斜め後ろに恋

ただ、好きだと想うだけ。

毎朝、駅から学校へ歩く15分間。

友達と話しながらも、毎日同じ背中を探してる。


(あ、見つけた)


ちょっと猫背で、髪の毛は緩くセットしてある、頭一つ抜き出た人。

同じ高校の制服で、ネクタイが青いから三年生だってことくらいは分かった。

いつもその先輩は、ネクタイを結ばずに先輩のブレザーのポケットに突っ込んでる。

そして、それはやる気無さそうな先輩の雰囲気と一緒になって、ヨレッとポケットから顔を出している。

背負ってる流行りのリュックも、使い込んでるスニーカーも、毎日隣に並ぶ美人な彼女の顔も覚えたけど。

名前は知らない。


(それでいいのかも。)


名前を知らない先輩の、背中に恋をして数カ月。

学校ではすれ違わないし、別段恋い焦がれているわけでもない。

だけど、私は先輩の背中を毎朝探している。

きっと、それは、私が思っているより重症だということ。

だけど、名前は知りたくない。

知れば想いの深さに気がついて、きっと泣かずにはいられなくなる。

先輩の隣は、もう埋まっている。

恥ずかしいくらい臆病で、酔っちゃうくらい片思いで、誰かに同情してもらうくらいなら抱えたほうが気楽な恋だった。

毎朝15分、私は先輩に恋をする。

それだけで良かった。

自己満足でも、自己陶酔でもかまわない。

理屈だらけの、言葉で固めた恋でいい。私は、傷つきたくないから。


(…生身の恋はいらない)


なんで好きなのかはわからないけれど、気が付いたら目が先輩を探していた。

話したことも、正面からまともに見たこともないくせに。

気持ちだけは、なぜだか一人前。

諦めてみれば、片思いしてるだけで案外満たされていたりする。

恋に恋する、なんて言葉の意味が少しくらい分かった気がした。

その後ろ姿に、泣かない片思いがしたい。それは贅沢な恋だと、私は想う。


そんな毎日を過ごしていた私に、今日異変が起きた。

昼休み、何時ものように裏庭の一角で昼食を取っていたら、見知らぬ男子に告白された。

同じ学年の田宮と名乗った男子は、顔を赤くしながら言い逃げした。

返事は今週中でいいのだそうだ。

…なぜ今日に限って、恋に生きる我が親友は休みなのか。

驚きながらも、一人で黙々と昼食を再開する。

その時、上から何かが落ちる音がして顔を上げた。

確か、この二階が三年校舎だったはず。


「…」


目が合った。

気まずそうな表情の先輩と、確かに目が合っている。

なんでいるんだ、数カ月廊下では影すら見せなかったくせに。

…それより、見られていた?


「………」


「………」


その事実に気が付いた時、私は何故か不愉快になった。

知らず眉間が寄る私に、先輩は困った顔になる。

それを見たら、無性に哀しくなった。ふっと瞳を逸らして、一言も言葉を交わさず私は残り僅かな弁当箱を包む。そして、さっさとその場所から立ち去った。

初めて学校で見た先輩は、朝よりも眠たくなさそうだったけど、会わなければ良かったと後悔させてくれた。

たまたまベランダでいたのか、毎日ベランダで昼食をとっているのか、どうだっていい。

私は先輩の名前を知らないけれど、先輩はきっと今日まで私という存在を知らなかったんだ。

改めて知ってしまった事実が、とてもショックだった。

なんで、こんなに、泣きそうなんだろう?

田宮君の告白より、先輩と初めて目が合ったことに舞い上がった自分が痛い。

諦めたふりをした自分が、僅かな期待を持っていた自分が、憎たらしい。

ただ、好きでいる。

それだけのことが、こんなにも難しい。恋い焦がれてしまう、どんなに歯止めをかけようと。

都合よく期待していたのだ。

先輩も、実は、私の事を知ってくれているんじゃないか、って。

あの美人な人は、彼女じゃないのかもしれないって。

だけど、望まずとも朝の仲睦まじい二人の後ろ姿は目に写り込む。

カケラも望めないその期待は、毎朝脆くも砕け散る。

決定打はさっき打ち込まれた。

ベランダに開けられた飾り穴に、先輩が現れた時。

先輩の気まずそうな表情が、面倒くさそうな表情が、すべて期待を打ち砕いた。なんて、馬鹿だったんだろう。


(片思いだったのに)


叶わないと、知っていたのに。

涙を我慢するほど、気持ちを押し殺すなんて何年ぶりだろうか?

泣きたくなるなんて、高校生になってから初めてかもしれない。

一年の時、どんなイベントでも気持ちが高ぶるなんてなかった。

だけど、二年になって毎朝先輩を探し始めた、あの春から。

季節は過ぎて今秋が来ようとも、私の気持ちは落ち着きはしなかった。

彼女がいるって分かってしまった日は、一日何をやってもうまくいかなくて。

それでも好きだと開き直った日は、馬鹿みたいに明るく振る舞った。

私は、どうしようもないくらい、先輩が好きなのだ。

諦めとか、期待とか、頭で整理する前に、涙が零れそうになってしまうほど。ただ、恋していた。



次の日の朝、私は先輩の背中を探していた。

この15分間の癖は、昨日のことなど無かったかのように、日常を振る舞う。

馬鹿みたいだ、昨日思い知ったくせに、まだ好きなのだ。

あの少し猫背な後ろ姿に、恋い焦がれている。

やり切れない、今更だけど。

ほら、見つけてしまえる。

先輩の背中は、今日も変わらず猫背で、そしてその隣は今日も変わらず埋まっていた。


「思月(シヅキ)、大丈夫?なんか顔色悪いよ。」


「……ちょっと気分悪いから、保健室行ってくる。」


4時間目の前に、私は目眩を覚えて保健室へ向かった。

多分、心のどこかで怯えていたのだろう。

昼食をとるいつもの場所に、見上げれば先輩がいるかもしれないと予期して。いや…期待したのだ。

そして、悲しいのか、嬉しいのか、虚しいのか、区別できないくらい混乱する私自身の気持ちが、露呈するかもしれないことに怯えていた。

保健室に入って少し話せば保険医はすぐベットを貸してくれた。

ブレザーを脱いで横になる。カーテンに締め切られた真っ白い空間に、視線を埋め尽くされて安心する。

ここには、誰もいない。

私しかいない。何も考えなくて大丈夫だ。…眠れそうだ。


(……?)


少しして、沈めた意識が浮上した。保健室には先生の走らせるペンの音と、先生と話す誰かの声。

誰だろう、先生の声はどこか呆れているみたいだ。

聞いたことがない声に、また意識を沈めようと瞼を閉じた。

その男の人の声は、穏やかで心地よいものだった。

あぁ…田宮君に返事をしてあげないと、待たせて期待させても悪いから。

私のような想いを、させたくない。

私のエゴでもいいから、ハッキリさせてあげなくちゃ…。

しばらく気がつけば、先生に声をかけられるまで、また眠っていた。


「幹野さん、起きて。体調大丈夫?」


「!……は、い。大分よくなりました。」


「そう、よかった!お昼はしっかり食べなさいね。」


「はい、ありがとうございました。」


区切られた空間が、先生の手で開け放たれていく。

ブレザーを羽織り靴を履いて、息を止めた。

保健室のソファの上で、丸まって寝てる先輩がいた。


「あ、そのダメな先輩はほっといていいわよ?」


「……いつものことなんですか?」


「残念なことにね。」


「自由な人なんですね…」


「カッコイイ言い方するわね、ただのダメ学生よー?」


酷い言われようだ。

先生の言葉に笑ってしまったのが行けなかったのか、気が緩んでしまった。

今なら、今だけなら、全部さらけ出してしまって大丈夫な気がした。

先輩、熟睡してるし。


「…先生」


「んー?」


「私、この先輩に昨日告白されてるとこ、見られたんですよね。」


「あらまぁ!」


先生の大げさな反応に、苦笑いで一人で続けた。先輩は起きる気配がない。


「私、この先輩の名前知らないんですよ。だけど、私、先輩のことずっと前から知ってるんです。……毎朝、見てたから。」


先輩の寝顔から視線を逸らして、情けない笑顔で先生に振り返った。

ア然としている先生に、片思いしてたんです。と伝えた。

叶わない恋をしている。

知っていた、だけど、今誰かに話せたからか気持ちは幾分軽かった。

寝ているけど、先輩に告白できたからかもしれない。

静かに保健室を後にしようと、足を動かした。


「ねぇ、それ、告白?」


頭の中が真っ白になって、ゆっくりと振り返った。

眠っていたはずの先輩が、身体を起こして私を見ていた。

寝ぼけていたら言い繕えたのに、先輩の目はしっかり私を捉えている。

ダメだ、逃げられない。

怖い、先輩が。

先輩に面倒そうに、昨日のような顔で振られてしまうことが、怖かった。

震える身体が強張り、動けない。

逃げ出したい。

零した、いまさっきの言葉をなかったことにしてしまいたい。


「…す、いません」


気がついたら、そんな言葉を吐き出していた。


「すいません…」


謝ることしか、出来ない。

ばれてしまった。

ならばもう、我慢しなくてもいいのだろうか?

けれどまた、我慢しなければいけないのだろうか?

理屈っぽい、言葉で固めた恋だった。なのに、いつの間にか頭より先に気持ちが走る恋になっていた。


「すい、ませんっ」


我慢なんて、できなかった。

涙が片目から零れて、先輩の顔がぼやける。

謝るしかできないじゃないか。

好きになって、ごめんなさい。

叶わないと知っていたのに。

先輩が立ち上がるのに気が付いて、身体にやっとスイッチが入った。

はっとして保健室から逃げ出した。





「先生」


「……何」


「俺が今日保健室きた理由、知りたい?」


「……」


「毎日昼に見てた、名前も知らない女の子が、保健室に入ってくのが見えたから。」


「2-1の幹野思月さん、さっさと返事返してきなさい。」


「うん!」


昼休み、何時もの裏庭の一角で落ち込む私と、ご機嫌な先輩が出会うのはもう少ししてから。



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