第9話 遠い国の知らない挨拶

 結局私は、パン三切れに塩気の強いジャーキー肉一塊をぺろりと平らげた。その後、馬車の荷物を動かす事でできた隙間に乗るように促され、私は山道を走る馬車に揺られていた。運転席と助手席の後ろに当たるその位置で、進行方向に対して横向きに体育座りをして、沢山の積み荷に挟まられる形で収まっている。右を向けば二人の間から馬の後ろ姿、左には少々埃が舞った景色が見れる。


 実は一通り空腹を癒した後、携帯など持っていないかジェスチャーで訊いてみたのだが、伝わらなかったのか、持っていないのか、首を横に振るばかりだった。馬車を使っている事もあるし、宗教的に社会から断絶した生活を送っている人達なのかもしれない。服も襟や裾に刺繍がある以外、質素である。


 馬車の揺れと安心が伴って、うとうとと寝たり起きたりを繰り返しながら午後の大半を過ごした。三度目の転寝から覚めると、万全とまではいかないが、かなり調子が戻ってきたので、暇潰しのつもりで二人の会話に耳を傾けてみる。集中して聞いてみれば、何個か規則的に出てくる単語が耳に残る。真似てみるべきか。いやしかし、意味も発音も碌に分からない中、それはかなり勇気がいる。だが、このまま意思の疎通がままならないのも不便極まりない。


「リーファ?」


 会話の合間を縫って、青年の方を見上げるように問いかける。使われ方から察するに、彼の名前だと思われる。一切の油断も見せなかった彼の表情は一変して、驚きを露わにしている。返事が無い事に、間違えたのではないかと一抹の不安を覚えるが、男性の方が嬉々とした声を上げ、私の頭をわしゃわしゃと撫で回してくる。


 若干、いやかなり、子供扱いされている気がするが、言語が分からないあたり意思表示が難しいので、甘んじて受ける。続いて男性は自分の胸に親指を突き立てて、三文字。


「コニカ」


 先程まで聞いていた、彼の名前だと思っていたものと異なる。首を傾げながらそちらを口にすると、男性は青年、続けて自分を指差し、私が発した言葉を繰り返す。


 あ、成程。親子なのだから、さしずめ「お父さん」というところだろう。


「コニカ」


 理解したと頷きながら、彼の名を呼ぶ。ひどく稚拙な会話ではあるが、考えが伝わっているのだと思うとなかなか感慨深いものがある。勢いに乗って、自己紹介もしてみる。


「静」


 自分の顔を指差し、簡潔に名前だけ。


「シェティカ?」


 コニカが訊き返してくる。私は首を横に振り、繰り返す。


「静。し、ず、か」

「シーツッカ?」


 怪訝そうな表情で答えたのはリーファの方だ。彼らの言語では、『ず』の音が無いのかもしれない。少し考えた挙句、一番シンプルな呼び名を口にする。


「しー」


 小さい頃、数少ない友達にはしーちゃんと呼ばれていた。間抜けな自己紹介だと否めないが、ここは彼らの言い易さを重視しよう。


「「シー」」


 二人で復唱してくる。頷く私。コニカはもう一度私の名を言い直し、母国語で何か続けながら、左手で拳を作り、私の前に出してきた。


 何だろう。親指を上に突き出された拳はこんな状況で無ければ、じゃんけんを要求しているように見える。何かを渡す訳でもないようだが。取り敢えず鏡合わせに真似てみたら、もう一方の手だというように、リーファに指摘される。左拳を出すとコニカは拳同士を乾杯時のジョッキの様に、コツン、コツンと二回小突く。見た事無いが、握手の様な物だろうか。にこやかに対応してくるコニカには申し訳ないが、私の中で不安の種が植え付けられる。


 欧米人の様な風貌、小剣、馬車、聞き慣れない言語に知らない挨拶。


 一体私はどんな遠い国まで来てしまったのだろう。

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