第3話「恐怖の色は黄色」
ソレに名前が付いたのは初遭遇からすぐの事だった。
仮の呼称に米軍では“緑の悪魔”と呼ばれていた新たな知的生命体は、後日国連により“バルグ”と名付けられた。
名前の由来は至極単純であり、フィクション作品である“ハルク”、いわば緑の巨人からなぞられて命名されたのだ。
体色が緑色であり、その凶暴性共にそっくりであることは戦場に居た誰もが真っ先にハルクを連想したからだ。
では、なぜ知的生命体と言えるのか。
まず知的生命体の定義だが、実は曖昧なところがある。人類よりも知性がある又は同等にあるとされる生命体との事だ。
だとするとコミュニケーションが取れない彼ら“バルグ”は違うのではないか。
確かに人類とはコミュニケーションを取る暇なく戦端を開いた。
しかしながら同族の間ではコミュニケーションを行って行動していることが分かったからである。
彼らは体内にある器官を使用し、独自の言語を話し、理解し、行動しているのだ。
その行動を裏付けるようにバルグ達は効率的な狩りの仕方、仲間を庇い助け合うことなど通常の動物ではありえない行動が記録されている。
これが初めて分かった時の学者たちの狂い様は後世にまで伝えられるほどだったという事だけ伝えておこう。それほどまでに独自の言語を持ち、ネットワークを構築していたのだ。
そんなこともあり、バルグは戦略的な行動を取り、人間に近い動きを戦場で見せる。その為に非常に厄介な敵であり、またこれまで苦戦し人類がその人口を減らしている理由である。
そんなバルグの一匹。
体格、容姿から複数の種類に分類されるバルグ。一番小さな”兵士級””隊長級””戦車級”の3種類が現在までに確認されている種類である。
そんなバルグの中でも最も小さい種類である”兵士級”。体格は大型犬とほぼ同等サイズであり、4足歩行型動物でありバルグ特有の緑色の体色をしている。
その一体が演習場に姿を現した。
「なっ!」
「きゃぁっ!!」
途端に驚く男子一同。それに倣うように女子生徒たちも悲鳴を上げながら後ずさる。野生の動物相手にその行動はよろしくないが、本能と言う物に枷は掛けにくい。
そしてバルグはというと、本来であるならばエサである人間にすぐにでも飛びつくのだが、目の前のバルグはそうしない。いや、出来ない理由があった。それは
「まだ大丈夫だ。奴にはまだ鎖が付いてる」
そう相良の言う通り、バルグの首には犬よろしく首輪が、そしてそれにつながるように太い鎖があった。鎖の端はバルグが出てきた部屋の中へと消えている。
それを見て、確認した生徒たちは一様に安心したように表情を変えた。
「さて、初めて見た者もいたようだが・・・」
そう言い、一同に視線を向ける相良。その先には複数人であり、僅かではあるがその場から動かず、逆に強い視線をバルグへと向けている者を確認する。
「まあ、そうじゃない奴もいるだろうな」
言葉と同時にケイルに視線を送る。すると無言で頷き、返事を返したケイルは腰にぶら下げていたグローブのようなものを手に嵌めた。それは武器の一種であり、近接戦において素手で格闘する者ように開発されたものである。
最も銃火器が発展している現在においてわざわざそのような装備を使う者は少なく、いや皆無と言ってもいい。
しかしながらそう言った武具も使い方を変えれば有用なものになるものだ。実際に戦場で使用する者がいるために僅かだが生産されているのが事実である。
「さて、ではお待ちかねの鬼ごっこと行こうか。捕まれば腹の中、逃げ切れば明日も朝日を拝める」
そう笑いかけながら相良は手元の端末のボタンを押す。その端末は最初にバルグの部屋をこの演習場へとつなげた端末であり、この部屋の操作を行うことが出来るものだ。
ボタンを押したその瞬間、遠巻きにバルグを見ていた生徒たちの聴覚にカチンという音が聞こえてきた。そしてそれと同時に張っていた鎖が地面に落ちる。
それが告げるのはゲーム開始の合図であり
「さあ、楽しい時間の始まりだ」
リアルな鬼ごっこの始まりだった。
その音を聞いた瞬間にサキは自身の耳を、そして目を疑った。
目の前にいる人類の共通の敵、バルグの首に繋がっていた鎖が地面に落ちたのだ。そしてそれが示す事と言えば至極単純である。
「嘘でしょ」
小さく呟かれた言葉はそれを否定できない生徒たちの悲鳴により掻き消された。その理由としては自由に解き放たれた緑の怪物。それに追いかけられ始めた生徒たちから漏れた悲鳴だった。
生物としては小さな、しかし大型犬以上の体格を持つバルグは飛び出す。その速度は犬のスピードを凌駕しており、“兵士級”の持つ俊敏性がどれ程人類にとって脅威であるのかを嫌というほどに実感させられる。
それは今現在追いかけられている生徒が一番身に染みているだろう。普通の人間出れば犬と鬼ごっこなど考えない。結果が見えているからだ。
現在の光景をもし第三者が見れば犬と戯れる様に見えるだろう。だが実際は食われる側が食う側から逃げている自然の摂理の光景だ。
「ひぃっ!」
「く、くるなっ!」
口々にそう叫び、走り回る生徒たち。だからと言ってバルグが止めるはずもなく、またその声をバルグが理解しているわけではない。
追いかける側のバルグといえば、人数が多いほうを優先的に追いかけているようで知能が高いのかそれとも本能で追いかけているのかわからない状態だ。
その為あっちこっちと気が散るのか中々
しかしながら、そうした膠着状態というのは長く続かない。それくらいには頭が良い生物なのだ。
対して人間側はパワーアシスト機能で身体能力が上がっているとはいえ、四足歩行型の動物にスピードとスタミナ両方で勝る訳がない。その為ほころびが出てくるのはそう先の話ではなく
「あっ」
不意に誰かがこけた。
こけたのは女子生徒であり、地面に何かがあった訳ではなく、ただ足を絡ませた様だ。日頃からあまり走り込んでいなかったのか、それとも恐怖からなのか定かではない。
しかし追いかける方に関しては足を絡ませるなど間抜けなことはしない。もっとも酔っていたり、正常でない現在のような場合を除けばであるが。
女子生徒がこけた時生徒たちのほとんどは思った。彼女は食われる、終わりだ、と。
そしてそれと同時どこか安堵したような感情が体内を駆け巡る。そう、食われるのが自分でなくてよかった、と。奴が食事をしている時間だけ命の危機が遠くなると心のどこか奥深くで思ってしまった。
それはサキとて例外ではない。しかしながら彼女の中ではすぐに自分を恥じる感情が浮き上がる。
―なにを安堵しているのだ。食われようとしているのはクラスメイトであり、同じ人間ではないか―
そういった感情が元で助けよう、と足を前に出す。しかしながらすぐに気がつく。今の自分に、無力といえる私に何ができるのだろうかと。
―これでは前の時と同じではないか。それを繰り返さない為に―
彼女はそう、自身を呪うように呪詛を吐き出したい気分に襲われる。
しかしながら時は流れるものであり、止まることはない。それは今現在も倒れている少女に迫るバルグの姿が如実に表している。
涎の下たる咢が大きく開かれ、目標を捉えたバルグ。あと行うのは数歩進み、口を力一杯に閉じるだけ。
誰もが少女の運命を確信した時だった。
不意に視界に現れた第三者。それは白く、まるで光のような速さで現れ同時に肉を打撃する鈍い音が響く。
誰もが口を閉ざし、静かな空間。その場所に地面を転がるような動きを見せていたバルグだけがいた。
バルグの肉体を打撃のみで5メートルほど吹き飛ばし、少女を守ったのだ。
「へ?」
気の抜けたような声の主は地面に尻をついている少女のものなのか。
誰もが自身の心拍数以外に聞こえないような静かな空間に僅かながら水が流れるような音が流れる。
その音源は少女の股下からであり、緊張が抜けたのか。はたまた極度の恐怖からなのかはわからないが下腹部が緩くなってしまったようだ。地面に僅かに黄色の水溜りを作っていることから音源がソレであることは誰もが理解できるだろう。
「ぼさっとするな。止まれば死ぬぞ?」
現れた白の光。グローブのような特殊な武装を手につけたケイルの静かな言葉が地面に座ったままの少女へと向けられる。
「はっ、はひっ!」
そう、まだ鬼ごっこは終わってないのだ。戦場でも戦いが終わるということは自身が死んだ時以外には訪れない。
少女は黄色の水を足から滴らせ、目元に涙を浮かべながらも走り出す。そうしなければ同じような目にもう一度会うと解っているからだ。
そんな少女の背中を見送るとケイル副担任は再び走り出す。その直後にサキは再度訪れた混乱により彼を見失った。
その後の鬼ごっこは生徒たちが疲れ果て、地面に座り込むまで続けられた。
閉鎖された空間、極度の緊張状態。それらによって体感時間は非常に引き延ばされる。全員が動けなくなるまでの時間は10分もかからなかっただろう。
しかしながら中にいた生徒達の体感時間は数時間ほどにまで凝縮されたものとなっている。
「はっ、はっ、はっ」
短く、そして細かく吐き出される吐息はサキのものだ。
もともと中学では運動部に所属していたために体力には自信があった。しかし今現在感じている疲労は地獄のようだった練習の比ではない。
腕も足も、そして指一本動かせない状態というのが現状だった。
そんな中何の苦もなく動いているのが二人。担任と副担任の二人だった。彼らも生徒達と同じように走り回っていたのだ。ケイルに関しては追いつかれそうな生徒をバルグから守りながら。
彼らは二人して麻酔を効かせたバルグを引きずるようにして元の檻まで戻している。すでに首輪には鎖が繋がれ、元の状態にまで戻されているのだ。
「さて、これで今日のレクリエーションは終了だ。明日からの授業に遅れないようにな。では解散!」
にこやかに告げる相良は非常に上機嫌だ。
それに対して演習場に転がる面子は見るに耐えないほどの惨状であるが、彼の目には気持ちのいい光景らしい。
サキは自身の足を引きずるように更衣室にまで向かう。某少女のように漏らしはしなかったが、汗が気持ち悪いほどに戦闘服の内側に溜まっているのだ。一刻でも早く着替えたいと思うのが女の子というものだろう。
そんな少女たちが来たときとは別の意味で無言で着替え、自身の寮へと帰る。
その姿は別のクラスの者たちからアンデットの行進と言われていた事を彼女たちが知るのは少し後になる。
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