第14話 逃げの一択

 長髪の男を正眼に捉える。テコンドーの試合の感覚を、体は思い出していた。

 威嚇も兼ねて、腹の底から出した声で空気を震わす。口にしたのは今日覚えたばかりの言葉。


「ピルメラ、走れ!」


 嘶きを合図に、私は両手に握っていた土と砂利を長身の男の顔目掛けて投げ付ける。男は痛みと驚きで腹立ちの声を上げる。伸びてきていた左手で、砂の入った眼を覆うと同時に、右手の剣を私に向かって大雑把に横に振り抜いてくる。


 その行動は予想範囲内だ。既に斜め左後ろに退いていた私は、無計画に剣を振った事でできた男の死角へ素早く踏み込む。前屈みになっている男の装備一つ着けていない両足首を蹴り抜く。バランスを既に崩していた男を転ばすのはそう難しい事ではない。ドグシャッと地面に強かに叩きつけられる音がした時には、私はもう後方に待機していた山賊達の二頭立ての馬車に向かって全速力で駆けていた。


 実に単純な話である。私はコニカ達と移動し始めてから、三人という意識を持っていた。しかし一日だけの付き合いではお互いの手札を知らないのは、ごく自然な事だ。だからここに偶々居合わせた二人と一人と考えれば良いだけの事。


 武器を所持している男と丸腰の女が一緒に居れば、無論、男の方に注意が逸れる。見るからに脅威なのだから。言い方は悪いかもしれないが、コニカ達は相手の注意と戦力を割く、これ以上と無い囮なのである。つまり、私の最善策とは、自分の出来得る事を敵に警戒されていない今、実行する事。


 多対一。武器に丸腰。答えは一つ。


 逃げの一択。


 すると鍵を握るのは、あの相手の馬車。脚さえを潰してしまえば、状況は好転する。逃げ切れる。


 あの馬車は、今ここで、私が抑える。


 二頭の馬の間には動きを連動させる為か、木でできた馬具が渡してある。勢いがある今、あそこを踏み台にすれば、わたわたと武器を探している馬車のお守り役の男の鳩尾に一発届く。


 馬車まであと三メートルという所で男は鞘に収まった剣を荷物から取り出した。


 抜く前に何とかしなければ。間に合え。


 ぐんと左脚に力を入れ、地面を蹴って二頭の馬の間へ飛び込む。すぐさま右足を例の馬具に掛け、更に飛躍する。真っ直ぐ男に向かって飛び込んでいる私の左脚は、既に蹴りの動作に入っている。鞘から抜け切っていない刀身が鈍く光って見えた。私の飛び蹴りとどちらが先に入るか、かなり際どい。すると、男は体勢を崩した。


 馬は前が良く見えない。二頭の馬の間に突如現れた私は、彼らの目にどう映ったのだろう。


 男との距離が、馬が走り出した事で一気に縮まる。それと共に、奴の動きに隙が生じる。だが不味い。間合いが詰められた分、このままでは私の蹴りも上手く入らない。


 咄嗟の事に空中でバランスを崩しながらも、左脚の蹴りから膝蹴りへと変更。無理をしたせいで脇のガードが甘くなる。男はそこを狙ってくる。だが男の剣が私に触れるよりも先に、私の膝が奴の顎を射抜いていた。申し分ないスピードをもって食らわせた一発の上、当たると同時に蹴り上げた。手応えは悪くない。少なからず、脳を揺さぶったと思う。


 飛びながらバランスを崩した私は、そのまま男に体当たりするような形で馬車の荷台に雪崩れ込む。すぐさま体勢を整え、男と対峙する。だが私の目に入ったのは、男の両の足が馬車の後ろのへりから逆さまに消えゆく様だった。


 一息つく間も無く、ぐんと加速する馬車から危うく落とされそうになる。ハッとする。ここは細い山道。落ちてしまえば、怪我では済まされないかもしれない。弛み切っている手綱を掴むが、馬車の操縦など今日初めて見学したのだ。技術が身に付いているとは考えにくい。だが四の五の言ってられない。力一杯引く。


 お願い止まって。


 荒々しい手綱捌きでは、効果はやはり微々たるものであった。気持ち失速したが、進行方向がずれてしまった。このままでは、確実に道を踏み外す。焦りと迷いが脳内を飛び交う。乗り捨てるべきか。しかしそれでは馬が。曲がれと念じながら、そちらに手綱を思いっきり引く。思い虚しく馬の顔がそちらを向くだけで、進む方向は変わらない。


 形振り構わず手綱を引こうとする私の腕が掴まれる。まさか失速した時に山賊の誰かが乗り込んできたのか。身構える私の目はその人物を捉える。


 リーファ。真剣な表情で私の手ごと手綱を扱い、馬の進行方向を見事修正する。勢い余って馬車のみが道の外へ膨らみ、左の車輪が一瞬空を切った。


 ガラガラと重量感溢れる音が、カラカラと軽い響きに変わった時、生きた心地がしなかった。


 馬車が傾き出したと思ったら、道と斜面の淵にぶつかったのか、勢いよく上に弾かれた。跳ねながら道を再び走り出した馬車の上、私は唯々目を白黒させる。


 真っ直ぐに走り出し、ピルメラの引く馬車が正面に見えた。コニカとピルメラが蹴散らしてくれたのか、先頭に立ちはだかっていた山賊の二人は、道の両脇に寄っている。


 開いている真ん中を目指し、いつの間にもぎ取られていたのか、リーファは確かな手綱捌きで馬車を加速させていく。近づく蹄の音に気付き、こちらを見た奴らのぎょっとした顔は、一瞬で過ぎて行った。リーファは更に加速させながら、荷台に積んである物に手を伸ばす。その先を見れば、亀の甲羅の様な物が幾つか荷台で転がり回っている。


 弓使い。


 思い出すと同時に、置いて来た後方の二人に目が行く。丁度男の一人は弓を構え、矢をつがえているところだった。慌てて楯を二つ手に取り、一つをリーファの胸に押し付ける。彼は身を極力小さくすると、頭の後ろと背中を守る様に楯を添えた。私も急いで、それに倣う。一秒もたたない内にどすっという音と共に荷台に一本の矢が突き刺さった。が、それ以上は男達の怒号以外何も届いてこなかった。


 前方を走るピルメラに追いつき、コニカと目が合うと彼は安堵の色を見せた。リーファはそこで速度をピルメラの馬車に合わせ、砂埃を避けるように斜め後ろを走り続けた。十分余り走り続けた頃、コニカはリーファに声を掛け、二人は馬達に歩くようになだめ、手綱を引く。緊張のあまり、私は未だに楯を被っていた。心臓があばらを内側から暴れ回る様に叩いてくる。


 不意に笑い声が聞こえた。最初は少し堪えるような。次第に我慢できなくなったのか、私が凝り固まった体を解しながら楯を下ろした時には、大声で惜しげも無く笑っていた。


 その笑い声の主は、リーファだった。細めた目に涙まで浮かべ、コニカに向かって何か話しながら笑っている。咳き込むほどの勢いで、話が通じる程度に言葉を紡げているかどうか、不安になるくらいだ。


 初めて見たリーファの爆笑と緩んだ緊張の糸。思わず私もつられて頬の筋肉がにへらと不器用に歪む。笑う私を見て、リーファは更にひぃひぃと腹を抱えて笑い出す。今までの彼からは想像もできない、実に子供らしい一面を見て、私も歯を見せて自然に笑ってしまう。


 そう言えば、ここに来てから笑ったのはこれが初めてかもしれない。気持ちが少し楽になった。


 明るい気持ちのまま、夕方頃に山脈を抜ける事ができ、山と平地の境目にある町に入った。

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