自宅巡り その三(6):3つの嘘と野蛮なる奇跡

 前代未聞。長きに亘る籠島かごしまの歴史にも有り得べからざる珍事が起きた。


 『たねがしまん輪盤ルーレット』最終席という、規則上ありえても確率的にはまずあり得ない状況。

 それが東都とうと圏の少年・守宮継嗣やもり つぎつぐと、籠島の自宅警備員・指宿猪織いぶすき いおりが辿り着いた終着点だった。

 前人未到。たねがしまん輪盤、第十席。


 絶叫するにも絶倒するにも至らず、ただただ絶句。

 継嗣は言葉を知らぬ巌のごとく、硬直するより他になかった。

 その姿は成り行きを見守りながら、ただただ嵐が過ぎ去るのを待つ木陰の小動物のようでもある。


「継嗣くん、君の番だ」


 ところがそんな思惑を打ち砕くように、指宿は迫り立てる。

 必発必中。スイッチを押せばすぐさま大砲が火を噴き、相対する者を吹き飛ばす状況であるにも関わらず、である。

 

 促されて、継嗣はようやく立ち上がった。

 その息を見届けて、指宿も場所を入れ替えようと立ち上がる。が、継嗣はそこから思いもよらぬ行動に出た。


 立ち上がろうとした指宿の視界に奇妙なものが舞い降りた。

 布、である。


 正確に言えば、それは先ほどまで継嗣少年が身につけていた学生服。

 指宿が驚く間にも次々と視界に継嗣がまとっていたはずの衣服が舞い踊る。

 指宿が視線を上げると、そこにはブリーフ一丁で仁王立つ少年の姿があった。


 この苦境に追い込まれて、継嗣は気でも狂ったのか。いや、そうではない。

 現にその姿を見た指宿は、この次に継嗣が取る行動がハッキリと読めていた。

 

 その読みの通り、継嗣はその場に膝をつき、その身を再び大地にひれ伏した。

 土下座、である。

 それもただの土下座ではない。裸一貫の土下座とは、すなわちこの神州においては全面降伏を意味する姿であった。

 

「…………何のつもりですか?」


 一切を理解していながら、指宿は問うた。

 真夏の暑気を吹き飛ばすような、冷え冷えとした声。

 その寒波に晒されて、継嗣は答えた。


「……まだ死にたくありません。どうか、お許し下さい」


 あろう事か、命乞い。

 自宅警備員、あるいはそれを目指す者にとって、それは在ってはならない姿だった。

 

「命を賭ける覚悟がある。誤りでした。嘘でした。嘘をついてしまいました。俺には、命を賭ける覚悟など、ありませんでした」


 無様な姿をさらしながら、口から出たのは恥の上塗りともいうべき吐露。

 この上なくみっともない答えを受けながら、なおも指宿は問う。


「……覚悟ならあったじゃあないですか。ここまでスイッチを押して来れたし、何より君は、自身に向き合った八席でも、押せた」

「あれが間違いだったのです。あの一席のお陰で、誤りに気づくことが出来ました」


 これまでの行動が、すべて誤りであった。

 しかし、そんな突飛な告白にも指宿は動じる様子もない。

 更なる答えを求める沈黙に、継嗣は頷きながら答えた。

 

「そもそも自分には、命を賭ける資格がない」


 継嗣は死に瀕して、自身の生を振り返った時、自身の命があまりに多くの人の助けによって、今ここにあることを思い知らされた。

 賭けていい命など、端からどこにも存在しなかったのだ。

 

「何もかも、心得違いをしていました」


 継嗣の命は、すでに継嗣自身のものではなく、やすやすと独断で命を賭ける事など言語道断。それは何より許されざる不義理であった。

 故に、継嗣は頭を下げ続ける。


「ですから、この勝負。――――無かった事にしてはいただけませんか」

 

 確実な死を前にして、今更に怖気づいた者の詭弁にも聞こえなくはない。

 ずいぶんと虫がよく、また都合がいい話でもある。


 どん、と。指宿は苛立つように足を踏み鳴らした。


「…………つまり」


 頭を下げ続ける継嗣からその姿を窺い知ることはできないが、垂れた背中には今も突き刺すような気当たりが飛んできていた。

 顔を上げれば、あの狐面が牙を向くような形相をしているに違いない。

 それでも継嗣は頭を下げ続ける。


「君はこう言いたいのかね…………『人が命を賭けてスイッチを押してきたのに自分はもう押したくない』……『死にたくないから勘弁して下さい』と……」


 やはり、というよりも当然、というべきか。

 その声は、さながら噴火間際の火山に似ていた。

 

「ずいぶん手前勝手な話だ。君は恥というものを知らないのかい?」 


 荒々しく面罵されながら、逆に継嗣の心は穏やかに澄み始めていた。

 その心には、すでに別の覚悟が備わっている。


 継嗣はこれから逆上した指宿に半殺しにされる事を自覚しながら、それでもその程度で済むならば上等だと考えていた。

 いくら罵られ、いくら軽蔑されようとも、生きてこの地を出ることが出来れば、それだけで御の字。

 明日をつなぐ。ただそれだけの為に、この命を生き永らえようと心はすでに決まっていた。


「君も自宅警備員を目指すのなら、『撤退』を口にする事の意味は分かっているんだろうね?」


 自宅警備員に退路なし。

 その身こそが唯一無二の最終防衛線であるが為に、敗北と撤退は神州の壊滅を意味していた。

 今、継嗣の取っている言動は、自宅警備員失格の烙印を押されても仕方ない、何よりも恥ずべきもの。

 しかし、

 

「……分かっています。しかし、しかしながら!」


 継嗣は激して、反論した。


「今ここで俺が逃げ出したところで、神州には何の害も及びません!」

「だから、逃げると?」


 継嗣の言うことも一面では真実である。

 この勝負はあくまで推薦状と命を賭けた肝試しである以上、敗北にはそれ以外の意味などない。

 しかし、そんな詭弁で指宿の怒りが収まるとは継嗣とて思ってはいない。


「……どうか、お願いします」

「君は、恥ずかしい。もしも私ならそんな無様な姿を晒すよりは死を選ぶ。おそらく神州、どこの自宅警備員もそう答える」


 言いながら、ゆっくりと歩みを進める指宿。

 一歩一歩を刻みながら、ゆらり継嗣の元へと歩み寄る。

 そして、その手を継嗣の肩に置いた。


「――――しかし、だからこそ、それは『勇気』なのかもしれない」

 

 狭苦しい密室に、ふいに涼風が走り抜けたように感じた。

 その穏やかな声に、継嗣は驚きながら顔を上げる。


「見せてもらった。誰もが忌避する無様な姿を見せてまで未来に繋ぐ」


 見上げれば、表情からは険が取れ、初めて目にする指宿の顔がそこにはあった。

 男は納得したように頷く。


「それが君の『勇気』なんだな」


 勇気。勇気。勇気。

 心の中でつぶやいて、継嗣はようやく指宿の求めていたものが見えた気がした。

 勇気を見せて欲しい。そもそも指宿は最初からそう言っていたではないか。


 備えることが勇気であるなら、備えるために退くこともまた勇気。

 その為に恥も外聞もかなぐり捨てた継嗣の行いは、まさに指宿の理屈にかなうものであった。

 継嗣は恐る恐る訊ねる。


「許して、下さるんですか?」

「許すというより、こちらこそ許してほしい」

 

 言いながら指宿は頭を下げる。逆に謝られて継嗣は目を丸くした。

 その表情がおかしかったのか、指宿は悪戯っぽく笑う。


「ふふふ、実は『たねがしまん輪盤』には、一発も砲弾を込めていないんだ」

「――――は、……えっ?」


 『たねがしまん輪盤』には当たりが入っていなかった。

 指宿は一見してすまなそうに、しかしどこか底意地の悪い顔で種を明かした。


「弾を込めるフリをして君を欺いたのさ。事実、弾は出なかっただろう?」


 これまで指宿の言葉に翻弄され、意識を吹き飛ばされるような衝撃を幾度となく食らってきた継嗣だったが、この一言は特に効いた。

 幾億光年先の宇宙にて継嗣は空飛ぶスパゲッティ・モンスターとの対談を果たし、現世に戻ってくるにはそれから十数分の時を要する事になる。


 結局、一から十までがこの指宿に翻弄され続けた勝負だった。

 やはり廣田宇佐ひろた うさの忠告通り、籠島などに行くべきではなかった。

 後悔したところで何が変わるでもなく、勝負に自分から降りたという言質を取られてしまっている以上、推薦状は貰えるはずもなかった。


 ――――少年・守宮継嗣。『籠島の自宅警備員・指宿猪織』より推薦状、頂戴できず。






 ■  ■  ■






「実に面白い少年だった」


 少年は意識を取り戻し、衣服を着なおすと一礼して逃げるように帰ってしまった。

 その始終があまりにも滑稽で面白く、室内に一人残された指宿は含み笑いを漏らしていた。


「さて……」


 ふと何かを思い立ち、指宿は『たねがしまん輪盤』の装填室へと足を向けた。

 神棚を敬うように一礼した後、指宿は改めて、その奇跡を確認した。


「一体、どこの誰が信じられるか」


 指宿はため息をついた。

 そのあまりに現実離れした光景に感嘆する。


 開かれた『たねがしまん輪盤』の中で、鈍く光る砲弾の底部。

 指宿は、幾つも継嗣に嘘をついていた。

 その内の一つ。

 『たねがしまん輪盤』にはいた。


 籠島史上にも前例のない最終席。指宿と継嗣は、確かにその前人未到の領域にまで足を踏み入れていたのである。

 その上で求めていた勇気を見せてもらった指宿は一芝居を打ち、少年の矜持を傷つけぬよう、この勝負を茶番として処理した。

 継嗣は知りもしない。もしあの場でスイッチを押していれば、この頂点に装填された弾は発射されていたのだ。

 

 『たねがしまん輪盤』には神が宿る。

 籠島の自宅警備員の間に語り継がれてきた伝承が、にわかに指宿の中で生々しく鼓動を打っていた。

 容易に判断がつかず、ただただ心に波風が立つ。

 その気の昂りを抑えるべく、指宿は携帯電話を取り出して、いずこかへとかけ始めた。


「もしもし、父上。猪織です」


 これが指宿のついた二つ目の嘘。

 指宿の父はいまだ存命だった。


 籠島の自宅警備員が親子でその肝を試し合うまでは真実。

 しかし、ここには一つのカラクリが存在し、血を分けた親子がその命を賭け合った場合、多くは父の方から先に折れ、勝負は早々に決着が付く事が多かったのだ。

 誰が好き好んで実の我が子の命が散る瞬間を見たがるだろうか。そこには野蛮の地と呼ばれた籠島にも人の情というものが垣間見える。

 

「はい。実は『たねがしまん輪盤』について御相談が……は? いえ、怒っては…………ちょっと待ってください。どういう意味です?」


 自分一人では判断がつかず、父の智恵にすがろうとした指宿の顔がさらに苦悩に歪んでいた。

 受話器の向こうから聞こえて来る声に神経を研ぎ澄まし、指宿は狼狽した。

 

「C−193534……すいません。また掛け直します」


 素早く電話を切ると、指宿は飛びつくように輪盤に装填された砲弾を取り出す。

 そこには「C−193534」とシリアルナンバーが刻み込まれていた。

 砲弾を手に、指宿は震えあがる思いだった。


「……なんという事だろう」


 今日の『たねがしまん輪盤』の報告をしようとした途端、指宿の父は突如、電話越しに謝ってきた。

 先日、補佐官のミスでこの山のように積まれた砲弾の中に、不具合が生じる弾が混じっていたというのである。


 そのシリアルナンバーが「C−193534」

 それは指宿が今、手にし、そして今回の『たねがしまん輪盤』に用いられた弾だったのだ。


 もし、あの場で守宮継嗣がスイッチを押していたとしても、弾が発射されることはなかった。

 その事実に、指宿は見えざる神の手を見た。


「それにしても」


 感嘆しながら改めて、あの少年のことを振り返ってみる。

 東都の自宅警備員を目指す少年。自宅警備の秘を漏らしかけ、資格を失った少年。 

 

「凄まじい逸材だ」


 指宿は戦慄する。

 高校生の身の上で、修行を半ばで閉ざされたと聞いていた。

 しかし、少年の威容はすでにして自宅警備員の風格を備えており、体は万全なまでに仕上がっていた。


「技をどれほど磨いているかは知らないが、体は申し分ない。心のみが未熟だが、それもいずれは……」


 少年の未来を思うと、指宿は恐れを抱かずにはいられない。

 自分とて一個の自宅警備員として完成されているとは言わないまでも、その力には絶対の自負を兼ね備えていた。


 それが揺らいでいる。

 あの少年を思うと、己が浅瀬で満足している小魚のように思えてくる。

 指宿はあとで掛け直すと約束した父との会話も忘れ、その日は修行に没頭した。


 指宿がついた最後の嘘。

 それは誰よりも強さに敏感で、誰よりも強く、野蛮であろうとする自身の本質であった。

 

 守宮継嗣と指宿猪織、前人未踏の『たねがしまん輪盤』。

 かくして奇跡は知られざる歴史として紙片に記されることなく闇に葬られた。

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