急:尊き命

 タリス=オールドリッジは、浅い息を繰り返し、心臓の鼓動を繋ぎ止めていた。

 息を吸う。息を吐く。吸う、吐く、吸う、吐く。

 それが彼に課された最期の試練だった。

 視界は闇に包まれている。

 消耗した肉体は、砂に埋もれているように自由に動かせず、もはや瞼を持ち上げることさえ難しい。

 視界は闇に支配され、終焉を迎えかけていた。

 残された世界は、耳から入る音だけ。

 やけに騒がしい。鎧がこすれるような金属音と、獣のごとき咆哮が鼓膜を叩く。

 倒れてから数秒も経っていないが、悪魔たちによる追い討ちが来るには遅すぎる。何より、最後に視界を覆った大型悪魔の踏み付けの衝撃が、未到着だった。

 ――これが死後の世界なのかもしれませんね。

 タリスは瞼をこじ開ける。

 そこでは想像を絶する光景が広がっていた。

「ギィイイイイイイ!! グルジィイイイイイイ!!」

 幾本もの鉄鎖で雁字搦めとなる大型悪魔。蜘蛛の巣にかかった昆虫のように抜け出せない。

「まったく……我が輩は先頭に立つような役職ではないのだぞ」

 大型悪魔の前に、大ニホン帝国軍の軍服をまとった男が立っていた。

 七三分けの髪型、忍刀と鉄鎖、その特徴的な外見は一度でも見れば忘れない。大ニホン帝国軍の外交官であり、元忍者の御河辰之兵だ。

「ウゴカナイ!! ナンデ!? ナンデェエエエエエエ!?」

 鉄鎖を手放し、辰之兵は大型悪魔の体を駆け上る。

 その速さは、まさに疾風。軽快な足取りで、一瞬にして首元まで至り、そして、

「その首、貰い受ける!!」

 大型悪魔の首を断ち切った。

 ズズンと重々しい音を鳴らして頭が落ちる。ぐるぐると重心を求めて転がる頭は、切り口を地面に置くことでようやく止まった。

 晒し首という残忍な光景に、他の悪魔たちは踏みとどまる。

「英国騎士団団長、お加減はいかかがであるかな?」

 ――大道芸かと思いました。

 口は動かせないが、辰之兵はどうやら察したようで怪訝顔となった。

「まあ、芸と変わりはしないか」

 そう呟いた後、辰之兵は忍刀を血抜きして、鞘に戻す。まだ大量の悪魔がいるにも関わらず、だ。

斬刃きじん隊!! 構え!!」

 辰之兵が叫んだ方向――大型悪魔の死骸の向こう側――には赤い甲冑に身を包んだニホン軍人がいた。数はおおよそ30人。誰しも抜き身の大太刀を上段で構えている。

「応えよ! 汝らは何者だ!?」

 辰之兵の問いに、全員が応える。

『我ら、悪鬼を滅ぼす刃!』

「応えよ! 汝らの行く道はどこだ!?」

『血塵舞い踊る修羅の道!』

「応えよ! 汝らが生きる証は何だ!?」

『我らが宿敵に誅伐を下し、不浄なる物の怪を滅す!』

「ならば、応えて見せよ!! 汝ら、弱き者を護り、未来の礎と成れ!! それ、すなわち――」

『我らが帝! 陛下への忠義なり!!』

「特殊神殻武人“斬刃隊”――突撃!」

 雄々しい雄叫びと共に、赤の軍勢が進軍する。

 たかが30という数字だが、その気迫は異常だった。海中で、鯨の群れが迫り来るような恐怖がそこにある。

「正義を説けば士気が上がる――当然のことであるな」

 一太刀、雷鳴が轟き、悪魔は槍ごと斬り殺される。

 一太刀、旋風が吹き荒れ、悪魔は両断される。

 一太刀、鮮血が舞い散り、悪魔らは逃げ惑う。

 少人数なれど討ち取った悪魔の数は倍々に増えていく。

 そして追い風がやってきた。

 港側から大勢の人間が走ってくる。

 そのほとんどが、浄化聖軍ではない普通の人間だった。彼らは、簡易的な洗礼を受けた武器を持ち、悪魔と戦い始めた。

 普通の市民である彼らが戦う姿に、タリスは強烈な違和感を抱く。

 本来ならば守られるべきはずの民が、前線に出ている。

「あの者たちは、団長を助けたいと買って出てきた。精霊塔での一件は残忍であったが、日頃の行いは良かったのであるな……」

 ゲリラの指揮を執るのは、一人の魔女だった。

 魔女は足早にタリスに歩み寄り、身をかがめる。

「あなたには、まだ言いたいことがたくさんあります」

 魔女――アンナ=ストレームは、エリクシール軟膏を取り出し、槍の一差しで風穴が空いた傷口を塞ぐ。

「死ぬことは許しません、絶対に」

 アンナの指示によって、市民の一人に担がれる。

 移動中、タリスは薄く開いた目で人々の雄姿を刻み込んでいく。

 人々は技術の無い姿勢で武器を振るう。

 中には、悪魔に殺される者もいる。片腕を失った者もいる。歩けなくなった者もいる。

 ――放っておけばよかったのに。

 すでに死に体だ。治療をしても助かるとは限らない。

 それでも彼らは戦っている。死体に等しい荷物を抱えながら、必死に助けようとしている。

「生かすことは難しい。故に生きるなら救う。それだけであるぞ?」

 辰之兵が答える。

 その言葉の意味を考えている間に、最終防衛拠点である港近郊に到着する。

 人々は地下シェルターに避難し、その入り口を浄化聖軍が固めていた。

 聖歌隊が歌う。エクソシストが祓う。錬金術師が補う。戦術歩兵部隊が穿つ。大ニホン帝国軍が戦う。

 彼らの足下には――多くの救えなかった人々が横たわっていた。

 老若男女、すべて等しい命はすでに消失した。

 いったい、どれほどの命が消えたのか。いったい、どれほどの命が残っているのか。

 改めてタリスは自分が生きている側の人間であると自覚した。

 失いやすく、失いがたい――それが命だ。

 生かすことは難しい。その言葉が身に染みた。

 タリスは、光を見る。

 結界があった大地――遙か遠くで光の柱が立っている。

 その光景を最後に、タリスの意識は奥底に沈んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔女戦争 南かりょう @karyo28

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ