急:騎士の選択

 アンナの体がふらりと傾いた瞬間、一人の男が素早く抱き留め、転倒を防いだ。

 男の片手には剣。その剣で、飛びかかる悪魔を切り払った。

「アンナ=ストレームを保護した! みな、後退しろ! 港まで後退しつつ、悪魔どもの数を減らせ! 英国の栄光を見せつけろ!」

 男――タリス=オールドリッジは、残された英国騎士たちを引き連れ、広場から撤退する。

 タリスは混成部隊に参加せず、残された人々を護るために残留した。転移魔術の完了後、アンナの生還を手助けすることが、タリスの担った任務だった。

 意識を失っているアンナを片腕で抱える。その拍子に魔道書が彼女の手から滑り落ちるものの、拾い上げる余裕などなかった。

 飛来する敵を前に、隊列など意味を成さない。今の状況で己を護るのは、自分の力だけ。

 周囲で戦う騎士たちは、自分を護ることで手一杯となっている。これではアンナを生かすどころか、誰一人として生還は困難だった。

 ――やはり無理ですね。

 荷物を抱えていては逃げられない。

 見捨てるべきだ。アンナ自身も、それを覚悟している。

 タリスの実力ならば、逃げることだけに集中すれば生き残れるだろう。

「団長……! 無理ですよ! こんなの……勝てるわけがない! 生き残れるわけがないんですよぉ!」

 団員の一人が泣きついてくる。若く剣術に長けた優秀な騎士だったが、その団員は完全に戦意を喪失していた。

「邪魔だ!!」

 剣を捨てて近づいてきた団員を、タリスは容赦なく斬り捨てた。

「英国騎士の恥さらしめ……!」

 騎士の剣は、忠義の証。それを自らの意思で放り棄てた上に、強者であるタリスに護って貰おうと擦り寄ることは、騎士道から外れた『人でなし』だ。騎士は弱者を護るために在る。弱者に成り下がろうとする騎士を護る道理はない。

 悲痛な表情で死に絶える団員を捨て置き、アンナを抱きしめる腕に力を入れる。

 アンナは最後まで泣き言を口にしなかった。詠唱に神経を磨り減らし、意識を失う直前で残した言葉は、

「この世界に、人類の勝利を……ですか」

 未来を信じる者の願いだった。

 転移魔術が成功したかは分からない。それでも、彼女の意思に迷いはなかった。

 ――僕は何をしているんでしょうか。

 誇りを棄てた騎士を斬り殺しながら、自分だけは生き残ろうと考えている。

 先ほどの団員を殺した理由は、不義理だけではない。荷物を増やしたくなかったからだ。

 いざ、アンナを放って自分だけが生き残ろうとすれば、あの団員は必死にしがみついてくるだろう。共倒れになってしまう前に、捨て置く方が賢い。そのような打算を、心のどこかで画策していた。

 自分はすべてを諦めているのだ。英国のために行ってきたことのすべてが失敗した。

 すでに国を救う方法は失われてしまっている。今のタリスがどう足掻こうと、国を救うことには繋がらない。今の彼の腕には、たった一人の魔女しか残されていないのだから。

「ならば――騎士として、生きるのみです」

 真上から強襲してくる悪魔を斬り落とす。地に倒れる悪魔の頭を踏みつぶし、次なる悪魔に刃を向けた。

「騎士たちよ、集まれ! 我らが目的は、弱き者を護ること! 今、我らが目的は、アンナ=ストレームを守り抜くこと! 皆の命、騎士として散ってみせよ!」

 散り散りになりかけていた騎士たちを呼び戻し、その中の一人にアンナを預けた。

「殿は僕が担う! 倒れた者に栄誉を与えよ! 生き抜く者に使命を与えよ!! 進め!」

 騎士たちは一丸となって悪魔を払いのける。

 道のりは長い。士気が一時的に上がったものの、脱落者は次々と増えていく。

 騎士たちの足は止まらない。

 槍を捌き、魔術を防ぎ、悪魔の頭を砕く。

「団長、港が見えてきました!」

「気を緩めるな!」

 いつ、誰が死んでもおかしくはない。

 空から一方的に攻め入る悪魔たちの猛攻を凌ぎ続ける。

「団長……な、なんですか……あれは……!?」

 転機は突然起こった。

 上空の群れに異変が起こる。暗幕の空に、ぽっかりと大穴が空いた。

 青々とした空から日差しが降り注ぎ、一つの影を作った。

「落ちてくるぞ! 止まれ!!」

 影の正体は、巨大な悪魔だった。

 大型悪魔はタリスたちの行く手を阻むように着地する。レンガ造りの道は砕かれ、嵐のような強風が吹き荒れる。

「ギィイイイイイイ!! オデ!! オナカ、スイタ!!」

 その姿は醜かった。立ち並ぶ家々と同じくらいの背丈。巨体の四肢は短く、でっぷりと肥えた腹にはいくつもの吹き出物が点在する。その手には、岩を削って作られた巨剣が握りしめられていた。

 巨剣が振り上げられる。

 大木かと見違うほどの巨剣は、切り裂くためではなく、叩き潰すためにあった。

「ニク!! ヤワラカク!! タタク!!」

 天井が落ちてくるような感覚に陥る。

「神よ、女王を守り給え……!」

 タリスは前に出た。

「我が剣に多大なる加護を!!」

 枝のような剣を振りかざし、巨剣を真っ正面から受け止める。

 刃がぶつかり合い、大砲が撃ち出されるような轟音が響いた。

 押し潰そうと重くのしかかる巨剣。

 タリスは、自分に与えられていた加護のすべてを消費し、全身全霊を以て応じた。

「うおぁあああああああああああああああああああああ!!」

 神聖なる加護で強化された剣は、巨剣を弾き返す。

「オオ!?」

 大型悪魔はよろめき、バランスを崩した。十匹ほどの悪魔を巻き込み、仰向けに倒れていった。

 煙が上がり、周囲の視界が悪くなる。

「はぁ……はぁ……!」

 たった一撃受け止めただけで、タリスの体は悲鳴を上げていた。右肩は脱臼し、両足は立つことで精一杯だった。

 タリスは剣を左に持ち替え、その切っ先を正面に向ける。

「今だ! 進め!」

 部下たちに命令を下した。アンナを抱えた騎士たちは、大型悪魔の脇を抜け、港へと進む。

 しかしタリスの足は、もう動かなかった。死力を振り絞り、襲いかかる悪魔たちを払いのける。

 一本の槍が腹を貫く。

「ぐっ……!」

 そのまま押し倒され、俯せとなるタリス。

 もう剣を振るえない。それでも、その手は誇りを手放さなかった。

 頬を擦らせるように顔を上げ、アンナの安否を見届ける。

 騎士達が止まることはない。

「人類に、勝利……あれ……」

 大型悪魔によって、その視界は閉ざされた。


+++


 悪魔の本拠地を目前に、混成部隊は足止めを食らっていた。

 手が届かない空に浮かぶ大地。誰もがゴールを目前としていながら見上げることしか出来ず、絶望の渦中に取り残されていた。

 そして混成部隊に更なる困難が降りかかる。

 天空の大地から大小様々な悪魔が断続的に降下し、じわりじわりと戦力が削られていく。

 奇襲は、もはや持久戦に変わりつつあった。

「壊滅です……! 戦術歩兵部隊六割が戦闘不能! 残された戦力は、歩兵部隊と戦術錬金術部隊は四割、魔女は五、エクソシスト二割! ニホン帝国軍は六割です! 私たちは、どうすればいいのでしょうか、総長!!」

 エクソシストの部下が、涙と鼻水をダラダラと流しながら悲鳴のような声を上げる。

「先ず! 泣いてんじゃねぇ! 次は、目の前の悪魔をぶっ殺せ!!」

 総長ことギートは、大型悪魔が振り下ろしてくる戦斧を、拳一本で砕く。続けざまに戦斧の破片を掴み取り、投擲。一直線に放たれた破片は、大型悪魔の喉を切り裂いた。

「高見の見物してんじゃねぇぞ、クソ悪魔ァ! 降りてきやがれ!!」

 ソフィアがいる大地に向かって叫ぶが、返ってくるのは無尽蔵に降下してくる悪魔だった。

 ギートは奥歯をかみしめ、拳を振るう。

 その視界の脇で、ニホン軍人の一人が、わたわたと慌てながら逃げている。二匹の悪魔に追いかけ回され、完全に遊ばれている様子だった。

「ったく、神風特攻の言い出しっぺが、情けねぇ……」

 ギートが助太刀をしようと姿勢を作った瞬間、そのニホン軍人は“魔術”を使って、悪魔を焼き払った。

「……なっ!?」

 大ニホン帝国軍に、魔術は使えないはず。

 半ば混乱しながらギートは、一息吐いているニホン軍人を後ろから引っ張った。

 軍帽に隠してあった顔が露わになる。目の色、毛髪、鼻の高さ、輪郭……どれを取っても、東洋人の顔つきではない。そして何より――

「おめぇ……ルシアの友達の堅物女!? ニホン軍人の恰好して何やってんだ!!」

 ルシアの友人、マルティナ=バルツァーだった。

「ッ!? ルシアの……叔父様!? あなたがどうしてここに!?」

「あぁ!? それはこっちの台詞だ! ……チッ! 今は説明は後だ! 死んでも、俺から離れんじゃねぇぞ!」

 上空から接近してくる悪魔に拳を向ける。しかし、こちらの拳が届くよりも先に、悪魔は魔術の火炎弾を食らい、火達磨となった。

「ルシアの叔父様、余計な配慮は無用です。今の私は大ニホン帝国軍の軍人ですので、自分の身は自分で守ります」

「あぁん?」

 ギートは顔を顰めて、マルティナを睨む。

 ――状況が、呑み込めねぇ。

 いちいち話をしている時間なんてない。

 自分が納得できる言葉を受け入れるには、時間がかかると判断したギートは懐から聖水が入った小瓶を取り出す。そのまま何の躊躇いもなく、マルティナの頭から聖水を被せた。

「ひゃ……つめたっ! な、何をするのですか!?」

「そうか、そうか。そりゃあ、良かったな」

「良くありません!」

「良いんだよ」

 マルティナに化けた悪魔ならば、聖水を浴びて灰と化していた。最悪の可能性を潰したところで、ギートは些末な疑問を棄てて、状況の把握を優先した。

「おい、あの落ち着きのねぇヤツもいんのか?」

「はぐれてしまいましたが、ジネットもここに居ます」

「ったく、よりにもよってなんでこんなところに……!」

 面倒事が増え、絶体絶命の状況に追い打ちをかけらている。

 優先すべきはマルティナたちの保護だが、帰り道のない戦場で聖域は存在しない。

「私たちは伯父様と同じ考えで、ここまで来ました」

「あん?」

「ルシアを助けるためです」

「おめぇら、そのためだけに、こんな地獄に来たってのかよ?」

「地獄に来る理由が、他にありますか?」

 曇りのない瞳がこちらを映し出す。瞳の奥には、まっすぐな想いが潜んでいる。それは純真とよく似ていていながら、最も狂気に近い感情だ。

 暴走した感情が、常軌を逸脱し、判断を誤らせている。これならば、まだ悪魔に操られている方がまともに思えた。

 何がそこまで彼女を駆り立てるのか。ギートには、すでに見当が付いている。

 だが、一つだけ確かめたいことがあった。

「なあ、おめぇよ……ルシアが好きか?」

「もちろん」

 何の躊躇もない返事に、確信する。

 ――兄貴と同じ返事しやがった。

「愛されてんなぁ、俺の姪は」

 ギートは、この地で散った兄を思い出しす。

 忌み嫌われる魔女と婚約すると言い出した兄は、親の反対を押し切り、家を出た。結婚をしても、その幸せを噛みしめる時間は、ほんの一瞬だけだ。子供が生まれて数年もしない内に、兄は妻と共に結界の向こう側に消えていった。

 そうなることを知っていて尚、兄は愛する人と共に生きたいと考えていた。

 ここにいる少女もそうなのだろう。

 正気を失わせるのは、誰かを愛する気持ちだ。そこに正しいも間違いもない。

「さて、堅物女、これからなんだが……」

 兄の思い出を振り払い、ギートはマルティナを直視する。そこで、ようやくマルティナが持っている長物に気付いた。

 風呂敷と竹刀袋に包まれている、それ。ギートの想像が正しいのなら、それは暗闇を照らす光となる。

「おい、まさかそれは――」

 ギートの言葉は、突然の異変に遮られた。

「なんですか、あれ……? 光の柱……?」

 離れた地で、一筋の光が天を突き刺す。

 光の柱は膨大な輝きを放ち、薄暗かった世界を照らした。

 正体不明の光の柱。不思議と恐怖を感じることはなかった。初めて見る不可思議な光景に、謂われのない安心感がある。

 何が起こっているのか、ギートには分からない。だが、この現象は人が成せる奇跡の範疇を超越していることだけは理解できた。

「なんだ、神でも降りてきたのか?」

 それは――さながら天恵と言うに相応しい。

 行く先にあるのは、栄光か破滅か。

 ギートはマルティナの手を引いて、光へと向かった。

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