急:擬宝剣

「これは少々、大変でござるな……」

 水面に浮かぶ木の葉のような大陸を眺め、清六は呟いた。

 敵の根城が空にあると誰が想像できただろうか。このようなことならば、人々を守るために残留した辰之兵を連れてくるべきだった。

「大変大変だよっ! セーロクくん! マルティが、どっか行っちゃった! ああ見えて、マルティって筋金入りの方向音痴で、目を離すとすぐ迷子になっちゃうんだよ!」

 隣では、ジネットが半狂乱になって叫んでいる。

「落ち着くでござるよ。最初の奇襲ではぐれてしまったようでござるが、おそらく他の者たちと協力して戦っているはずでござる」

「マルティー! 聞こえてたら、手を上げてー! ……聞こえてないみたい!」

「むむっ。ジネット殿、拙者の話、聞いていないでござるな?」

「聞いてる! 聞いてるって! だから、ちょっとマルティ探ししてくる! ――ぐえっ」

 一人で走り出そうとするジネットに、清六は彼女の襟首を掴んで制止させた。

「おい、清六。こんなヴァカ女、放っておきゃあいいんだよ。勝手に、おっちね」

 冷たく言い放つのは珠代だった。背負っている大盾の位置を正しながらも、その半眼はジネットに向けられている。

「ジネット殿の友を心配する気持ちは十分に伝わったでござる。しかし、急いては事を仕損じる。今は我慢するでござるよ」

「聖帝はコトをシソ汁? 何汁? それ、おいしい?」

「清六、斬り捨てちまえ」

「まあまあ」

 このような状況下で、平常心を保て、という方が無理がある。

 退くことも出来ず、進むことも出来ない。生殺しの状況に放り出され、混成部隊の指揮は完全に失われている。

 正式な軍人でも混乱しているというのに、つい先日まで学生をしていた少女であれば発狂してもおかしくなかった。

 しかし不幸中の幸いにしてジネットには大役を担って貰わなければならない。

 魔空隊として清六と珠代を、あの大陸まで運ぶ大仕事がある。

 今すぐにでも敵陣に乗り込みたかったが、制空権は悪魔が握っている。空を飛んでも、清六たちは格好の的でしかなく、悪魔の総攻撃に曝されるだけ。

 ――まだ、その時ではないござる。

 清六は、状況を打破する術を持っている。それは制空権を略奪し、戦況を一転させることが出来る力だ。

 急いては事を仕損じる。

 その力を使うタイミングを見定めなければならない。

「カカカカカカッ! アクマ相手にこれほどの不意打ちなんて、ホントッコワいねキミたち!!」

「アンドレ野郎が来たぜ、清六……!」

 隻腕の悪魔――アンドラスが清六たちの前に、悠々と降下してきた。

「バケモノちャん、ボクはアンドラスだヨッ!」

「うるせぇ、アンドレ! ぶっ殺してやる!!」

「キャー、コワいコワい! ホントッ、ヤバンだネェ、キミたち! だけどォ……キミたちとのオユウギは、ここでオワリ! サイゴはミジメにシんで、ボクをタノしませてネー!!」

 アンドラスが、ケタケタと笑う。

 しかし対面の清六は、眉一つ動かすことはなかった。

「終わるのは、そちらでござるよ」

「ナァニィ?」

 不気味に首を傾け、アンドラスは清六を睨み付ける。

 今まで見せたことのない怒りの顔。しかし清六は、その表情が偽りだと看過していた。

 道化のように振る舞うアンドラスには、憤怒の感情でさえ、こちらを揺さぶる道具でしかない。どれほどまでに真に迫った感情でも、一皮めくれば人を誑かして嘲笑う顔がある。

 揺れ動けば動くほどに、アンドラスの思う壺でしかない。

「残念ながら拙者一人では勝てぬでござる。しかし、拙者たちならば負ける道理はない。ここで負けるのは、アンドラス……お主でござる」

「カカカカカッ! ニンゲンの結束とかイうヤツ? 笑ッちャうネ!! このジョーキョー、ワかッてる!? あッ! バカだからワかんないカー!」

 ひとしきり笑った後、アンドラスは鎌首をもたげる。そして再び頭を上げたときには、顔から表情が消えていた。

「ワからせてあげるヨ。ボクのホントウの恐さを」

 氷で出来た大蛇が背筋を這うような感覚。ゾクゾクと止まらぬ悪寒に、清六は刀の柄に手を伸ばし――

「安心しろよ、あんたには俺がついてる」

 その手は珠代の両手に包まれた。

 強ばっていた体が、少しだけ緩む。暖かい両手は、まるで魔法のように清六を焚き付けた。

「あんたが、ルシアを……!」

 不意な声は、ジネットのものだった。

「ンー? ナニ、ボクがナニかしたかナー?」

 飄々とした態度に戻ったアンドラスは、薄っぺらい笑みを作る。

 その顔に向かって、ジネットは水弾をぶつけた。

「あんただけは、絶対に許さない!! あんたがルシアにしたこと全部……後悔させてやるっ!! 悪魔だろうが、何だろうが、関係ない! ルシアに、謝れぇえええええ!!」

 十を超える水弾がアンドラスに殺到する。一発一発が必殺級の威力であるはずなのだが、アンドラスは涼しい顔で魔術を受け止めていた。

「ツメたいナァ……。せッかくなんだから、アッたかいシャワーにでもしてくれればイイのにネー」

「――っ!!」

 ジネットの感情の高ぶりに比例して、攻撃に激しさが増す。

 急激な怒りに囚われたジネットに、清六は驚いていたが、すぐに止めにかかった。

「ジネット殿、冷静になるでござるよ!」

「冷静なんか要らない! あいつをぶっ飛ばせばいいんだ! 全部、あいつが悪い! あいつさえ……あいつさえ居なければっ!!」

 先ほども清六の言うことを聞いていなかったが、今の状況は異質だった。

 ジネットがいかにルシアを大切に想っているかは重々承知している。それでも、怒りの燃え上がり方は、異常としか思えない。

 ――まるで何かに操られているような……ッ!

「まさか!!」

「清六、手遅れだぜ。その女は、もう戻って来れねぇ」

「カカカカカカカカカカカカッ!!」

 顎が外れんばかりにアンドラスは笑い上げる。

「悪い……! 憎たらしい……!! あいつも、あいつらも! 何より、一番悪いのは原因を作った奴ら――」

 ブツブツと呟きながら、ジネットは怒りの矛先を変えた。

「あんたたちだよ!! セーロクくん、タマヨちゃん!!」

 ジネットが放った水弾を、清六は素早く斬り払った。

「これが、“不和”でござるか!!」

 周囲を見渡せば、混成部隊の者たちによる同士討ちが始まっている。

 手に手を取って協力していたはずの仲間たちが、憎しみの表情を浮かべ、殺し合う。地獄のような光景だった。

「カカカカカカ! ちョッとだけホンキ、ダしちャッた!」

「くっ! ジネット殿! 正気に戻るでござるよ!」

「はぁ!? 正気だし! すげー正気だし、あたし! 正気と書いて、ジネットと読むんだし! つーか、しょーじきサムライとか信じられないし! うざってーし! ヨー! メーン!?」

「なんかラップが始まったぞ?」

「混乱しているでござるよっ!」

 清六は水弾を凌いで距離を詰めようとするが、ジネットの警戒心が強く働いているため、一定の距離を保ちながら水弾を放ってくる。そこらの悪魔よりも面倒な相手だった。

「むむっ! これは手強いでござるな!」

「こうなったらヴァカ女を動揺させて隙作れ!」

「具体的に、どうすればいいでござるか!?」

「あんたが得意な一発ギャグだ! 腹抱えて笑わせちまえ!」

「成る程! 任せるでござるよ!!」

 刀を振り抜き、清六は表情を引き締める。長年暖めていたジョークセンスが、数奇な運命の導きにより、窮地を脱する手助けになろうとは誰が想像できただろうか。

 清六は渾身の一撃を言い放った。


「動揺って……どうよ?」


 水弾の数が倍増した。

「ぬわぁああああああああ!! 死ぬ! 死ぬでござるよ! 隙が完全に無くなって、鉄壁になったでござるぅ!」

「アハハハ!! やっぱ最高だぜ、清六のジョークは! ……って、なんでヴァカ女、能面みたいな顔してんだよ!? 今のギャグ、クソ面白かっただろ!? 表情筋が死滅してんのかぁ!?」

「……キミたち、それオモシロいとオモッてんノォ?」

 アンドラスが声音を低くして言う。

「清六! 作戦変更だ! ……やっぱ、めんどくせぇから斬り殺せ!」

「それは駄目でござるよ!!」

 防戦に徹していた清六は、ジネットの様子を観察する。魔術を使うことは、肉体的疲労には繋がらない。相手のスタミナ切れは期待できなかった。

 ならば、ジネットの意表を突く方法を見つけるしかない。少しでも攻撃のタイミングを崩すことが出来れば、それは大きな突破口となる。

「セーロクさんも、タマヨちゃんも……ふざけないでよ……! あんたたちさえ居なければ、ルシアは……!!」

 憎しみが清六と珠代に擦り付けられてしまった。

 状況はじわじわと悪化を辿り、清六の体力にも限界が近づいてくる。

「ああ、成る程な……。俺にとっての清六みたいなもんか」

 窮地の中、珠代が不意な言葉を漏らした。

「おい、清六。耳を貸せ。今なら簡単に、ヴァカ女の注意を逸らせるぞ」

 刀を振るう清六に近づき、珠代は小さく指示を出してくる。

 不意を打つ方法――その答えはジネットが怒り狂う原因にあった。

 清六は明後日の方向を指差し、高々と言い放つ。

「あーっ! あんなところに、ルシアが倒れているでござる!」

 誰でも見抜けるほどの虚言だ。しかし、ジネットはルシアの影を必死に目で追った。

「うそっ!? ルシア!? どこ!? どこにいるのさ!? ルシ――あぐっ!?」

 周囲を見回し出すジネット。その隙に乗じて、鳩尾に柄の頭を食い込ませた。

 ジネットは、息を吸えずに苦しみ、その場に蹲る。

「ワオ! ナカナカやるネー! てッきり、ボクはキりコロしちゃうかとオモッてたんだけどナー!」

「斬り殺すのはお主だけでござるよ」

 刀の切っ先を、アンドラスに向ける。

「カカカカカカ! イうネー! デモデモ! そろそろボクの不和が、バケモノちャんに届く頃だよ! キャー! バケモノちゃんとブシドの仲も悪くなッちャうヨー! コロしアッちャうヨー! タノしみー!」

 悪魔の術では、珠代の神性は穢されないはず。

 確信のない自信は、下駄の音によって打ち砕かれた。

「……」

 血気盛んだった珠代は、まるで眠っているかのような無表情に代わっている。

「珠代……?」

 霊体であるが、珠代の心は生きている。

 ――まさか、珠代は……!

 一握の不安が膨れあがる。

 嫌な予感は的中した。

 こちらに近づいてきた珠代は、清六の顔を鷲掴みにする。

「カカカカカカカカカカカ!!」

「やめるでござるよ! 珠代! こんなときに――!」

「キョーダイのコロしアうのは、ムゴーイ! カカカカカカ!!」

 力強く迫ってくる珠代。その目は本気だった。

「いい加減にするでござる! アンドラスの術に乗じて、拙者に接吻しようとするのは駄目でござるよぉ!」

「……ハイ?」

「おらぁああああああ! キスさせろぉおおお!!」

 珠代は無表情を崩し、まるで花の蜜を吸う蝶のように口を窄める。

「嫌でござるよ! 今はふざけてる場合ではないでござる!」

「チッ! 気付いてんじゃねぇよ!! 濃厚なキスシーンを見せつけて、あのクソ悪魔をアホ面にさせてやろうとしてたのによぉ!!」

「ナニナニ!? どーいうことだヨッ!? どーして、ボクの不和がキいてないのサッ!?」

 アンドラスは二人を交互に見やる。その様は、愉悦よりも困惑の色が強かった。それほどまでに不和の力に自信を持っていたのだろう。

 しかしながら悪魔程度の力では、珠代を穢すことは出来なかった。

「おいおい、ヴァカ悪魔、なに勘違いしてんだよ。俺は、神の使いだぜ? てめぇみてぇな雑魚に振り回されるはずねぇんだよ」

「カカカカカカッ!! 笑わせないでヨ! カミだッて? ここにカミはいないヨ? ただのユーレイのくせに、ナニ、イッちャッてんノ!?」

「ヨーロッパには居ないでござろう。しかし、拙者たちの国には、八百万の神が存在するでござる」

「ヤオヨロズ……?」

 聞き慣れない言葉をアンドラスは復唱する。

八百万やおよろずの神でござる。珠代は、その一柱に気に入られ、高天原との繋ぎ目となった身。舐めていると痛い目に遭うでござるよ」

「そのヒンジャクでヒンソウなコムスメに、ナニがデキるッていうのサ!? ヤオヨロズなんて、どーせハッタリでしョ!? カカカカカカ……ッ!?」

 重々しい地鳴りが、哄笑を止める。

 珠代は、今まで背負っていた『大盾』を地面に突き刺した。ただ、それだけの動作で、あのアンドラスが口を閉じてしまった。

 世界が凍てつく。

 周囲から音が消えた。人の声、剣の響き、踏みならす足音、風の音さえも静寂という虚無に吸い込まれている。

 まるで珠代を中心として、時が止まったようだった。

 珠代は徐に両手を広げた後、柏手を二回打ち鳴らす。二拍は、大地に浸透するように響いた。

「かしこみかしこみ御頼み申す!」

 秋に吹く木枯らしのような声が広がる。珠代の小さな躯から発せられているとは思えぬほどの声量は、空気を震わせ、天に轟く。

「此より! 我が兄、蓬莱清六が祝詞のりとを捧ぐ!!」

 珠代が差し出してきた右手を、清六は強く握りしめた。

 か細く、肉質の少ない手。とうの昔に体温は失せ、触感だけが伝わってくる。

 清六は天を仰ぐ。

「我が主! 嵐の神よ! 我が妹、蓬莱珠代の御霊を受け入れよ! 神格“クシナダ”に相応しき姿に叶えよ!」

 淡い光が生まれる。蛍火のような小さな光球が、珠代の周囲を漂い、やがてその輝きは珠代自身から放たれた。明かりが力強くなるに連れ、珠代の体は色素を失い、光に溶けていく。

 珠代の姿は、光と共に消失する。代わりに、清六の手には唐紅の櫛が収まっていた。

「主神の威光をクシナダに譲与! 我に嵐の神の恩恵を! 穢れを祓い給え! 力を奮い給え! 我、此処に人を棄て神の位を得ようと申す者也! 応え給え! ――嵐の神“スサノヲノミコト”!」

 祝詞を唱えると、地面に刺さっていた『大盾』が宙に浮く。

 大盾を覆っていたサラシが、ゆっくりと解けていき、正体を露わにする。

 それは大盾ではなかった。

「擬宝剣“クサナギ”解放!!」

 巨大な剣身――抜き身の刃。鍔もなく、柄もない。大剣の鎬には古代文字が羅列し、脈打つように怪しく光る。

 それは、八岐大蛇から現れたと云われる神剣・天叢雲剣あめのむらくものつるぎのレプリカ。珠代の魂を奉納することで、擬似的な神威を持つ人工神器であった。

 清六が櫛を真横に向けると、剣が吸い寄せられるように追従する。櫛は、柄の役割を担っていた。

「ナンだヨ、ソレ!? このカンカクは……テンシとかそういうレベルじャない……!! イマのキミ、ニンゲンですらない……! ヒトの範疇をコえてるだけどッ!? どーいうことォ!? キミは、いッたい、ナニモノなんだヨォ!?」

 アンドラスの疑問に答える義理はない。

 擬宝剣を構える。

 剣戟など必要ない。たった一撃、それですべてが終わる。

「確と視よ! 此が不浄必滅の一撃也!」

 切っ先を下げ、天を裂くように振るう。

 世界に光の嵐が吹き荒れる。

 擬宝剣から、放たれた光の奔流。それはアンドラスや悪魔、混成部隊を津波のように呑み込み、空をも塗り潰した。

「カカカカカカッ! コレ、スゴすぎじャん! ニンゲンッて、やッぱり……! タノしィイイイイイイイイイ…………!!」

 アンドラスは、光と共に霧散する。

 空を支配していた悪魔たちは完全に消失。しかし、同じく光に呑まれた人間は傷一つ負っていなかった。

 擬宝剣が放った光は不浄必滅の力。この世成らざる存在を討ち消し、人を救う。

「斬り捨て御免」

 混成部隊の人々は、何に巻き込まれたのか分からず、周囲を見回す。膨大な数の悪魔が消えていることに気付くと、喜びの歓声が沸いた。

 擬宝剣の刃が地に落ちる。櫛と化していた珠代も人の姿に戻っていた。

「あんた……! やったな! さすがは、俺の夫だ!」

 目尻に涙の粒を浮かばて、珠代は笑顔で抱きついてくる。

「まだでござるよ。戦いは終わっていないでござる」

 アンドラスを倒せたが、悪魔の総大将は彼ではない。

 澄み切った空を見上げる。

 制空権はこちらの手に渡った。この好機を逃してはならない。

「ジネット殿! すぐに飛び立つ準備を!」

 不和と呼吸困難から解放されたジネットは、爛々とした眼差しで清六を観察していた。

「すごっ! サムライって、ビーム出せるの!? もう一回! 見せて見せて!」

「ビームではないでござるよ! もう一回もなしでござる! そんなことよりも、箒!」

「へいへい……分かりましたよー」

 ジネットは口先をとがらせつつ、いそいそと空飛ぶ箒の包みを解き始める。

「清六、こりゃあ不味いぜ」

 そう呟いたのは、本拠地を眺めていた珠代だった。

「実に――不穏」

 一体の悪魔が舞い降りてくる。

 鉄製のフルフェイスを被り、顔は見えない。入れ墨のような傷跡が全身を覆い、その両手には二本の直槍が収まっていた。

 ソフィア=カルデナスではない。だが、その禍々しい存在は他の悪魔とは比べられないほどの威圧感を放っていた。

 ――アンドラスと同等の強さでござるか……?

 清六の直感が警鐘を鳴らしている。

 体は強ばり、冷や汗が頬を伝う。固唾を呑み、刀の柄に手を添えた。

「先の光は、実に不穏。貴様は実に不穏。故に、これより貴様を貫く」

「断るでござるよ、二本槍殿。二本槍殿と戦うほど、拙者は暇ではないでござる」

 二本槍の悪魔と戦える余力は残されていない。

 必殺の擬宝剣には使用限度が存在する。神威の発動には珠代の魂が必需となり、もしも短いスパンの間に擬宝剣を乱用すれば、珠代の魂は消滅してしまう。

 この戦いで擬宝剣を使えるのは、あと一回。ソフィア=カルデナスを倒すための切り札を、ここで使い切るわけにはいかなかった。

「実に不穏。故に、貴様は行かせん」

 ならば、清六の決断は早かった。

 先手必勝。刀を抜き、応戦しようとした、その瞬間――銃声が響き渡る。

「先に行け……サムライ!」

 そう叫んだのは見知らぬ兵士だった。戦術歩兵部隊の証である銃を構え、再度発砲する。

「貴様は不穏ではない。故に、貫く」

 銃弾を二本槍で弾き、悪魔はその内の一本を手放す。地面を転がる槍は、まるで這いずる蛇のように動き出した。

「逃げるでござるよ!」

 行く先には、兵士がいる。

 牙とも言える穂先が煌めく。兵士の頭蓋を捉えた刃先が、まっすぐに伸び――

「こいつぁは、殴り甲斐がありそうなサンドバッグだなぁ……!」

 槍は、駆け寄ったギートによって掴み上げられた。

「ほらよ、落としたモン、返すぞ!!」

 槍を投擲する。悪魔の喉を射貫こうとした槍は、刺さる寸前で急停止。力を失ったように地に落ちた。

「……貴様も、不穏」

 ギートとの合流は、幸運としか言えなかった。

 エクソシスト総長であるギートの実力は、清六を遙かに超えている。協力して戦えば、確実に二本槍の悪魔を倒せるだろう。

「おい、クソガキ! おめぇは、さっさと親玉を倒してこい!」

「なっ!? だ、駄目でござる! ここは共に、あの悪魔を討つべき――」

「クソガキ! 年長者の助言だぁ! 時間は有効に使え! ここで足を止めたら、次はねぇぞ!」

 拳同士をぶつけ合うと、ナックルダスターが甲高い声を上げる。

「この槍野郎は、俺がぶん殴る! おめぇは上の悪魔を斬り捨ててこい!」

 いつ悪魔たちが集まってくるのか、分からない。悪魔に態勢を立て直されてしまえば、再びジリ貧の戦いに戻ってしまう。そこからのは戦いは『詰み』でしかない。

「ここは任せたでござるよ……!」

「行け、サムライ。ルシアを頼んだぞ」

「承った!」

 清六は、二本槍の悪魔に背を向け、天を仰ぐ。

 ソフィア=カルデナスにとって擬宝剣は驚異に値する。二本槍の悪魔が、真っ先に清六の前に現れた理由は、そこにあるのだろう。

「ホーライ兄妹! 早くしなさい!」

 催促の声を上げるのはマルティナだった。彼女は、箒に跨がった状態で滞空している。

「マルティ! 元気ー!?」

「怪我一つ無いわ! あなたは相変わらず元気そうね! さっさと二人を届けるわよ!」

「あたしは、セーロクくんを乗せるからさ! マルティは、タマヨちゃんをお願い!」

「おらぁ、ウシ乳! 俺を乗せろ! 脇、くすぐってやるからよぉ!」

「ちょっと待ちなさい! そんな重そうな物を背負ってたら浮けないわ!」

 ジネット、マルティナ、珠代、それぞれが好き勝手な意見を投げ合っている間に、ギートと悪魔が得物をぶつけ合う。

 ギートが身を挺して作ってくれた時間を、無駄には出来ない。

「マルティナ殿! 重そうに見えるでござるが、実は軽いでござるよ! 珠代も細身でござるゆえ、体重も――いたぁ!? 珠代、なぜクサナギで拙者を殴ったのござるか!?」

「大声で胸がないって言うんじゃねぇ!」

「一言も言ってないでござろう!?」

「タマヨちゃん、セーロクくん! ふざけてる場合じゃないよ!」

「ジネットに注意されるなんて相当よ、あなたたち……」

 マルティナに白い目を向けられ、清六は苦虫を噛み潰したような顔になる。

 これ以上、余計なことに口を開けば、本当に時間を無駄にしてしまう。最低限の指示を出し、ジネットの箒に清六、マルティナの箒に珠代が跨る。

「準備いいかなー!? 良くなくても行くよー!」

 清六はジネットの背中にしがみつく。

 股下の箒は想像以上に細い。左右に重心が崩れれば、風車のように回転してしまうだろう。

「出発ー!!」

 ジネットのかけ声で、地から足が離れる。

「不思議でござるな……。なんだか、足下から押し上げられているような感覚でござる」

 清六がイメージしていた浮遊感とは、かけ離れていた。てっきり箒が股座に食い込んでくるかと思っていたが、実際のところ、足から臀部の間を柔らかいクッションで押し上げられている感覚に近い。

「箒自身に浮力はないわ。空気の精霊が、私たちの体を持ち上げているの」

 並んで浮上するマルティナが手短に説明する。

「んだよ、それじゃあ箒なんて要らねぇじゃねぇか」

「ふっふっふっ! それは違うんだよ、タマヨちゃん! 箒はシルフに行き先を教えるための、いわば操縦桿として必要なのだよっ! ……って、すごい高くなってきたー! 怖いよぅ!」

「ジネット殿、何を怯えているでござるか。落ちることはないでござろう?」

 下を見れば、人は米粒に見える。これほどまでの高所に登ることは、清六にとって初体験ではあったが、塔の上の風景だと割り切って平常心を保っていた。

「何言ってるの。強風にでも煽られたら私たちの技術では、バランスなんて保てずに落ちるわよ。ちなみに、この高さだったら間違いなく死ねるわね」

「ひぃ!?」

 思わず清六は、ジネットの腰に手を回す。

「うひゃぁ!? セーロクくん、ちょっと大胆すぎぃ!?」

「清六、テメェ! 俺の目の前で浮気たぁ、良い度胸じゃねぇか!」

「タマヨ、暴れないで。いざとなったら、あなただけでも落とすわよ」

「んだと!?」

 アンドラスは消滅したというのに、今にも内輪揉めが始まりそうだった。

「――チッ! 悪魔が来たぞ!」

 いち早く珠代が、敵の存在に気付いた。

 八匹ほどの悪魔が、こちらに接近している。

「不味いでござるな……!」

 足の踏ん張りが効かないところでは、刀は振るえない。清六自身に向けられた攻撃ならば凌げるが、船主であるジネットとマルティナを守り切ることは至難の業だ。

「ケーッケケケケッ!! まさか、空を飛べる人間がいるとはねぇ! ソフィア様に近づかれる前に殺しちまえぇ!」

 一匹の悪魔が先行する。その狙いは、マルティナだった。

「マルティナ殿!」

「キヒヒッ! 先ずは、肉付きの良いメスから――グギャアアアアアア!?」

 マルティナに刃を向けた悪魔が、突如炎上する。火の粉を振りまき、火達磨になった悪魔は墜落していった。

「セーロク、心配は無用よ。空を飛んでいても魔術は使えるわ」

「へへん! 練習した甲斐があるってもんだね! おらおらっ、あたしの皆殺し水弾を食らえー!」

 マルティナとジネットが、魔術の弾幕を張る。迎撃は出来ずとも、悪魔は回避行動に専念して、思うように近づけなかった。

「これでは、拙者たちの方がお荷物でござるな」

「何を言ってんのさ! セーロクくんには、これからソフィア=カルデナスを倒してもらわなきゃいけないんだから! ――だからねっ! 指一本触れられると思わないでよ、悪魔たち!」

 上昇スピードは落ちたが、それでも着実に大陸に近づいている。

 地面にさえ有り付けば、そこからは清六の独壇場だ。

 浮遊する大地の端が間近に迫る。

「ケーッケケッ! 洒落臭いねぇ! こうなりゃあ……無理矢理にでも止めるよ!」

 悪魔が仲間である悪魔の首を掴み、盾にする。マルティナの火炎弾を肩代わりさせ、その隙に、距離を詰めてきた。

「マルティ! 危ない!」

「クソ、離れやがれッ!」

 珠代がクサナギを振るうが、躱される。

「ケーッケケッ! ケーッケケケケケケケケケケッ!!」

 悪魔の斧が振り上げられた。

 とっさに清六は刀を投げる。刃は悪魔の右肩を貫いたものの、相手の威勢を削ぐことは出来なかった。

 悪魔の血走った瞳は、殺意に満ちている。

 ――間に合わないでござる……!

 マルティナの瞳は、ジネットに定まっていた。

 まるで何かを語りかけるような、意思を伝えるような、強い目だった。

「うそ……やだよ……! マルティ……!」

「ケーッケケッ! いただきぃ!」

 斧が振り下ろされる。

 刹那のことだった。

 突如として、悪魔の頭が弾け飛んだ。どす黒い赤い血を、彼岸花のように咲かせ、悪魔は事切れる。

 わずかに遅れて聞こえてくる、銃声。

 ――銃声よりも先に着弾……?

 何が起こったのか、清六はすぐに理解した。

「狙撃……でござるか!」

 地上を見れば、米粒サイズの人々が固まっている。戦術歩兵部隊の者たちだ。

「――進め!」「――ここは任せろ!」「――上だけを見ろ!」

 彼らの声は、小さく聞こえた。

 第二射が届くと、別の悪魔を射貫いた。

 恐ろしく正確な狙撃、その正体は魔術によるアシストだった。戦術歩兵部隊の周りには、仲間の魔女たちも集まっていた。空気の精霊が弾丸を悪魔の頭蓋に導き、必中必殺の一撃と化す。それはまさしく『魔弾』と言えよう。

「ジネット殿! マルティナ殿! 今しかないでござる!」

 魔弾から逃れる悪魔たちを出し抜き、急上昇する。

「マ゛ルディ……ズズッ! 次、変なアイコンタクト送ったら、絶対許さないからね!」

 涙を拭い、鼻声でジネットが叫ぶ。

「悪かったわ。次はしない」

「絶対だからね!! 約束破ったら、一生パシリさせるから! 毎回、宿題見せてもらうからっ!」

「それはいつものことよ」

「いいの! そうするのー!」

 二人の会話は微笑ましく、珠代でさえ空気を読んで口を閉じている。

 しばしの間、清六は周囲の索敵をしつつ、状況を確認する。

「セーロク、ごめんなさい」

 意識を外に向けていたため、清六は呼びかけに少し遅れて反応した。

「むむ? マルティナ殿、改まって何でござるか?」

「私のせいで、あなたの武器がなくなってしまったわ」

「ああ、刀のことでござるか」

 清六は、すっかり刀のことを忘れていた。悪魔と共に落ちていった愛刀。夢中になっていたとはいえ、戦いの主軸となる武器を投げ捨てることは、些か短慮だったかもしれない。

「命に等しい剣だったのでしょう?」

「確かに、刀は武士の魂でござる。されど、マルティナ殿を助けるためならば魂の一つくらい、安い買い物でござるよ」

 相棒といえるほど使い慣らした愛刀だったが、その別れに不思議と後悔はなかった。むしろ、このような別れ方こそ相応しいと思えた。

「武器がなければ、ソフィア=カルデナスは倒せないわ」

「武器なら沢山あるでござるよ。脇差が一振り、珠代のクサナギが一振り、そして――」

 清六は帯刀している脇差を見せつけた後、両手でジネットとマルティナを指さす。

「頼もしい魔女が二人もいるでござる」

 予想だにしない解答だったのか、マルティナは目を瞬かせる。しかしすぐに、その眉尻は持ち上がった。

「楽観視が過ぎるわ。相手は歴史的な魔女で、悪魔の長なのよ? 差し違えても勝てるかどうか分からないわ」

 眼前のジネットが「まただよ……悪い癖が始まっちゃった……」と呟いて、頭を抱える。

 マルティナは、焦っているようにも見えた。自分のせいで状況が悪化していることに、責任を感じているのだろう。

 清六は既視感を抱いている。マルティナの言動が、動揺した辰之兵に似ていたせいだ。ならば必死になっている相手を宥める役は、すでに決まっていた。

「ギャーギャーうるせぇな、ウシ乳。ウシだったらモーモー鳴いてろよ」

 あくびを噛み殺しつつ、珠代は言う。

「茶化さないで、タマヨ。あなたは何も分かってないのよ」

「何が分かってねぇんだよ? 教えろよ、ウシ乳」

 素直な質問のようにも思えるだが、険を含んだ言い方でマルティナを煽っていた。

「事の深刻さよ」

「そーだな。状況は悪ぃよな……んで? テメェは一人で騒いで、何がしてぇんだ? 清六は刀よりもテメェを選んだってのに、テメェはそれが不服なのか?」

「わ、私を選んだって……」

 普段の毅然とした振る舞いから一変して、言い淀んでしまった。

「選んだことに違いねぇだろ。なんだよ、テメェが一番分かってねぇじゃねぇか。刀は武士の魂――命を手放してでも、テメェを守りたかったんだよ」

 マルティナの頬が少しだけ赤みを帯びる。

「刀を手放したのは、清六の意思だ。それについてテメェがとやかく言う筋合いはねぇし、そもそも清六は刀なんざなくても、やってのける。……んで? テメェは、どうすんだ?」

「どうするって別に私は、セーロクに……その、死んで欲しくないだけで……」

 珠代の両目がカッと見開く。

「テメェ、まさか……! 清六に惚れたんじゃねぇだろうな!?」

「ばっ! 馬鹿なこと言わないで! 頼もしいと思っているからこそ、死んで欲しくないのよ!」

「マルティが顔真っ赤にするなんて珍しー。まさか図星?」

「ジネット!!!」

 ニタニタと笑いながら、ジネットは明後日の方向に顔を背ける。

「私は、戦争が終わるまで結婚はしないのよ! 考えたこともないわ!」

「ん? マルティ、上手く躱したみたいだけど、恋愛まではOKってことじゃないの?」

「ジネット!!!」

 マルティナの反応は、恋愛云々というより、単純に悪ふざけに振り回されているだけようだ。

 筋金入りの生真面目な性格のせいか、冗談が全く通じていない。ジネットと珠代が何か言う度、猪突猛進に反論するマルティナの姿は、弄ばれる子猫のようだった。

「ふむ、微笑ましいでござるな」

 二対一での口論イジメは、珠代の不意な言葉で締めくくられた。

「責任を感じてんなら、テメェがやることは決まってんだろ。テメェが、あの刀よりも斬れる『武器』になれ。口先だけなら何とでも言える。頭ん中だけなら何とでも考えられる。だから行動で示せよ、マルティナ=バルツァー」

 マルティナは、珠代の言葉を咀嚼するように口答えをせずに視線を落とす。

「そろそろ、悪魔の領地の全容が見えてきたでござるよ」

 すでに清六たちは、浮遊する大地よりも高い位置まで上昇していた。高所から地理を把握するためだ。

 地上から切り離されたとは思えないほどの緑に溢れ、ときおり動物の姿も確認できた。

 とてもではないが、悪魔が巣くう土地とは思えない。

「あそこに家があるでござるな……」

 生い茂る木々の隙間から、木造の民家がポツポツと見える。

 ひとまず清六たちは高度を下げ、集落に向かうことにした。

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