第1章 王都編 第1話(2)

 アスレリア聖王暦1246年。

 聖人王アスレリアにより建国され、天央の女神センティアの加護を受けるグランヴァルト聖王国は、かねてからの仇敵・隣国カルディオーレ帝国との緊張状態の渦中にあった。

 古くから様々な理由の元に争いの絶えなかった二国だが、現在に至る事の大きくなった発端は、今から12年前、とある鉱物が王国のとある鉱場から発掘されたことにある。その鉱物は絶対的な硬度と比類のない軽さ、そして多彩な色を有した金属で、さらに扱う者の意思を伝達させることができるという不思議な特性を有していることがその後の研究により明らかになった。

 この新しく発見された物質マテリアルは研究を進められるに連れ様々な可能性を見出され、世界に科学的な変革をもたらしうる一石と噂された。この物質は、女神の寵愛を受けた聖王の名を冠して聖王鉱アスレリウムと名付けられ、実用化のための研究が進められた。そして、この新物質が王国に新たな力をもたらしうることを知るや、仇敵たるカルディオーレ帝国が再び王国侵攻の口実を掴んだのである。

 アスレリウムの産出される鉱山は現在の所王国内の鉱場以外には発見されておらず、その利権も当然王国にしか存在しなかった。かねてから王国とのせめぎ合いを続けていたカルディオーレ帝国は、王国の進める研究により明らかになったこの革新的な物質の存在を帝国への脅威と見なし、この突然発見された未知の力を王国に独り占めさせるわけにはいかない、というのを建前に、脅威となる王国を牽制せんという口実で、王国に戦争を仕掛けてきたのである。王国はアスレリウムを材料に帝国と交渉することも考えていたが、本来の思惑が別にあった帝国側はその話を宙吊りのままにし、王国をじりじりと追い詰める目算だった。

 後に語り継がれる「神晶戦役」と呼ばれる時代の始まりであった。

 国風でもある豊富な物量と軍事力に優れる帝国の攻勢の前に、王国は最初の内は苦戦を強いられていた。しかし、随一の国力でもある科学力によりアスレリウムの研究を急速に進めた結果、その成果を軍事応用することによって、王国は帝国を相手にしても引けを取らないほどの強力な力を手に入れた。

 王国は、アスレリウムの特性に対し、極めて相性の良い力を元から有していたのである。

 その力とは、魔力。王国の影に住まってきたと言われる「魔女」の血筋が有する、使役する者の意思によって様態を様々に変化させられる超自然的な生体エネルギーだった。

 人の意思を伝達させる「通念特性」を持つアスレリウムは、魔力と、その行使による現象である「魔術」の情報–「魔法」を記憶させることができる「記憶特性」を持つ鉱物、王国に古くから存在していた魔力を宿す「魔石」こと魔導鉱センティウムと組み合わせることで、それまで不可能だった人間の意思による魔力の使用を可能にすることができたのである。この二つの特性の相性を利用し、心ある魔女達の協力を得て研究開発を進めた結果、王国は二つを融合させた新たな物質、魔法を記憶させた金属「魔導金属アルタメタル」の開発と、その兵器化に成功した。

 魔導金属を用いた兵器により王国は魔術を兵力として扱えるようになり、この技術開発によって王国はどうにか体勢を立て直し、やがて優勢だった帝国と対等に肩を並べるまでになった。しかしそうかといって帝国がすぐに手を引くわけでもなく、聖王暦1246年現在では両陣営共にお互いの出方を窺う慎重な膠着状態が続いている。

 そして同時にこの新技術の開発は、王国内にも大きな変化をもたらした。魔導金属の研究は王国に魔力と技術の融合を可能にし、民間の生活にも恩恵をもたらしたのである。

 火の熱を記憶した加熱器具、水の魔力を利用した製水装置、風や雷の力を記憶した動力機械、薬草や大地の力を記憶させた治療用具など、様々な特性を付与できる魔導金属は、王国の技術力と相まって様々な形と用途に応用発展し、国民の生活を豊かにしていた。俗に言う「魔導革命」である。


 革新的新発見の恩恵をいち早く取り入れ、目覚ましい発展を見せるグランヴァルト聖王国。

 しかし、その裏で王国は、一つの問題を密かに深刻化させることになっていた。

 王国の発展と危機回避に長きに渡って貢献しながら、その特異性ゆえに永年異端視されてきた者達。

 すなわち、魔女の存在と、その扱いを巡る問題である。



「はぁ…」

 憧れの彼女の前で無様をさらした翌日。

 朝の訓練を終えたクランツはひとり、王都自警団詰所の大部屋の隅のテーブルに頭を伏せ、重い溜め息を吐いていた。

 訓練を終えた後の体の疲れなど、心に取り憑いた自分への悔しさに比べれば物の数にも入らない。ちなみに今日の訓練では昨日の反省もあってドジを踏まないよう十分に集中したため何事もなかった(さすがにあんな目を二日続けて繰り返すほど彼も浅はかではない)が、昨日のことを思い出してしまうと途端に胸が重くなってしまう。

 彼女の目の前でカッコ悪い所を見せてしまったというのは、小さなことでもその事実だけでクランツにとって一生の汚点に値する。だが同時に、怪我をした自分の目の前に来たクラウディアの凛々しくも深い優しさを映す美顔を思い出して口元を緩めてしまうあたり、

「その様子なら心配なさそうだね、どうやら」

 天前(深夜0時から昼12時まで)の巡回の準備を終えてメンバーとの集合のために大部屋に来たルベールは、クランツのそんな一喜一憂の様を評して、呆れ混じりに苦笑していた。

「ルベール」

「やあ、おはようクランツ。そろそろ巡回に出る時間だよ。準備は大丈夫かい?」

「ああ、大丈夫だよ」

 言われて持ち物を確認してから、クランツはルベールと同じく巡回を共に行うもう一人の勝手知ったる昔馴染みのパートナーの姿を目で探した。

「セリナは…まだ来てないのか」

「今は朝のシャワーでも浴びて着替えてるんじゃないかな。じきに来ると思うけど」

(シャワー…着替え…)

 ルベールが何気なく口にした言葉に、クランツの頭の中に湯場の霧が広がる。濛々もうもうとした白い湯煙の奥に見え隠れするその姿が、頭の中で徐々に鮮明になっていく。

 水に濡れる白く引き締まった背中にしなだれる、流れるような真紅の炎髪。湯の珠を弾くきめの細かい肌は湯水の熱に火照り、薄い紅色に色づいている。つんと張った胸の二房。彫像のような滑らかな背中。水の流れ落ちるすらりと伸びる脚…。

 戦乙女の如き、勇壮にして美麗なる真紅の乙女・クラウディアが、クランツの頭の中に広がる湯煙の奥、流麗にその肢体を惜しげなく水に濡らしている。それは、想像にすらも現実味を帯びさせるほどの、彼女の圧倒的な存在感のある美しさだった。

 ちなみに、クランツは実際にその光景を目にしたことはまだない。見たこともない光景をここまでリアルに感覚レベルで頭の中に再現できるクランツの妄想力こそ、あるいは恐るべきものなのかもしれない。

 たった一言から憧れの彼女の濡れた裸身を十分すぎるほどに想像し、クランツは思わず身震いした。それを見たルベールが軽く茶々を入れる。

「何を想像しているのかな、クランツ?」

「っ…関係ないだろ、おまえには」

「へえ、そうかい?」

「おっ待たせー」

 クランツの内心を見透かしていたルベールが軽く答えたちょうどそこに、支度を整えたセリナがひょっこりと姿を現した。袖のない革製の胸覆いにショートパンツという夏場の軽装の隙間から見え隠れする健康的な小麦色の肌に、小柄ながら引き締まった肢体の軽快な動きに合わせて、明るい胡桃くるみ色のショートヘアがひょこひょこと揺れている。

 セリナは現れるなり、クランツの様子がどこかたどたどしいのを見て取った。

「ん、どうしたのクランツ? なんかまた思いつめたような顔してるけど」

「べ、別に。何でもないよ」

 まずいと思いごまかそうとするクランツ。そこに狙いすましたようにルベールが言った。

「裸でシャワーを浴びているところを妄想していたみたいだよ。相当ニヤついてたね」

「なッ…!?」

「おい、ルベール!」

 わざと主語を省いたルベールの計略にも気付かず、セリナはわなわなと怒気を滾らせてクランツに迫る。

「あんた、まさかあたしでそんな妄想してたなんて…最低! スケベ!バカクランツ!」

「い、いや、違うよ! セリナの裸なんて想像してないって! 天命に誓える!」

 精一杯の誠意を示したつもりのクランツのその言い訳は、三つの意味で致命的だった。セリナの裸なんて想像してない=セリナはそういう意識の中にない=セリナ以外の誰かの裸を想像していた、という解釈。

 ごん、とクランツはセリナから脳天に手痛い拳骨を喰らった。変な所で正直なのがクランツの痛い所でもあった。

「痛いよセリナ…何で今ので僕を殴るのさ」

「別に。あんたのスケベに対する誅罰ちゅうばつよ」

「ほら、そろそろ行くよ二人とも」

 揉めていたクランツとセリナの二人を、受付で巡回表に出発のサインを書き付けていたルベールが促した。その言葉に、クランツとセリナはそれぞれに渋々と従う。

「あんた、憶えてなさいよ。あたしだって一応女だってのに…まったく…」

「ルベール、憶えてろよ」

「何の話かな? さ、ほら二人とも元気出して。仕事だよ」

 からかいが思いのほか上手くいって愉快げなルベールが、任務へと二人を促す。クランツとセリナもそれぞれにモヤモヤはありつつもそれにならい、気分を切り替えた。



 クランツ達の所属するグランヴァルト聖王国自警団協会(ガーディアンギルド)は、各地の有志によって組織され、各地の市民街を警備し民間の問題を依頼形式で解決することによって王国内の治安維持に寄与する、王国政府公認の民間警察団体である。今から9年前、軍による王国内各地の治安維持の穴を細部組織によって補完するという目的を掲げた王国の二人の有志の提言が発端となって、各地で彼らに賛同する有志が志願する形で成立。以降、活動を続ける中で組織としての仕組みも整備され、その活動の実効性を認めた国王が公認した形で現在に至り、自警団は王国各地の治安の支えであると共に、王国市民の何でも相談所となっている。

 その来歴の発端でもある王都支部の現団長であるクラウディアは、今から5年前に先代団長からその座を引き継いだ。その美しくも凜とした存在感・大の男でも敵わない剣技の腕前・公明正大な人柄で、団員や町の人々からの信頼も厚く、彼女の手腕のかいもあって、王都自警団の存在は今もなお王都の人々の信頼の寄せられる所となっている。

 そんな自警団の主な仕事の一つとして、街の巡回がある。団員が数人のチームを組んで街を見回り、異常がないか確かめ、不審な点があれば調査、トラブルがあれば調停する、といった仕事である。この巡回は自警団にとっては最もポピュラーな仕事であり、民間の様子を直接調査するという自警団員の仕事の基礎が詰まっているため、新人団員の研修のような意味合いもある。入団して詰所での生活に慣れた者で実働班への所属を希望する者は、手始めとして先輩団員と組んで巡回に出るというのが通過儀礼のようになっている。

 クランツは自警団員の中ではまだ新参だが、この頃入団から約1年、そろそろようやく新人研修を終える頃だった。初めて巡回に出た時にチームを組んだのが、昔馴染みであったセリナとその同期であったルベールであり、人と積極的に関わることが苦手だったクランツは、以後何やかやでこの二人と友好的な関係を続けている。そしてセリナとルベールは、クランツについてのある認識を共有しているのだった。

「うん、今日もいい天気だ。まったく、太陽の光ほど心を晴れやかにしてくれるものはないね」

 詰所を出て少し歩き、王都の中心とも言える王城を囲む中央広場に出ると、ルベールは陽の光を浴びて大きく伸びをした。時節は天月十二節季の第7節、炎の月。夏晴れの空は穏やかに明るく晴れ渡っていて、程よい空気の熱さが心地よい。にもかかわらず、クランツは拗ねていた。

「おれはおまえのせいで、神さまの光を浴びても心が晴れないよ」

「それは心外だな。君が彼女に密着するチャンスを作ってあげたんじゃないか。奥手な友人の淡い恋心を応援するささやかな気遣いだったっていうのに」

「まあ、あんたのことだからそれだけじゃなかったでしょうけどね…」

 ルベールの白々しい釈明にセリナがツッコミを入れる。クランツはなおもぶすっとしたまま、恨めしげな目をルベールに向けた。

「今はおまえに何を言われても心が晴れる気がしない」

「ああ、我が友クランツ。そんな物憂げな顔をしていては彼女は振り向いてくれないよ」

 ルベールの茶化すような言葉に、クランツの目が次第にグレていく。

 あくまで道化に徹するつもりのルベールに、態度を硬直化させようとするクランツ。その切れの悪い二人の間の空気を見ていて焦れたセリナが、呆れ混じりに半ば強引にクランツの気持ちを切り替えにいった。

「もぉほら、クランツ。いつまでもそんなにつまんないことでウジウジしないの。今は仕事仕事! さっさと気分切り替えて頑張ろ。団長のためにもさ」

 恨めしげな眼をルベールにじとりと向け続けるクランツの肩をポンと叩きながら、セリナはクランツの心を切り替えるのに一番有効な名前を使った。すると、

「…そうだな。よし、行こう二人とも!」

 その効果がてきめんだったのか、クランツはじめじめしていた気分を一気に吹き飛ばし、全身と瞳、それに言葉に活力が宿った。その様子を見ていたルベールとセリナは、やれやれ、と互いに目配せをして肩を竦めていた。


 7年前、カルディオーレ帝国との戦役の発端となった帝国軍の王都への急襲の際に、当時9歳だったクランツは街区での戦闘に巻き込まれ、戦火の中に両親を失った。そしてその時、街を守るために出動していた自警団と、その一員であったクラウディアに命を救われたのである。

 それ以来、クランツにとってクラウディアは命の恩人であり、憧れの存在だった。彼女と出逢った時のことは今でも彼の記憶の奥底に強く焼き付いており、孤児院に引き取られてからも彼女の存在を忘れることは一日たりともなかった。そして彼が成長するにつれてその想いは大きさを増し、憧憬どうけいから恋慕れんぼへとその色を変えていった。

 そして晴れて1年前、15歳になったクランツは王都自警団への入団を志願し、採用課程を経て研修生として入団。王都支部団長であるクラウディアからの正式な団員認可を得るべく、日々の研修業務に励んでいた。

 全ては、憧れのクラウディアに近づくため。そして、彼女の力になり、彼女に相応ふさわしい男になるため。

 身体的にも優れているとは言えず、精神的にも強い部分の少ない彼が時に危険を孕む自警団の仕事に心骨をすり減らして励んでいるのも、突き詰めればそれは町や国の平和のためというよりも、「彼女クラウディアに認められたい」というその一心に集約された。憧れの英麗、クラウディア・ローナライト。彼女に相応しい男になることが、クランツ・シュミット少年の唯一にして最大の悲願なのだった。ゆえにこそ、なかなかうまく自分が成長しないことが、クランツにとっては歯がゆいのだった。

 そしてそんなクランツの想いに、当のクラウディアは悲しいほど気付いていなかった。彼女にとってクランツは現状、命を救った身という自覚はあるとはいえ、今では大切な部下の団員の一人という位置でしかなかった。なかなか変わりそうもない現実と憧れの理想の高さの間に挟まれ、毎日毎夜クランツは己の至らなさに唇を噛みしめながらも、傍にいられる彼女の麗しさに心をときめかせる日々を送っている。

 詰所の同室となったルベールと、クランツと同じ孤児院の出身であるセリナは、その後も先輩として友として彼の面倒を見ているうちに、彼のクラウディアを見つめる視線の熱さに勘付いたのだった(もっとも、同じ孤児院の出身であったセリナはクランツが自警団に入る以前から、彼が熱を上げている女性がいることは察していたのだが)。以後、二人は彼の想いを共に見守り、それぞれなりの形で何かと手助けをしている。クランツは少年らしい気恥ずかしさから素直になれないでいるが(また、二人の手口に多少の文句を唱えたい思いを感じることもあるが)、二人の心遣いは何だかんだで感謝すべきものであると感じていた。


 果たして、彼女が自分に振り向いてくれる日は来るのだろうか。

 一歩一歩進む、遥かな高みへの果てしない道のり。

 そんなふうにして、今日もクランツの奮闘は続いていた。



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