オレンジとタバコの煙



確かにね、今年で27だし、そこそこ仕事も覚えてきたから、彼氏欲しいなぁとか思ってた。

三年くらい面倒臭いからって仕事一筋だったわけ。

でもねぇ?


「センセー、俺と付き合って?」


「君は、馬鹿ですか?」


息抜きで吸おうとしていた煙草に、火を付けるのを止めて、真顔でそう返していた。

ヘラリと笑って私の言葉を流した目の前の少年は、校則違反をかなりしているが紛れも無く生徒だった。


「そういう冗談、センセー好きじゃないんですけど?」


「本気だよ?」


「なお悪い。」


この学校に勤め初めて3年。

隠れて喫煙できる私の秘密スポットが、なぜこの生徒にばれているのかはわからない。

しかし、さっきからヘラリとした笑顔のまま、私を見てくる視線はうざったい。


「……で、バツゲームでもしてんのか?」


「あれ?センセー話し方が違うよ?」


「どうでもいいだろ、今は。」


そんなことより、私は怒ってんだよ。

気付けよ、それとも業とかコノヤロー?


「律センセー、男前な話し方するんだね。」


「まぁ、人によって変えるけどな。で、何時までココにいるつもりだ、さっさと帰れ。」


「センセーから返事聞いてないし!」


「馬鹿なのか、NOに決まってんだろ?」


「嫌だ。」


「私の台詞だ。」


オレンジの髪は短いが、そのおかげで耳に空けている無数のピアスが目立つ。

顔は整っていて、少しタレ目。しかも、左目にはご丁寧に泣き黒子が添えられていた。

背もそこそこある、五センチヒールを履いた私の身長は大体165前後なのだが、ちゃんと私を見下ろせている。

……遊んでそうだな、かなり。


「……はぁ」


「俺、こう見えて、童貞だよ?」


「聞いてねぇし、なんのアピールだよ。」


「遊んでません!」


「…」


また、ため息をついて煙草に火をつけ、思いきり肺に煙りを吸い込んだ。

今時の学生の冗談は、たちが悪い。

ヘラリとした小綺麗な笑顔は、そんな不機嫌丸出しな私を、いつまでも嬉しそうに見ている。

遊ばれるつもりはないし、年下にからかわれて喜ぶ性格もしてないんだけど?


「俺、9つの年の差なんか気にしないよ。」


「いいことだ、成績でも気にしてろ。あと名前で呼ぶな。」


「律って呼びたい、ダメ?」


「名前も顔も知らんやつに、呼ばす広い心はない。」


「えっ…………知らない?」


「知らんな。」


黙り込んでしまった少年にきつく当たり過ぎたかと同情したが、変な同情で墓穴を掘りたくなかったので無視した。

少年が立ち去らないのなら、私が立ち去ればいいことに今更気がついて、携帯灰皿に煙草を押し付けて火を消した。


「センセー」


「話は終わりだ。…君も授業に戻りなさい。」


「っ!」


最後の最後、言葉で突き放して少年の横を通り過ぎた。

可愛そうだが、現実なんてドラマのようにノリは良くない。冗談にしろ、本気にしろ、答えは決まっている。


「…センセー」


「手を放してくれませんか?」


「好き」


「私は好きでも嫌いでもありません。」


「…好き」


「君も諦め悪いですね、私は相手にしませんってば。」


「ヤダ、相手にしてよ。」


さっさと次の授業に向かうため、誰もいなくなった廊下を進む。

そんな私の後ろから手を繋いで歩いている少年。授業始まって3分過ぎている、最悪だ!


「好き!」


「授業始まってますので、廊下は静かに歩いて下さい。」


「付き合ってくれなきゃ、大声で叫ぶ。」


「そしたら、私はあらぬ噂のせいで解雇処分です。さよーなら」


「そ、れは…嫌」


「私もです。いい加減手を放して下さい。」


「それも嫌」


「しばくぞ、クソガキ?」


三年の授業担当クラスに着いて、笑顔で凄めば、さっきまではヘラリとしていた表情がシュンとしていた。

ため息をついて、手を振りほどき自分のクラスに行くように促した。

そして、やっと教室の扉を開けた。


「スイマセン、少し遅れてしまいま、し……お前、クラスここだったのか?」


「ちなみに、一年時からずっとセンセーの授業受けてた。」


「そう、でしたか………とりあえず、席について下さい。」


少しざわめき出した教室を欝陶しく思ったが、何時も通りのスタイルで居続けた。

それでも動かない彼は、シュンとした表情のまま、私の上着の裾を掴んで来た。

ざわめきはさらに大きくなる。


「…センセー」


「えーと、彼ちょっと疲れてるみたいですので、保健委員この子を保健室までお願いできますか?」


どうすんだよ、馬鹿な噂がたったら。


「お、音川先生!私達大人しく自習しているので、名嘉真君を保健室に連れていってあげて下さい!!」


「センセー」


「…………。」


なんだこの異様な盛り上がり方は。

なんだ、その全員の期待と希望に満ち溢れた慈愛の眼差しは。


「……君、クラス全員からバックアップされてるんですか?」


「なんかねー、気がついたらばれてた?」


「大馬鹿か?」


本気で頭が痛くなってきた。

眉間にシワが寄ってしまったのを気にしながら、仕方なく黒板に自習と書いた。

名簿を開いてナカマという名字を探しだしチェックを入れた。

そしてその名前を見て、二年前の事をふと思い出した。


「ナカマ…名嘉真 良太………あ、もしかして…一年の時かなり荒れてた子ですか?」


「律センセッ!」


「すいませんっ抱き着かないで下さい。」


なぜか感極まった名嘉真君が飛び付いて来た。

すんでのところで、頭を両手で掴んで阻止した。

あのね、向かいの校舎からこの教室丸見えなの?わかる?


「はぁ……行きますよ、保健室。」


「うん!」


「皆さんも静かにしていて下さいね。…あと、期末覚えてろよ?コイツたきつけた事、後悔させてやるからな?」


ピシッと固まったクラスから出て、名嘉真君と保健室に向かった。

私の後ろから着いてくる名嘉真君は、また私の手を握ってきた。


「放して下さい…」


「やだ。…俺ね、初めてだったんだ、律センセーが。」


「誤解を招く発言はやめんか。」


一斉に教室という教室のドアがあいて注目された。

この反応からして、なんか三年全員は名嘉真君の事情知ってる感じが伝わってくるんですけど。

誤解です、私何もしてないし何もされてないですから。とペコペコ弁解しながら保健室まで歩いていった。


「…清子、ちょっと保健室借りるわぁ。」


「あら~ごゆっくり~!」


「………」


友人の保健医の嬉しそうな笑顔と遠ざかる足音に、またため息をついた。

名嘉真君をベットに寝かせ、自分は窓際で換気しながら煙草に火をつけた。

喫煙がバレたら、また教頭に叱られるなぁ。とか考えて、それどころじゃないことを改めて考えた。

そんな悩ましい私をよそに、彼は嬉しそうに話し始めた。


「センセーが初めて、俺のこと、見てくれた人だったんだ。嬉しかったなぁ。」


完全に思い出した。

コイツは私が新任で初めて、全校朝礼の時に服装検査した時の、一年だ。2年前だぞ、覚えてるわけないだろ。

嬉しそうに俯いた顔を見て、あの時も最後にこんな笑顔を見せた金髪の少年を思い出した。


『違反だらけですので、チェックするの面倒臭いですね……行っていいですよ。』


『……?』


『一言注意するなら、君はオレンジのほうが似合いますよ。私、みかん好きですし。』


不良だと言われていた少年達の中の一人、たまたまその一人がいるクラスに当たってしまった。

けれどきつく叱るのも時間的に面倒臭いし、教頭が言うほど悪い子には見えなかったので適当に流したのだ。

抜き打ち検査だったし、熱血でもないし。

始めは私を睨みつけていた少年が一瞬目を見開いて、そして最後に少し嬉しそうに口許を緩ませたのを覚えている。


「名嘉真 良太って、あの時もチェック入れたんだよなぁ。」


頭髪のとこにだけ。


「……オレンジ、似合う?」


「金髪よりもな。」


「へへっ!俺、センセーの授業だけは毎回出てたんだ。ホントは見てるだけでよかったんだけど…俺卒業しちゃうから、だから。」


「……言っても、まだ春だけどな。」


どんだけ気が早いんだ、お前は。

呆れた視線を向けたら、照れたハニカミで返された。……馬鹿だな。


「センセー、大好き。」


「……私は、教師としてしかお前を見てない。」


「それでもいい、好き。俺と付き合って…好きじゃなくてもいいから。」


「それじゃ、お前が辛いだけだろ。振られとけ、ここは。」


「……センセーのそういうとこ、本気で好き。」


泣きそうな顔をするから、煙草を消して、ベットに近付いた。

そしたら名嘉真君が涙を零すから、苦笑してオレンジの頭を優しく撫でた。


「……ごめんな、応えてやれなくて。」


「っセンセ……好き、どうすれば俺のこと好きになってくれる?」


「……ごめん」


例えば、同情して名嘉真君の気持ちに今応えたら、名嘉真君をさらに偏見に満ちた眼差しに放り込むことになる。それは今まで受けていた視線と、なんら変わりない冷たいものだろう。

私は、応えてはならないのだ。

オレンジの頭から手を放したら、それを拒むように私の体に縋り付いてきた。

なんで、こんな教師なんか好きになったのかねぇ。


「嫌だ、センセーじゃなきゃ、俺は嫌なんだ。」


「名嘉真君なら、きっといい人見つけることができるさ。諦めろ。」


「嫌だ…俺、諦めないっ」


「………」


なんだか面倒臭い方向に向かってないか、名嘉真君?

ぎゅうぎゅうと抱き着いて、気付いたけどお前人の胸に顔押し付けてんだろ?


「卒業までに、落としてやる………!」


「諦めろ。」


この日から卒業までの間、良太から猛烈なアタックをされ続け、かわし続けた。



しかし、卒業式後、いつもの秘密の一服場所。


「律ー!俺、卒業したからいいよね!ね!」


「アホだなぁ…お前が、大学卒業して、まだ私が独身だったら、結婚してくれよ。」


「よっしゃ!!婚約したからね!絶対だからね!!俺の初めては、律先生に捧げるからね!」


「アホだなあ…」


ボタンが全滅した学ランを着崩して、少年はいつものように笑った。

まず、あの成績と出席日数で卒業できたことを、祝えよ。

大学受かったことにも驚きだしな。

お前、神様に愛されてるよ…。


「毎日、連絡するから!」


「はいはい」



彼の言葉を冗談のように受け止めて、軽く流した。



※※



「なぁ…お前って、入社してすぐ入籍したんだってな?すげぇ姉さん女房なんだろ?」


「そうなんすよ。俺が、高校の時の先生なんです!先生、めっちゃ拒否るから、俺、先生を口説き落とすまで童貞でした!」


「知らねぇよ!」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

NL短編集 くくり @sinkover88

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ