第33話 酔った勢い?

「お前! そこまで女に言わせて平気なのか!?」


 さっきまで笑っていた宮代みやしろの顔が青ざめている。いきなり頬を張られた一縷いちるは、宮代の急変に事態が飲み込めない。向井むかいは宮代の悪酔いと思ったようだった。


「まぁまぁ、宮代さん、一年生のママゴトにそんなムキにならなくても……」

「いや…… こいつ、性根が腐ってやがる!」


 そこまで言われると、酔った一縷でも黙っていられない。


「宮代さんだって、恋人を妊娠させて堕ろさせて…… 嫌々結婚するんなら、女をバカにしてるのはあんたも同じです!」

「おい! そこまで! それ以上言うな!」

 向井が大声で一縷を制した。


「男と女はそれぞれなんだから、とやかく言うのはやめましょうよ」

 向井は話が拗れるのを収めようと、やや語気を強めた。

「そうですよ! 先輩だからって、宮代さんにとやかく言われたくない!」

 向井の忠告を宮代に向けたものと誤解した一縷は、収まらない、といった表情で吐き捨てた。

「もう黙れ! お前も酒癖悪いなぁ…… まるで宮代さん並だよ」


 向井がふたりの間に入って睨みをきかせるので、ようやく一縷もおとなしくなった。


 宮代は落ち着き払って焼酎を飲んでいる。そして、落ち着きを取り戻した一縷を見据えてきっぱりした口調で話し始めた。


「殴ったのは悪かった。だがな、さっきからお前の話しぶりを聞いていて、あまりに自分都合でどうにも気に食わん。お前の主語は常に自分、自分、自分だ! 相手のことを思っているように話すが、相手にお前がどう見えているのか、そういう視点が全くない。

 お前はさっき相手を大切にしたい、みたいなことを話していたが、それはお前が考えるに過ぎん。相手が何を持って大切にされたと思うか、そう考えての大切じゃない。

 そういうのはなあ! 優しさじゃないんだよ!」


「自分が優しくないことなんかわかってますよ!」


「わかってないね。オレに言わせれば全然わかってない。お前は自分が優しくない、なんてこれっぽっちも思ってない。本当はこんなに優しいんだよ~、わかってくれよ〜、って甘えてるだけのクソガキだ!」


「じゃあどうしろって言うんですか!」


「バレリーナを大事にしろ! ここまで引っ張っておいて、今さら何を言ってんだ! この大馬鹿野郎!! 

 何がこの子を守りたい、大切にしたいだ! ふざけたこと言ってんじゃねえ!」

「大切にしたいんですよ、彼女のことは!…… 男女の関係を超えた愛だ!」

「バカ野郎!てめえ!…… だから言ってんだろ! お前の側はそうでも相手の側はどうなんだ、って?! それを確かめてから言ってんのか? お前が誰かとセックスしても平気だなんて…… そんな言葉、真に受けてんのか?!

 お前の言う、見守るとか大切にする、ってのは、そんな言葉を真に受けて平気で誰か別の女を抱くってことか!? 

 逆の立場ならどうだ。誰かとセックスした彼女に、お前は何事もなかったかのように、大切だとか大事にする、なんてことが言えると思ってるのか!?」


「そんなこと…… 仮定しても仕方ない」


「仕方ないんじゃない! できないんだよ! お前には仮定すらできない! 最低のクズだ!」

「だから、あんたと同じですよ!」


 また険悪な雰囲気が漂い、向井はふたりの間に割って入るしかなかった。


「もうやめとけ! お前、飲み過ぎだぞ! もう帰れ。帰りながら頭を冷やせ! 帰ってさっさと寝ろ!」


 向井は一縷をテントから引き摺り出した。だが、力づくで放り出すこともせず、そのまま肩を抱きかかえると、校門のあたりまで並んで歩き、やがて宥めるように静かに語りかけた。


「お前が姉さんに、惹かれる気持ちはわからんでもないよ。悩ましいもんだな」

「向井さんならどうします?」

 宮代は敵でも、向井は味方だと感じた一縷は、思わずその場に足を止めた。

「う〜〜〜ん、微妙だなぁ。なかなか選べないかもな、オレでも。タイプ違うもんな」

「わかってもらえます? ボクはホントにまいは大事にしたいんですよ」

「アハハハハ、それを言うから都合良さそうに聞こえるんだよ。どっちも好きでまだ選べない、という方が素直なんじゃないか?

 まあわかったから、気をつけて帰れ」



 向井に無碍に拒否されなかった安心感からか、緊張感の緩んだ一縷は急に酔いを感じ始めた。すると、燻り続ける涼音すずねへの思慕がなお一層募り始める。やはり、自分には涼音だ…… そう強く思い始める。そして、そう思えば思うほど、あの夜、城址公園のベンチで垣間見た彼女の柔肌が目の前に現れ、どうしても触れたくなる。会って彼女の気持ちと存在そのものをこの手で確認したくなる。


 逸る気持ちが足を速め、キャンパス坂を下り始めると、止められない勢いになる。涼音に会おう、会いに行こう。もう、その気持ちを止められない。行こう! 今すぐ行こう! 


 と思った瞬間、一縷の身体は宙に舞い、ものの見事にひっくり返ってしまった。


 だが、酔いと興奮で、その時の一縷は、まるで痛みを感じなかった……




◇ ◇ ◇


『今からそっち行くから』


 酔った一縷は、その勢いを借りて涼音にメッセージを送信した。何度電話してもつながらなかったとはいえ、酔いの勢いを借りずにそんなことができるはずがない。

 だが…… 当然と言えばあまりに当然のごとく涼音からの返信はない。ところが、返信がなければないだけ、一縷の気持ちを昂ぶらせてしまう。恋の熱情は厄介この上ない。


 タクシーを止め、行き先を告げようとして…… 一瞬言い澱む。


「…… あっち、大学の方。 東の方の…… 」


 涼音のアパートの位置を一縷は知らない。専攻学部の近くだろう、その程度のことしか頭に浮かばない。


『車に乗ったから』

『嘘じゃないから』


 そこまで伝えれば何か返事があると思った。困るなら困ると言うだろう、嫌われたら嫌われたで仕方ない。一縷は宮代の言葉もあって、このまま中途半端な気持ちでいられなかった。絶対に引き下がらない、それだけを強く思い続けた……




 タクシーは繁華街を抜け、涼音に連れていかれた「ラギ」のある歓楽街の入り口を通り過ぎ、見慣れぬ景色の中を走り続けた。思っていたよりはるかに遠い。

 一縷は車の窓を開け、新鮮な空気を吸い込んだ。そうでもしないと戻してしまいそうなくらい、一縷は酔っぱらっていた。


「お客さん…… 汚さないでくださいよ」

 運転手が一縷ではなく車の心配をして声をかけるが、今の彼に届くはずもない。


『大学病院過ぎた』

『もうすぐ学部の正門に着くから』


 ざまあみろ、そんな気になった。涼音にどうだざまあみろ、と言いたい気分になったのだ。返事があろうとなかろうと、そんなことはもうどっちでもいい気がしてきた。どっちだろうと押しかけてやる、そんな無謀で根拠のない覚悟が出来上がる。


 そこへ涼音からのメッセージ。


『行き過ぎだよ』


 一縷は慌ててタクシーを停める。ほ~ら涼音は自分を受け入れた! そんな高揚感が支配する。

 ところがいつまで待っても続きが来ない。続きの…… 誘いの言葉が来ない……


 やがて、一縷は電話もメッセージもできないくらい意識が混濁し始め、そのまま路肩に腰を下ろすと、うとうと居眠りを始めてしまった……





◇ ◇ ◇


 ふと…… 気づくとポケットのスマホが震えている。慌てて取り出すが、思わず道端に落としてしまう。もたもたしながら拾い上げ、ようやく耳に当てる……


「どこ?」


 涼音の、心持ち低い声が届く。一縷の顔はこれ以上ないと言うくらい…… だらしない。


「もしもし! 聞こえてる!?」

 さっきより少し大きな声がする。


「迎えに来て……」

 一縷は酔いと、受け入れられた充足感に、文字通り酩酊した。自分がどこにいるのかさえもうわからなかったのだ。


「どこ!!」

 涼音の声が段々大きくなる。その声に応えようとするが、位置を確かめる頭が働かない。ただ、やたら煌々と眩い人工的な明るさだけが視界を刺激する。


「…… わかんない…… 道路工事してる……」

 そのことしか伝えられない。ずっと見ていられない眩さと、アスファルト舗装を削る大きな音……


「わかった! そこにいなさい!」


 一縷はともかくそのひと言が、今求めているすべてのように感じ、そのまま再び道路際に座り込み…… 眠りに落ちた……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る