第36話『機械仕掛けの神は、勇者に最後の微笑みを浮かべる』


 黒曜石を床一面に敷き詰め、金色のエングレーブが床一面に装飾された行幸時用バルコニー。そこにグレイフィアの駆るシュバルツヴィントと、アーシアの駆るフォルクスイェーガーが飛来する。



 魔族の竜騎兵は残存していた傭兵たちを駆逐し、ミューリッツ湖のエストバキア王国遠征騎士団野営地を強襲。見事作戦を成功させての帰還だった。グレイフィアとしては野営地を焼き払うだけでなく、エストバキアに逃げ遂せようとしていた、兵力そのものを殲滅したかった。しかしレイブンの駆る神機――零戦が魔都に戻るのを見て、妙な胸騒ぎを感じたのだ。作戦の主目標を達成し、深追いすることなく兵を下げた。


 そして魔都に戻ったグレイフィアは、自分の直感が正しかったと知る。魔都はエストバキアの別働隊によって奇襲を受けており、街のところどころから煙が立ち上っていたのだ。しかも攻撃を受けていたのは市街地だけに留まらない。あろう事か魔都の象徴である、アイゼルネ・ユングフラウ城からも煙が上っているではないか。グレイフィアとアーシアの脳裏に、絶対にあってはならない最悪のシナリオが過る。二人は祈るような気持ちで謁見の間を目指した。




 グレイフィアは謁見の間に続く重厚な扉を開け、愛する男の名を叫んだ。




「ガレオン! ガレオン無事なの?!」



 だがそこにガレオンはいなかった。まだ戦闘の臭いが残る謁見の間に佇んでいたのは、すでにこの世を去ったはずの、エリス殿下だった。



「――――ッ?!! エリス? エリス?!!」



 グレイフィアは今までにない歓喜の表情で走り出す。無理もない、もう二度と逢うことはできないと思っていた無二の親友。それが突如、目の前に現われたのだ。たとえ幻でもこの腕で抱きしめたい――彼女はその一心でエリスの元に走り出す。グレイフィアはレイブンやイレーヌの目を憚ることなく、エリスに飛びつく。そして彼女を愛おしく抱きしめながら、目に溢れんばかりの涙を浮かべ、喜んだ。



「これは奇跡?! それとも夢!? いいえ夢なんかじゃない! アハハッ! 本当に! 本当にエリスなのね!」


「グレイフィア……ごめんなさい。貴女に辛い想いを――」


「馬鹿言わないで! 謝る必要がどこにあるの! 帰って来てくれたのよ! これほど嬉しいことはないわ! こうして……こうしてまた、生きた貴女に出逢えるなんて……」



 グレイフィアは涙ぐみ、その声は震えていた。もうそれ以上の言葉は不要だった。グレイフィアはエリスをギュッと強く抱きしめ、大粒の涙を流す。もう二度と愛する彼女を離すまい、と。



 グレイフィアは冷静さを取り戻し、謁見の間に居合わせた者達を改めて見渡す。なにか得体の知れないものに侵食されたゴボラ。遠くには凄惨な姿と化した人間の死体が転がっている。――そして悲劇を生み出した元凶、エストバキアの王女イレーヌまでいるではないか。どうすればこの面子が揃うのか想像し難い顔ぶれ。ここで只ならぬことが起きたことだけは想像できる。



 しかしこの中にいるべきはずの、魔王ガレオンの姿がなかった。グレイフィアは不思議に思い、彼のことを尋ねる。



「ガレオンは? 彼はどうしたの?」



 そう問われたエリスはグレイフィアの視線から、逃げるように逸らした。その仕草にグレイフィアは察する――女の勘だ。

 魔王ガレオンが素顔を隠し、夜も寝室に顔を見せなくなった。グレイフィアはそれを、我が子エリスを守れなかった罪の意識からだと思っていた。しかし真実げんじつは違った。そのエリスが魔王ガレオンの姿を借り、彼を演じていたのだ。

 至極利口な考えだ。もしエリスでなく魔王ガレオンが人間の罠に掛かり、その命を落としたとすれば、好戦派は水を得た魚となる。報復という大義名分を掲げ、戦場という大海原に出陣するだろう。そんな彼等を制止できるのは、魔王ガレオンを置いて他にない。ならば討ち取られたのはガレオンではなく、エリスという事に偽装すれば、好戦派を黙らせることができる。大戦を避けるために、エリスはその素顔を、誰にも見せることができなかったのである。


 その証拠に、エリスは魔王ガレオンの鎧を身に纏っている。認めたくなくても、自ずとその答えは導かれてしまう。グレイフィアが愛したガレオンという男は、すでに、この世にいない――と。

 愛する人の死に、グレイフィアは不思議と喪失感や哀しみを感じなかった。彼女は心のどこかで気付いていたのだ。愛する男ガレオンの死を――、



「そう……どうりで。あの日から頑なに兜を取らなかったわけだ。私を避けていたのも、悟られないためね」


「ごめんなさい。今更なにを言っても言い訳にしかならない。けど言わせて! 貴女に……すべてを話したかった。助けてほしかった! でも内通者の目がある以上、どうしても、それは許されなかったの! もし父の死が他の者達に知られれば――」



 グレイフィアは、言葉を詰まらせたエリスに代わり、彼女がその台詞を代弁する。



「――穏健派は好戦派によって捻じ伏せられ、報復の御旗を掲げた戦争が始まる。それもなんの戦略も計画性もない、ただ憎悪に身を任せた戦争。その結末は、最悪なものになるでしょうね。彼等を黙らせることのできるのは、皇帝陛下を除けば魔王ガレオンしかいない」



「――ッ?!」



「驚いた? フフ、貴女の考えていることぐらい、私にだってわかるんだから。だってほら……――」



 グレイフィアはエリスを責めなかった。すべての事情を受け止め、彼女が味わったであろう悲しみや辛さを洗い流すように、強く、そして優しく抱擁する。そして敬愛する彼女にある言葉を捧げた。それは普段、気恥ずかしくて伝えることのできなかった、大切な言葉だった。



「――私達、親友でしょ」



――エリスとグレイフィアは、それ以上言葉は交わさなかった。二人は抱き合い、昂ぶる想いと共に涙を流し、相手の存在を確かめ合う。鼓動と温もりを重ねる二人に、もはや言葉は不要だった。


 再び重厚な扉が開き、謁見の間にエレナとゼノヴィアが到着する。



「陛下! ご無事ですか?!!」



 エレナの一声に、謁見の間にいた者達が一斉に振り向き、注意がそちらに向いた。その頃合いを待っていたかのように、石畳の上に転がっていた腫瘍から、一匹のヒルが飛び出す。赤黒いヒルは蛇のように体をくねらせながら、シュルシュルとある場所にむかって這いずっていく。その不穏な存在に、魔族の者達は気づかない。そして奇しくもエレナもまた、その中の一人だった。彼女は目の前の光景に目を奪われ、エレナを凝視したまま固まってしまう。



「え、エリス殿下?! こ、これはいったい!!」



 理解を越える事態に困惑するエリス。その横で、ゼノヴィアも我が目を疑い、目をパチくりさせている。完全に面食らった二人は殿下に頭を下げるのも忘れ、この世の奇跡を目の当たりにしたかのような顔つきをしていた。



 レイブンはゴボラに応急処置を施しながら、二人に説明する。



「ご覧の通りです。残念ながら陛下は、すでにこの世にはいません。今までエリス・イレーヌ両殿下がガレオンを演じ、内通者の目を欺いていたのです」


「陛下が……崩御されていただと?! レイブン! そんな話は聞いてないぞ!! なぜ私にそういう大事なことを言わないんだ。大砦に戻る途中で話せばよかっただろう。いや、それ以外にも話す機会はたくさんあった。 なぜ隠していたんだ!」


「あの状況で『陛下は崩御なされていたのです』と伝えても、無用な混乱や動揺を生むだけです。すべては、本作戦に集中してもらうための配慮です」


「いらぬ世話だ! 重要な情報は常に共有すべきだろう! そもそも戦場で訃報は日常茶飯事。騎士団長としての心構えをなんだと思っているだ!」



 その言葉を耳にしたエリスが、沈んだ声で仲介に入る。



「ごめんなさいエレナ。内通者への情報漏洩を防ぐにために、ギリギリまで父の死を伏せておく必要があったの。敵は人に寄生して、知性や記憶を摂り込むヒル――どこに敵が潜んでいるのか分からない以上、こうするしか方法がなかった。決して……いいえ断じて、貴女の精神力を過小評価していたわけでも、疑っていたわけでもないの」


 さらにレイブンが、何故エレナに真実を告げなかったのかを語った。


「必要な者だけに報せる。つまり『Principle of least privilege』 最小権限の原則です。ガレオン陛下の死は、私達にとってアキレス腱――つまり作戦の根底を揺るがしてしまう程の、致命的な弱点だった。

 絶対に漏洩してはならないその情報を防ぐために、そのネットワークを限界まで縮小させ、アクセス権限のある者とだけ秘匿情報を共有する。行き交う情報網を狭めれば、敵がその情報を嗅ぎつける危険性は減り、秘密は守られます」



 エリスは部下の信頼を裏切ったと思い、そんなことは決してないと断言する。



「必要な措置だったとは言え、こうして味方を騙すような形になったのは申し訳なく思うわ。責められるべきなのは、作戦主導者であるこの私。エレナ、心から謝罪するわ」



 まさか殿下自ら仲介役を買って出るとは思わず、エレナは『はわわはわわ』と情けない声をあげ、慌てふためく。とても騎士を束ねているとは思えない、見事にコニカルな困惑っぷりである。



「いえいえ! 決して殿下を責めているのではなく! そもそもですねぇ! この男が私のことを信頼していないのが悪いのであって――」


 その慌てっぷりに、エリスは殿下としてでなく、一人の少女として笑みを浮かべた。


 エリスは王女という位に即位している。そのため配下や重臣は彼女を敬い、感情を表に出すことは、ほぼない。すべては礼節と形式的な、政としての会話。感情や想いよりも、いかにして国家を運営するかの駆け引き――それに争点を置かれた、あくまで政治的やり取りなのだ。


 だがエレナの仕草は、感情から来る自然なもの。その行いは『礼節をわきまえていない』『無礼だ』と言ってしまえば、それまでかもしれない。しかしエリス殿下にとって、エレナの仕草や表情はとても自然で、心地いいものだった。



「フフッ、……父の言っていた通りね」


「え? 私、変なこと言いましたでしょうか?」


「いいえ違うの。実は父が生前、貴女を騎士団長に任命する時に、こう言っていたの『まだ若いが、信頼するに値する騎士だ』そして――『派閥間の抗争や摩擦を緩和させる、不思議な力を持つ』……と。


 魔都には様々な人々が住んでいる。


 人間への報復感情を抱く者。再び戦乱の世を望む者。

 そして地上開拓を再開しない、私達王家を憎む者――そういった曲者揃いを和解させ、彼等の仲を平等に取り持ち、価値観の違う者達を束ねる。それは並大抵の事ではない。それを実際にやってのけた貴女になら、魔都を守護する騎士――それを束ねる者として相応しい。


 貴女とこうして直に話してみて、父の気持ちが分かったわ。これからのアルトアイゼンに必要なのは、柔軟性に富み、冷静な視点から物事を見極める存在――つまりエレナ、貴女のような存在が必要とされているの。これからも、国家と国民を守護する騎士として、魔剣を振るってくれる?」



「我が命、エリス殿下と、そして国家と共にあります! 必ずや、御期待に沿える活躍をご覧に入れましょう!!」



「騎士団長エレナ、これからも益々の活躍を期待していますよ。そういえば……たしかレイブンも、父と同じことを言っていたわね。『エレナはアルトアイゼンの未来を牽引する存在だ』。 そうよね?」



 その事実を耳にしたエレナは「え!」と驚いた表情でレイブンの方向を見た。当のレイブンは肩をすくめ、「そんなこと言いましたっけ?」と恍けている。それを見たエレナは、まんざらでもない表情で、ツンとした台詞を吐く。


「べ、別にうれしくなんてないんだからな! あ、あくまで陛下と殿下から賜った御言葉だったから嬉しいのであって、たまたま、そうたまたまレイブンと被ったただけのこと! だから嬉しいんだからな!!」



 そのしどろもどろさに、思わずグレイフィアとアーシアは顔を背けて「プッ」と噴き出してしまう。そのやり取りにエリスも『素直じゃないんだから』といった顔を浮かべる。



 そうこうしていると、謁見の間に眩い光が煌めく。その光の中から流線型の医療用ストレッチャーが出現する。続いて、頭にハットを被り、レイブンと同じくネクタイを締め、フォーマルスーツに身を包んだ黒人が姿を現した。

 魔族達は突如現われた来訪者を警戒し、身構える。だがレイブンが彼女達の前に出て、ボディ・ランゲージで『その必要はない。彼は仲間だ』と伝えた。


「みんなさん紹介します。彼は私を救ってくれた恩人であり、この戦いで支援と技術提供バックアップしてくれた、ビジターです。そして彼の名はゼロ。彼は研究機関に属していて、この世界で当てはめれば魔導力学の学者――もしくは魔導研究員と言ったほうが分かりやすいでしょうか。私達の協力者であり、敵ではありません。どうか武器を下ろしてください」


 レイブンは魔族サイドにそう伝えながら、ゼロに向かって歩き出す。こちらに向かってくるレイブンに、ゼロはこう伝えた。


「レイブン、予期せぬ誤算があったようだが……無事、因縁にケリをつけたようだな」


「どうしてココに? 私だけの時ならまだしも、現地人の目がある場所に来るなんて。ストレッチャーだけを、ここに転移すればよかったはず」


「個人的なわがままだ」


「わがまま?」


「この目で……事の結末を、見届ける義務がある」


 少ない言葉だったが、レイブンは即座にゼロ真意を理解し、彼の意向を汲み取る。


「そこまで気を使わなくてもよかったのに……」


「言ったはずだ、“個人的なわがままだ”と」


 レイブンはゴボラの肩を貸し、ストレッチャーの上へ乗せる。それを見たエレナが「いったいなにをするつもりだ」と問いかけた。

 レイブンはストレッチャー横のパネルを操作しながら、なにをするのかを語る。


「見ての通りゴボラは重症です。彼を治療するには、専用の医療設備が必要であり、それはこの世界にはありません。ビジターの世界に搬送し、治療と技術提供を行います」


「技術提供だと?」


「はい。ビジターの世界では、まだ魔術や魔法は認知されていないのです。つまり向こうの世界では、魔法は未知であり未開の技術。ゴボラに協力を仰ぎ、ビジターの世界で魔法を研究するのです。

 本来の予定では、ダエルとその一味の体を使って解明する手筈でしたが、予定外の出来事で彼らの体は消し炭になってしまいました。したがって、ゴボラにその役を担ってもらいます」


「ゴボラを実験台の材料にするつもりか!」


「彼は貴女と同じく、アルトアイゼンの未来を担う存在。そんなことはさせません。ゴボラの人権は保証されています。彼は治療を行いつつ、共同研究に努めてもらいます」


 レイブンはそう言いながらゴボラに視線を移す。ストレッチャーの上に仰向けに横たわるゴボラ。彼は軍師として強い眼差しと共に、深く頷いた。ゴボラはなんとしてでも生き残り、再び、この国のために尽くす所存だった。外交における『交渉材料』 兼 『交渉人』という二重の役割を担うのである。彼はそのためなら、異世界だろうが地獄だろうが向かう覚悟だった。

 レイブンはゴボラの強き想いに感謝し、彼と同じく、強い眼差しで頷き返す。これでビジターサイドとの約束は果たされ、ゴボラは無事に治療を受けることができるのだ。


 エレナはゴボラの決意を目の当たりにし、これ以上反論することができなかった。

 エリス殿下がゼロに向かって歩き出す。


「この度は格別の配慮に、アルトアイゼンを代表して感謝の意を申し上げます。ビジターの協力がなければ、私の命だけでなく、アルトアイゼンは滅亡の道を歩んでいました」


「我々はなにもしていない。単にレイブンの居た世界の技術を複製し、提供しただけの事。すべては彼と君たちの功績だ」


「レイブンからひと通り話は聞いております。絶対的な傍観者でなければならないのに、自らの掟を破り、我々に協力してくれた。その厚意に深く感謝しています」


「感謝する必要はない。我々はこの世界を知りたいだけだ。この世界は実に興味深いもので満ち溢れている。レイブンが我々の世界に出現したと同時に、観測――いや、突如として出現した異形の世界。まるであたかも、最初からそこに存在していたかのように、そこにこの世界があった。忽然と世界が創生されるなど、観測史上例のない現象だった」


「例えるなら、書斎の本棚に見たことのない本が並んでいた。そのような感覚でしょうか?」


 ゼロは「その表現は適切だ」と頷いた。


「従って本来、我々が観測者として敷いているボーダーラインである原則。文化汚染や意図的な介入、操作などは、ある一定の基準まで下げられた。現在我々は限定的にこの世界に干渉・介入できるのだ。

 もちろん直接的な介入や意図的な操作は厳禁だ。だが今回の支援は、インターネサインによる特例で認められた。超法規的措置。もし感謝する相手がいるとすれば、その特例執行を許可したインターネサインにあるだろう」


 エリスにとってゼロの話は難解だった。だがレイブンから得ていた事前知識のおかげで、彼がなにを告げたいのかは概ね理解できた。ビジターの世界には魔法という力学は存在しない。――いや、有り得ない超常的な力。それを解明し、停滞した種族に今一度、進化の道筋を見出す。それが彼らの目的であり、魔族に味方をした動機だった。

 インターネサインという実体を持たない精神的存在(?)が、手を貸す事を許したのだ。


 だがそれでも助けてもらった事には代わりない。エレナはゼロの手を取ると、その手の中にある物を渡す。それは黄金のバングルだった。

 ゼロは手の中で輝く金色のバングルを目にすると、研究者として興味心といった目色で尋ねた。


「これは?」


「子供の頃、父がプレゼントしてくれた初心者用バングルです。魔法を効率的に制御するための補助具――とお考え下さい。私は“幸運のバングル”などと名を付けましたが。どうぞ好きに呼んでくれてかまいません。今後の魔法研究の役に立ててれば幸いです」


「レイブンの言っていた“友情の証”という文化交流か。私からもなにか贈りたいが……あいにく進呈できるものがない」


「このバングルは、貴方がアルトアイゼンに貢献し、ゴボラの命を救ってくれる感謝の気持ちです。お礼なんていりません。

 それよりも、もっと高価で価値のあるものを用意できず、こちらとしてはお恥ずかしい限り。次に会う時は必ず、貢献に似合ったものを贈ります。今はそれでご容赦ください」


「これは実に興味深い研究対象だ。再度こちらから接触して、文化交流に似合う物を譲渡したい。インターネサインの許容範囲でなら、これと同等のモノを引き渡すことが可能だ」


 エリスは淑女的な微笑みで、彼の厚意に喜んだ。そんな突発的外交会談に、レイブンの報告が届く。


「ゼロ、準備が整いました。ゴボラの搬送をお願いします」


「了解した。それではエリス陛下、私はこれで失礼します。重ねてお伝えしますが、ゴボラの人権は医療規定によって保証されています。どうか、ご安心下さい」



 ゼロはジャケット裏から懐中時計を取り出し、転送準備を始める。光となって消え去る刹那、ゼロはレイブンに別れの言葉を告げた。



「君の観測は、実に興味深く有意義だった。閾値を越えたさまざまな計測不能な数値。まさに君は規格外……イレギュラーだ」


「私からも最後に、礼を言わせて下さい。助けてくれて……ありがとう」


「礼……か。我々には、君たちから多く学ぶべきものがあるようだ」



 ゼロとゴボラを乗せたストレッチャーは、光の中に消え、この世界から消滅した。



 謁見の間で、それを固唾を呑んで見守っていた、四天王と騎士団長エレナ。彼女達は緊張から開放され、安堵の息を漏らす。



 エレナはレイブンの横に立つと、彼に「御苦労だったな」と労をねぎらいつつ、皮肉的を口にした。


「まったく……レイブンの知り合いには変わったヤツしかいないな。あの褐色肌を持つ男も、まるで感情を消し去ったかのような振る舞いだったぞ」


「変わっている? それなら、エレナだって負けていませんよ」


「なんだと? 言わせておけばいい気に――」



 エレナはレイブンの異変に気付く。



「レイブンどうした? なぜ浮かない顔をしているんだ?」


「なんでもありません。ただ、別れというのは哀しいものです」


「別れ? いったいなにを言――」




「危ない!」




 謁見の間を切り裂く少女の悲鳴。それは声を出すことのできない、イレーヌが発したものだった。周囲の女性陣が、彼女の視線の先を追う。その先には、ギルバルドの骸があった。しかし様子が違う。死んでいるはずのギルバルドが、こちらに手をかざしていたのだ。その手に魔法陣が展開し、魔力が収束を始める。彼女達が防御態勢をとるよりも、攻撃態勢を敷くよりも先に、魔光弾が放たれた。その射線上には、エレナの姿があった。



「――――ッ?!!!」



 エレナは衝撃に襲われる。それは魔光弾によるものではない。レイブンが彼女を庇ったのだ。



「な! レイブン!!!」



 レイブンの頭部に魔光弾が直撃する。


 エレナはレイブンと共に倒れながら、彼のジャケット裏からシングルアクションアーミーを引き抜く。それをギルバルドの骸へ向け、引き金を引いた。


 弾丸がギルバルドの死体――その眉間を貫く。そのすぐ後をグレイフィアやエリスが放った砲撃魔法が着弾し、ギルバルドの死体は粉々に吹き飛ばされた。

 だがまだそれで終わりではない。骸を制御していた魔界のヒルは間一髪で死体から抜け出し、野ネズミのような速さで出口を目指していた。


 ゼノヴィアが獣魔族の嗅覚で、敵の生存を察知する。



「アーシア!」



 その一言だけで十分だった。アーシアは逃げ果せようとしている魔界のヒルに、最後の一撃を喰らわす。エメラルド色の光線――収束式砲撃魔法が、出口一歩手前で魔界のヒルを焼き潰したのだ。


 敵を斃したグレイフィア達は、急いでレイブンの元に駆け寄る。


 レイブンは、エレナに抱きかかえられていた。

 エレナは涙を浮かべ、レイブンに向かって叫ぶ。



「レイブン……お前……――知っていたな!! こうなることを知っていただろう!!」



「やはり……貴女に嘘はつけないな。すべて、お見通しでしたか……」



「なんで……どうして……どうしてなんだ?!」



「これでいい、これでいいんだ。これは、私が望んだ結末なのです。私の頭部に命中した魔光弾は、忘却の魔法。じきに……私の記憶は消えます」


「それじゃ死ぬのと同義じゃないか! 因縁を――呪われた連鎖を断ち切ったお前が! なぜ死を選んだ!!」



「私は十分生きて、十分死んだ。人に与えられた人生の倍以上を生きて、その倍は死んだのです。人生にコンテニューは……あってはならない。死は誰しも平等に一度だけ。どんなに後悔することがあっても、過去をやり直すことをしてはいけない。私はその禁忌を犯し、ここにいる。罰は……禁忌を犯した当人が受けるべきだ」



「こんなに苦しんで、戦ってくれたお前が! 幸せを享受することなく死ぬというのか!」



「幸せ? それならもう、エレナから十分に頂いた。それに今も……」



 レイブンは周囲に視線を送る。


 グレイフィア、アーシア、ゼノヴィア。そしてエリスにイレーヌ。


 彼女達は不幸で理不尽な仕打ちの後に、レイブンの前で無残な死を遂げた。レイブンが過去に味わい、その訪れるはずだった未来を回避し、彼女達はここにいる――。


 レイブンにとってそれは、死を繰り返した自分が決して無駄ではなかったという、なによりの証だった。



「……もう、みんなから、たくさん……たくさん貰ったよ」



 その言葉に、エリスとイレーヌは泣きだしてしまう。二人だけではない、ゼノヴィアやアーシア、グレイフィアまでもが、涙を流し、その頬を濡らした。


 エレナは顔を横に振り、死ぬなと訴えかける。



「なにを言っている! 約束は! あの時の約束はどうなる!! 約束を果たさずに死ぬというのか!!」



「あれは……嬉しかったな。君からあんな台詞を聞けるなんて、夢にも思わなかった。今日まで諦めず、生きてきて、本当によかったと思える瞬間だった……」



 レイブンの声が、次第に弱々しくなっていく。



「エレナ…………なんだかすごく、眠くなってきた……」



「レイブン死ぬな! 生きろ! 生きてくれ!」



 レイブンの意識が朦朧とし、混濁する寸前だった。すでに彼の目から光が消え、焦点が定まっていない。人格と記憶が溶解を始めたのだ。レイブンの脳裏に、今まで歩んだ人生が巻き戻され、記憶が過去に遡っていく。



「思い出した……初めて死んだ時のことを。俺は魔族を裏切り、エレナを残して逃げたんだ。あれだけ世話になったのに……人間である俺を信じてくれたのに……この期待に応えるどころか、命欲しさに逃げたんだ――」



「そんな事はどうだっていい! 今のお前はそんなクズではない! この私が唯一認めた、人間の勇者であり騎士なんだぞ! お前の言うその男は、ずっと昔に死んだんだ! それは、お前じゃない!!」



「俺は……悪魔に願った、『人生をやり直したい』 『そのためならどんな罰でも受け入れる』――その結果が無限転生地獄。フッ、ハハハッ……ずいぶんとキツイことするよな」



「もういい! もう終わったんだ! だから! だから……お前は……幸せになっていいんだ……」



「エレナ聞いてくれ。今ここにいる私は死ぬ。次に目を覚ました俺が……そういった過ちを繰り返すようなら……」



「………」



「その時は、どうか君の手で、俺を殺してくれ」



「な?! なにをバカなことを――」



 レイブンは石畳に置かれていたシングルアクションアーミーを手に取り、それをエレナの手に握らせようとする。だがエレナは「そんなことできない!」と、その手を払った。



 シングルアクションアーミー、またの名をコルト・ピースメイカー。


 平和を創生するケースハードン色のリボルバーが、床を回転しながら転がった。



「ふざけるな! 死ぬだけには飽きたらず、私にそんな厄介事まで背負わせる気か! 見損なったぞレイブン!」



 レイブンは自虐的な笑みを浮かべ、エレナに懇願する。



「どうせ殺されるなら……君がいい。もう下衆な男に殺されるのには、うんざりなんだよ」



 だがエレナにそんな要求を受け入れられるはずがなかった。


 エレナは、目に溢れんばかりの涙を浮かべ、憤慨する。



「お前という男は……どこまでも、人に迷惑をかけて」


「……すまない」


「あ、謝るな! 謝るなら自分でなんとかしろ! こんな……こんな重いものを背負わせないでよ!!」



「これはあくまで、保険だ。次の私なら……おそらく、いや、きっと……――」



 レイブンの瞼が次第に下がっていく。それに抗うかのように、レイブンは最後の力を振り絞り、エレナの頬に触れた。




「エレナ………」


「死ぬな! 目を開けなさい!! これは命令よ!! お――お願いだから目を……目を開けてよ……」



 エレナは目に大粒の涙を浮かべ、レイブンに声をかける。最初は騎士として、戦士として雄々しく声を荒らげ、目を覚まさせようとした。それは次第に優しいものとなり、少女として――彼を想う一人の女性として、言葉を紡いだ。



 レイブンはその手で、頬の温かく、柔らかな感触を感じながら別れの言葉を告げる。心からの感謝と、愛を込めて。




「エレナ……君に出逢えて、とっても幸せだった。今も……そしてこれからも、ずっと。俺は……君のことが――――」




 そしてレイブンの意識と記憶は虚空へと消え、事切れたかのように全身の力がスッと抜ける。その腕が、床へと落ちた。




「レイブン?」




 エレナの問いかけに、レイブンが応えることはなかった。



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