第32話 学園祭でのこと

「何だか久しぶりだね」

「……そうだな」

 未来みらいに誘われて、薬学部主催の薬膳ブースを覗く。健康にはいいのだろうが、居心地の悪いその場所で、一縷いちるは久しぶりに伊咲いさきと言葉を交わした。


「一縷、なんか変わった?」

 涼音すずねと会った、あの深夜のメッセージを最後に、伊咲からはまるで連絡がなくなっていた。今もどことなくよそよそしい。


「なんもないけど?」

「ん? 何の話?」

 相変わらず置き去りにされるのは未来みらいだが、それをさほど気にしていないところが彼のいいところだ、とふたりは思っている。


「目の前の事見えないバカと、目の前のこと見えないバカ…… ホント、男ってダメだわ」

 伊咲にそう言われて顔を見合わせる男ふたり。アメリカの漫画ならふたりはロバの顔になっているに違いない。


「あ~、まいちゃんのこと? いいねぇ、一縷クンはモテモテで」

 未来があっけらかんと話すので、今度は伊咲と一縷が顔を見合わせる番だ。雲行きが怪しくなる前に一縷としては話題を転じたいところだが、伊咲がそれを許すわけがない。


「舞ちゃんも未来みたいに素直な男を選べば良かったのにね」

 皮肉に満ち満ちたその言い方に一縷は何も反応ができない。その隣で、未来は素直に喜んでいる。


「そ、そうでもないだろ? なぁ!」

「…… 」


 一縷と伊咲はもう一度顔を見合わせ、今度は大笑いするしかなかった。


「なんだよ…… ただの冷やかしかよ…… 

 でもなあ、一縷。お前はオレに感謝してもいいと思うぞ。お前が授業来ないあいだ、舞ちゃんのお相手はずっとオレがしてるんだから。ちっとは感謝しろや」

 その絵面はすぐに思い浮かんだ。意外にキャンパス内で友人の少ない彼女が未来を頼りにするのは想像に難くない。


 ……


 三人それぞれに何を思ったか、未来の言葉に黙り込んでしまった。


 薬膳は口に合いそうにない。一縷は「健康」の名に吸い寄せられる一般客のおじさんやおばさんの顔をただ漫然と眺めた。



◇ ◇ ◇


霧島きりしま! こっち!」

 ふたりと別れた一縷を、屋外テントから引き留める声がする。見ると向井むかいがもうもうと煙るその向こう側から手招きをしている。24時間開放されるキャンパスでは、出店の見張りと称した夜通しの酒盛りがあちこちで始まっていたのだ。


「お前ひとり?」

 テントの中を見ると宮代みやしろもいる。


「あれ?…… どうしたんです? ふたりお揃いで?」

「向井がクラスのブースの見張りやるって言うんで、付き合ってんだよ。お前も付き合え!」

 宮代はヤカンで燗をした焼酎を紙コップに注ぎ始めた。売れ残りか、それとも明日の売り物かは知らないが、向井が焼けたバラ肉を山盛りにして自分も席に着いた。


「よし! 今日は飲もう! オレも最後の学園祭だ。お前ら付き合え」

 宮代がそう言いながら紙コップを掲げた。


 10月終わりのキャンパスは冷え込む。しっかり燗をしたはずの酒も、紙コップの中ですぐに冷えてしまう。寒さしのぎに冷める前の焼酎をガンガン飲んでいるうち、三人ともすぐに酔っぱらってしまった。


「ひとりってことは、三上みかみ君には撃沈か?」

 宮代が一応ぐるりと周囲を確認する。

「別に誘ってもないですけど…… なんだか最近機嫌が悪くて……」

「コクったの?」

「ええ」

「お〜、よしよし。なら、進展してんじゃん。お前、意外にやるねえ」


「でもなんか相手にされてるんだか、からかわれてるんだか……」

「やったんだろ?」

「やる、って…… いきなりだなぁ……」

「コクったんだろ? じゃあ普通はやるだろ? ねぇ」

「お前は何でも自分の物差しで考え過ぎなんだよ!」

「アハハハ、宮代さんに言われたくないっすよ」


 ふたりとも一縷そっちのけで大笑いしている。だが一縷自身、彼らに打ち明けたいという密かな願望があって、途中からは聞かれもしていないことまで喋り始めた。



「そりゃお前…… 怒るよ。なあ、向井、怒るよなあ、絶対」

 涼音が塾に行くバスの中で急に機嫌が悪くなったという話しをすると、宮代が涼音に同情し始めた。


「まあ、普通怒りますね。というか、オレにはその前の週のことが理解できないんですけどね」

 向井は再従姉またいとこの店でのことまで遡った。


「確かにな。誘った男が誘いに乗らず、酔って先に帰ったんだろ? 呆れるよな」

「そうですよ。それでも次の日にまた飲みに行ってるわけだから、姉さんも相当お前を気に入ってるのは確かなんだろうな」

「それを見逃すんだからなぁ…… こいつ、全然ダメだよな」

 宮代が呆れたと言わんばかりに肩をすぼめる。


「それがいつの話だって?」

「合宿のあとすぐ……」

「7月だよな… 3ヶ月か…… それからは? ふたりで会ったの?」

「いや…… ふたりでは……。 最近はバス路線も違うし……」

「う〜ん、ダメかもなぁ……」

「ダメでしょ、もうダメですよ」

「ダメか…… そうだな、ダメだな」

 ふたりの間では結論が出たようだった。だが、一縷は涼音を諦めてはいなかった。というより、女性として意識しているのは初めから彼女ひとりだけだ。だからそのことを強調した。


「それは合宿でも聞いたよ。しかし、お前なんでバレリーナはダメなんだ? それがオレにはわからんなぁ。そんなにブスなの?」

「いやいや、相当美人ですよ! むしろ近寄りがたい部類だよな。遠くから愛でていたい感じの子、だよな?」

「印象としてはそうかもしれませんね。でも、話すと違いますよ。バカな空想話ばっかしてるし」

「当然お前はその子に好かれてるわけだろ?」

「ええまぁ……」


「だったら、なんの不満があるんだ?」

「不満はないです。このままでいて欲しいです」

「三上君とは進展がなくて、そのバレリーナに愛されてる…… 普通はバレリーナ選ぶと思うがなぁ…… なあ、向井?」

 宮代はわけがわからんというふうに何度も頭を横に振った。


「まぁ、中学生じゃないんだし、とりあえずバレリーナと一回やれよ。それから先はそのあと考えろよ」

 向井も宮代に同調したように見えるが、微妙にふたりの意見も違うような気がする。舞と涼音に対する一縷の感情は、肝心なところがどうしても正確に伝わらない。


 三人とも飲み始めた焼酎をやめられず、どんどん呷る。そしてどんどん酔っぱらう。


「舞を抱くとか考えたことないですよ。むしろあの子は大切にしてやりたい、見守ってやりたい、そんな気になるんです。涼音さんとは全く違う感じなんですけど……」

「だけど意外に合ったりするかもよ。ナニとナニが合うってのもあるしさぁ」

「う〜ん、そうなんですかねぇ…… 」

「じゃあ時間をかけるしかないな。お前とバレリーナはまだ大人になってないだけだよ」

「大人の宮代さんと由紀さんとは違う?」

 向井が意味深な含み笑いで宮代を見た。

「お前の頭の中はそればっかだなぁ…… 笑うな! オレたちは真剣なんだから」

 そう言いつつ、宮代も大笑いし始めた。


 一縷には彼らが自分とは違う次元に達していように思われて、いくら正直に話したところで伝わらない気がしていた。そのうち完全に酔いが回り、そうすると無性に涼音が恋しくなる。


「涼音ぇ〜〜〜!」

「アハハハハハ、こいつ溜まってんなぁ」

「いけませんか! もう溜まりまくりですよ!」

「姉さんは色っぽいしな。わかる気もする」

「ですよね…… あ〜……抱きたい……」

「アハハハハハ、重症だな。しかし、可哀想だな、バレリーナも」


「愛のないセックスなら、他でしてもいいと言ってましたよ、舞は!」


 バシッ!


 いきなり宮代が一縷の頬を思い切り張り倒した。

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