鞄はできるだけ水平に

 家から駅までは自転車で25分。ほぼ下りなので全然大変じゃない。むしろ楽だ。朝の寝ぼけた状態でも自転車が勝手に進んでくれる。自動運転ってこんな感じなのかもしれない。違うけど。


 あんまり下っているのでひょっとしたら漕がなくても駅まで行けるのでは? と思って試した事がある。結果いけた。途中、速度が足りなくてプルプル震えながら耐えるゾーンが何カ所があったのだけど、思ったより簡単に行けた。電車に1本乗り遅れたものの行けてしまった。私の住んでいる田舎では朝の電車1本乗り遅れるというのは、そこそこなシリアスな事態なのだけれども、それにも拘らず朝から清々しい気分で笑ってしまうくらいの成果だった。


 楽なことばかりかというと、そうでもない。行きが下りなら帰りは登りだ。朝は25分の道のりを、1時間前後かけて登っていくハメになる。角度が急すぎて立ち漕ぎですら進まず、自転車を降りて歩いて行かなくてはいけない区間すらある。でもまあ、仕方ない。だって家が山にあるのだから。


 それよりももっとシリアスな問題がある。そう、お弁当だ。自転車で坂道に揺られたお弁当は、寄る。ギュッてなる。お昼休みにパカっと開けた時にはなんだか寂しくなってしまう。なんかこう、スカスカで気分が落ちる。


 味は問題ない。そりゃ多少はミニトマトに焼き肉のたれが付いてたり汁がご飯をちょっと染めてたりするけど、お腹に入れば一緒だし、そもそも基本的にお腹空いてるから何食べてもおいしい。ただ、開けた時にちょっと切なくなって、その切なさを引きずったままご飯に突入するだけだ。でも、切ないのは悲しい。


 だから鞄はできるだけ水平に保たなければいけない。私のお弁当箱はおかずとご飯が2回建ての形式のやつではなくて、平屋建ての形式の奴だ。でも、鞄は平屋を平屋のまま入れられる形式では無い細長い手提げの鞄なので、必然的に縦になってしまう。つまり、なんの工夫も無く持ってると寄ってしまうのだ。


 鞄を変えればいいのでは、思うかもしれない。でも、お弁当のためだけに鞄を変えるというのはちょっと気が引ける。だったら、お弁当専用の手提げ袋を別に持てばいいのでは、と思うだろう。それも考えた。大きめのコンビニの袋で試してみたこともある。でも、結論から言うとやめました。恥ずかしいのだ。私のお弁当箱は女子にしてはそこそこデカい。しかも平屋建てなので、こう、凄い古めの漫画で酔っぱらったお父さんが寿司折りをつるさげて来ました的な感じになってしまうのがいたたまれなかったのだ。


 それに、私は新しいものに手を出すのをよしとしないところがある。できることなら今ある手持ちの物でなんとかしたい。屈せずに工夫で乗り切るのをよしとする誇りがあるのだ。実のところ、その誇りは何かを変えるのが怖いという臆病さや、今の私を否定されるのが怖いという気持ちの裏返しであったりするのだけれども、私はその誇りのおかげで日々やっていけているところがあるのでままならない。


 私はいつも、鞄にお弁当箱を差し入れて自転車の荷台にキュッとゴムバンドで結んで家を出る。どんなに眠くても、時間が無くても、決してカゴにポーイなんて放り込んで走り出したりはしない。鞄をできるだけ水平に保つのだ。ままならない下り坂やでこぼこ道を、波風を立てないように、お弁当が寄らないように、悲しい思いをできるだけしないようにささやかな工夫をして一日を始めるのだ。


 駅に着き、電車に乗る時も鞄は水平に保ちたい。運よく座席に座れた場合は膝の上にぺたりと置いて、そっと上から手を添える。大丈夫だよお弁当。寄らないよ。


 でも大抵は朝の電車というのは混んでいるものなので、立ってつり革を掴むことになる。そんな時でも私はスペースさえあれば鞄をお腹にあててぎゅっと抱える。昔の映画とかでたまに見る、駅でお弁当を売ってた売り子さんみたいなスタイルで15分間耐え抜くのだ。一緒に乗る鈴菜すずなから「城戸きどスタイル」と呼ばれるフォームで頑張るのだ。ちょっと変な恰好だというのは重々承知しているが背に腹は代えられない。恥ずかしさよりも大切な物がある。それは寄りだ。スペースが無いときは仕方ないけれど、折り合いがつくのならベストを尽くしたい。


 そして学校の最寄り駅で降りた私は、遂に、普通に鞄を手に下げて学校へと歩く。その時間、約5分。なんでもない顔をして、鈴菜と並んで話しながら歩く。ごめんお弁当。5分だけ我慢して。ベストを尽くしたいけど、尽くせない場所ってあるんだ。いや、言い訳かもしれない。水平に保って歩く事だってできるはずだ。私は自分が恥ずかしいからという、どうしようもなく恣意的な理由で焼き肉のたれを少しずつご飯に染みこませ、端っこに寄せてしまっているのかもしれない。私はそれを知っている。知っているけど、でも、ごめん。ごめんなのだ。


 そして午前中の授業を終えてお昼の時間になる。鈴菜が隣の机に来て並んでお弁当箱を開ける。パカっと蓋を外した平屋建てのお弁当箱の中が、私に結果を突き付ける。やや寄っているけど十分です。頑張ったねご飯。ミニトマト。そしてミートボール。そして私は、元のポジションから離れて散りばめられているきんぴらをさりげなく定位置に寄せてから両手をぱちんと合わせていただきますを言う。


 お弁当を作ってくれてありがとう。お父さんと食べ物に感謝。そして、寄らせてしまってごめんなさい。今の私の精一杯がこれなんです。いつか、お弁当を寄らせない私になりたいとは思っています。鞄を水平に保てる日々をつかみ取る私に。そんな思いを込め、私は今日も箸を進めていくのです。

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例えばこんな通学路 吉岡梅 @uomasa

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