第34話『仮面の下に真実を隠して』

 魔法都市アルトアイゼンは、底の深い皿を逆さにしたような空間だ。その規模は広大で、窮屈さを感じさせないほどの広さである。日頃、竜騎兵との演習が行なわれている地下の大空に、陽の光が差し込む。昇る朝日が城を優しく照らし、束の間、戦場であることを忘れさせるほどの、平和的な美しさだった。


 城を照らす薄明光の中を、零戦が高速で横切る。数秒の間を置き、4騎の竜騎兵がその後を追う。


 零戦は岩盤に接触するギリギリのところで機首を上げ、岩壁沿いを這い上がるように飛翔する。竜騎兵に零戦のような上昇能力はない。例え上昇能力があったとしても、零戦を追撃することは不可能だ。竜騎兵は、零戦のように体をシートに固定しているわけではない。零戦のように宙返りをしようものなら、騎士はたちまちドラゴンから、真っ逆さまに落竜するだろう。


 竜騎兵は追跡を一旦止め、砲撃魔法で撃ち落とそうとする。火炎弾や稲妻が魔法陣から放たれるが、零戦はこの世に存在しない幻であるかのように、攻撃が届くことはなかった。だがその身代わりになるかのように、攻撃は岩壁へ突き刺さっていく。魔力を帯びた攻撃は、自然の炎や雷を遥かに上回る。その爆発力は凄まじいく、岩壁の一部を剥がすほどだった。

 崩落した巨大な岩盤が、街へと落下していく。ズンッという重々しい轟音が大地を揺らした。


 その光景を目にしたレイブンは、コックピットの中で操縦桿を強く握りしめる。


「周囲への被害はお構いなし――ですか。方やこちらは味方の本拠地。守らなければ、ならないものだらけというのに!!」


 レイブン急上昇中だった零戦の速度を、失速間際まで落とす。そしてフットバーを左に踏み込み、機体を左に傾けてならが操縦桿を戻した。零戦は未だ崩落している岩盤に紛れ、自由落下を開始する――失速反転だ。


 敵竜騎兵は崩落に巻き込まれないよう、攻撃を止め、安全圏への退避行動に入っている。

 零戦は落下中の岩盤に紛れ、頭上から竜騎兵との距離を詰めていく。そして敵が油断した隙を突き、研ぎ澄ましていた牙を剥いた。零戦は岩陰から飛び出すと、翼から四つの閃光を煌めかせる。20ミリの弾丸が、眼下の竜騎兵に注がれたのだ。


 敵もまさか、崩落している岩盤に紛れ、零戦が襲い掛かって来ると予想していなかった。退避行動中だった竜騎士は、頭上からの攻撃によって還らぬ人となる。それは零戦の九九式機関砲を用いた、精密狙撃だった。レイブンは引き金を短く引く“指切り”で単発撃ちを行ない、竜騎士のみをピンポイントで葬ったのだ。


 竜騎士は鉛の杭を打ち付けられ、ドラゴンの上で粉々に飛び散る。まるで熟れたトマトが潰れたかのように、ドラゴンの背中は真っ赤に染まった。辛うじて確認できるのは竜騎士の脚部だけ――鐙からだらしなく垂れ下がっている脚部が、戦闘不能を物語っている。そして弾丸は竜騎士を貫いた際にマッシュルーム状に変形し、貫通力を弱めてドラゴンの体内で止まった。ドラゴンは20ミリ口径の弾丸を受け、推進力を失って建物の上へと墜ちた。ドラゴンが建物の屋根に激突する。屋根瓦がガラガラと音を立て道路に散乱。墜落の衝撃で、大量の砂埃がもうもうと舞い上がった。



 ギルバルドが魔王を仕留めるまでの時間稼ぎ。そのために必要な混乱と陽動――。この重要任務を担っていたギルバルド竜騎兵団だったが、目的の達成を待たずして、部隊は一騎残らず全滅した。

 本来の予定では、ギルバルドが魔王を仕留める間の時間稼ぎは、十分に確保できるはずだった。なにせミューリッツ湖に向け、魔族の全竜騎兵が送り込まれている。そのため魔都の防空体制は完全にガラ空き状態。飛んでいるのは、稲穂を啄む無害な小鳥だけのはずだった。


 それが蓋を開けてみれば、内通者が裏切ったとしか思えないものだった。

 ギルバルド竜騎兵団も、まさか魔族を葬った相手と矛を交えるとは、夢にも思っていなかっただろう。それも皮肉なことに、魔族の住む魔法都市アルトアイゼンの空で……。


 かくして、ギルバルド竜騎兵団が制空権を得るはずだった空は、レイブンの駆る零戦によって奪還されたのだった。



 レイブンは着陸の準備を始める。とはいえ、ここは異世界であるため飛行機というものが存在していない。従って零戦が降り立つのに十分な飛行場はなく、着陸に必要不可欠な滑走路がなかった。

 零戦は魔都上空を旋回し、ある場所に向かってゆっくり降下していく。零戦が向かおうとしていた場所は、ゼノヴィアが歩兵止めを撤去するよう促していた、あの開けた街道だ。


 零戦の翼下面が動き始める。スプリット・フラップという高揚力装置だ。今でこそ、航空機にはありふれたものであったが、昭和二年の発明当時には、その効果が評価されていなかったものである。

 このフラップによって零戦は、低速時にも十分な揚力を確保し、空母や街道などの限られたスペースにおいても、問題なく着艦できるのだ。


 零戦は主脚と後輪を同時に石畳に接地させる、三点着地を決めた。舗装されているとはいえ、さすがに航空専用ではないため若干着陸距離が伸びてしまう。しかしこの程度は誤差の範囲。零戦はタクシングしながら、街の中心部であるアンナーバーズ噴水広場の前で静止した。

 広場にいた市民たちは動揺し、武器を手にそのまま硬直している。それもそのはずだ。瞬く間に敵を蹴散らし、翼を羽ばたかせることなく飛翔する不気味な怪鳥――。それが聞いたことのない音を立てながら、自分たちの目の前に舞い降りて来たのだ。

 市民たちが固唾を呑んで凝視している中。レイブンはエンジンを停止させ、零戦から下りる。


 レイブンの姿を見た市民達は、ただでさえ青い顔が青染め、恐怖に染まった表情で叫んだ


「あれはまさか……人? 人間だ! 鳥から人間が下りて来たぞ!!」

「て、て、敵だ! 敵が攻め込んできたぞ!!」


零戦の飛来に度肝を抜かれ、呆気にとられていた市民達。だがレイブンの姿を見て、我に変える。人という忌むべき存在が、魔都の地に降り立ったのだ。その人の脚が地に付けている事でさえ、魔族にとって許されざる事だった。

 市民達の怒声に呼び寄せられるように、噴水区画に武装した兵士達が現れる。彼等は市民たちに下がるよう促しながら、彼等を庇うように前に出て整列する。そして重装騎士が巨大な盾を構え、その間から槍先が顔を覗かした。

 レイブンは敵意を剥き出しにしている兵士を刺激しないよう、手を上げて交戦する意志がないことを示した。


「私は、魔王ガレオンによって召喚された勇者! レイブンだ! どうか槍を収めてほしい! 敵ではない、味方だ!!」


 だがそれでも、重装した兵士たちは武装を解こうとはしなかった。魔族が人間を信じられるはずがない。人間とは我欲が強く、自らの欲望を満たすためなら平気で嘘をつく。そしてそのためなら恩人や恩師、愛すべき我が子でさえ手にかけ、平然と利用する生き物――。

 エルフに匹敵する知性を持ち、どの種族よりも動物的な欲に支配された蛮族。蛮族の頂点に位置する存在に、嫌悪感を交えた底知れぬ殺意を抱いていた。なにせ兵士の中には、目の前で娘や妻、恋人が辱められた者もいたのだ。

 レイブンは守るべき対象に敵意を剥けられも尚、手を上げ、抵抗する素振りを一切見せようとはしない。彼等がどんな心情で武器を手にし、どんな過去を背負っているのかを知っていたからだ。もうこれ以上、そんな彼等を苦しめさせたくない。それがレイブンの本心だった。


 他の区域からも続々と増援が到着し、零戦は完全に包囲される。まだ零戦との距離はあるが、逃げ道は完全に塞がれてしまった。


 万事休すかと思ったのも束の間、思わぬ救世主が現れる――ゼノヴィアだ。彼女は建物の屋根伝いを跳び、市民と零戦の間に入るように降り立った。


「――よっと! みんな聞いてくれ! この神機はガレオン陛下が秘密裏に鹵獲し、鳳凰の間で封印されていたものだ! それを勇者レイブンが修復し、魔都を守る切り札として投入したものなんだ! だから恐れる必要はない! この神機零戦は! 我々魔族のものだ!!」


 ゼノヴィアが即興で書いた台本であったが、なかなか上手いものだった。そして人間であるレイブンが言うよりも、魔族であるゼノヴィアが口にしたほうが、遥かに信頼性と説得力がある。やはり種族の隔たりというものは、容易には越えられないのだ。

 その即興劇に加わるように、重装歩兵の上を馬で乗り越え、役者が舞台に上がる――元・魔都治安維持部隊の隊長であり、現・アルトアイゼン騎士団長である、魔剣使いのエレナだ。


「馬上から失礼する! ゼノヴィアの言う通りだ! この神機は栄えあるガレオン陛下の私物であり、戦術研究の一環として魔都防空師団に急遽編入されたものだ! そして神機に搭乗していた彼も、敵ではない! どうか武器を収めてくれ!! 危機は去った!!」


 重装騎士達は、かつての上官だったエレナの言葉を信じ、レイブンへの警戒を解く。


 騒動の沈静化を見届けたゼノヴィアは、エレナが騎乗している馬へと駆け寄った。そして櫓の後ろに用意されていた大きな布を手にすると、今度は零戦へと向かう。そして手にしていた布をバサッと広げ、零戦の翼部と胴体部に描かれていた日の丸に覆った。その布はただの覆いではない――アルトアイゼン国旗と王家の紋章旗だった。

これはレイブンの配慮である。日本海軍識別マークである日の丸――かつて魔族は彼等と対峙し、多くの竜騎兵が命を落とした。その伝説の存在に未だ恐怖を抱く者も多い。いらぬ混乱や動揺を誘発しないよう、彼等の敬愛する祖国と王家の紋様で隠すよう、レイブンが彼女達に頼み、用意させたのだ。これでもう誰も零戦には手が出せない。なにせ名目上は、ガレオン陛下の私物なのだから。


 兵士たちはエレナとの再開に喜ぶ間もなく、騒動の収束と対応に追われる。もはやレイブンや零戦に構っている暇はない。彼等がしなければならない事は山積みだった。損害の把握に負傷者の手当て。そして発生した火災の鎮火作業など目白押しだ。騎士団長であり、魔王ガレオンの右腕であるエレナ。こういった事に慣れている人材に、兵士たちが助言と指揮を求めるのは必然的な流れだった。

 一方のゼノヴィアは力仕事を頼まれる。倒壊した建物の中に、まだ人が居たのだ。ゼノヴィアは「手を貸してくれ!」と叫び、大人達を掻き集める。そして救助作業が開始された。


 エレナは馬から降りると、兵士たちに毅然とした態度で助言と指揮を与えた。馬から下りたエレナと入れ替わるように、今度はレイブンが騎乗する。手綱を握り締めたレイブンが、馬上からエレナに別れを告げた


「エレナ! ゼノヴィア! ここを頼みます!! 私はこの騒動を引き起こした元凶に、ケリを付けます!」


「おい待て! レイブン!!」


 レイブンはエレナの制止する声を無視し、一人、アイゼルネ・ユングフラウ城へと向かった。



          ◇



――アイゼルネ・ユングフラウ城 謁見の間



 剣と剣が火花を散らし、金属質な音が甲走る。

魔王とギルバルドの戦いは佳境を迎えていた。ギルバルドが優勢に転じ、魔王を圧倒していたのだ。



 かつて魔王と矛を交えていたギルバルドは、先の戦いから戦闘スタイルを大幅に変えていた。魔王ガレオンとの戦いで露呈した改善点――その弱点を克服し、魔王をこの手で斃すためだ。

 王女エリスとイレーヌを葬り、ガレオンをあと一歩というところまで追い込んだ、先の戦い。その時は自らをエンチャント魔法で強化し、風の女神ゼクティの加護で移動速度を上げ、魔王を亡き者にしようとした。辛うじて勝利は手にしたが、終始、魔王に優勢を許していた。

 ギルバルドは魔王の太刀筋に対応しきれず、接近戦での斬り合いで遅れを取っていたのだ。魔王は全身を鎧で包んでいるのにも関わらず、身のこなしと太刀筋、そして剣を振るう速度は素疾く、力強かった。繰り出す技の数々も、まるで格の違いを見せつけるかのようなものだった。

 だからこそギルバルドは、この再戦にあたって戦法を一新する。自らの移動速度を上げるのではなく、剣を振るう速度と斬れ味を極めたのである。魔剣に匹敵する、すべてを両断させる絶対的な攻撃力――あの勇者ダエルのような、あの力を――。


 接近戦に特化したギルバルドは、魔王に遅れを取らなかった。それどころか、高速化された剣さばきで魔王を圧倒している。かつての戦いとは、まったく逆の状況だった。

 劣勢に甘んじている魔王ガレオン。彼はギルバルドの攻撃を受け流しながら、強気な口調で賞賛する。


「――ッ?! ほう、人間にしてはなかなかやるではないか」


「そういう魔王は腕が落ちているぞ! どうした? 傷がまだ癒えていないのか!」


「人間、いい気になるなよ。せっかく遠路遥々出向いたお前を、簡単に殺すとでも思ったのか? お前達のどういった傲慢さが、死と敗北を招くのだ」


 魔王ガレオンはギルバルドから距離をとる。そして魔剣の剣先を床に突き刺し、ギルバルドにこう告げた。


「――そこまで言うのならば、余興は終わりとしよう」


 謁見の間に、次々と赤黒い魔法陣が展開した。その魔法陣の中から、魔王ガレオンが召還される、、、、、。魔王ガレオンは数に物を言わせ、ギルバルドを畳み掛けようというのだ。それはもはや、騎士の決闘から逸脱していた。


 次々と現われた魔王ガレオンの複製に、ギルバルドは卑怯者と捲し立てる。


「魔王ガレオン! 卑怯者め! 決闘を放棄するとは、語るに落ちたな!」


「語るに落ちただと? 手柄を欲するばかりに、自国の王女さえも利用する強欲さとさもしさ。そして勝つために私を騙し討ちするようなお前が、卑怯者と罵るのか? 騎士道を穢したお前に、はたして卑怯者と名乗る資格はあるのか?」


「黙れ! なにが王女だ……あの娘は王女ではない! 平民の侍女が、手篭めにされて孕んだ子だ! 王の血が流れているとはいえ、一時の快楽の果てに生まれた情欲の子なのだ! そんな穢れの塊のような存在に、神聖なる王の称号を継承されてたまるか! あの娘は! 死ぬべくして死んだのだ!!」


「死ぬべくして死んだ――か。やはり人間は御し難いな。どんな経緯で生まれたにしろ、子に罪はないはずだ! あの娘は! お前を心から信頼していたのだぞ! 騎士であり、王女を守るべきはずのお前が、なぜその信頼を裏切った!!!」


「裏切っただと? 甚だ迷惑な話だ! 幼い子とはいえ、イレーヌは王室を穢した咎人! そんな大罪人がどうなろうが、知ったことか! しかもあの娘は、人間と魔族が分かり合えると本気で思っていたんだぞ! なにが聖女イレーヌだ! あの娘は聖女でも王女でもない! 国を亡国に誘う疫病神! 死んで当然の存在だった!」


「だからエリスを誘き出すために! イレーヌを餌として利用したのか!」


 ギルバルドは、勇者とは思えない邪悪な笑みで、王女イレーヌを皮肉る。


「フフフ……魔族好きなイレーヌには、似合いの最後じゃないか。死すべき大罪人が、人生の最後に貢献できたのだぞ。それも、敵の王女を葬るという名誉ある大役だ。

 手篭めの子にしてはよくやってくれたよ。ああいう疑いを知らない幼子は、動かしやすくて本当に助かる。あの忌々しいダエルも、あれだけ手がかからない子供だったら、どれだけ良かったことか……」


 その言葉に魔王ガレオンは、フェイスガードの奥から哀れみの視線を注ぐ。


「ギルバルドよ……騎士道を忘れ、利己的な正義と大義に溺れたか。哀れな男よ」


「哀れなのはお前だ! 魔王ガレオン! 目の前で自分の娘を救えなかったお前ほど! 騎士として、哀れな男はいない!」


 ガレオンは決して触れてはいけない禁忌を触れられ、神経をこれでもかと逆撫でされる。――それも、その禁忌を生み出した憎き元凶に。

 だが魔王ガレオンは反論することも、口調を荒立てることもなかった。激怒するどころかまるで、自身を憐れむような口調で、ギルバルドの言葉に同調したのだ。


「ククク……たしかにそうだな。お前のような騎士失格の外道に、そう言われるようでは……かつて黒騎士と呼ばれた名に傷がつく。お前の言う通り、実に哀れだ」


 盛大に貶したつもりが、己に身に屈辱となって降り掛かってきた。ギルバルドは、魔王のどこか達観した口調に苛立ち、魔族の騎士道を吐き捨てる。


「魔族の分際で! 高貴なる騎士道を語るなァ!!」


 ギルバルドの叫びが戦闘再開の合図となった。

 魔王ガレオンが召還した分身達が、ギルバルド目掛けて一斉に斬りかかる。


「魔族は私の手で、一匹残らず根絶やしにする! 魔王ガレオン! お前がその一匹目だ!!」


 ギルバルドは高速化した太刀筋で、襲い掛かるガレオンの群れを、次から次に斬り崩していく。模造ガレオンに中身はない。血の代わりに蒼白い炎が噴き出し、傀儡としての機能を喪失する。そして鎧が床へ落ち、鏡のように磨き上げられた石畳の上を転がった。


 ギルバルドは剣を振るい、召喚されたガレオンと戦いながら叫ぶ。


「こんな木偶人形で、私を止められると思っていたのか! つくづく哀れなヤツだ!」


 ギルバルドは手にしている聖剣に“疾さ”と“切れ味”を与え、通常の剣では傷すら負わすことのできない魔王の鎧を、まるで皮鎧のように斬り捨てていた。

 召喚魔法によって呼び寄せられた、魔王と瓜二つの軍勢――彼等が身に着けている鎧は、本物の魔王ガレオンが装備している物と同じだ。それがお菓子細工のように、簡単に斬り裂かれていく。


 ギルバルド使用している迅疾の加護と共震剣ヴァイスブレード。これは、彼自身が編み出したものではない。ダエルから盗み得た魔法知識を、盗用していたのだ。

 ギルバルドはただ単に、勇者たちのおもり、、、をしていたわけではない。彼が少年達にひれ伏し、他国の重臣に頭を下げ続けたのは、明確な、ある狙いがあった。

 勇者達が持つ、既存とは一線を画す魔導学。魔導学者を卒倒させる程の技術や手法が、彼等の手によって日々進化・発展している。ギルバルドがダエル達の側近に甘んじていたのは、日に日に革新的進化を遂げていく彼等の魔導力学――それを勇者たちから御享受ぬすむためだった。


 姑息や卑怯と言われようが、魔王に勝つために手段は選んでなどいられなかった。


 無知を装い彼等に頭を垂れれば、「そんなこともわかんねぇのかよ」と、いつもの生意気な口調で講義が始まる。自分がいかに優れた存在であるのかを、ギルバルドに誇示するのだ。屈辱という高い授業料を払うことになるが、その代償を支払っても余りある、革新的魔導技術が得られる。――ギルバルドはそうして、勇者の反則的な技術ちからを手に入れていた。


 ギルバルドの屈辱に屈辱を重ねた日々。プライドを汚泥に晒し、身を削り続けた努力は、まったくの無意味だった。その事実が現実として浮かびあがったのは、魔王と再び剣を交えた時である。


 ギルバルドは、召還魔法によって顕現した魔王を、すべて斬り捨てた。そして踵を返すと、残る本物の魔王に『この程度なのか?』と罵った。


「魔王ガレオン! まだ余興を続けるつもりか!!」


「言ったはずだ。余興は終わりだと!!」


 魔王ガレオンはマントを翻し、ギルバルドに向かって駆け出す。


 ギルバルドの剣と魔王の剣が、火花を散らし、交差する。


 魔王と剣を交えるギルバルドは、妙な違和感を抱く。魔王の剣捌きは見事なものだ――しかしそれは、一般的な兵士や騎士と比べての話である。ギルバルドやダエル、そして魔王ガレオンクラスとなれば、その技量は見劣りする。先の大戦を生き残った猛者。数多の激戦を掻い潜った者にしか達せない領域がある。目の前で剣を振るう魔王は、まだその域に達していなかったのだ。


 ギルバルドは剣を交えながら、戸惑いが疑惑へ、そして確信に変わる。その事実に気づいたギルバルドは、一旦魔王との距離を置き、己の直感を言葉に乗せて叫んだ。



「お前は……誰だ? 貴様! 魔王ガレオンではないな!!」



 その言葉に魔王ガレオンは動きを止める。そして構えていた剣を下げて沈黙した。



「…………」



「答えろ! 本物の魔王ガレオンはどこだ! お前も傀儡か? ……クソッ! どこまでも舐めた真似を!!!」



 ギルバルドは、王座を背に動かなくなった偽物に警戒しつつ、周囲を見渡し、本物の魔王ガレオンを探した。



「どこだ魔王ガレオン! 近くにいるのは分かっている! 姿を見せろ!!」


 その時だった。ギルバルドを挟んで魔王と対になる形で、魔法陣が展開――その中から、ガレオンと同じ甲冑を着た人物が現れる。


 ギルバルドは正視することなく、目じりで、召還されたガレオンを睨んだ。


「貴様が本物か!!」


 魔王ガレオンは無言で、兜とフェイスガードを外した。


 ギルバルドは魔王ガレオンの素顔を見て、言葉を失った。そしてなんとか声を絞り出し、その人物の名を口にする。


「い、イレーヌ?! なぜイレーヌがここに!」


「なぜ? そんなこと決まっているだろ。それはお前に復讐するためだ。信頼していたお前に裏切られ、彼女は精神的ショックから、言葉を――歌を唄えなくなってしまった。それでも勇気を振り絞り、こうしてお前の前に立っているのだ。生きる希望だった歌と友情を奪われた、その怒りと悲しみ、そして憤りを胸に秘めてな」


 その言葉を告げたのはイレーヌではない。王座を背にし、沈黙を守っていた偽者が発したものだった。そして彼もまた、イレーヌと同じようにフェイスガードと兜を外し、ギルバルドに素顔を晒した。


 ガレオンの鎧を身に纏っていた者は、ギルバルドが知る人物だった。いや、決して忘れるはずがない――あの時イレーヌと共に殺したはずの、あの人物だった。


「王女エリス?! ば、馬鹿な! 死んだはず!! お前達はあの時に死んだはずだ!!」


「遺体を確認しないで、よくもそんな台詞が吐けたものだな。ギルバルド、ツメが甘かったな」


「ガレオンは?! 奴はどこだ!!」


「――死んだよ。我が父ガレオンは、もうこの世にいない。あの後、奇跡的に城までは持ち堪えることができたのだがな。あれだけの傷を負っていながら、城まで辿り着くことができたのは、父の屈強な精神力の成せた御業だろう……」



 その真実を聞かされ、ギルバルドは呆然とする。心ここにあらず。そして焦点の定まらぬ視線で、ボソリと呟いた。



「死んだ? 魔王ガレオンは、あの時受けた傷で死んでいたのか? ………ククク、ハハハ…… ハハハハハッ!! ハーハハハッ!!!」



 ギルバルドは人目を憚ることなく狂喜した。列強国の騎士ですらできなかった歴史的快挙――それを小国に属している自分が、成し遂げていたのだ。全人類の悲願である、魔王を斃すという偉業。それが達成されたのである。


「やった! ついに殺ったぞ!! 魔王は私の手で討ち斃された!! 私があの黒騎士を――魔王を討ち取った、初の騎士となったのだ!!!」


「ギルバルド……それがそんなに嬉しいのか?」


「嬉しいに決まっているだろう! これで私の名に箔が付く! いや、私だけではない! 我が祖国エストバキアの名が世界に知れ渡り、人類の歴史に刻まれるのだ! 未来永劫、魔王を斃した栄光と共になァ! これに喜ばぬ人間はいないぞ! 全世界が! 我々を祝福するのだ! ハハハッ! アハハハハハハッ!」


 ギルバルドの高らかな笑いが、謁見の間に木霊する。


 エリスとイレーヌは、蔑視と哀れみを織り交ぜたかのような瞳で、高らかに笑っているギルバルドを見つめた。

 笑い疲れるまで狂喜したギルバルドは、まさに人生の絶頂期といった表情で、二人に別れの挨拶を告げる。


「魔王が死んでいたのなら、もはやここに用はない! 口封じにイレーヌを殺し! 後の魔王の座を引き継ぐエリスを殺せば、魔族は再び絶望の内に沈む! 穢らわしい魔族と、情欲が産み出した子には、似合いの結末だな。 どう足掻こうが、人類には決して勝てないという事実。そして魔族と人間は分かり合えないという現実を、その身をもって味わうがいい!!」


「ほざけ下郎! 騙し討ちで魔王ガレオンを奇襲したばかりでなく、私達を人質にとり! 父を動揺させて隙を作り出した! お前はそうまでして勝ちたかったのか? この卑怯者め! お前を……絶対に生かして返すわけにはいかない! お前は、もう少しで手に掴むはずだった希望を握りしめ、無念の内に死ぬのだ!」


 王女エリスの啖呵に、ギルバルドは臆するどころか鼻で嗤い捨てる。


「フンッ! この期に及んで負け惜しみか? みっともない女だ。型通りにしか剣を振るうことしかできない、お城育ちの姫様が何を言う!! そういった台詞は斃した後に言うものだぞ。斃せもしないで大口を叩くのは、無能の雑魚のする事! 悔しければ魔王を斃したこの私を、討ち取って見せろ! エリス! そしてイレーヌ!!」


 ギルバルドは、指をクイクイと動かすボディランゲージを行い、『二人まとめて来るがいい』と挑発する。


 エリスとイレーヌは剣を構え、ギルバルドに向かって同時に駆け出した。


 ギルバルドは二人同時に戦うと見せかけて、エリスを無視し、イレーヌ一人に標的を定める。彼が行なったあの挑発は、この罠に誘き寄せるための陽動だった。まず弱い者から排除し、戦いを優位に進めようという魂胆だ。


「――――ッ?!!」


 まさかの事態にイレーヌは臆し、剣を構えたまま固まってしまう。彼女が動揺してしまうのも無理はない。かつて剣の稽古をしてくれた相手であり、『命を賭けて君を護る』と約束してくれた相手が――今、明確な殺意と共に、自分に襲い掛かって来たのだ。イレーヌはギルバルドの気迫に押され、萎縮してしまう。

 人を殺めたことのないイレーヌにとって、殺意を向けられるということは、凶器を首筋に向けられるのと同じなのだ。 


 そんなイレーヌを突き動かすため、エリスは悲鳴混じりな声で叫んだ。


「イレーヌ!! 避けてぇえぇええ!!!」


 ギルバルドは無情にも剣を振り上げ、かつて遣えていた王女に死刑宣告を告げる。


「もう遅い! 死ねぇ売女ァアアァアァ!!」


 謁見の間に、衝撃が走った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る