本編はここからです。

 細く透き通った声。その場の全員が振り返ると、廊下から一人の生徒が静かに歩み寄ってきた。ダークブラウンの髪をなびかせ、毅然とした表情で佇むその人は、

 「苑浦、だっけか? 」

 おずおずと上目使いの俺を見て、彼女は突き放したように一瞥をくれた。

 「まったく、昨日教室で待ってなさいと言ったでしょう」

 「誰アンタ? 」

 声を上げたのは牧島先輩だった。警戒心マックスで苑浦を睨み付けるあたり、どうやらこの先輩は“ファンクラブ”のメンバーではなさそうだ。しかし苑浦はそんな様子に臆することもなく、妙にドギマギした様子の瀬雄のところに行くと、一枚の紙を差し出した。

 「A組の苑浦貴良です。手続きは済ませましたので、第二会議室は私の団体が使用権を持つものとなります」

 「え、あ、うん? 」

 憧れのマドンナを前に、すっかりメロメロした様子の瀬雄。それから彼は渡された紙を手に取ると、なぜか俺に非難の眼差しを向けてきた。

 「睦。お前いつの間に貴良さんとこんなにお近づきに、じゃない、いつの間に自動車部なんて作ったんだ? 」

 「自動車部? 」

 そんなの知らねぇぞ、と言いかけたところで当の苑浦が割って入る。

 「約束したでしょう、誰もが車に興味を持てるようになる場所を作るって。その母体となるのがこの自動車部よ」

 「だからって何でもう俺の名前が書いてあんだ? 」

 「昨日の一件もあるし、少しでいいから協力してくれないかしら」

 「……わかった」

 そこを突かれると痛い。けれど、思いつきで作った割りに彼女はしっかりしてそうだし、少なくとも瀬雄のパシリになるよりはマシだ。俺はそう納得して、

 「だそうです。どうしましょっかね~」

 瀬雄はというと、完全に戦意喪失。責任を牧島先輩に投げ出し、

 「グハッ!」

 踵落としを喰らって床に崩れた。

 「聞いてないわよ、そんな胡散臭い話。ちゃんとした活動理念はあんでしょうね? 」

 話がうやむやになったのがお気に触ったのか、牧島先輩はかなり攻撃モードで噛み付いた。

 「法律が改正されて三年。私達高校生も、より車について知り、学び、触れることで心身共に成長した人間になる、それが自動車部の目標よ」

 「ぐぬっ。い、意外としっかりしてるじゃない」

 突っかかる牧島先輩を、クールに受け流す苑浦の応酬は見ていて痛快だ。手も足も出ないといったところだが、まっとうな意見を認める辺り、案外性格は素直なのかもしれない。しかし、苑浦の次の一言が、鎮火しかけた彼女の怒りにガソリンを注ぐこととなった。

 「で、活動内容には生徒が使う車の管理も入ってますので」

 「何よそれ!」

 前言撤回。今までのしおらしい表情はどこへやら、烈火の如く怒りだした牧島先輩が、俺の襟首に掴みかかると、激しく揺さぶり始めた。

 「ちょっとアンタ、どんだけアタシにケンカ売れば気が済むの!? 」

 「くっ、苦しい!ギブギブ!」

 このガキ、気に入らないことがあれば、すぐ暴力で解決しようとしやがる。苑浦に当たらないだけまだマシだが、お陰で俺の命は風前の灯もいいとこだ。

 「ほら先輩、落ち着いてくださいよ。って聞いてないか」

 視界の隅で瀬雄が止めようとアタフタしているが、無論効果はない。ていうか邪魔くせぇ。

 「でしたら先輩も入りますか? 」

 「え? 」

 パッと手が離される。尻餅をつきそうになった俺を無視して、苑浦は見るに見かねた様子で提案した。

 「部員になってもらえれば、仕事も出来ますし」

 その一言の後、廊下に静寂が訪れた。あたりは物音すらせず、ただ窓から差し込む西日が、牧島先輩を照らしている。

 「ま、別に今すぐ入んなくても……」

 痺れを切らした俺が、助け舟を出した時だった。

 「入る」

 どこからともなく響くソプラノ声。頬をかきながら、彼女は苑浦に向き合い尋ねる。

 「入部届けはいつまでに出せばいいの? 」

 「今週中ならいつでも構いませんが」

 澄ました様子の苑浦。それから牧島先輩は、ビシッと人差し指を突きつけ、精一杯の先輩風を吹かした。

 「いい、入部したげるけど、あんまりフザけた真似したら許さないんだからね」

 「わかりました」

 これが、天城高校自動車部の瞬間となった。

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