第7話 遭遇戦、デンジャーシグナル

         ★


「迂闊だった……」


 榊原修との予想外の遭遇を終えると、冷泉瑠華わたしは早々に彼の元から立ち去った。寂れた通りから抜け出すと、気が付けば見渡す限りに大勢の人だかりが周辺を歩き回っており、この市街地本来の活気を取り戻していた。そんな頃だった。


 私は、自らの行動を反省していた。本来なら、あそこまで彼を言葉で追い込む必要は無かった。脅迫に近い行為を止められなかったのは、私自身が抱いていた過剰なまでの警戒心を制御し切れなかった故の不覚だろう。


 現在いまの私に、頼れる味方は誰ひとりとして存在しなかったから……


 創世学園と呼ばれる学校に編入してからの5日間、私は情報収集を目的とした行動を取っていた。身近な場所に敵が存在しない事を確認するために、まずはクラスメート達の自宅を把握する事から始めた。古典的な尾行と追跡が、放課後を迎えるたびに繰り返される。地味な作業だった。


 転校生という立場上、学校内で目立つ様な行為は避けたかった。しかし残念な事に、クラスメート達は私という存在に興味を抱いてしまったらしい。来る日も来る日も私の席に女子生徒達が集っては質問責めを受ける、そんな私の様子を男子生徒達は眺めていた。


 最初はそういった虐めのたぐいかと勘違いしてしまったけど、どうやら彼らの行動に悪意は無かったらしい。プライベートな質問にはなるべく答えないようにしていたものの、その点で追求して来る事はなく、むしろ最近はそんな私の対応に理解を持った上で接してくれているように思えた。


 とはいえ、学校内で中々自由な時間を持つ事が出来ない現状に、私が歯痒さと少々の苛立ちを募らせていたのも事実だ。居場所を求めてる訳じゃなかった。ただ……少しでも安心して過ごせる場所があれば、それだけで良かったのに。


 それは心の平穏では無く、文字通り命の平穏を求める物だった。


 右も左も分からなかった転校初日の事を思えば、今は随分と改善された様に感じる。それでも、『』は私にとって常に戦いを意識させてしまう。実際には、何も起こらなかったとしても。


 そういう意味で、今日出会った榊原修かれの事は少し可哀想だったと言えなくも無いかもしれない。何も起こらない日々は、逆に私の心に不安という名の陰を形作りつつあった。不審な行動を取っていた彼の存在が、それまで溜め込んでいた私の攻撃性を呼び醒まさせてしまったのだから。


「それにしても……彼は白なのか、それとも黒なのかしら」

 私の感覚では、おそらく白という結論に至った。


 あのまま誰も居ない場所まで連れ込んでから身体に聞くという選択肢が無かった訳じゃない。しかし私の警告に対する彼の反応は、とても素直に信じられてしまうほど解り易い、恐れと驚愕の感情が伝わってきた。


 それが偽りの表情だとすれば、一度退いてより一層の下調べを済ませてから臨むべきだと判断した。決して、情けを与えた訳じゃない。


「当面は、彼をマークしておく必要があるかもしれない」

 自分に言い聞かせるように、言葉を漏らした。


 ……ただ本音を言えば、私は自分の感覚を最も大事にしたかった。

 彼が嘘を言っているとは思えない――そう信じてしまったのだ。


 彼が隣の席で私の様子を伺っていたように、私も彼の様子を伺っていたから。あの学校に編入して、隣の席という話し掛けやすい間柄ながら、何故か一度も話し掛けてこなかった彼の事を。


 それに……どれだけ偽装に長けた人間だとしても、四六時中偽りの仮面を被り続けるのには限界がある。私自身がそうだったように、あの教室の雰囲気には少々違和感が……違う、苛立ちが募ってしまったから。


 この街は……平和過ぎる。

 どうして、そんなに笑っていられるの?

 どうして、誰も怯えていないの?


 理由は知っている。ただ彼らの日常に呆けた表情を見ていると、どうしても憤怒の心を抑えきれずにはいられない。


 私はそれを、授業の合間を縫って教室を抜け出してから一人きりで発散させていた。(私の話を聞こうと集まってくる彼女達を振り切るのは苦労した) 彼も同じ事をしていた可能性は無くもなかったが、私が記憶する限りで彼がこの5日間、教室から離れた機会は殆ど無かったと言っていい。


 それに、彼には『』が数人存在していた。


 私の状況と照らし合わせてみても、彼が『』を既に得ているというのは、ルールとして不公平で、得ていたとしても最初の数日は違和感を隠し切れないはずだ。転校初日に彼が青山結衣と下校中の姿を観察していた事も、その根拠を裏付けさせた。


「……やっぱり彼は白ね、勘と言ってしまえばそれまでだけど」

 結局私は、彼を信じることにした。


 まだまだ未調査の生徒は沢山いるし、そろそろ此方から出向く必要性があるのかもしれない。余計な事に神経を費やしたく無かったという言い訳を添えて。


 お母様、こんな私は甘いと思いますか?

 そんな過去の記憶に思いを馳せていた瞬間だった――


「……っ!? この感覚って」


 それは、ここ数日定期的に感じていた、ある違和感だった。


 これまで感じていたそれは微弱な物で、私が自ら動くにはやや距離が遠過ぎていた。しかし今回に限っては、強烈に感じ取れる。それはここから走り出せば、直ぐにでも到着出来る程度の距離という意味を含んでいた。


「これって……さっき榊原君と話していた方角からよね」


 まさか、私の言葉に逆上してしまったというのか。私の勘は外れだった……? いや、そんなハズはない。それ以前の問題だと、私は思わず声を荒げてしまう。


の、で始めるなんて正気なの!?」

 私は衝動的に、先程まで居た場所へ引き返そうと全力で走り始めた。



        ★



「っ!?……な、なんだ……これ……は」


 それは、冷泉瑠華が俺の視界から完全に居なくなって、ようやく心を落ち着かせようとしていた矢先の事だった。


 彼女が立ち去った方向から、人影がこちらへと向かって歩いて来る。それだけならこんな感覚を受ける事は無いはずが、気持ち悪さを通り越して吐き気が俺の身体を襲い始めていた。


「――ハハァ、やっと見つけたぜ」

 その『銀髪の少年』は、明らかに俺のことを凝視しながら、そう呟いた。ずっと探していた獲物を見つけ出したような、そんな表情をしていた。


 全体的に細い外見や、同年代から見れば少々物足りない身長から察するに、10代半ば……中学生のようにも見えなくはない。遠くから見た時は、日本人とは思えない逆立っている銀色の髪色が印象的だった。だが、それすらも真正面から捉えている今の俺にとっては些細な特徴でしか無い。


 こいつは……なんて冷たい眼をしているんだ。氷の瞳のようだと例えるのが馬鹿らしいほど的確で、それは俺の全身を弓矢の様に射抜いていた。


「修ってんだろ? おまえ」

「……なに」


 俺の名前を知っている……何故だ。こんな殺気を纏っている知り合いを、俺は記憶していない。


 ああ……そうだ。何故気が付かなかったんだろうか。ようやく俺は、この不快な感情の正体に思い当たった。この感覚は、つい先程まで彼女が俺に向けていたそれに酷似していたというのに。


 しかし酷似していたというだけで、その本質は全く別の物だという事実にも気が付いた。これは、殺気なんて生易しいモノじゃない。


 ――『殺意』だった。警告とか、そういった前置きを全て通り越している。今すぐにも殺してやる、そんな意思の込められたドス黒い感情の塊だ。


 これが冷泉と遭遇する以前の俺だったなら、その二種類の違いにまるで気が付かなかっただろう。そういう意味では、彼女と遭遇してしまった件も不幸では無かったかもしれない。俺の中の『』が警告している。


 ――今すぐ逃げろ! こいつは、貴様を殺そうとしている。


 だが、その誰とも分からない声に耳を傾けた所で、俺の両足は固まったように動こうとしない。足がすくんでしまっている、一歩も動けない。逃げろと言われても、どうすればいい。


 何処に、何処へ、誰の所へ。


 誰の所と考えた時、一瞬、同じく鋭い眼差しをしていた彼女の話を思い出した。そうか、コイツか――冷泉瑠華の話していた『敵』というのは。


 俺はこの得体の知れない存在の正体、その可能性を導き出してしまったらしい。こんな最悪な状況だというのに、妙に頭が回る自分はおかしいのではないか。


「どうした、違うのか?」

 事態から脱する為の手段を巡らし続けている俺の姿に痺れを切らしたのか、少年は面倒そうな態度で尋ねて来た。


「……お前みたいな知り合いはいない。人違いだ」


 出来る事なら、こんな殺意を撒き散らしている人間と関わりたくもない。もし俺の想像通りの存在だとすれば、コイツの相手は冷泉がするのが筋合いだろう。しかし同時に、何故コイツは俺の事を探していたのかと一つの疑問が浮かんだ。


「ンなわけねえよなあ、オレの知ってる修の姿形のまんまだ」

「待て……俺は本当にお前とは会ったことがないんだ」

「それは当然のことだと思うぜ? ある意味じゃ、オレ達は初対面だからな」

「……何を言って」

「だが、間違いなくテメエは俺の知ってる修だ。それは違いねえよ」


 聞く耳を持ってくれない。しかし初対面ということは、俺の情報だけを誰かから聞いていたという事なのだろうか……まさか冷泉の仲間なのか? 


 いや、彼女がしたのはあくまでも警告の段階だ。しかも彼女と別れてからまだ然程時間が経った訳でもない。明らかに別の所から湧いた悪意なのは明白だろう。


 解らない、覚えがない。人に恨みを買われたとすれば、それは先程までやり取りしていた彼女以外に思い当たる人物が居ないというのに。


「仕方ねえな――出すモノ出せば、流石にその態度も変わんだろ」


 銀髪の少年は、まるで悪魔のような笑みを浮かべると、パチンと指を鳴らした。まるで、これからマジックショーを始めるかのように。唯一の観客は俺ひとりだけだ。


 正確に言えば、俺ひとりに


「うわっ!」


 突然、地震が起こったような錯覚に襲われた。視界が激しく、右に左に揺れる。しかしそれは一瞬の出来事だったようで、直ぐに俺の視界は安定化を始めた。しかし。


「……そんな、馬鹿な」


 少なくとも、俺達の居た通りには数人程度の買い物客が存在していたはずだ。今は、それらが魔法のように消え去っている。いや、客だけじゃない。俺がまさについ先程まで買い物をしようと思っていた店の店員ですら、その姿を消していた。


 人の気配がまるでしない。俺と少年を除いた全ての人間が、昔話で聞くような神隠しにでも遭ってしまったかのようだった。少年の仕草を手品の類に例えたのは、あながちデタラメでも無かったらしい……本当に手品だったならという前提だが。


「これで、邪魔者は居なくなったワケだ」

「……どうして、今ので俺を消さなかったんだ」

「こんな簡単なやり方でテメエを殺ることは出来ねえ、それだけの話だ」


 やる……殺る……要するに殺すってことか。もう迷うべくもない、俺がこれまで考えていた推察は残念ながら全て的を得ていたようだ。そんな事が嬉しかったのか、少しだけ元気が湧いた気がする。いや、嬉しいんじゃない。恐怖が、既に俺の許容量の限界を突破してしまっている。


 だが、少年のマジックショーにはまだ続きが残されていた。


「クックック……」

 銀髪の少年の手元が怪しく緑色に輝き始める。


 同時にワームホールのような、手を入れるにはちょうどいい程度の小さな渦を巻いた空間が、少年の手元近くに突如発生した。そこから少年は、殺意をそれに込めるにはうってつけの『』を取り出す。


 その右手には、黒色の拳銃が握られていた。


 ドラマの中でしかお目にかかった事が無い。普通に人生を送っていれば、大多数の人間が実物を見ることは叶わないであろう、人間を含めた動物全般を威嚇・殺害することが可能な一品。


 少年はそれをあろうごとか、本来ならば数分も歩けば人集りが溢れかえる市街地で取り出したのだ。その取り出し方も含めて、最早マジックショーの一言では済まされない状況だった。


「待たせたな、準備は終わりだ。それじゃ、始めるか?」


 その時、また俺の脳内に知らない声が響き渡る。今度は下手な言葉を絡める訳でも無く、大きな声で一言だけ。今の俺が『』を実行可能な程度には落ち着きを取り戻していたのを知っていたのだろうか。その声が聞こえた瞬間、同時に身体全体を動かした。


 ――走 れ !!!!!! 

 俺は全身全霊を賭けて、この場から逃走を図った。

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