第15話 大丈夫

 山から見える町は、日本にあるような高層ビルは見当たらないものの、遠目からも道を忙しなく走る馬車や人々が見える。


 いざ街頭に入ったところで私も馬車から、街並みを観察する。行き交う人々も、着ている服も、店も売り物も、何もかもが新鮮だ。


 道は土を固めた物から、石畳と木材を組み敷いた物へと変わっており、幅も馬車三台は通れそうである。両側には布、野菜、装飾品や生活用品と様々な商品が並ぶ専門店が見受けられる。中心的街道なのかもしれない。どの店も立派な店構えと華やかな店内が、正面の大きな窓ガラスから覗いている。


 町自体はそう大きくない事は、山から下りる際に確認済みである。私達が抜けて来た山脈から流れている川を、両側から挟み込む形でこじんまりとまとまっていた。町の向こうには森があり、その先にはなだらかな丘の海が広がっている。土壌のせいか、そちらの方には木々が密集して生えている小さな固まり数か所を除き、まばらである。見渡す限り、他の町や村は見えない。


 行き交う人々はやはりと言うべきか、外国人に似た外見である。コニカ達の様な欧米系の顔付きも居れば、東南アジア人の様な人達も街を歩いている。黒人の様な肌色の人も一人だけ、遠目で確認する事が出来た。服も皆長袖、或いは七分丈が多く、女性のズポン姿も決して多くは無いが、確かに居る。


 少し安心する。これなら、気を付けさえすれば、私でもあまり悪目立ちせずに済むかもしれない。私は学習したのだ。まずは私自身の立場というものを、理解しなければならない。観察、解析、理解。さもなくば、又危ない事に巻き込まれてしまうかもしれない。


 夕食時が近いせいか、食べ物を扱っていそうな店はかなり繁盛している。野菜、肉、魚といった食材を売っている店がほとんどだが、数店舗ほど、匂いから出来上がった料理を売っているらしい店を発見する。お昼を食べ損ねてしまった私は、初めて目にする食材に釘付けになり、得体の知れない料理の匂いに喉を鳴らしていた。


 食べ物の他に人々の服の所々に見える刺繍のような模様も気になる。コニカ達の服にも小さい物があったが、街の者、特には女性の服の中には、かなり凝ったデザインの物もあるようだ。肩にワンポイントの花や、袖に沿って水流の様なという具合に様々な色や形が目を楽しませてくれる。こちらの伝統的な民族衣装だろうか。


 物珍しい食べ物や衣服にばかり気を取られていて、町を抜けそうになっている事にようやっと気付く。この町が目的地では無いのだろうか。不思議に思い、リーファを見れば、私の視線に気付いた彼は右前方にある丘を指差す。眼鏡を掛けていない今、見るのに難儀な距離だ。


 右ポケットに手が伸びるが、ためらい、結局止めた。こちらに眼鏡があるのか不明なのだ。町人には掛けている者は見当たらなかったが、見落としただけという可能性もある。だが、悪目立ちはしないとつい先程心に決めたばかりだ。ここは慎重に。


 まぁ、どこに向かっていようが、あまり関係無いのも事実である。お金も無く、言葉も喋れない私にとって、コニカ達の厚意に甘えるのが一番利口なのだから。大人しく馬車に揺られる。


 町を抜け、道が山の中で見たやや細いものに戻った所で、右に外れる小道を発見。二本の土色のわだちが、基本草で覆われている場所の中、道が存在するのだと教えてくれている。ピルメラの引いている馬車は問題なく通れる幅だが、私とリーファの乗っている一回り大きい二頭立ては、道の両脇に生えているふくらはぎ位まである草を薙ぎ倒しながら進んでいく。後ろを振り返れば、海亀の通り道のような跡がついた、緩やかな下り坂が続いている。


 特に何も考えずその光景を眺めていたら、前方でコニカの声が聞こえ、私たちの馬車は止まった。前を向き直せば、アーチ付きの門が目に入る。ペンキでも塗ってあったのだろう門は、月日の雨と風に晒され、下の木目がデザインの基調だと言ってもいい程、剝げてしまっている。アーチの上の部分から板が横向きにぶら下がっており、そこには木を焦がして作ったような文様が刻まれている。


 標識、文字だろうか。みみずの様には繋がっていないのだが、知識の無い私にはあの不可解な記号の羅列をどこでどう区切れば言葉になるのかが、皆目見当が付かない。


 ガシャンと重い鉄の様な音がしたかと思ったら、木の門は軋みながら、ゆっくり開いた。門を押し開けていたコニカ越しに建物が一つ見える。馬車に乗り直したコニカを先頭に、私達は門をくぐり前方の建物を目指す。興味津々の私は馬車の上から首を伸ばし、目を凝らす。


 何の建物だろうか。街中で見かけた物と同じく、木と石を基に造られており、今まで見た中では一番大きい。二階、いや半地下付きの三階建てのようで、基本は質素な外装なのだが、幾つもある大きな窓と屋根の上のドーナッツ型の飾りは何とも印象的である。


 コニカとリーファは馬車を真正面に見える建物には向かわせず、手前の脇に佇んでいる掘っ立て小屋を目指す。柱と屋根だけと言っても過言ではない程簡素な造りのそれは、家畜用の小屋らしく、側に藁が敷かれている柱には、胴体が丸っこい牛が三頭繋がれていた。


 小屋の前の広場で隣同士に停まった私達の馬車二台に、建物の方から足早に近づいている人影があった。薄緑の質素なドレスに白い前掛け、上には黒いベストを着た女性。明るい茶髪は一纏めの三つ編みで横に流している。歳は私ぐらいか、少し若そうだ。彼女はリーファに挨拶を交わし、不思議そうに私を一瞥すると、コニカと何やら話し込み始めた。


 リーファが馬車から降り、二頭の馬を馬車から外しだした。ここが最終目的地と見て、間違いないだろう。私も馬車から降り、筋肉痛で怠く痛む体を伸ばしながら、二頭の馬達に歩み寄る。一部、無駄に装飾されている馬具が取り付けられているのに気付き、ふとした疑問が頭を過る。


 これは、盗みになるのだろうか。あの時は兎に角逃げる事ばかり考えていて気にも留めなかったが、これは窃盗事件ではないか。私は二頭の馬、及び馬車の立派な盗人ではあるまいか。山賊達も馬二頭をどこかからか盗んだ可能性が高いし、コニカ達に対し強盗、私を誘拐する気だったではあるのだが、今の論点はそこではない。今、懸念すべきは、私が盗みを働いた犯人として扱われるかどうかだ。


 一瞬「逮捕」という二文字が頭を過る。ここは町から外れた、牢屋なのだろうか。


 身震いしてしまいそうな考えに到達したところで名を呼ばれる。


「シー」


 コニカが呼んでいる。一緒にいる女性は珍しい物を見るような目で私を見詰めている。看守だとしたら、あまり怖そうな人ではないが。


 一瞬、行くべきか逃げるべきか、判断を天秤にかけたが、敢え無く逃げるという選択肢は消え失せる。どこにどうやって逃げ、生き延びる気だと言うのだ。おずおずと二人の方へ近づく。心境は判決を待つ罪人である。


 彼らの隣に立った私は、話し込んでいる二人の顔を少々挙動不審気味に見比べる。女性はコニカの話を聞きながら、興味あり気に私を観察している。私より頭一つ分は背が低く、見上げるように目を合わせてくる。緑と茶色を織り交ぜたような色合いの大きな瞳は、パラパラとそばかすで縁取られている。口角がやんわり上がっているのは元々か、或いは癖なのか。


 しかし、かなりの別嬪べっぴんさんだ。


 美人にこれでもかという程見詰められ、気まずくなったので、足元に目を落とした。だが自分の待遇への不安から、すぐに二人の顔色をうかがってしまう。


 不意に女性が私から目線を外し、話続けているコニカの方を見やった。何かに驚いているようだが、言葉を理解できない私には分からない。コニカは苦笑交じりに言葉を紡ぐ。その苦い表情に危惧する。


 やはり、馬車を盗んだのは、不味かっただろうか。彼らも私の対処にほとほと困ってしまっているのかも知れない。


 結果としては、無事に済んだから良いものの、今回の一連の騒ぎは、私の甘い判断が引き起こしたものだ。下手したら、私を追って馬車に乗り込んだリーファなんかは、大怪我をするところだったのだ。何より、私は状況が自分に有利に働くようにと、コニカ達を利用する形になった。今更ながら、罪悪感で私の思考が陰る。


 両手を握られた。びっくりして伏せていた目を上げると、女性は目を潤ませ、私の手を取り、満面の笑みで、ある単語を力強く繰り返している。挙句、首に抱き付いて来て、私は慣れぬスキンシップに体が強張る。


 なんて言っているのだろうか。


 状況が上手く呑み込めず、コニカの方を見る。彼は目を泳がせながら、相も変わらず気まずそうな表情で言葉を並べている。意味が分かる単語は一つとして聞き取れなかったが、歯切れが悪い。良い知らせではないのか。気落ちする私の予想に反して、コニカは最後に私の目を見て笑った。山道の端でふらふらになりながら歩いていた時に見た、柔らかい、目尻に小皺を寄せた笑顔。私の肩に手を置いて、先程女性が連呼していた言葉を一回だけ噛み締める様に零し、目を伏せた。


 混乱が深まる。言葉が、彼らの文化が分からないというのは、何とも歯痒い事か。今の一連の言葉には、作法には、きっとただならぬ意味があるのだ。それを理解する程の技量が今の私には備わっていない。何を気まずそうに呟いたのか。彼らが口にしている単語はどういう意味を持っているのか。目を逸らす行為とは。


 そうこう考えている内にリーファは二頭の馬の馬具を外し、小屋の柱に結わえ終えたらしく、ピルメラの手綱を手に、コニカの事を呼ぶ。返事をしながら、コニカは離れてゆく。女性に別れ際に言葉を交わしたら、馬車に飛び乗った。やっと抱擁ほうようから解放してくれた彼女は、左手でしっかり私の手を握り、もう片方の手を大きく振り、二人に別れを告げている。言外に、私にはここに残るよう言ってきている。


 ちょっと待って。何が何だか。私は一体どうなるの? せめて二人の言っていたあの言葉。あの意味が分かれば。さよなら、ごめんね、頑張れ?


 心細く去って行く馬車を目で追う。丁度振り向いたリーファと目が合う。さも不安そうな顔をしていたのであろう。リーファは吹き出す様に笑った。すると積み荷の中から丸い何かを取り出し、片手で重そうに頭上に掲げる。


 あれは。二頭立ての馬車から移したのか。矢を凌ぐ為に私達が被った楯だ。


「シー!」


 リーファは楯を小さく振り、笑顔であの言葉を投げてくる。


 一本の糸で繋がった。そうか、あの言葉は。


 いつの間にか女性の手を振り解き、コニカとリーファの名前を大声で呼びながら、小さくなってしまった馬車の後ろ姿を追っていた。追いつく為ではなく、離されてしまった距離を縮める為。せめて、私の声が届く所まで。伝えなければ、私も。彼らが言葉が分からない私相手に何度も意思疎通を図ってきたのだ。今度は私が。


 叫べばコニカ達に聞こえるだろう距離まで来て、足を止める。


 あの言葉は、多分、いやきっと。


「コニカ!」


 ありったけ声を張り上げ、彼らを呼ぶ。


「リーファ! ピルメラ!」


 振り返る彼らに、私は治してもらった右手をぶんぶん振りながら、彼らの言葉で言い放つ。


「ありがとう!」


 意志を持って送られたお礼の言葉に、彼らは笑ったような気がした。眼鏡を掛けていたとしても、熱い目頭と潤む目元では、今の状態と視力は大差無かった事だろう。丘を下る彼らの背中が見えなくなるまで、見送った。


 大丈夫だ。


 根拠は無い。だが確かに私はそう思ったのだ。


 私は、大丈夫だ。

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