自宅巡り その三(5):指宿の死に顔

 手順が入れ替わり、継嗣つぎつぐ指宿いぶすきが交互にすれ違う間際にぽつり。

 指宿がつぶやいた。


「まるで、意思を持っているようでしょう?」


 相手が振り向くのも気にせず安全な座席へ戻った指宿は、たった今、気がついたように継嗣の視線を見つめ直し、ややあってから苦笑して、「すいません」と謝罪した。


「相手の手順に話しかけるのはマナー違反でした」

「構いません。どういう意味です?」

「……この装置の事ですよ」


 たねがしまん輪盤ルーレット

 指宿が指したのは、継嗣が立ち向かう鋼鉄の悪魔だった。

 

「全十発の中に実弾が一発。無作為に回転、発射され、いつ弾が出てもおかしくはない。……なのに、出ないんですよ」


 状況としてはこれまでにも、いつ弾が発射され、どちらが散っていてもおかしくはなかった。

 恐るべき確率の上で、両者は今も互いに狂気の軌道装置を手に競い合っているのである。

 それでも弾は、未だに出ていない。


「不思議と、序盤では出ない。この勇戯はなぜかいつも終盤にまでもつれ込む。参加者の持つ『勇気』を品定めするかのように」

「ジンクスってやつですか?」

「そうですね。実際、二発目で発射したケースもない訳ではない。あるいは、その時の参加者が勝負にふさわしくないと判断したのか……」


 もはや指宿の語り口はこの装置に神が宿り、その結果を見えざる手で操作しているかのようである。

 しかし、別段、継嗣はそれをあながち嘘臭いものだとは思わなかった。

 これまで出会った自宅警備員。そのどれもがふとした偶然を、まるで神が定めた必然であるかのように語っていた。


 指宿は多くを語らないが、継嗣は直感からこの部屋のどこかに、籠島かごしまの地鐸が隠されている事を勘付いていた。

 ならば、これもまた亜種の地鐸信仰。そう思えば、取り立てて不思議な事はないように思えてくる。

 何が起きたとしても、不思議だが、不思議ではない。

 

 継嗣はそれまで地鐸をあやふやに「尊き物である」とだけ考えていた。

 だが、この旅の中で見てきたものは、それだけには留まらない『神意』のようなものを感じずにはいられなかった。

 

 そうすると、目の前で今も威圧する大砲の威容が、少し違ったものに見えてくる。

 悪魔の指。悪魔のツノ。そういった禍々しいイメージが取り払われ、ほんの少しではあるが後光が差しているようにも感じてしまう。

 継嗣は知らぬ間、その御先に命を吊るす覚悟が出来ていた。




 ■  ■  ■




 たねがしまん輪盤、第8席。


 死に臨む覚悟は出来ている。しかし、継嗣はすぐにスイッチを押さなかった。

 指宿の言葉を信じるなら、この装置は地鐸の神意を宿している。


 ――――生き残りたければ、その勇気を示せ。

 指宿の一人語りは、そんな風に助言めいて心に響いていた。


 継嗣はこれまでとは態度を改め、すぐにスイッチに手をかけず、自らの死後に思いを馳せてみた。

 

 前と同じく、まず最初に思い浮かんだのは両親の姿。

 やはり己が死んだところで、この二人が嘆き悲しむところは容易には浮かばない。

 揺るぎない父母の存在は、生まれながらにある骨のようなものだった。

 

 そこから継嗣は走馬灯を仰ぐように過去、そして自分が死んだ後の未来を顧みた。

 無表情な補佐官・須藤礼峰すどう れいほうは、自分の死後も忙しなく世界を走り回るのか。

 どこまでも影の薄い叔父にして副自宅警備員・守宮枝重やもり えだしげは、何も語るまい。

 世話になった分家の人々の顔が、意識の波間に浮かんでは消えていく。


 生まれついた骨の上に肉付けするように、これまで世話を焼いてくれた様々な人の顔が思い起こされる。

 だが、継承権を失った今となっては、彼らとの縁は切れているも同然だった。

 たとえこの身が籠島の地で朽ちたとして、どれほど気に留めてくれるだろうか。


 かつて青春を共にした親友・柳原やなぎはらや所属した部活動の仲間たちはどう思うだろう。

 しかし、彼らと袂を分かち、ずいぶん時が過ぎてしまったようにも感じていた。

 今更につながりを求める事自体が酷であり、それはやはり継嗣とは無関係な人々だった。

 

 義弟・守宮社樹やもり やしき

 その才覚は継嗣とて認めざるをえず、このまま何もしなければ未来の自宅警備員はあの義弟に決まっている。

 ならば継嗣の生き死には大した問題ではなく、やはりここで死んだところで何の影響も起きようはずがなかった。


 指宿は勇気は備えであると説いたが、継嗣にはその備えをする余地すらも残されてはいなかった。

 誰に、何も、残すことができない。


 継嗣の生涯とは、そんなものだったのか。

 身を投じたところで水面に波紋一つ起こせない、そんな微々たるものであったのか。


 ――――鯨波子ときこは、どう思うだろうか。


 諦めにも似た静けさに、ふいにさざ波が起こった。


 その女は、あまりにも当たり前にそこにいた。

 物心ついた頃から側に仕え、資格を失った後にも決して縁は切れなかった。

 

 鯨波子の目的、その目指す先が何であるかは未だによく分からない。

 しかし、それでもこの神州で唯一、継嗣こそが未来の自宅警備員に成ることを望んでくれている。


 ――――いや、違うな。


 継嗣は妄執を振り払うように、首を振った。

 さらに脳裏をよぎったのは二人の男女。


 うどんをこよなく敬愛する白い怪人にして香革かがわの自宅警備員・観音寺長虫かんおんじ おさむ

 身も心も穴掘りに捧げた女傑にして大飯田おおいたの自宅警備員・廣田宇佐ひろた うさ

 いずれも継嗣に期待し、閉ざされていた自宅警備員へと至る道を切り開いてくれようとしている。


 籠島での突然の死は、彼らの期待を裏切る事にも繋がっていた。

 継嗣は再び、頭を振った。


 ――――いや、それも違うか。


 彼らだけではない。

 振り向いてみれば、その人生は掛けられた恩で築かれた長い長い道のりだった。


 産み落とし育ててくれた父母の恩。

 修行の最中、ふいに道端で気を失った自分を抱え、家まで連れ帰ってくれた須藤との思い出。

 厳しい修行に苦しむ甥っ子に、人生で初めて薄い本を見せて元気付けてくれた叔父の優しさ。

 四方里よもりの隠居がくれた柿の甘み。柳原たちと分け合ったヤカンの水の味を思い出す。

 

 縁は切れた。

 継嗣は、独りよがりにそう思い込んでいたに過ぎなかったのだ。


 残すものはない。しかし、これからいくらでも残すものを作ることが出来る。

 継嗣にとって、それこそが勇気の源泉となるものだった。


 自分がいかに恵まれ、ここまで辿り着いたのかを、継嗣はようやく理解する事が出来た。

 それらの繋がりがどれだけ心強く、どれだけ心身を満たしてくれるか。


 しかし、それらの絆が一転して、今度は恐ろしくなる。

 もし、弾が出れば、彼らがかけてくれた恩に対し、継嗣は何一つ報いる事ができぬまま死ぬのである。


 この『たねがしまん輪盤』に挑み、初めて全身から滝のような汗が吹き出ていた。

 鼓動が鳴る。心音は間隔を狭め、血液が奔流となって駆け巡り、体温はどこまでも上昇した。

 大砲と目が合うと、あまりの息苦しさにようやく呼吸を忘れていた事に気づかされる。


 継嗣はここに至って、初めてこの『たねがしまん輪盤』の前に座ったような錯覚に囚われていた。

 想像が膨れる度、妄想が溢れる度、数瞬後に待ち受ける惨劇がいよいよ現実味を帯びてまとわりついてくる。

 砲撃と共に砕け散る身体と未来に、継嗣はあらためて恐怖した。


 ――――これまで、あの男はこんな恐怖に立ち向かっていたのか。


 脇に控える指宿を横目見ながら、継嗣は男の持つ異名が決して飾りではないことを悟った。

 籠島では代々この狂気の競技を通し、より勇気を持った者が選りすぐられる。

 淘汰され、厳選され、そして残ったただ一人の男。――――故に『史上最勇』。


 籠島の自宅警備史上、最も勇気ある男が相手となれば不足はない。

 継嗣は指先に力を込めようとした。

 手応えがこれまで以上に重く、まるで違う材質にすり替わったかのようだ。

 

 こうなればもはや確率など無関係な事柄である。

 弾は必ず出る。そのように心を備えてみると、勝負の質はがらりと変わっていた。


 押す。駆動する。発射する。散る。

 これから起こるすべての出来事を予見することでより強固な覚悟が形作られていく。

 厳密に言えば、これは勝負などではない。

 どこまでも相対するのは自分自身であり、その結果として、生死という形の勝敗が現れるにすぎない。


 ――――もはや備えは必要ない。


 継嗣は悟りながら、スイッチを押した。

 これまでの急くような俊敏さは影を潜め、ゆっくりと噛み締めるように、押した。


 重々しい鉄の音。地響きのような予備動作が心身を震わせる。

 そして火を噴く鉄の筒。継嗣の半身はちぎれ飛び、粉々に砕けて生を潰える。


 そんな脳裏に思い描いた映像が、現実には再現されることはなく、――――弾は、出なかった。



「…………ぷはっ!」


 ――――生き残った。

 ややあって、継嗣はその命を実感するように大きく息を吐き出した。

 長距離を全力疾走しても乱れぬ呼吸が、千々に乱れている。

 目尻にはうっすら涙まで浮かべ、先ほどまでの取り澄ました表情が嘘のように疲弊していた。

 畳に手をついたまま、少しでも多くの酸素を取り込まねば卒倒しそうな有様だった。

 

 しかし継嗣は無理に体を起こして振り向こうとして、思わず尻餅をついた。

 もはや姿勢を立て直す余裕もなく、言った。


「指宿さん、ありがとうございました」


 継嗣はようやく出会いの場で、あれほど指宿が激怒した理由が見えてきていた。


 『覚悟がある』


 あまりにも軽く、あまりにも浅はかなこの言葉に、男は激昂したのである。


 命を賭ける覚悟。言葉にするには容易く、行動として表すにはあまりに難しい。

 継嗣は愚かにも軽はずみに『覚悟』を述べてしまった。

 その軽率さにこそ、指宿は激怒したのである。


 その為に、それを教えんが為に、この狂気の勝負を立ち上げてくれた。

 未熟な継嗣にその覚悟を教えんが為に。

 その為の、『たねがしまん輪盤』。


「教わりました。命を賭ける覚悟。そして、それが持つ意味を」


 常にその命を賭けて戦う、自宅警備員の矜持を。

 その意味、その重み、その覚悟を。

 だからこそ、継嗣は言わねばならない。


「本当にありがとうございます。『たねがしまん輪盤』、これにてお開きとさせて下さい」


 その真意を読み取った以上、これより先の勝負は続ける意味がない。

 推薦状よりも大事なことを教わった。

 その手土産を胸に、今日は勝負の幕を下ろそうと云うのである。


 なぜなら、ここから先は二分の一。

 三分の一ですら狂気の沙汰と言わざるをえない。

 その先に待つ死は必定である以上、恩人である指宿を死なせる訳にはいかない。当然と言えば当然の提案だった。

 ところが、である。


「――――君は何を言っているんですか?」


 指宿は以ての外だと言わんばかりに、


「やはり、君は何か勘違いをしている」


 その提案を蹴った。

 にべもなく、まるで馬鹿げた話のように継嗣の助け舟を切り捨てた。

 いつも以上に神経質な声色で、指宿は立ち上がると継嗣の側にまでやってきた。


「次は私の手盤です。そこをどきなさい」

「……ば、馬鹿なっ」


 指宿は継嗣の襟首をつかむと、乱暴にその座を交代した。

 抵抗しようにも余力を残さぬ継嗣はごろり転がされ、待機席へと放り投げられてしまう。

 大砲の前を陣取り、威風堂々。

 指宿は逃げも隠れもせずに言った。


「君の手順はもう終わった。この一席に口を挟む権利はない」


 突き放すような言葉に、継嗣の顔面が蒼白する。

 もはや教わるべきことは教わった。だからこそ中止を願い出た。なのに、男は今、意味のない勝負に命を賭けようとしていた。

 それとも思い違いだったのか。継嗣は逡巡しながらもすぐに首を振った。


 勇気と覚悟。

 指宿は未熟な継嗣にそれを教えんが為に命を賭けてくれていた。

 天啓とも呼ぶべき直感はもはや継嗣の中で真実だった。揺るぎようもなく、疑いようもなく、それは真実なのである。

 なのに、男はまだ何かが足りないと言わんばかりに、その命を大砲の前に晒していた。

 

「……ああ、これだけは言っておかないと」


 指宿は独り言のような細い声で呟くと、継嗣に向かって振り向いた。

 止めねばならない。満足に動かぬ体であがきながら、しかしその顔を見た途端、継嗣は石のように固まってしまう。


「ここまで輪盤がもつれこむとは、私も初めての体験でした。――――君は良き相手でしたよ」


 それは人が末期に見せる顔だった。

 眼鏡の奥に見える瞳は屈託なく、対戦相手に対する憧憬すら滲んでいる。

 たとえこの世に残った者が、その死を思い返しても見苦しくない姿。

 それは命を費やしながら、人が一生に一度だけ見せる事ができる『最後の姿』だった。


「……あっ」


 継嗣はたまらず嗚咽を漏らした。

 その指先はすでにスイッチに手をかけており、壁の向こうからは無機質な鋼の死神の鳴き声が聞こえて来る。

 止めることが叶わぬならば、せめて感謝の言葉だけでも。

 しかし、継嗣の口先からは空気が漏れるだけで容易に言葉を発せられない。――そして、時は来てしまった。


 時間だけが切り取られたような静けさに、結果だけが残されていた。

 継嗣はその有様を呆然と見守ることしか出来ず、考えもまとまらぬまま静止してしまっていた。


「…………ふむ、こういうケースもあるのですね」


 そうやって、指宿はまるで他人事のように感想を述べた。

 男は変哲なく、何事もなかったようにそこに座っている。――――弾は、出なかった。

 

「ともかく、そういう事です」


 指宿は首をひねりながら、一言でそうまとめた。

 継嗣は戸惑った。その意味を計りかねていた。


 しかし、それもわずかな間。

 状況に思考が追いついてくると、この真夏にも関わらず背筋が氷のように冷えていく。

 

「さあ、継嗣くん」


 彼岸にあって指宿を連れ去ろうとした死神が、いつの間にか継嗣の傍らに立っていた。


 残る引き金は一発。

 残る弾も一発。


 理解してなお、理解が追いつかない。

 継嗣は身も心も彼方に置き去りにされたような心地になった。


「……え?」

 

 必発必中の『たねがしまん輪盤』。

 処刑に等しい肝試しを前に、継嗣は思考を失うしかなかった。

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