5−3

 閉店後、ヒトミにせっつかれて母に電話をしてみたが、繋がらなかった。きっと忙しいのだろう。かけ直せとうるさいヒトミから逃れ、聡介はランニングウェアに着替えて公園を走っていた。

 ショッピングモールでのワニマッチョとの対決のあと、初回のように倒れはしなかったものの、疲労感は数日続いた。やはり基礎体力は必要だろうと、休日のジム通いに加え、仕事のあとに少し走ることにしたのだ。

 ヒトミはやる気になったと喜んでいて、それが癪に障る。決してやる気になったわけではない。自分の身を守るためだ。

 思い出すと少し苛立って自然にペースが上がってしまう。そんな聡介の目の前を、黒い影が横切った。

「ん、なんだ。鳥?」

 池の柵に止まったのは、かなり大型の鳥だ。丸い頭部とふわふわとした茶色い羽根に覆われた身体。よく見ると美しい縞模様がある。何より特徴的なのは、正面についた大きな丸い目だ。

「フクロウ? ペットが逃げたのか?」

 下町ではあるが、それなりに都会だ。野生のフクロウが生息するような環境ではない。イノシシも出たと言うし、この町はどうなっているのだ。

「どうした、迷子か」

 声をかけても返事があるわけではない。が、フクロウは目をまん丸にして聡介を見つめ、首を傾げる。その表情はなかなか可愛らしい。ペットとして人気があるというのもわかる。

 逃げたのなら保護して警察に届けたほうがいいだろう。人慣れをしているようだが、鋭い爪とくちばしを持っている。公園で遊ぶ子どもや散歩中の小型犬が襲われないとも限らない。

「おいで。一緒にご主人を探そう」

 優しく声をかけて、そっと手を伸ばす。だが、柔らかな羽根に触れたかと思った途端、音もなくフクロウは飛び上がり、闇の中に消えた。

「やっぱ無理か」

 肩をすくめ、聡介はフクロウが飛んでいったほうを見る。生い茂る木々の向こうには、細い月が昇っていた。

 ぼんやりと夜空を見上げていると、ポケットの中で携帯が震えた。母だ。

『聡介、電話もらったみたいだけど、何かあった?』

「いや、何もないよ。元気かなと思って」

 滅多にこちらから電話などしないものだから、かえって心配をかけたようだ。ほっとしたような吐息が聞こえる。母が少し頬を緩めたのが見えた気がした。しばらく、互いに近況を話し合った。妹は多少反抗的なようだが、家族三人、概ね仲良くやっているようだ。  

 こちらも変わりないと伝えた。当然、ヒトミのことは言えない。

『……本当に一人で大丈夫なの? あの町で、喫茶店の経営だなんて』

 暗い声で問われる。母にとっては忘れてしまいたい場所なのだろう。

「大丈夫だよ。大丈夫だから」

 何度繰り返しただろう。心配ばかりしている母へ、大丈夫だと。どれほど言葉を尽くしても、彼女が安堵するには足りないのだ、きっと。

「そうだ。あれから、父さんから何か連絡なかった?」

『……いいえ』

 堅い声に心が冷える。母にはもう、忘れてしまいたい人なのだろう。父と離婚し、新しい伴侶を得たのは聡介が小学校を卒業する頃だった。もう、十三年前だ。

 新しい家庭を築き、再婚相手との間に娘も生まれた。今は忙しいながら穏やかな日々を送っている。父を心から追い出したいと思っていたとしても、責めることはできない。

 母の再婚相手は、とてもよい人だった。彼と暮らしたのは中学一年生から高校卒業まで。その間、本当の息子として聡介に接してくれたし、大学まで行かせてくれた。感謝しきれないくらい恩を感じている。そう言うと、親として当然のことをしただけだと怒ってくれた。母をとても、とても大切にしてくれている。

 だけど、聡介にとって父と呼べるのはただ一人。

 聡介のために罪を犯した彼の人だけだ。

 父は服役を終え、今は行方知れずになっている。

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