知られるわけにはいかないのでね。そろそろ幕引きと行こうか。」


 魔界のヒルは彼女達が亡き後、この国と世界がどうなるのかを語る。


「将来的にこの国は、私の――いや、我々のコロニー繁殖巣となる。皮肉なものだろう? 魔族が我々を作り出し、最終的に私の子を産むための家畜として、立場が逆転するんだ」


 魔界のヒルは二人の視線を見て、あることに気付く。二人の目が絶望に染まっておらず、未だ希望の灯を宿していたのだ。


「ん? まさかレイブンが来ると思っているのか? 哀れだな。あの男は人間であり、この国のために命を賭ける道理も、義理もない!」


 触手を狭め、エリスを締め上げる。


「ぐッ?! アァあっ!!」


 それを見たイレーヌは『やめて!!』と叫び声を上げようとする。だが彼女の口から出るのは無力な息だけで、聖女の唄声と呼ばれた美声が、制止を告げることはなかった。


 エリスを殺すに、魔界のヒルは心の内に貯めていた蟠りを漏らす。


「やれやれ。それにしても彼には期待していたのだがなぁ。レイブンには裏切られたよ。異世界から来た勇者とは言え、所詮は人だ。魔族と人間との軋轢に苛立ち、勇者の力で、この国を混乱に導いてくれると期待していたのだよ。それがどうだ? なにがあっても魔族の側につき、君たちを守ろうとする。罵声や嫌味、陰口を叩かれても尚、なにかに取り憑かれたかのように姿勢や考え方を変えようとはしない。ゴボラの知能を持ってしても、ヤツの考えることは読めなかったよ」


 魔界のヒルは腰に下げていた剣を、鞘から引き抜く。天空石が金色の鍔の中で輝く美しい短剣。かつてイレーヌ護身用の短刀。その剣先をエリスの喉元に突き立て、別れの言葉を告げる。


「エリス様、お逢いできて光栄だったよ。さぁ、二度と覚めることのない、永遠の眠りにつくがいい!」



――その時だった。



 天井の一部が爆発音と共に吹き飛ぶ。その煙の中からSAAシングルアクションアーミーを手にしたレイブンが現れる。彼は落下の最中にも関わらず、引き金を引き、一発の弾丸を繰り出す。それは一直線にある場所へと向かった。ゴボラや魔界のヒルの心臓部である、腫瘍本体でもない。現状もっとも致命傷となるのに有効な場所キルポイント。弾丸が向かう先は、短剣の鍔で輝く天空石だった。

 ロングコルト弾が天空石を砕く。宝石の中で内封されていた光が、謁見の間から影を消し去り、色を剥奪するほどの光量で広間を満たした。


 魔界のヒルにとって光に満ちたその空間は、地獄以外のなにものでもなかった。ヒルの触手や腫瘍が燃え上がり、火達磨と化す



「ギャァアアァアアアァアァアア――――――ッ!!!!」



 ゴボラの肩に生えた腫瘍、そして背中と肩から生えた触手がもがき、暴れ狂う。拘束から逃れたエリスとイレーヌは、その隙に安全な距離まで逃げる。


 魔界のヒルは自分に何が起こったのかさえ分からず、ただ痛みに苦しむしかなかった。


「熱い! クソぉおぉおぉ!! なにが?! いったいなにが?!! ――まさかヤツか?! レイブン貴様かぁアァあぁアァ!!!!」


 魔界のヒルは光から逃れるため、本体である肩の腫瘍をゴボラの中に潜り込ませようとする――しかしそれは叶わなかった。レイブンが着地と同時にレーヴァテインを投げる。弧を描く刃が、ゴボラから腫瘍を斬り離したのだ。


 光が止み、すべてが元の色合いを取り戻した時、勝敗は決していた。争いを生み出し、人間達に魔都陥落させようとした主犯格との戦い。その結末は文字通り一瞬――“瞬く間”だった。


 レイブンはSAAの銃口を腫瘍に定めながら進む。銃口を向けられている腫瘍は、焦げ臭い臭いを放ちながら液状の体液をまき散らし、ジュブジュブと耳障りな音を立て、少しずつ縮小している。レイブンは慎重にその横を通ると、エリスとイレーヌの元に駆け寄った。


「イレーヌ、怪我はありませんか?」


 イレーヌはコクリと頷く。

 レイブンはイレーヌの無事を確認すると、エリスに視線を向け、釈明する。


「申し訳ありませんエリス陛下、、。遅くなりました」


「レイブン……んもう! 時間稼ぎをする身にもなってもらいたいものだわ! 遅れるなんて貴方らしくない。なにがあったの?」


「少し……に迷ってしまいました」


「ふ~ん、“道”ねぇ……」


 エリスはジト目でそう言いながら、耳に付けていたワイヤレスイヤホンマイクと、隠しポケットに入れていたPDA携帯情報端末を、レイブンに返そうとする。エリスはこれらを使い、レイブンが天井から奇襲することを事前に知っていたのだ。それどころか、ゴボラの内にある黒幕の存在もすでに認知しており、エリスとイレーヌは自らの意志で、この黒幕を誘き出すための囮になることを、レイブンに願い出ていたのである。

 かつて魔王ガレオンを誘き出すため、囮として利用された二人。その雪辱戦として、彼女達は自らを危険に晒し、宿敵を誘引するための“囮役”を演じていたのだ。


 レイブンは「念のためまだ装備していて下さい」と告げ、PDAとワイヤレスイヤホンマイクをエリスに戻した。そしてレイブンはゴボラに歩み寄り、火傷の手当てを始める。

 正気を取り戻したゴボラは、全身を覆う苦痛に呻いていた。彼は魔界のヒルの巻き添えを喰らい、軽度の火傷を負っていたのだ。幸い燃焼度合いは、Ⅰ度熱傷から浅達性Ⅱ度熱傷であるが、予断を許さない。

 ゴボラは虫の息だった。火傷に加え、延命器官である魔界のヒルを失った今、その機能を補うことが急務だった。


 ゴボラは弱々しい声で死を懇願する。それは苦しみからの逃避ではない、汚名と恥からの逃避だった。


「うぅ……レイブン………私を、私を殺して……くれ……」


「残念ですがそれはできません。貴方はこの国に必要な人材。失えばどれだけの損失なのかは、貴方自身が一番よく知っているはずです」


「エリス殿下に矛を向けてしまった…………死をもって償わなければ……だ、だから頼む! ……死を恐れた、愚かな私を討て!」


 だがエリスがゴボラの要望を却下する。


「ダメよ! 恥を掻いてでも生きなさい! 貴方が死ぬことは、この私が許さないから!」


 その言葉に、ゴボラは耳を疑うかのように目を見開き、感無量といった表情で涙を流した。


「殿下……なんともったいない御言葉……裏切り者の私には、もったいない御言葉です……」


 エリスはゴボラの手を取り、彼の奮闘を讃えた。


「貴方は一度も私達を裏切っていないでしょ? 操られている時も抗い、逃げるよう促したではありませんか」


 レイブンがジャケット裏から注射器を取り出す。その中には麻酔薬が内封されていた。そして彼は目配せでエリスに合図を送る。そのアイサインにエリスは頷くと、最後にゴボラの労をねぎらった。


「ご苦労様でした。疲れたでしょ? 今はただ眠りなさい。体を休めて、また宮宰として私達の支えとなって下さい。私とアルトアイゼン市民は、ずっと、貴方の帰りを待ち続けますよ……」


 プシュ!


 注射器から麻酔薬が注入される。


 ゴボラは、エリスの労いの言葉に笑みを浮かべる。そして感謝の想いに浸りながら――そっと瞼を閉じた。


 魔界のヒルにすべてを支配され、操られ続けた日々。彼はようやく煉獄から開放され、安息の中で眠りにつくことができたのだった。




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