第1章 王都編 第1話(4)

「た、大変だあ!」

 南街区の方から男が一人、切迫した様子で息を切らして走ってきたのを三人は見た。ただならないその様相に三人は警戒を覚える。

「そこの方、待ってください! どうしました?」

 ルベールが少し強めの声で男を呼び止めた。男はそれに気付いて足を止め、乱れた息を整えもせずに、縋り付くように三人を見た。

「あ、あんたら、ギルドの人間か? 大変なんだ、なんとかしてくれ!」

「落ち着いてください。何があったんですか?」

 厳しい目をして問うルベールに、男は今にも恐慌に陥りそうな声で話した。

「セフィラス婆さんの店にごろつきが押し入って、店を荒らしてる! 婆さんがまだ店の中に…!」

「え…!」

 その言葉に、クランツとセリナの表情が強張る。ルベールは咄嗟とっさに状況を判断し、男に話しかけた。

「わかりました。僕らは現場に向かいます。手間を取らせますが、あなたはこのまま本部に行ってくれますか。状況を説明してくれると助かります」

「あ、ああ、わかった。店に入ってきた奴らは武器を持ってる。気をつけてくれよ!」

 男は逸る気持ちを抱えながらそう言い残して、慌ただしく詰所の方に向かって走って行った。それを見送るのもそこそこに、ルベールがクランツとセリナに言う。

「セフィラスお婆さんの道具屋は南街区だ。急ごう、二人とも!」

「うん!」

「わ、わかった!」

 ルベールの指示にセリナとクランツは従い、三人はにわかに騒がしくなり始めた街路を走り出した。

「お婆ちゃん…!」

 全速で現場に向かいながら、セリナが逸る気持ちを口にする。他方ではルベールも、

「まさか、こんな白昼に傷害事件なんて…いったいどこの向こう見ずだ」

「ルベール…」

 ルベールが憤ると共に現状での推測を呟くのを、並走するクランツは聞いた。

「あのお婆さんが個人的に恨みを買うようなことをしていたとは思えない。とすれば、犯行は私怨の関係しない、お婆さんの持つお金か物品狙いか…あるいは、何か別の…」

 そこで言葉を止めたルベールに、クランツは続きが気になって訊き直した。

「別のって…何だよ?」

「いや、今はそれを言っても仕方がない。とにかく今は現場に急ごう。検証はその後だ」

 ルベールは考えを最後まで話さず、足を速めた。クランツとセリナもそれに追従する。

 5分も走らないうちに、三人は南街区の中程にあるセフィラスの道具店に到着した。

 そこは既に惨状を呈していた。ガラス張りの店の扉とショーウィンドウが破砕され、破片が散乱する街路には南街区の巡回を担当していたらしき自警団実働班のメンバー二人と店の従業員の男が傷を負い、血を流して倒れていた。それを、黒い金属製の武器を手にした四人の無頼漢のような風体の男達が足蹴にして遊んでいた。

「スウェインさん!」

「待つんだ、セリナ! 迂闊うかつに飛び込んじゃダメだ…!」

 従業員の男性の名を呼び駆け寄ろうとしたセリナを腕で制しながら、ルベールは状況を観察・把握する。

 自警団の面々にも得意分野や実力の個人差はあるが、こと巡回を担当する実働班は実地の危険に対応する部署だ。巡回中とはいえ、いざという時に対処する心構えも訓練も積んでいる。今店先で倒れている二人もそうだ。決して生半な覚悟や実力の者ではない。その実働班の二人が、何のことはないはずのごろつきに倒されている。

 どうやら、非常事態のようだった。

「ああ? 何かと思ったらガキかぁ。るっせーなぁ、殺しちまうぞォ?」

 ルベールが状況を整理していたその間に、セリナの上げた声に気が付いたのか、店の中からガラス片を砕きながらさらに三人の男がぬぅと姿を現した。揃いの黒いジャケットを羽織り、無頼な風体をしている。その場のおなじ風体の皆、むき出しの悪意を漂わせていた。

「おい、ゼル。あんまり無闇に人を殺すなよ。目立ちすぎると後が面倒だ」

「はぁ? 今更、別にいいんじゃねえの。これさえあれば俺らは無敵じゃん?」

「ん? おいティーズ、あいつら…」

 脇に控えた大男の声に、ゼルというらしき男をたしなめたティーズと呼ばれた男が振り向き、刃物のような目で三人を一瞥いちべつする。ルベールが前に立ち、クランツとセリナも気勢を立て直して、店を荒らした無頼漢の集団に向かい合った。

「王都自警団の者です。聖王国法特別規約・自警団協会規約に基づき、器物損壊・強盗・傷害等の現行犯で貴方達を逮捕します」

 ルベールが、盾と剣と天央の円環を象った自警団の紋章を刻まれた胸元のバッジを指し、代表して口上を述べた。無頼漢達はそれに白んだような嘲りの顔を見せる。

「あぁ? 何だ、またギルドの犬かよ。目障りだ、やっぱ殺してやろっかァ?」

「おいティーズ、どうする?」

「そうだな…あいつからの指示は片付いたが、正直暴れ足りなかったしな」

 ティーズは鈍色の指輪を嵌めた手を顎に当てて一瞬考え込むふうにしたが、やがて闘争本能を剥き出しにした獣のように獰猛どうもうに笑うと、周囲にいた同志を焚きつけた。

「事を起こした時点でどの道同じだ。やるぞ、お前ら。せいぜい派手に暴れな!」

「おおっ、やっちゃってオッケーって感じかァ!? 最高だぜ、行くぞテメェら! 血祭りだぁ!」

「ちっ、やるしかねぇってか…わかったよ、やってやるよ、もう!」

 ティーズの飛ばしたげきを受け、黒紫色の猟銃を手にした細身の男ゼルと、二本の黒いトンファーを手に持った大男ディング、その他四人の無頼漢達が、獰猛な表情を浮かべながら鈍く光る武器を構え、ティーズの周りに群れるように集まった。

「何よ、こいつら…よくもセフィラスお婆ちゃんを!」

「外周区のチーム『ラーベ』…何をしているんだ…!」

 臨戦態勢と見て、ルベールとセリナがそれぞれに肩を怒らせながら戦闘態勢に入る。その後ろにありながら、クランツは危険な予感が背筋を走るのを感じていた。

 あの男達が手にしている得物えものは、普通の金属が持つ光沢ではない。日常的に似たものを見慣れているからわかる。あれは魔導金属でできた武器だ。何の能力が付与されているのかはわからなかったが、その毒々しく揺らめく光沢は心穏やかならないものを思わせた。同時に、それを手にしている無頼漢達も皆、それに呼応するかのような危険な雰囲気を漂わせていた。

 自警団のメンバーは常時、各自専用のものの他に、各種出動業務の際に標準装備となる携行用の魔道具を携帯している。大抵の業務やトラブルに対応できるものではあるが、巡回中に携帯するものは今回のように本格的な制圧戦闘を想定したものではない。まして今、現場には負傷した実働班の仲間が倒れている。つまりその二人では制圧しきれなかったということだ。のっぴきならない状況とはいえ、果たして今の自分達で、いや、今の自分で立ち向かえるかどうか、クランツには自信がなかった。

 と、ルベールがチラと後ろのクランツに目を遣り、小声で合図を送った。

「(クランツ、詰所に連絡をしておいて)」

「(えっ?)」

 小声で指示を送ってきたルベールの言葉に、クランツは一瞬耳を疑った。彼が指示したそれは、実質最終手段のようなものだったからだ。早くも切り札を切るという選択に、クランツは一瞬戸惑った。しかし、ルベールは既に抜き差しならない状況であることを見切っていた。

「(こいつらは、僕らだけじゃ危険かもしれない。いざという時は、僕らが時間を稼いでいる間に応援を呼ぶんだ。早く!)」

「…!」

 ルベールの判断が本気であることを理解したクランツは、急いで腰に付けていた道具携行用のポーチの中を探り出した。その様子が、黒い集団の一人、ゼルの凶気の目に留まる。

「おお、何してくれちゃってんだァ? ま、何でもいいやぁ、死んどけ!」

 ゼルが狂気の昂りと共に毒々しく光る銃身をクランツに向けようとするその刹那に、

「させない!」

 ルベールが腰のホルスターから二丁の角張った造りの翡翠色の拳銃を素早く引き抜き、ためらいなく発砲した。破裂にも似た炸裂音が響き、着弾したゼルの細身に衝撃が走る。

「うぉッ!?」「やあッ!」

 ゼル達が怯んだその隙に、セリナが勢いよく男達に向かって踏み込んだ。靴に装着してある拍車型の魔道具が彼女の前進の意志に呼応し起動して跳躍力を強化、爆発的な加速を得て一瞬で距離を詰め、危険度が高いと判断したゼルの銃を前蹴りで勢いよく蹴り飛ばした。黒紫の銃身が宙を舞う間に、セリナはそのまま勢いに任せて力強く踏み込み、ゼルの顔面を渾身の力で思い切り殴り飛ばした。

「ぐうッ!?」

「ヤロオッ!」「やっちまえ!」

 その一撃が引き金となり、戦況が一気に動き出した。男達が突出してきたセリナを取り囲もうとするが、

「あんたらなんかにやられますかってぇ、のッ!」

 セリナは小さくも力強い体躯を躍動させ、地を蹴り空を跳ね躍るように強烈な拳打を近寄ろうとする男達に見舞っていく。さらに着地するセリナに躍りかかろうとする男達に、その隙をカバーするようにルベールの銃から放たれる空気の銃弾が浴びせられる。

 彼の持つ翡翠色の二丁拳銃は風の力を記憶させた魔導金属でできたもので、空気を圧縮した弾丸を撃ち出せる。圧縮の度合いは自分の意思で調整することができ、威力を加減すれば当たっても死なせることはない。戦闘の際にも相手を殺すことなく無力化して取り押さえるための融通が利く、力加減のできる武器である。

「痛ってぇ!」「ぐおあっ!」「があっ、目が…!」

 精密かつ素早く容赦のないルベールの援護射撃に、男達が次々に動きを止められる。群れが乱れ、空いた隙に地に転がったゼルの銃を回収しようと駆け寄ったセリナの前に、黒く光る槍を持った一人の男が立ち塞がった。

「少々おいたが過ぎるなぁ、お嬢ちゃん」

「ッ!」

 凄みを利かせた這いずる蛇のような声とともに、ティーズの手にしていた妖しい光を宿した刃が振り抜かれ、咄嗟とっさに後ろに飛び退いたセリナの脇腹を掠めた。一瞬遅かったら胴体ごと裂かれていただろうことに、後退したセリナは背筋が凍るような思いと共に微かに安堵しかけた。その様を眺めながら、ティーズが興気に言った。

「ち…かすっただけか。だが、こいつはそれだけじゃ収まらないぜ」

「な、ッ…!?」

 その言葉と同時、突如としてセリナの体に異変が生じた。薬でも盛られたように頭がくらつき、足がふらつき、体勢が整わない。

「なに、これッ…頭が、クラクラするっ…」

「セリナ! っく!?」

 セリナの異変を察知したルベールがティーズに銃を向けようとするが、その横から黒いトンファーの重い一撃が殺到した。ルベールは反射的に身を屈め、間一髪で直撃を避ける。ルベールが体勢を整え顔を上げた目の先には、黒いトンファーを構えた大男ディングが肩を怒らせ、セリナとの間を遮るようにルベールの前に立ち塞がっていた。

「よそ見をしてるヒマはないぜ。さっきはよくもやってくれたなあ」

「くっ…」

 凄むディングの前、困難を増してきた状況に、ルベールのまなじりが険しくなる。

 セリナはルベールの援護に回ろうとするが、体のふらつきに加えてティーズの間合いに牽制けんせいされて迂闊うかつに距離を取れない。さらにゼルを始め怯んでいた男達が体勢を立て直し、ふらつきながらも再び臨戦に入ろうとしていた。

「っ痛ェ、やりやがったなこのォ…おい、ティーズ! やっちまおうぜコラァ!」

「そうだな。どうせこうして事を構えた時点で、俺達は国に喧嘩を売ったも同然だ」

 激昂げっこうするゼルに応えるように、ティーズは紫黒に光る毒針のような槍を小脇に抱えるように構え、焦りを見せ始めたセリナ達を睥睨へいげいしながら不敵に笑った。

「なら、少々暴れてってもバチは当たらねえよな。いいぜお前ら。好きなようにやりな」

 獰猛な凶気を浮かべた表情に、後方で動けずにいたクランツは背筋が寒くなった。

 直後、不気味な笑い声を漏らすと共に、男達の挙動が変わった。まるで制御装置リミッターを外したかのように動きに一切の遠慮がなくなり、武器を振るう動きがより暴力的な切れを増して、まるで本能に従う獣のように、縦横無尽に襲いかかってくる。

「な、何よこいつら、急に…!」

「くっ…何だ、このスピードは?」

 突如として本性を現したような男達の動きに、セリナとルベールは一転して翻弄ほんろうされることになった。

 おそらく、この突然の変化に先の二人は不意を突かれたのだろう。それを特記事項として記憶しながら、ルベールは囲まれないようにどうにか立ち回り続けた。だが、足元が不安定になっていたセリナは、その包囲を逃れることができなかった。

 暴威の外にいたクランツは、詰所に応援を呼ぼうとする中、無視できない光景を目にした。

 三人の男達が足元を掬われたセリナを組み伏せ、抵抗を押さえつけて服に手をかけようとしていた。彼女を襲おうとするその眼は、獰猛で下衆な嗜虐心にぎらついていた。

「や、っ、何すんのよ、やめなさいッ!」

「セリナ!」

 背筋に走った悪寒と胸に湧き上がった憤怒に衝き動かされたクランツは何もかもを忘れて猛然と走り、勢いのままセリナを襲う男に突撃をかました。不意打ちをくらった男は地面に転がされ、寸での所でセリナは服を裂かれるのを免れた。

「セリナ、大丈夫?」

「あ…うん。ありがとクランツ。助かったわ」

 セリナの腕を掴み、体を起こしたセリナを後ろに下げる。間一髪でセリナを救えたことにクランツは安堵したが、依然楽観はできない状況だった。

 敵は皆凶悪な戦意をたかぶらせている。加えてその手には身体異常を引き起こす魔導金属製の武器。さらにセリナとルベールも手負いの上に連携を絶たれ数に囲まれ、劣勢に立たされている。店の中にいるはずのセフィラスの安否もわからない。このままでは危険だった。

 危機を悟ったクランツは、急いでポーチの中から小さな銅色の金属製の円盤を取り出すと、その中心に埋め込まれた小さな銀色の魔石に思念を送り込んで回路を起動した。声を伝えるその魔道具の中心に光る媒体に向けて、クランツは切迫した声を送る。

「団長、緊急事態です! 加勢を、ッぐ!?」

 救援を呼ぼうとしたそれを目にしていたティーズが一瞬の挙動で接近、クランツを蹴り飛ばした。通信機がクランツの手を離れて地に転がる中、地を転がされた衝撃に意識が朦朧もうろうとするクランツに、近づいていたティーズが断頭台のように刃を向けた。

「ふん、ガキ共が。俺らに手を出そうとした罰だ。死ね」

 残忍な声と共に、ティーズの刃がクランツに向けて振るわれようとする。

「「クランツ!」」

 ルベールとセリナが同時に叫ぶが、昏倒寸前のクランツにはなすすべもなかった。

(や、られる…!)

 鋭い毒針の一刺しが迫る中、クランツは全身に走る死の痛みの予感に身を強張らせた。その全身を突き抜けるだろう痛みの想像に耐え切れず、目を閉じたクランツの脳裏には、


 ああ…死ぬ前にもう一度、彼女クラウディアの顔が見たかった…


 ギィンッ!


 金属がぶつかる鋭い音がクランツの耳を撃ち、火花のような香りが風となって吹き抜けた。

 痛みは、ない。どうやらまだ死んではいないらしい。いや、それどころか、塞がれている目の前に濃密な熱を感じる。これは。

 クランツは恐る恐る、畏怖にも似た期待と共に目を開けた。そしてそこに、図らずも望んだ通りのものを見た。

 自分を守るように眼前に背中を晒す、凛と立つ鮮やかな勇姿。

 そこにいたのは、炎髪をなびかせる、クラウディア・ローナライトその人だった。

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